「それは、とてもトクベツな一日」 * 2 * 3 * 4 〜2005 蛮ちゃんお誕生日祝SS/「オイシイ生活」シリーズ〜 「さがしものはなんですか〜♪ みつけにくいものですか〜♪」 ゆるやかに覚醒に向かう蛮の耳に、銀次の調子っぱずれな歌が響いた。 カラオケで歌う時の銀次の十八番で、かなりのお気に入りらしい。 その証拠に、機嫌がいい時は必ずといっていいほど口ずさんでいる。 まぁ、あの脳天気バカの機嫌の悪ぃ時なんて、無いに等しいけどよ。 ぼんやりした頭で別段どうでも良い事を考え、"機嫌がいいのは結構だが、もう少し寝かせろや"と心で呟いて蛮が布団を引き上げる。 と、タイミングを合わせたように、ガラッと窓の開く音がした。 「うあー、寒っ!! 風で顔が凍りそうだよ〜! まぁ、でもお天気はいいや。ねぇ、蛮ちゃーん。すっごいきれいな青空だよ!」 「……あー?」 布団の中で生返事を返し、"だからどうしたんだよ"と蛮が思う。 そして、どうやらベランダに洗濯物を干しに出たらしい銀次に、「寒ぃだろうが! いいから、とっとと閉めやがれ!」と怒鳴りつけた。 (聞こえていない気もするが) ややあって、洗濯物を干し終えた銀次が部屋に戻り、蛮のいる布団の横に歩み寄ると、ぺたんと座り込む。 「ねえ、蛮ちゃんー。まだ起きないの? もうお昼近くになってきましたけどっ」 「あー、うるせえ」 「お天気も良いし、洗濯物もよく乾きそうだし! そりゃあ、外はかなり寒いけどさ。おうちの中は窓を閉めたら、こうしてお日様の光だけで充分あったかいし」 「あぁ? だーから、何だってんだよ」 「だから、そろそろ起きたらどうかなって! ねっ」 「…ったく、朝っぱらからよー。テメェのその無駄に明るい性格は、どーにかなんねぇのか」 「なんないんです! っていうか、だから蛮ちゃん。もう朝じゃなくって昼だよ? いい加減起きようよー」 「……へいへい」 「とか言って、また寝る気だっ」 「――悪ぃか」 銀次の不満げな言葉にぼそりと返し、まだまだ布団から出る気は無さそうに、蛮がごろりと銀次から背を向ける。 その背に、呆れたように小さく溜息をついて、それでも微笑んでいるのがわかるようなやわらかな声音で銀次が言った。 「ま、いいけどね。せっかくのお誕生日だし」 「………」 その言葉に、むくりといきなり蛮が上体を持ち上げる。 「ん? どしたの? まだ寝るんじゃなかった?」 「――テメエの一言で目が覚めた」 なぜか半怒りなドスの効いた低い声に、そんなものは聞き慣れているから平気だよーとばかりに銀次がにっこりする。 「なら、よかった! 今日はほんっと冬の青空ってカンジで空もきれいだしさ、絶好のお誕生日日和だよ」 やっと起きてくれた蛮を見、銀次がさも嬉しげに言う。 「ぁあ? なんだ、そりゃ」 蛮が、それを横目で睨みつつ身を起こすと、ぼさぼさの前髪をうっとおしげに掻き上げた。 「別に誕生日だからって、どうってこたぁねえだろ」 ぞんざいに言う。 銀次がそれに、満面の笑顔で応えた。 「そう? でもオレは嬉しいよ」 「…なんでよ」 「なんでって。蛮ちゃんが生まれた日だから!」 「……まんまじゃねぇか」 「そうだけど。でも、本当にそうだもんね!」 「へいへい、そーかよ」 いかにも興味が無さそうに大欠伸をし、今日が一年中で一番胸クソ悪い日だったかと思い返す。 去年はやたらソワソワしていた銀次も、今年はそんな素振りはまったく見せなかったから、正直な話、さっき言われるまではまったく気づきもしていなかった。 ――誕生日、か…。 蛮が思う。 銀次といるようになって、それを祝われることに多少抵抗はなくなったものの、"おめでとう"と言われると、やはり釈然としない後味の悪い想いが残る。 まぁ、それでも。 妙に張り切っている銀次の気持ちを思えば、あまりに景気の悪い不機嫌な顔をしているのもどうよと思う。 蛮が起きたのを確認し、銀次がぱたぱたと洗濯カゴを片づけに行き、台所に立って緑のエプロンをつける。 それを目覚めの一服とばかりに煙草をくゆらせつつ、ぼんやりと眺めていた蛮は、ややあって、まるで亭主のようにぼそりと呟いた。 「銀次ー、メシ」 「うん! もう出来てるから、すぐあっためなおすねv」 銀次が振り返り、にっこりとして答えた。 「へぇ、こりゃあ。朝からまた、えれぇ豪勢だな…」 「でしょー! せっかくのお誕生日なので、朝から(もう昼だけど)大フンパツしてみました! 銀次特製卵焼きに、銀次特製鮭の塩焼きに、銀次特製お豆腐と油揚げのお味噌汁に、銀次特製ほうれんそうのおひたしに、銀次特製…」 「あぁ煩えっ! いちいち"銀次特製"を入れるなっての!」 「いいじゃん! 一応、オレ・オリジナルだもん」 「はぁ?! いったい、どこがオリジナルなんだよ」 「えーと、ね。まず、卵焼きの隠し味につかったケチャップは、この前のコンビニのお弁当についてたやつで、塩焼きの横のガリはこの前行ったお寿司やさんで多めにくすねてきたもので、ほうれんそうはこの前奪還に入ったおうちの畑にあったのをちょっとだけ抜かせてもらったヤツで、お味噌汁の油揚げはカップうどんに入ってた…」 「あぁ、もういいっ! 食う気なくなるから細々説明すんじゃねえっ!」 「蛮ちゃんが聞くからじゃん!」 「うるせえ。だいたい、それの何がオリジナルだっての」 「え? オ、オリジナルな食材の集め方…っていうか」 ちょっとバツが悪そうに上目使いにそうぼそりという銀次に、蛮が一瞬呆気にとられ、それからさも可笑しそうに吹き出すと、ぶははは…と笑い始めた。 あまりのウケられように、銀次が赤面して口を尖らせる。 「もぉ、そんなに笑わなくてもさぁ」 「あぁ、悪ぃ―。じゃあ、まー、せっかくのオリジナル料理だしよ。いただくとすっか!」 その言葉に気を取り直して、"やっとだー"とばかりに銀次が嬉しげな顔になる。 「うん! じゃあ蛮ちゃん、両手を合わせて」 「は?」 「蛮ちゃん、お誕生日おめでとうございます!!! いただきます!」 両手を合わせて、笑顔いっぱいで明るくそう言った銀次に、蛮が面食らったようにその顔を見、それからフッ…と目を細める。 「……おう」 「んじゃ、食べよっ」 小さな折り畳みテーブルの上は、銀次特製のご馳走(…?)がてんこ盛りだ。 見た目の微妙さを味でカバーするのは、たぶんきっと無理があるだろうから、まぁ、その分は愛情と愛嬌でカバーだなと思いながら、蛮が箸を進める。 それでもぱくりと一口卵焼きをほおばって、意外にも食べられた味と食感であることに少々驚いた。 と同時に、いったいこの成果に辿り着くために、何十個の卵が銀次の胃に入ったのだろうとつい考えて心中で唸る。 「しかし、なんかアレだな。まるで新年の挨拶みてぇだな」 「あ、そうだね。そういえば、お誕生日っぽくなかったような」 「まー、景気よくていいけどよ」 「うん、そーだね」 答えつつ、ぱくぱくと料理を食べてくれる蛮を見、銀次が箸を止めて、しあわせそうににっこりとする。 「あ? 何見てんだ?」 「うん? いや、あ、あのさ」 「ん?」 「どう、かなーって」 「何が?」 「何がって」 「だから、何だよ」 「えーと、だから」 「んだよ。はっきり言え」 「んーと、そのー。お味とかは…どうデスカ?」 「は?」 「は、じゃなくて! ねぇ、おいしい?!」 期待に満ちた顔で見つめられ、蛮が思わず笑ってしまいそうになる。 「ガキか、テメェは! なんだよ、その"ほめてほめて"オーラはよ」 「別にほめてーっていうんじゃなくてさ。ちゃんと味つけとかオッケイかなって。オレ、インスタントもの以外は、いつも蛮ちゃんにしてもらってばっかだし。だから蛮ちゃんの味つけにちょっとでも近づけるように頑張ったんだけどさ。なんか、全然思ったようにうまくいかなくてー」 「そりゃ仕方ねぇな。俺様は料理においても天才だからよ」 「ぶー。どうせオレは料理オンチですよ」 「テメェはそうじゃなくて、味覚オンチなんだよ」 「ええっ、ひどい! …じゃなくて、ですね」 もしかしてはぐらかそうとしてる?と銀次が責めるような目になったところで、味噌汁を一口飲んで蛮が答えた。 「そーだな。ま!"まあまあ"ってとこか」 「ほんとっ?!」 蛮の答えに、銀次がぱあっと頬を染めて笑顔になる。 「あ?俺はまあまあって言ったんだぜ。別に誉めちゃいねぇ…」 「蛮ちゃんの"まあまあ"は、"合格"って事と同じ意味だもんね!」 「こら、勝手に決めつけんな!」 「だって、本当にそうなんだもん」 言って、ほっとしたように銀次もまたぱくぱくと食べ始める。 うん、確かに。 思った以上に美味しく出来たかも。 やれば出来るじゃん。オレ。 心の中で自画自賛しつつ、満足そうにもぐもぐと卵焼きを咀嚼しながら、さらに銀次が言う。 「それにさ、蛮ちゃんのそういうトコ。オレ、きっと蛮ちゃん以上に知ってると思うんだよねー」 「何を?」 「だから、蛮ちゃんのコトv」 「…ケッ、しょってやがら」 にかりと銀次にそんな風に言われても、それを否定出来ないのは、確かにそうだと認める部分が多々あるからだろうか。 「あ、けどテメエ。鮭の塩焼きはよ、塩焼きになってねぇから落第!」 「え、嘘!? なんでっ」 「何でと思うなら。――ほれ、食ってみ」 「うん?」 蛮が鮭を一口箸に取り、銀次の前に差し出す。 それを蛮の箸からぱくっと食べて、銀次は途端に何とも表現のしようのないぐにゃぐにゃの顔になった。 「……うわ〜〜……。何これ、甘っ…」 「ったくよ。なーんでテメエは、んなお約束みてぇに塩と砂糖を間違えられんだか」 「うー、ごめん。蛮ちゃん! オレ、責任とって全部食べるから残してくれていいからっ」 「まぁ、微妙っちゃ微妙だが。食えねぇこともねえぞ?」 「え! あ、でもそんな無理して食べなくても!」 「べーつに。無理なんぞしてねえ」 「…蛮ちゃん」 言いながら、構わずに食べてくれる蛮に、銀次の頬がみるみる赤く染まっていく。眦まで。 そういえば、不味い不味いと言いながらさえ、蛮が銀次の作ったものを残したり捨てたりした事は今まで無かった。 銀次がそれを思い出し、指先で目尻に溜まった涙をさっと拭って、また笑顔になる。 「あ。ねぇ、さっきのさ。なんか新婚さんみたいだったね?」 「は?」 「お箸でさ。"あーん"ってやつ」 「バ、バカ言ってんじゃねえっ! アホかっ、何、気色悪いこと抜かしてやがんだ、テメエは!」 「あ、照れてるv」 「照れてねえ!!!」 「いたぁっ!もうっ、蛮ちゃん。ゴハン食べながらまで殴らないでよっ」 「文句抜かすな! オラ、四の五の言ってねぇで、とっとと食え! 食ったらビラ配るぞ」 「ええっ、今日もお仕事すんの!?」 「あー? なんで休むって思うんだよ!」 「だって、蛮ちゃん。せっかくのお誕生日なんだし」 「は? 関係ねぇだろ」 「だってさー。あ、じゃあさ。蛮ちゃんは、お家でテレビでも見てゆっくりしてたらいいよ。ビラならオレが一人で配ってくっから」 「アーホ。テメェ一人で配らせといたら、あっちフラフラこっちへフラフラで、一向にラチがあかねぇだろうが」 「だって、おばーちゃんに道聞かれたり、小さい子に寄ってこられたり、女の子に写真撮らせてって言われたり、いろいろあるんだもん」 「隙がありすぎなんだよ、オメーは」 「でも、だってさぁ」 「だーから。別に誕生日なんて、トクベツでも何でもねぇだろ。普段通りでいいんだよ」 "普段通り"という言葉に何となく反応して、銀次がまじまじと蛮を見つめる。 「ふぅん。そういうもの?」 「おうよ」 蛮の答えに、それも一理アリかもねえと感心したように言って、銀次が『鮭の甘焼き』の最後の一口をほおばりつつ(慣れたら確かに食べられなくはない)、とびきりの笑顔で言った。 「んじゃあ、ゴハン終わったら、いつも通りに二人でビラ撒き行って、で、いつも通りに一緒にホンキートンク行って、波児さんに美味しいコーヒー煎れてもらおっかv」 その言葉に、蛮が紫紺を細めると、ひどく穏やかに笑んで答えた。 「―あぁ、そうだな。そうするとすっか」 「うん…!」 食事が済み、今度は食後の一服をしつつ、窓辺で蛮が新聞を広げた。 銀次は、台所で食べた後の食器を洗っている。 それをちらりと横目で盗み見て、蛮が少々切ない気分で紫煙を吐き出した。 明け方、そういえば台所が騒がしくて一旦目が覚めたが。 そこに銀次がいるのを確認して、「早く寝ろ」だの一声二声かけただけで、そのまままた寝入ってしまった。 きっと早朝から起き出して、暖房もない極寒の台所で、蛮のために一人格闘していたんだろう。 気づかれないように隠してはいたが、ちらりと見えた指のバンドエイド。 何カ所切ったんだ、あの馬鹿。 まったく、不器用なんだからよ…。 そう思いながらも、見なかった事にして、心に留めておくだけにしようと思う。 そんな苦労は微塵も蛮に見せないところが、また銀次のやさしさだから。 大事にしてやりたい、と心から思う。 そして、昔は一年の中で一番不機嫌になった煩わしい一日に、こんな風に笑えるようになった自分を、心底幸運だとも思う。 この世に生まれ落ちることがなかったら、目の前に居る、まさしく"幸運のカタマリ"のような相手とも、決して巡り会うことはなかったのだから。 「あ、そうだ! プレゼントはさ。お金なくてやっぱり買えなかったけど、晩ゴハンはスキヤキだからね!」 ガチャガチャと洗い物をしつつ、銀次が蛮を振り返って言う。 "スキヤキ"という単語に、蛮が思わずいぶかしむような顔になった。 「へー? テメェ、そりゃいいが。金ねぇってのに肉とかどうすんだよ? まさか野菜だけのスキヤキか? んな貧乏くせぇわびしい事するぐれぇなら…」 「違うよっ、お肉は波児さんが大フンパツしてくれるって!」 「はぁ? なんで波児が?」 「なんかね。マドカちゃんから、おセイボっていうの? それに、お肉をいっぱい貰ったんだって。で、一人じゃ食べきれないから、蛮ちゃんのお誕生日に一緒にスキヤキでもするかって言ってくれて。…あ! 勝手に決めちゃってごめんね。でもさ、蛮ちゃん! オレ見せてもらったんだけど、ともかく、こーんないっぱいのお肉お肉お肉で…!」 「あぁ、わあったわあった。テメェの肉好きは、よーく知ってるっての」 「と、いうわけで。夜はスキヤキパーティなのです!」 きっぱりと明るく言い切る銀次に、なんとはなしに奇妙な強引さを感じ、蛮が疑るような目で返す。 「へいへい。けど、なーんか気味悪ぃな。ただでさえ店のツケ溜め込んでるってのに、なんでよりにもよって俺らに肉なんぞ」 「あぁ、なにソレ! 人の好意を疑っちゃイケマセン」 「つーか、テメエは、ちったぁ疑うことも覚えろ」 「だから、それは蛮ちゃんがお誕生日だからでしょ?」 「……」 どうもやはり話がおかしいと、蛮がすうっと紫紺を細め、ちろりと銀次の背中を睨んだ。 「へーえ。それだけかねぇ…」 「うん? な、何が?」 そのチクチクと背に突き刺さる視線を思い切り感じ、振り返る銀次の顔がひきつり笑いになる。 「――オメェら。まさか何か企んでやがるんじゃねぇだろうな」 「え、え、別に! そんなわけないじゃん!」 蛮の低い声の一言に、焦った銀次の手から泡のついた皿が滑り落ち、ばしゃーんと溜めた水の中へと落下した。 嘘のつけない正直者め、と蛮が内心で嗤う。 どうせ、まあ。 その企みも、銀次レベルの頭が考えるコトだ。 せいぜい幼稚で間の抜けた事に決まっている。 なら、まぁ別に。 のってやっても悪かねぇけど。 それで、このバカが喜ぶんなら――。 そんな蛮の心中を知ってか知らずか、銀次はひきつり笑顔のまま、再び強引に蛮に強請った。 「い、いいじゃん、せっかく食べさせてくれるって言うんだし! ご馳走になろうよ、ねっ」 そして。 実際、確かに企みはあったのだと。 そして、それが。 銀次レベルのものにしては、やけに幼稚でも可愛いげもなく。 冗談キツイぜと、心から悪態をつきたくなるような事だと蛮が知ったのは――。 その夜になってからの事だった。 上等の肉とスキヤキ鍋を抱えて、蛮たちのアパートにやってきた波児は、何とも、とんでもない客まで引き連れてきたのだ。 それはたぶん蛮にとって、至上最悪最低の"招かれざる客"だっただろう。 やはり今日という日は、一年のうちでもっとも忌々しい厄日なのだと。 その夜、蛮は心の底からそう実感させられた――。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ つづきます…。→2 |