食育家族
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佐藤家の食卓
母の味
昭和12年生まれの母にいつまでも甘えていてはいけないと思いつつ、自分で漬けようとしない『梅干』。
会社を退職して、『食』を仕事にしたいと勉強を始めた2002年の初夏、しその葉色に染められた梅干が笊に並び、軒先に陰干しされる光景に憧れ、母の手を借りて『梅干』を漬けた。
漬ける手順や美味しい梅の見分け方、方法など知っているつもりでいてもなかなか自分ではできないのが現状である。
ブランド志向の強い私は、和歌山県の『南高梅』が出まわる時期に母と一緒に梅を買いに出かけ、塩漬けをお願いした。
その年、憧れの土用干しを経験して大粒の上等な梅干しに仕上がった。リクエストのあった九州の友人や京都の友人に送り、満足してもらった。
が…バレーボールの試合を終えた娘の友人たちからは『濃すぎる味だよね〜』と不評だったのを記憶している。
今年は一昨年の反省から若干塩分を控えた。
しその葉の色づきも少なめであるが手作り感あふれる仕上がりとなった。
申し訳ないと思いながら、今年は家にいて土用干しする余裕がなく、一切を母に甘え、情けなさが残るものの母が楽しそうに話す梅干談義に耳を傾け、「これもよし♪」かな。
暑さが続く長い夏は、梅の陰干しには好都合だったようで、塩分を控えながらも鮮やかに色づいていった。母が丹精込めて作り上げ、土用干ししている梅干しを見ながら、私は、しばしもの思いにふけった。
健康食ブームの走りから梅干しを口にする人は多くなったようである。
しかし、我が家の手作り梅干しを口にして美味しいと思う人はどの位いるのだろ?!
薄味で、旨み調味料が添加されている市販品に慣れている人々は味の濃い思いっきりすっぱい梅干を食べてどう反応するのか…
我が家の梅干の味をわかって欲しいと思う気持ちは通じないのかもしれない。と
小皿に取り分けた作りたての梅干を口にした娘は、
「うわ〜!すっぱ〜い!」を連呼しながら
「白ご飯食べたくなるよね〜♪」と続けていた。
母が元気なうちに手間暇かけた一品を受け継いでおかなければと改めて思うのである。

                                                −2004年9月−
大好きな夏の味
大好きな夏の味
〜みょうがの甘酢づけ〜
先日、母のところに行ったら、お茶請けに出してもらった『みょうがの甘酢づけ』
私の漬物好きを心得ていて何かと食べさせてもらう。
すかさず、「タッパーに入れてもらっていっても良い?」と甘ったれた私だが、さすがに我が家の庭先になっているみょうがを持っていくのは気が引けて電話をかけた。
私:「みょうが」ってどうやって漬ければいいの?
母:「どのくらいなってるの?」
私:「小さなざるいっぱいかな〜。虫にくわれたから5分位でやめたけど。」「みょうがって下処理すると食べられるとこより捨てるとこの方が多いみたいね」としばらくやりとりが続いた。

我が家では私くらいしか口にしない漬物だけど、夏の風物詩のようにこの時期必ず口にする食べ物である。
ラッキョウの苦手な私はカレーのときもみょうがなのである。
色素を入れる訳でもないのに赤く色づくのは不思議である。
実は初めてチャレンジする母の味で、うまく漬かるのかちょっと不安なのだ。
庭の片隅に花咲くみょうがは、いっせいに食べごろをむかえるため漬物にでもしないと無駄になりそうである。
雨の少なかった今年の夏はちょっと小さめかなと思っていたら、収穫場所によっては程よく膨れていた。
母に言わせると、でぶっちょのみょうがは食べ安い大きさに切らないと漬かりにくいそうである。
40を過ぎた私は、ちょっと考えればわかるのに…と思いながら、いつまでたっても子供のままなのだ。
数日も過ぎれば食べごろを迎えるみょうがの甘酢づけは、一人では食べきれない量である。
買ってまで漬けようとも食べようとも思わないが、夏も終わりを告げる頃、むしょうに恋しくなる一品である。
                                                −2004年9月−
ゴミ袋から消えた生ゴミ
 ゴミ袋から消えた生ゴミ

ちっぽけな庭先の出来事が、家族皆の共通の話題となり、笑顔を生み出す事もあるのです。
思い起こせば14年前のちょうど今ごろの季節から、我が家のゴミ袋から生ゴミが消えました。
その代わりに猫の額ほどしかない庭の一角が畑に変わり、時には野鳥のお散歩コースだったり、もぐらの運動場だったりもしますが、毎年、イボイボがついている新鮮なきゅうりや瑞々しい大根が食べられるようになりました。
 長男が小学1年生の夏休み、決まったお手伝いを必ず続けましょう。という宿題がありました。本人が考えたのは、週三回しかない短時間で終わるゴミ捨てでした。
振り返ってみれば、息子にとっては賢く宿題をこなす手段だったのでしょうし、私の淡い母心が伝わっていたのかはわかりません。捨てるゴミの袋が少しでも軽くなるようにと考えた生ゴミの再利用でした。
 当時、1万円は越えていたと思うプラスチック製の生ゴミ処理のポットを購入し、虫がわかないように石灰や砂を準備して少しでもゴミ袋を軽くしたいという思いからのゴミ削減。
当然、夏休みが終わるとお手伝いは小休止となりますが、冬休みのお手伝いと続き、下の娘の夏休みの宿題と移り変わって行ったのです。
 野菜の種類によっては素人の私達にはうまく成長させられない事もあります。
お天気によっては、なかなか収穫に至らない夏もありました。
反対に、家族で食べきれない程稔り、始末に困ったりもしますが、新鮮で、美味しい野菜の収穫は我が家みんなの楽しみとなり、今年成人式を迎えるまでに成長した長男が小学校一年生の時に運んできたささやかな幸せは、14年たった現在も、続いています。
〜食育家族〜なんて意識もしていない頃に始めた我が家の小さな歴史です。

                                                −2003年8月記載
                                                   2005年2月追記−
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