私釈三国志 178 鍾会叛逆
F「というわけで、蜀は滅んだ」
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A「いや、残念なオハナシを至極あっさりされましても」
F「まぁ、残念ではあるンだがな。この報告が剣閣(ケンカク)の姜維(キョウイ)に届いたのはいつだったのか明記はない。ケ艾(トウガイ)に裏をかかれ諸葛瞻(ショカツセン)らが討ち死にしたとの報告は入ってきたンだが、劉禅は成都にこもるか、呉か南方に逃げるという噂も流れたモンだから、事の次第を確かめるため姜維自ら成都に向かおうとした、とさえ記述がある」
A「ホントに、雒城にこもって姜維たちの到着を待てばよかったのに……」
F「あとになってどうすればよかったか悩むことはできるけど、ヒトはそれを後悔と呼ぶ。成都は開城し、劉禅は降伏し、蜀は滅んだ。兵士たちは剣を石に叩きつけ泣き叫んだが、それが現実だった」
A「……ときどき残酷だよな、お前って」
Y「いつも辛辣だ、コイツは」
F「だが、後悔という感情は、ひとを動かすエネルギーとしては上質なものだ。怒りの矛先がないのなら、世界を恨むか自分を恨むかすることになるが、姜維には明確な怒りの向け先があった。ケ艾が蜀を滅ぼしたなら、ケ艾を殺せばいい。そのための手段が、姜維の目の前にはあったのだから」
Y「鍾会(ショウカイ)か」
F「思えばこの一戦で、鍾会は貧乏くじを引いていた。なまじ大軍を率いて姜維こもる剣閣を担当したモンだから、被害は出るわ食糧には困るわで退却を考えたほどだ。だのにケ艾が成都を攻略し劉禅の身柄を確保しては、姜維の足を止めていた功績はどうしても見劣りするンだよ」
Y「……探せば見つかるモンだな、元ネタって」
F「何のだ? ともかく、名門の出自たる自負が、ケ艾の引き立て役で終わることを許さなかった。そんなワケで、鍾会と姜維の利害は一致し、本来なら成都に赴いて劉禅の前でケ艾に降伏すべき姜維は、その場で鍾会に降伏した」
会「来るのが遅かったンじゃないですか?」
維「まだ早すぎるように思えますがね」
A「いいやりとりだなぁ」
F「さて、鍾会に逆心があったのはいいな?」
A「周知だよ」
F「そうだろう。司馬師(シバシ)・曹髦(ソウボウ)を死なせ、司馬昭に簒奪の意志を固めさせる一方で、郭太后に通じて司馬一族の掃滅を企み、いずれは自分が取って代わるハラだった」
A「……えーっと、ハラに逆心孕んでいたのは明らかだけど、そこまで詳細に云われても困るな」
Y「順番に説明しろ。司馬師の死にも鍾会の関与があったと?」
F「病巣摘出の術後間もない司馬師に『毌丘倹(カンキュウケン)は閣下でなければ平定できません』とけしかけ、病身を推しての出陣に至らしめたのは傳嘏(フカ)と王粛(オウシュク)だが、この頃の鍾会は司馬師の腹心的な立場にあった。鍾会が積極的に、もっと云えば蜀攻略のように自分が行くと云えば、司馬師は任せていたと見ていい」
A「それくらいは信用されていたか」
F「何しろ司馬師は、曹髦の人物鑑定を鍾会に任せ、その評価を受け入れているくらいだからな」
A「……あー」
F「だのに鍾会は、司馬師を戦場に連れていき、自分もついていった。最終的な野心の向け先が天下であっても、司馬一族の権勢が確かなうちは、野心と身を控えているワケだ。鍾会が堅実な性格なのはいいと思う」
Y「事前の準備や根回しは得意そうだからな。その分、突発事態に弱いようだが」
F「そういう面もあるのは事実だな。対してケ艾は山越えを決行したように、堅実な中にもバクチをしでかす面がある」
A「そういえば、ケ艾の間道越えを鼻で笑ったンだっけ」
F「そんな作戦を鍾会が受け入れるワケがないンだよ。下々からの出世でここまで来たケ艾は、ある程度は危ない橋でも渡らなければならなかった。でも、鍾会はそれをしない」
Y「まぁ、家門とか名家の自負とか、背負うものが違うからな」
F「それだろうな。もともと鍾繇(ショウヨウ)の子で早熟を云われていた鍾会は、5歳の時に蒋済(ショウセイ)から高く評価されたこともあって、早くに宮中に仕えている。曹髦が即位すると侯に取り立てられていることからも、叩き上げのケ艾と気が合うはずもないか」
A「かたや出自とコネで出世、かたや自力で出世ではな」
F「鍾会の自力もかなりのものなんだが。演義に、両者の性質を表現した有名なエピソードがある。鍾会が兄鍾毓(ショウイク)とともに、文帝曹丕に拝謁した折だが、緊張のあまり汗だくな鍾毓を『お前はどうして汗まみれなのだ』と曹丕がからかう。すると兄は『戦々惶々で汗が出ます!』と応えた。『ではどうしてお前は汗が出ない?』と鍾会に振れば、弟は『戦々慄々で汗も出ません』と即答する」
Y「戦慄していれば冷や汗くらいは出ると思うがなぁ」
A「計算高くて当意即妙な弁舌の徒、かな」
F「一方のケ艾は、軍の作戦会議に出席したものの、どもりが非道い。口を開けば『艾は……艾は……』と繰り返すので、仲達が『艾は艾はとお主は云うが、いったい何人艾がいるのだ?』とからかえば、本人曰く『論語に鳳兮 鳳兮とありますが、鳳は一羽でありましょう』とやり返している」
Y「鳳の詩は168回で見たな」
A「朴訥でも才気にあふれた人物、というところか」
F「どちらも正史では見られないエピソードだが、懸河の弁と吃音と、その辺りでも対照的なふたりなワケだ。まぁ、毌丘倹平定戦での突発事態は、どう考えても文鴦(ブンオウ)だ。実際にこの場で死なせるつもりだったのかは微妙なラインだが、司馬師を間接的に葬るのには成功している」
A「死んだは死んだが、戦場に連れ出しておいて、何もしなかったンじゃないか?」
F「戦場で司馬師が死んでいたら、自分の野望どころじゃない事態になるぞ。さすがに討ち取られては大変だから、守るのに気を遣った……というところか。だが、ここからは鍾会の本領発揮だ。郭太后から『帰ってくるな』と命が下ったのを覆したのは以前見たな」
A「渡りがついてなかったと?」
F「郭太后が司馬昭・鍾会ではなく傳嘏を指名して、軍を率いてこいと指名しているからには、郭太后には郭太后の謀略があった。宮廷と軍隊から司馬一族を離す目的があったのは誰の目にも明らかだが、この時点で司馬一族と宮廷を離しては都合が悪い」
A「そこで、傳嘏を味方に引き込んで反発した……か」
Y「郭太后は傳嘏をして司馬昭に対抗しようとしたが、本人にそれを断念させたのが鍾会の功か」
F「曹髦が即位した辺りからの、魏国内における歴史的イベントには、鍾会の影がちらついているワケだ。当の傳嘏が鍾会の性格を注意して、その年のうちに死んだのは、判りやすいその一環と云える」
Y「しかし、郭太后は司馬師の死をもって司馬一族を遠ざけようとしたが、鍾会には司馬一族が必要だったワケか?」
F「鍾会は堅実なんだ。司馬師の腰巾着から一気に大ジャンプかまそうとはせず、少しずつ自分の立場を高めていく方針だった。具体的には、司馬昭と郭太后の対立をあおって宮廷と司馬一族の関係を悪化させ、最高点に達したところで司馬一族を討って自分が取って代わる、というプランだが」
A「たとえ鍾繇の息子でも、一気に司馬一族に取って代わることはできないか」
Y「対立をあおって……いたのか? それらしいことをしていたとは記憶にないが」
F「鍾会が曹髦の側近に近い立場にあったのはいいか?」
2人『初耳だ!』
F「だったか。曹髦伝の注に引かれている記述によれば、司馬望(シバボウ)や裴秀(ハイシュウ)と並んで、鍾会が曹髦の討論会に召集されていた旨の記述がある。郭太后が司馬一族そのものを朝敵指定しなかったのは、司馬孚(シバフ)や司馬望といった司馬一族の反主流派、だが無視するわけにはいかない有力者が、曹髦寄りだったからだ」
A「司馬一族も一枚岩ではなかったワケか……」
F「一方で、曹髦と郭太后の意思疎通がなっちゃいなかったのも事態を悪化させたのは先に見ている。誰であっても見捨てる女だというのは確認してあるが、では曹髦を挙兵させたのが誰だったかと云えば、鍾会としか思えない」
Y「正史には、その一件に鍾会が関与した記述はないぞ?」
F「それが問題なんだ。この時代の鍾会は司馬昭の腹心であると同時に曹髦の側近だったのに、この一件で何をしていたのか、まったく記述がない。本文であれ注であれ、鍾会が何をしたのか、していたのか判らんのだ」
A「むしろ、凄まじく怪しくないか!?」
F「逆説的ではあるが、鍾会が表だって何かした記述がないということは、裏で何かしていたと考えざるを得ないンだよ。曹髦は司馬昭を自ら殺そうとしたが、司馬一族そのものを討とうとしたわけではない。その曹髦の死体にすがりついて泣いたのが司馬孚だった」
Y「……誰かが、曹髦(皇帝)・郭太后(朝廷)・司馬昭(司馬家主流)・司馬孚(司馬家反主流)の間に立っていなければ、あの一件はああいうかたちでの決着にはならんな」
F「そゆこと。皇帝をけしかけ司馬家主流を討たせようとし、一方で皇帝と朝廷の立ち位置を分離させ、司馬家主流をもって皇帝を殺害し、だが反主流がその場に急行して司馬家主流の牙を抜き、朝廷に危害を加えさせなかった、誰かがいるンだ。状況証拠どころか消去法だが、それができるのは司馬仲達亡きいま鍾会だけだ。たとえケ艾が洛陽にいても、こんな状況を演出することはアイツにはできん」
A「……純粋な智略では、司馬昭を上回っていましたか」
F「ましてや賈充・司馬炎で敵う相手ではない。そして、この一件が司馬昭の心理に与えた影響は大きい。何しろ、今まで忠節を尽くしていた(つもりだった)のに、皇帝御自ら剣を手に『おめーの野望はお天道様がお見通しでい!』と襲いかかってきたンだから、リアクションはふたつにひとつだ。キレるか、殺されるか」
Y「キレる方を選ぶだろうな、マトモな知能と理性の持ち主なら」
A「認める……残念ながら、そこで殺されるのを選ぶような奴を人間とは思いたくない。ただの家畜だ」
F「父は80歳で南へ西へ北へ東へ転戦し続けて死に、病身を推して出陣した兄は帰ってこなかった。それなのに、嗚呼それなのに、曹髦は司馬昭に剣を向けてきたワケだ。いったい何のために自分は戦ってきたのか、父や兄は死んだのか……と思いつめるのを、いったい誰が責められる」
Y「聞いてる分では、司馬昭ただの被害者なんだが」
A「気持ちと理屈は判る……」
F「かくて、曹髦を殺したことで、司馬昭は簒奪を腹に決めるに至った、と。そこまでお膳立てすれば、鍾会の野望もあと一歩だ。郭太后と組んで『上意である!』と討てばいい」
A「いや、できるか?」
F「それを実行するには、第一に鍾会の手元に軍勢があること、第二に司馬昭が郭太后(および皇帝)から離れていること、第三に蜀および呉の介入を受けないよう手を打っておくことが必要になる。他2点はいいと思うが2番は、鍾会が曹爽にならないようにするための措置だ」
A「……不思議なことに、蜀に攻め入ったらその3点全てが満たされましたよ?」
Y「鍾会が司馬望と交代して蜀攻略の指揮を執ったのが何のためか、割と明らかなんだな。反主流派で曹髦の側近だった司馬望を残しておけば、鍾会不在の洛陽で司馬昭が動こうとしても、ある程度は掣肘できる」
F「そゆこと。かくて鍾会は、己の野心を解放できる状況を作り上げた。その辺りを司馬昭が察していたのかはともかく、ケ艾は間違いなく気づいていなかっただろう。ところで……」
A「あい、来ましたね……本日3度め」
F「この時代の魏宮の愚かしさは、当事者一同の意識がほぼ完全に一致していたことにある。各々立場や身分は違うのに、考えていることは同じなんだ。このあとにどう続いたかはひとそれぞれだが、誰もがこう思っていた」
自分が魏を率いなければならない。
F「そんな意見の一致が、悲劇につながったワケだ」
Y「意見が違ったからではなく、一致していたからこその悲劇……か。天下は天下の天下だが、魏の天下はひとつしかなかったワケだからな」
F「だが、鍾会の野望は思わぬアクシデントと、何よりケ艾のせいでつまづくことになった……が、その辺りはさすがに次に回そう。時間と体力が限界に近い」
A「そーしてくれるとアキラも助かります……」
Y「しかし、マジで1日3話講釈しやがったよ、この雪男」
F「ずいぶん荒削りになった気はするが、細部はおいおいフォローしよう。では、本日はここまで」
A「きりーつ、れい」
F「続きは次回の講釈で」
Y「それ、礼か?」
A「……ありがとうございました」