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「それは、とてもトクベツな一日」   *  *  * 
 〜蛮ちゃんお誕生日祝SS/「オイシイ生活」シリーズ〜 
      


「銀次ー。グラスもう一個あるか〜?」
「え。ごめん波児さん! 足んなかった? 今揃ってるのはそれだけしかないんだけど、あ。大きさ違っちゃってもいい?」
「何でも構わねぇぞ」
「んじゃあ、コレでもいっかな」
「あぁ、すまねーな。…しかし、へえー」
手渡されたグラスを受け取り、何やら感心したように部屋をぐるりと見回す波児に、狭いキッチンとテーブルの間をばたばたと忙しく動いていた銀次が、ふと立ち止まり、何?と振り返って首を傾けた。
「いや、何ってこたぁねえけどな」
「ん? あぁ、そっか! ゴメンね、散らかってて! これでも一応、さっき掃除はしたんだけど」
「あー? いやいや、そうじゃねえって。越してきたばっかの頃に比べて、なーんか生活感が出てきたなぁと思ってな。一応、食器もそこそこ揃ってるじゃねえか」
感心したような波児の言葉に、途端に嬉しそうな顔になって、銀次が笑顔でそれに答える。
「うん! 全部百円ショップで買ったんだけどね。あ、ビール、どーぞ。オレのお酌じゃ色気ないケド」
「おー、すまねぇな。にしても、最近の百円ショップは、結構いいモン置いてんだなあ」
「そうだよー。ほら、このお皿とかも百均だけど。なかなかいいでしょ? ねっ。」
「柄のシュミはどうかと思うが、まあ実用的ではあるか」
「丈夫だよ。オレ、何回も落としたけど、割れなかったし!」
「そりゃ、重宝するな。何せお前、皿洗いのバイト頼んだら、ウチの皿片っ端から欠けさせてくれて、ありゃあ参ったからなあ…」
「あ〜。そういえば! バイト料より、お皿の弁償代のが高くなっちゃって、オレ、蛮ちゃんにこっぴどく叱られたんだっけ。アハハ」
「笑いごっちゃねえぞ」
「あは、ゴメンね。でも、そういやあの時もお仕事なくってお金すっからかんで、ホント大変だったんだよねー。…ねえ、蛮ちゃん?」


「……」


波児のグラスにビールを次ぎつつ、そう言ってにっこりと蛮を見た銀次は、ジロリと無言で凄まれて、びくっと笑顔をひきつらせた。

「あ、えーっと…」

「ぎ、銀次っ! おい、ビール溢れてるっ」
「え? うわあああ、もったいないっ!」
「って言ってねぇで! 早く台拭きとぞうきん持ってこい! 畳に染みがついちまうぞ」
「う、うんっ!」
ばたばたとぞうきんを取りにいく銀次の背を見送ると、波児がやれやれといった顔で蛮に視線を戻し、窘めるように小声で言った。

「蛮ー。いい加減、機嫌直せや」

「――別に。普段から、こんなもんだろうが」
不機嫌極まりない声に、波児ががっくりと肩を落として力なく答える。
「へぇ…。そーかい」
「あぁ」
素っ気ない返事に、波児がグラスいっぱいのビールをズズと一口飲むと、さらに小声になって言った。
「銀次が気ぃ使って可哀想だろうが?」
その言葉に、ますます不機嫌そうに、蛮が眉間の皺を深くする。
確かにそれは蛮にとっても、どうやら不本意であるらしかった。
――が。

「俺が知るか」

どうやら、それとこれとは別問題であるらしい。
吐き捨てるように言うと、蛮は、先程からと同じく、再び射るような鋭い視線で向かいに坐る男を睨みつけた。
その敵意剥き出しの視線を、スッと鋭いナイフのように細められた眼が受け、真っ直ぐに見返す。



「……あのなぁ。お前ら……」



剣呑とした重々しい空気に、波児は心底疲れたように"はあ〜…"と溜息を落とすと、飽きもせずにそうして無言で睨み合っている二人の顔を、ちらりちらりと見比べた。
折り畳み式の低い丸テーブルの真ん中に置かれたスキヤキ鍋は、既にグツグツと煮え始め、睨み合う二人の間にもうもうと白い湯気を立ち上らせている。
気まずい雰囲気に一人では間が持たず、波児は仕方なしに、上着のポケットを探って煙草を取り出した。


――それにしても、まあ。
やはり、というか。


タイプは違うものの、さすが親子だ。
似たような面立ちだ。
しかも悪いことに、どうやら性格まで似ているらしい。
どちらも一歩も引きそうにない頑固さと気の強さは、まさに血筋の為せる技なのだろう。


似なくてもいいとこばっかり似るもんだ、親子なんてな…と、波児が心中でこぼしつつ、はぁ…と煙と溜息を一緒に吐き出す。


それにしても銀次のヤツ、何だってよりにもよって…と考えかけたところで、ばたばたとぞうきんを片手に、やっと銀次が駆け戻ってきた。
「わー。ごめんね、波児さん! 濡れちゃわなかった?」
「あぁ、俺は大丈夫だがな、畳はしっかり染みになっちまったな」
「わぁ、ほんとだ! 大家さんに叱られちゃうかなー」
「いや、乾いたら大丈夫だろ。なあ、蛮」

「………あぁ…」

「ってよ」
「本当? だったらいいケド」
言って、手にしたぞうきんやらタオルで、波児のズボンやら畳をごしごし拭く銀次を、蛮がちらりと横目になり、苦々しい顔つきでそれを見下ろす。
そして、同じく銀次に視線を動かせた男に気づくと、テメエは見るな!とばかりに、さらに眼光を鋭くさせ睨み付けた。
男がそんな蛮に、余裕とも挑発とも取れる笑みを、うっすらとその口元に浮かべる。
それに、また一瞬でカッと頭に血が上りかけたが、さすがに『先程』の事もあり、蛮は内心で己を戒め鎮めた。



――だが。



まったく。
腹立たしい事、この上ない。
腸が煮えくり返るというのは、きっとこういう状態を言うのだろう。


内心で憤怒しつつ、忌々しげに蛮が思う。


目前に、この男が居るという事実もさることながら、それをお膳立てしたのが自分の相棒だということが、尚の事。
どうにもこうにも腹立たしいのだ――。





いったい、このアホは…!
何を考えてやがるんだ!


コイツは、テメエの憎むべき敵だろうが…!
テメエが無限城にいた時に、どれだけの苦渋を味合わされてきたか、忘れたわけじゃねえだろう。


憎んでも憎んでも余りある、そんなヤツをなんだって、今此処にこうして、のさばらせておきやがるんだ――…!





"理解出来ねえ"とばかりに、苦い想いと怒りの矛先は、つい、未だひきつり笑顔の相棒に向く。
それが理不尽である事は判っていたが、それでも、今のこの状況はどうしたって、蛮の気持ちに背いている。
銀次の中に、自分を想っての気遣いがあるのは疑いようもなかったが。
だからといってそのために、銀次が無理をしたり苦しんだりする事が、蛮にはどうしても我慢ならなかったのだ。


それは、親と子の確執さえ後回しに出来るほど、蛮には大きな問題だった――。







しかし、当の銀次はといえば。


「あ、えーと。"お父さん"?」
少々恥ずかしそうに、にっこりと呼びかける銀次の声に、"お父さん"と呼ばれた当の本人が、まさか自分の事かと微かに表情を変えて銀次を見上げた。

その光景に、蛮の顔がみるみる殺気を帯びて、さらに険しいものになっていく。
いやそれどころか、今にも蛇咬で部屋ごと破壊してしまいそうな、そんな威圧感さえ伺わせる。

「えっと、お酒は大丈夫でしたっけ?」
「………あぁ…」

男が低く答え、頷く。
応える表情は能面のように変化は無いが、それでも内心ではさぞや狼狽しているのだろう。
察した波児がくくっと笑いを堪えつつ、男に代わって銀次に答える。
「あぁ、心配ねえ。コイツも蛮と一緒でザルだからよ」
「へえ、そうなんだー。じゃあ、ビール、じゃんじゃん持ってきちゃっても大丈夫ですよね? 蛮ちゃんも波児さんも、ともかく飲みかけるとペース早いから、開けちゃってからだと追いつかなくって」
「あぁ、すまねぇな」
波児の返事に、銀次が冷蔵庫を開け、この日のためにと買っておいた大瓶を数本抱えて戻ってくる。

「じゃあさ、蛮ちゃんも一緒に…」

言いながら、ビールをテーブルに置こうとした銀次は、だが、怒りに満ち満ちた蛮の眼と合うと、思わずぎょっと身をのけぞらせた。
その拍子に、まだ両手に抱えていた瓶が、銀次の手の中でわたわたとお手玉状態になる。
「わ、うわ、わわっ…!」
「あぁ、ったく!」
「ば、蛮ちゃん…」
「何本ビール無駄にする気だ、テメエは!!」
銀次の手から滑り落ちてきた瓶を、ひょいひょいと片手で全て受け止め、蛮が怒鳴るのとほぼ同時に、ドン!とまとめてテーブルに置く。
そして、びくっ!と両肩を上げる銀次に、未だ苦々しい顔つきのまま、親指をくいと下に向け、自分の傍らを指し示した。
「いいから、テメエは座ってろ! これ以上チョロチョロすんな!」
「え、だって。あの…!」

「座れ!!」

「う、うん。ごめん、蛮ちゃん…」
蛮の剣幕に、言われるがままに蛮の横に腰を下ろして正座して、銀次がしゅんと項垂れる。
まるで、叱られて今にも泣き出しそうな子供のような肩の落とし様に、蛮は小さく舌打つと、フイと銀次から視線を逸らせた。






――まったく。

いったい何だってまた、
こんな羽目に陥っちまったんだか。



蛮が、銀次から顔を背けたまま、胸の内で思い返す。










銀次の手料理に気を良くし、ビラ配りも順調に終了した午後。
三時を少し回ったところで『Honky Tonk』を訪れた蛮と銀次は、いつも通り波児の煎れてくれたコーヒーを、いつも通りツケで堪能し、時折ちらちらと雪の舞う窓の外を見ながら、いつも以上に穏やかな時間を過ごした。


正直、幸福だと思った。
傍らに銀次がいて。
共に過ごす、そんなゆったりと流れる時間を、蛮は、ただただ愛しいと感じた。
他には何もいらないと、本気でそう思うほど。


だから蛮にしてみれば、夜もそんな感じで良かったのだ。
わざわざ波児を呼んでスキヤキをつつくより、コンビニ弁当とビールでいいから、銀次と二人でのんびりしたかった。
(いつもそうだろうがと言われれば、まさしくその通りなのだが)


『なあ、銀次』
『うん?』
『別に、わざわざ波児を家に呼ばなくてもよ、『Honky Tonk』でスキヤキぐらい出来るだろうが? その方が、鍋を運んでくる手間も間違いなく省けるぜ』
『え? そ、そりゃあ…。そうだけど』
『店貸し切りにすりゃいいじゃねえか。どうせ客も来ねえんだしよ』
『でも、それじゃあ、お店にメイワクかけちゃうし』
『波児が店早じまいして出てくんだったら、同じじゃねえか』
『うー。でも…』
『でも、何だよ』
『ダメなのです!』
『…あ?』
『だってさー。オレたち、せっかく家持ちになったんだから! こういう時こそ、日頃お世話になってる波児さんをお招きしてお礼しなくちゃ!』
『つっても、肉も鍋も波児が用意…』
『ともかくですねっ!! せっかくのお誕生日なんだし! どうせだったら、オレたちのおうちに"お客さん"招待してお祝いした方が楽しいじゃない。そういうの、今まで一回もしたことないでしょ? だからオレ、してみたいんだよねー!』


嬉しそうに言う銀次に、"たったそれだけの理由かよ?"と呆れつつも、確かにコイツの考えそうなことだと納得し、蛮は結果的にそれを了承した。
どうやら"それだけ"ではないらしい事は、そわそわと落ち着かない銀次の様子に薄々勘付いたが。
そこは、気付かないフリを通す事にした。



"客"にひっかかるものも、多少は覚えもしたが。
それでも、とにかく。


自分などの誕生日のために、
ひたすら一生懸命になってくれる銀次を、心から愛おしいとそう想ったから。
好きにさせてやりたいと、思った。




――後になってみれば、どうもそれが良くなかった。








波児の他に、銀次なりの"びっくりゲスト"でも用意してやがるんだろうと踏んでいた蛮は、それが、どうせマリーアか卑弥呼辺りだろうと勝手に予想していた。




――だが。
予想は、ものの見事に外れた。



いや、もとより。
当たる確率の方が皆無に等しいだろう。


それが証拠に、招待した本人が一番信じられない様子で、その来訪に緊張の面もちで玄関に立ったぐらいなのだから。

「あ…! い、いらっしゃい、ませ…!」
「よう。お招き、どーも」
「あ、き、汚いですけど、どうぞ!」
「あぁ、お邪魔させてもらうぜ。―しかしなぁ…。マジで連れてきて良かったのか、銀次? コノ野郎を、よ」



「――いきなり呼びつけておいて。…言い草だな。波児」




その声に。

窓際で煙草をふかしていた蛮の気配が一瞬でピリッと緊張し、次の瞬間、ゾッとするほどの冷たい殺気に満ちたものにすり変わった。



ある程度の事は、一人密かに覚悟していた銀次だったが、それでも蛮の反応は、そんな銀次の予想を遙かに越えるものだったのだ――。

















――ごめんね。蛮ちゃん…。



でも、オレ、どうしても…。



蛮ちゃんの生まれた日を、一緒に祝って欲しかったんだ。
蛮ちゃんのお父さんにも。





そして。
その日は確かにあったんだという事を、思い出して欲しかった。


思い出を奪り還して欲しいって、そう思ったんだ――。












つづく。