「それは、とてもトクベツな一日」 1 * * 3 * 4 〜蛮ちゃんお誕生日祝SS/「オイシイ生活」シリーズ〜 「銀次ー。グラスもう一個あるか〜?」 「え。ごめん波児さん! 足んなかった? 今揃ってるのはそれだけしかないんだけど、あ。大きさ違っちゃってもいい?」 「何でも構わねぇぞ」 「んじゃあ、コレでもいっかな」 「あぁ、すまねーな。…しかし、へえー」 手渡されたグラスを受け取り、何やら感心したように部屋をぐるりと見回す波児に、狭いキッチンとテーブルの間をばたばたと忙しく動いていた銀次が、ふと立ち止まり、何?と振り返って首を傾けた。 「いや、何ってこたぁねえけどな」 「ん? あぁ、そっか! ゴメンね、散らかってて! これでも一応、さっき掃除はしたんだけど」 「あー? いやいや、そうじゃねえって。越してきたばっかの頃に比べて、なーんか生活感が出てきたなぁと思ってな。一応、食器もそこそこ揃ってるじゃねえか」 感心したような波児の言葉に、途端に嬉しそうな顔になって、銀次が笑顔でそれに答える。 「うん! 全部百円ショップで買ったんだけどね。あ、ビール、どーぞ。オレのお酌じゃ色気ないケド」 「おー、すまねぇな。にしても、最近の百円ショップは、結構いいモン置いてんだなあ」 「そうだよー。ほら、このお皿とかも百均だけど。なかなかいいでしょ? ねっ。」 「柄のシュミはどうかと思うが、まあ実用的ではあるか」 「丈夫だよ。オレ、何回も落としたけど、割れなかったし!」 「そりゃ、重宝するな。何せお前、皿洗いのバイト頼んだら、ウチの皿片っ端から欠けさせてくれて、ありゃあ参ったからなあ…」 「あ〜。そういえば! バイト料より、お皿の弁償代のが高くなっちゃって、オレ、蛮ちゃんにこっぴどく叱られたんだっけ。アハハ」 「笑いごっちゃねえぞ」 「あは、ゴメンね。でも、そういやあの時もお仕事なくってお金すっからかんで、ホント大変だったんだよねー。…ねえ、蛮ちゃん?」 「……」 波児のグラスにビールを次ぎつつ、そう言ってにっこりと蛮を見た銀次は、ジロリと無言で凄まれて、びくっと笑顔をひきつらせた。 「あ、えーっと…」 「ぎ、銀次っ! おい、ビール溢れてるっ」 「え? うわあああ、もったいないっ!」 「って言ってねぇで! 早く台拭きとぞうきん持ってこい! 畳に染みがついちまうぞ」 「う、うんっ!」 ばたばたとぞうきんを取りにいく銀次の背を見送ると、波児がやれやれといった顔で蛮に視線を戻し、窘めるように小声で言った。 「蛮ー。いい加減、機嫌直せや」 「――別に。普段から、こんなもんだろうが」 不機嫌極まりない声に、波児ががっくりと肩を落として力なく答える。 「へぇ…。そーかい」 「あぁ」 素っ気ない返事に、波児がグラスいっぱいのビールをズズと一口飲むと、さらに小声になって言った。 「銀次が気ぃ使って可哀想だろうが?」 その言葉に、ますます不機嫌そうに、蛮が眉間の皺を深くする。 確かにそれは蛮にとっても、どうやら不本意であるらしかった。 ――が。 「俺が知るか」 どうやら、それとこれとは別問題であるらしい。 吐き捨てるように言うと、蛮は、先程からと同じく、再び射るような鋭い視線で向かいに坐る男を睨みつけた。 その敵意剥き出しの視線を、スッと鋭いナイフのように細められた眼が受け、真っ直ぐに見返す。 「……あのなぁ。お前ら……」 剣呑とした重々しい空気に、波児は心底疲れたように"はあ〜…"と溜息を落とすと、飽きもせずにそうして無言で睨み合っている二人の顔を、ちらりちらりと見比べた。 折り畳み式の低い丸テーブルの真ん中に置かれたスキヤキ鍋は、既にグツグツと煮え始め、睨み合う二人の間にもうもうと白い湯気を立ち上らせている。 気まずい雰囲気に一人では間が持たず、波児は仕方なしに、上着のポケットを探って煙草を取り出した。 ――それにしても、まあ。 やはり、というか。 タイプは違うものの、さすが親子だ。 似たような面立ちだ。 しかも悪いことに、どうやら性格まで似ているらしい。 どちらも一歩も引きそうにない頑固さと気の強さは、まさに血筋の為せる技なのだろう。 似なくてもいいとこばっかり似るもんだ、親子なんてな…と、波児が心中でこぼしつつ、はぁ…と煙と溜息を一緒に吐き出す。 それにしても銀次のヤツ、何だってよりにもよって…と考えかけたところで、ばたばたとぞうきんを片手に、やっと銀次が駆け戻ってきた。 「わー。ごめんね、波児さん! 濡れちゃわなかった?」 「あぁ、俺は大丈夫だがな、畳はしっかり染みになっちまったな」 「わぁ、ほんとだ! 大家さんに叱られちゃうかなー」 「いや、乾いたら大丈夫だろ。なあ、蛮」 「………あぁ…」 「ってよ」 「本当? だったらいいケド」 言って、手にしたぞうきんやらタオルで、波児のズボンやら畳をごしごし拭く銀次を、蛮がちらりと横目になり、苦々しい顔つきでそれを見下ろす。 そして、同じく銀次に視線を動かせた男に気づくと、テメエは見るな!とばかりに、さらに眼光を鋭くさせ睨み付けた。 男がそんな蛮に、余裕とも挑発とも取れる笑みを、うっすらとその口元に浮かべる。 それに、また一瞬でカッと頭に血が上りかけたが、さすがに『先程』の事もあり、蛮は内心で己を戒め鎮めた。 ――だが。 まったく。 腹立たしい事、この上ない。 腸が煮えくり返るというのは、きっとこういう状態を言うのだろう。 内心で憤怒しつつ、忌々しげに蛮が思う。 目前に、この男が居るという事実もさることながら、それをお膳立てしたのが自分の相棒だということが、尚の事。 どうにもこうにも腹立たしいのだ――。 いったい、このアホは…! 何を考えてやがるんだ! コイツは、テメエの憎むべき敵だろうが…! テメエが無限城にいた時に、どれだけの苦渋を味合わされてきたか、忘れたわけじゃねえだろう。 憎んでも憎んでも余りある、そんなヤツをなんだって、今此処にこうして、のさばらせておきやがるんだ――…! "理解出来ねえ"とばかりに、苦い想いと怒りの矛先は、つい、未だひきつり笑顔の相棒に向く。 それが理不尽である事は判っていたが、それでも、今のこの状況はどうしたって、蛮の気持ちに背いている。 銀次の中に、自分を想っての気遣いがあるのは疑いようもなかったが。 だからといってそのために、銀次が無理をしたり苦しんだりする事が、蛮にはどうしても我慢ならなかったのだ。 それは、親と子の確執さえ後回しに出来るほど、蛮には大きな問題だった――。 しかし、当の銀次はといえば。 「あ、えーと。"お父さん"?」 少々恥ずかしそうに、にっこりと呼びかける銀次の声に、"お父さん"と呼ばれた当の本人が、まさか自分の事かと微かに表情を変えて銀次を見上げた。 その光景に、蛮の顔がみるみる殺気を帯びて、さらに険しいものになっていく。 いやそれどころか、今にも蛇咬で部屋ごと破壊してしまいそうな、そんな威圧感さえ伺わせる。 「えっと、お酒は大丈夫でしたっけ?」 「………あぁ…」 男が低く答え、頷く。 応える表情は能面のように変化は無いが、それでも内心ではさぞや狼狽しているのだろう。 察した波児がくくっと笑いを堪えつつ、男に代わって銀次に答える。 「あぁ、心配ねえ。コイツも蛮と一緒でザルだからよ」 「へえ、そうなんだー。じゃあ、ビール、じゃんじゃん持ってきちゃっても大丈夫ですよね? 蛮ちゃんも波児さんも、ともかく飲みかけるとペース早いから、開けちゃってからだと追いつかなくって」 「あぁ、すまねぇな」 波児の返事に、銀次が冷蔵庫を開け、この日のためにと買っておいた大瓶を数本抱えて戻ってくる。 「じゃあさ、蛮ちゃんも一緒に…」 言いながら、ビールをテーブルに置こうとした銀次は、だが、怒りに満ち満ちた蛮の眼と合うと、思わずぎょっと身をのけぞらせた。 その拍子に、まだ両手に抱えていた瓶が、銀次の手の中でわたわたとお手玉状態になる。 「わ、うわ、わわっ…!」 「あぁ、ったく!」 「ば、蛮ちゃん…」 「何本ビール無駄にする気だ、テメエは!!」 銀次の手から滑り落ちてきた瓶を、ひょいひょいと片手で全て受け止め、蛮が怒鳴るのとほぼ同時に、ドン!とまとめてテーブルに置く。 そして、びくっ!と両肩を上げる銀次に、未だ苦々しい顔つきのまま、親指をくいと下に向け、自分の傍らを指し示した。 「いいから、テメエは座ってろ! これ以上チョロチョロすんな!」 「え、だって。あの…!」 「座れ!!」 「う、うん。ごめん、蛮ちゃん…」 蛮の剣幕に、言われるがままに蛮の横に腰を下ろして正座して、銀次がしゅんと項垂れる。 まるで、叱られて今にも泣き出しそうな子供のような肩の落とし様に、蛮は小さく舌打つと、フイと銀次から視線を逸らせた。 ――まったく。 いったい何だってまた、 こんな羽目に陥っちまったんだか。 蛮が、銀次から顔を背けたまま、胸の内で思い返す。 銀次の手料理に気を良くし、ビラ配りも順調に終了した午後。 三時を少し回ったところで『Honky Tonk』を訪れた蛮と銀次は、いつも通り波児の煎れてくれたコーヒーを、いつも通りツケで堪能し、時折ちらちらと雪の舞う窓の外を見ながら、いつも以上に穏やかな時間を過ごした。 正直、幸福だと思った。 傍らに銀次がいて。 共に過ごす、そんなゆったりと流れる時間を、蛮は、ただただ愛しいと感じた。 他には何もいらないと、本気でそう思うほど。 だから蛮にしてみれば、夜もそんな感じで良かったのだ。 わざわざ波児を呼んでスキヤキをつつくより、コンビニ弁当とビールでいいから、銀次と二人でのんびりしたかった。 (いつもそうだろうがと言われれば、まさしくその通りなのだが) 『なあ、銀次』 『うん?』 『別に、わざわざ波児を家に呼ばなくてもよ、『Honky Tonk』でスキヤキぐらい出来るだろうが? その方が、鍋を運んでくる手間も間違いなく省けるぜ』 『え? そ、そりゃあ…。そうだけど』 『店貸し切りにすりゃいいじゃねえか。どうせ客も来ねえんだしよ』 『でも、それじゃあ、お店にメイワクかけちゃうし』 『波児が店早じまいして出てくんだったら、同じじゃねえか』 『うー。でも…』 『でも、何だよ』 『ダメなのです!』 『…あ?』 『だってさー。オレたち、せっかく家持ちになったんだから! こういう時こそ、日頃お世話になってる波児さんをお招きしてお礼しなくちゃ!』 『つっても、肉も鍋も波児が用意…』 『ともかくですねっ!! せっかくのお誕生日なんだし! どうせだったら、オレたちのおうちに"お客さん"招待してお祝いした方が楽しいじゃない。そういうの、今まで一回もしたことないでしょ? だからオレ、してみたいんだよねー!』 嬉しそうに言う銀次に、"たったそれだけの理由かよ?"と呆れつつも、確かにコイツの考えそうなことだと納得し、蛮は結果的にそれを了承した。 どうやら"それだけ"ではないらしい事は、そわそわと落ち着かない銀次の様子に薄々勘付いたが。 そこは、気付かないフリを通す事にした。 "客"にひっかかるものも、多少は覚えもしたが。 それでも、とにかく。 自分などの誕生日のために、 ひたすら一生懸命になってくれる銀次を、心から愛おしいとそう想ったから。 好きにさせてやりたいと、思った。 ――後になってみれば、どうもそれが良くなかった。 波児の他に、銀次なりの"びっくりゲスト"でも用意してやがるんだろうと踏んでいた蛮は、それが、どうせマリーアか卑弥呼辺りだろうと勝手に予想していた。 ――だが。 予想は、ものの見事に外れた。 いや、もとより。 当たる確率の方が皆無に等しいだろう。 それが証拠に、招待した本人が一番信じられない様子で、その来訪に緊張の面もちで玄関に立ったぐらいなのだから。 「あ…! い、いらっしゃい、ませ…!」 「よう。お招き、どーも」 「あ、き、汚いですけど、どうぞ!」 「あぁ、お邪魔させてもらうぜ。―しかしなぁ…。マジで連れてきて良かったのか、銀次? コノ野郎を、よ」 「――いきなり呼びつけておいて。…言い草だな。波児」 その声に。 窓際で煙草をふかしていた蛮の気配が一瞬でピリッと緊張し、次の瞬間、ゾッとするほどの冷たい殺気に満ちたものにすり変わった。 ある程度の事は、一人密かに覚悟していた銀次だったが、それでも蛮の反応は、そんな銀次の予想を遙かに越えるものだったのだ――。 ――ごめんね。蛮ちゃん…。 でも、オレ、どうしても…。 蛮ちゃんの生まれた日を、一緒に祝って欲しかったんだ。 蛮ちゃんのお父さんにも。 そして。 その日は確かにあったんだという事を、思い出して欲しかった。 思い出を奪り還して欲しいって、そう思ったんだ――。 つづく。 |