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私釈三国志 175 曹奐即位

Y「まぁ、順当なタイトルだな」
F「実際には郭太后をタイトルに絡めたかったンだが、通例には従っておくべきかと思ってな」
Y「だが、問題はそこじゃない。何でコイツらまでいる?」
M「お兄ちゃんに呼ばれたのよ、珍しく」
ヤスの妻「愛されてないなぁ」
A「義姉さんはいても当然だけど、ねーちゃんまでいるのってどうなんだ?」
F「いや、今回はちょっとした小細工で必要なんだ。ともあれ、というわけで、魏の皇帝ともあろうお方が御自ら出陣され討ち死にを遂げられたのが前回。かなーりあっけなく曹髦(ソウボウ)陛下は死にました」
A「死んじゃったねー」
Y「というか、お前のそれは敬語なのか何なのか」
F「挑発語。このところロシア語翻訳のお仕事多かったから、まだ頭の中が日本語になってないンだ。曹髦がなぜ早まったことをしでかしたのかについて、正史では郭太后がつらつらと云い訳を並べているが……そこの妊婦、ちょっとこちらを読みあげてください。ルビ振ってありますので」
M「どれどれ?」

「明帝が亡くなったから、お勉強好きな髦ちゃんを皇帝にしたっていうのに、大きくなるにつれて云うこと聞いてくれなくなっちゃった。あの子のためを思ってワタシが叱っても反抗するし、むしろワタシが悪いなんて云いだすのよ? 司馬昭さんは『あの子はまだ小さいンだから大目に見ましょう』なんて云うけど、これじゃ先帝にあわせる顔がないわ。おばさん、命なんて惜しくないけど、あのひとの魏が亡くなるのは耐えられないの」

Y「なんか、お前がこーいうのを読み上げると、異常なまでに説得力があるな」
F「モニタをご覧の皆様には、お聞かせできないのが残念です」
ヤスの妻「わたしみたいな若くて子供のいない女には真似できないなぁ。得難い人材だよねっ」
M「アキラ。アキラが怒られるのとアキラのお義姉さんが怒られるの、どっちか選びなさい」
A「アキラでお願いします……」
(ぺぺんぺんぺん)
F「手加減してあげてくださいねー? 曹髦の死後に郭太后が告知した詔勅を、現代語というより主婦語にして書き下したが、要点をまとめると『期待はずれでした』ということでな」
Y「だからって死にに行くのを放置するのは、仮にも義母たる者のやることじゃないと思うが」
F「いちおう『ワタシにクロスボウを射かけたわ』とか『ワタシの薬に毒を混ぜたのよ』とか云っているけど、信用できるか判ったモンじゃない。まぁ、信用できない根拠もないンだが……前回云ったが、本当に自分で兵を斬ってまでいるなら、気に入らないおばさんに弩射かけるくらいやりかねないし」
Y「素行が悪いのは事実のようだ、と」
F「ただ、習鑿歯(シュウサクシ)の記述によれば、司馬昭の陣営に向かう前に、曹髦は郭太后のもとを訪れている。となると、例によって、皇室挙げて司馬一家を討とうとし、失敗したから『関係ないわー!』と云いだした、ようにも思える。自分は関係ないという主張に説得力を持たせるため、必死に曹髦をボロクソ云っている、と」
A「そんなに悪い女ですかね……ううっ」
F「ブログでツッコまれたことなんだが、アキラ、さっきの詔勅を読み返してみろ。ほれ」
A「んー……? ……あれ? 先帝?」
F「うむ。この詔勅の中で郭太后は、曹叡をして『先帝』と称しているンだ。今までで見てきたように、曹髦の先代皇帝は、曹芳であって曹叡ではない(ちなみに、260年現在、曹芳は存命中)。正史を読んでいて、ここは素で戸惑った。詔勅の書き間違い、という考え方もできるが、そう考えるには内容的に裏があるように思える」
A「曹芳くん……が? え? なにごと?」
F「これが何を意味するか……で、ちょっと伏線、というか実験をしてみたンだ。何の前振りもなく、今まで7代で通してきた前漢武帝を、呂后により擁立されたふたりを除いて5代(だ! というメールが『漢楚演義』当時から来ていた)と表記する。深読みできる数字のずれを認識した場合、ヒトはどう思うか。こう思うンだ」

172回に関してなのですが管理人さんは呂氏の立てた二人は西漢の皇帝にカウントしない立場をとっておられるのでしょうか?

F「コメントをいただいたのりお様にはこの場で感謝を。期待していた中での最たるリアクションでした」
A「つまり……」
F「郭太后は、曹芳を『皇帝にカウントしない立場をとって』いるようでな。司馬一族にたてついて廃立された曹芳を皇帝とは認めないよーな情の薄い女なら、曹髦を励ましけしかけ死地に向かわせても、失敗したらハイそれまでよとやりかねない。現に失敗したので『知らないわー!』と逃げているように見える」
A「……実は、とんでもない女でしたか」
F「そう云われても仕方ない女だった、というところだな。現に例の詔勅の締めで、曹髦を『自分から死にに行って、ワタシがどれだけ心を痛めたと思うの! ぷんぷん!』と、平民の作法で葬るよう命じているンだから。司馬昭らの反対で王として葬られることにはなったけど、この辺りの変わり身の早さには正直呆れる。郭太后がしでかしたこと……と、ちょっとリストアップしてみる。かなり悪意はあるが、的外れなものは挙げていないつもりだ」

郭太后のしでかしたこと
・(夫人時代)毛皇后を酒盛りに呼ぶよう、曹叡に勧める(毛皇后は死を賜る)
・曹芳即位前に曹宇の、即位後には仲達の追放に合意(反対した素振りがない)
・曹爽誅殺に加担(Goサインを出した)
・曹芳廃立に加担(のちに「あの子は皇帝になりませんでした!」と発言)
・司馬師の曹拠擁立案に、ワガママから反対(と、明記されている)
・司馬師の死を利用して司馬一族を宮廷から遠ざけようと画策(コレは失敗)
・曹髦の挙兵を見送り、死んだら「知らないわー!」とおほざきになられる

Y「改めて悪い行いだけ抜き出すと、どこまでの毒婦だコイツは?」
A「大トラに匹敵するなぁ……」
F「これじゃ、最初の毛皇后すら怪しく見えてくるだろう。というわけで、と云おう。曹髦の後釜には曹奐(ソウカン、正確には、即位に前後してこの名に改名した)が指名され、司馬炎(シバエン)が迎えに行ったンだが、この曹奐、ひともあろうか曹宇(ソウウ)の子だ」
A「いらん混乱の火種を招くなよ!」
F「どういう事情でコイツが選ばれたのかなんて、誰の目にも明らかだろうな。北方に一大勢力を誇る曹家親族衆きっての大物を味方に引き入れようとした、と。ちなみに母親、つまり曹宇の妻は、172回で見た張魯の娘だ」
Y「道教まで味方に引き込んでないか?」
F「直接曹宇を皇帝にするのは、かつて曹拠(ソウキョ、曹宇の同母兄)の擁立には反対したンだから許されない。そこで息子を皇帝に仕上げ、外戚どころか実父として曹宇を宮廷に招くことで、司馬昭への対立軸を作り上げようとした……というところでな。ちなみに、相方の曹肇(ソウチョウ)は、明記はないが240年代にすでに死んでいる」
A「……?」
Y「曹休の子だ。曹叡の臨終に際して、曹爽(ソウソウ)・劉放(リュウホウ)にはめられた」
F「忘れてるよなぁ……136回参照ということで。そんなワケで260年6月2日、魏朝第五代皇帝曹奐は即位する。……のだが、問題はこの前日に起こった。お願いします」
M「はいはい。えーっと……」

「皇帝の諱や字って、うっかりでも使っちゃうと不敬罪でしょ。だから、使われやすい文字なのはどうかと思うわ。新しい皇帝は諱も字もよく使う文字だから、いっそ改名させるべきじゃない? 大臣さんたち、ちょっとみんなでリストアップしなさいよ」

A「おい、ちょっと待て。俺はこのトシまでこの皇帝の諱の他に、奐なんて漢字見たことがなかったぞ」
F「いや、さっき云っただろ? 即位に前後して曹奐に改名したって。旧名は曹璜(ソウコウ)だったが、この字が『使われやすい』『よく使う』文字とは思えない。その辺りは口実で、新皇帝の名づけ親となることで、影響力を持とうとしたワケだ。名前をつけるという行為は、親としての権利の最たるものだからな。実際に改名したからには、郭太后の主張は通ったことになる」
Y「翡翠が名付け親に懐いてるようなモンか」
F「……僕が翡翠ちゃんに『云うことを聞きなさい!』と云っているようなもの、だな。字は景明だから、むしろこちらを変えた方がいいと思う。変えてコレならなおさら問題だし」
A「新皇帝の名付け親にして義母となり、影響力を維持しようとした、か。しかし、むしろ曹髦を改名すべきじゃないかね?」
F「先日、水明様から来たメールでも『ボウの字が出ない』と書かれていたが、郭太后に見捨てられて死んだ曹髦(字は彦士)を改名するとなると、もっと非道いことをしていると考えられるぞ」
Y「曹髦の存在そのものを、歴史から抹消しようとしている、とか」
F「そうとさえ思えるよなぁ……さすがにそれはやってないが。ちなみに、曹芳は『廃帝、斉王』とされ、曹髦は『廃帝(後廃帝)、高貴郷公』と諡されている。通常、廃帝とか少帝とかいう諡号は、廃立ないし殺害され死ぬまで帝位にいられなかった皇帝に送られるが、その中でも王号を送られていないとなると極めてイレギュラーだ」
ヤスの妻「始皇帝からラストエンペラーまでの356人中、少帝は7人、廃帝は20人いるけど、そのケースは3人かな。曹髦と、前涼2代に斉の6代。ちなみに、少帝は前漢・後漢だけで4人」
A「すげーや義姉さん、何も見ないでぺらぺらと」
F「オレも詳しいとは思いますけど、アンタには何があっても敵わない自覚がありますよ!」
Y「お前、そんなモン丸暗記して何に使ってる?」
ヤスの妻「えーじろを鼻で笑うのに」
F「えーじろやめてくれ……先週こてんぱんにしたのまだ根に持ってやがる(※)。ところが、さすがは曹宇だった。かつて曹叡が『身内を要職につけるな』という曹丕の意志に背いてまで使おうとした賢明さは健在で、即位した曹奐相手に、臣と自称して冬至を慶賀する上奏を行っており、『宮廷権力にかかわるつもりはない』と意思表示しているンだ」
A「……いや、賢明なのは判るけど、いいのかそれ」
F「曹奐も気にしたようで、群臣に『どうしよう?』と諮り、回答を得ている」

『燕王の態度は素晴らしいものです。それに報いるには、プライベートな文章では父子の礼を守り、公文書では他の臣下より優先するのがよろしいかと』

Y「司馬氏の息がかかっているにしてもいないにしても、公私の分別という観点で考えるなら、正しい回答だな」
F「当時の太常(宮廷の祭祀・儀礼担当官の最高位)が誰だったかは記憶にないが、曹奐はこれがまっとうであるとして、実践しているンだ。この後、曹宇の名は正史に登場せず、郭太后の期待はあっさり裏切られたことになる」
A「で、どーしたの? 皇太后さま」
F「曹奐の即位後はナリを潜めていて、263年の12月24日に亡くなるまで記述がない。実の親でもそんな扱いでは、名付け親を優遇するワケもない。まぁ、大人しくしていたようだな。……表面上は」
A「何か企んでいるようですね」
Y「幸市がか? それとも郭太后か」
A「両方だよ……」
F「まぁ、それはいずれ。ところで……」
ヤスの妻「津島屋ー♪」
Y「地名だよ!」
F「いつぞや云った通り、魏は皇族によって滅んだ。曹丕は、皇族・親族に権力を与えすぎると皇室そのものが弱体化すると考え、弟たちやその子供たちを徹底的に弾圧した。考えそのものへの評価はともかくこのせいで、曹丕の読み以上に皇族が委縮してしまっている。魏の皇帝には、最終的に頼れる血縁者がいなくなったンだ」
A「親族圧迫の結果が、この段階で現れたのか……」
F「残念ながら、と云っていいだろうけどな。そして、こちらに至っては曹丕が読めなかった事態が起こっている。曹操直系の血筋が途絶え、他家から養子を迎え皇帝に立てることになっても、ろくな子がいなくなっていたンだ。賢明なる曹丕といえども、自分や曹叡の寿命と子供運は計算できなかったようでな」
Y「計算ずくで子作りできるなら苦労はねェよ……」
A「計算では子供はできないけど、子作りに計算は持ちこめるンじゃない?」
Y「頼むから、お前は俺より先に作るなよ!?」
ヤスの妻「甲斐性ナシ」
Y「……がんばります」
F「終わっていいか? かくて、郭太后期待の曹宇は司馬氏への対抗勢力となるのを拒み、新たに皇帝となった曹奐は父の薫陶よろしく、司馬氏への対決姿勢を見せなかった。魏宮の衰えは明らかだが、それだけに司馬昭は態度を慎み、例の『晋公になれ』との御下命を受け入れたのは263年のことだったようだ」
A「ようだって」
F「いつ受けたのか、明記がなくてな。曹奐伝では、264年3月19日から司馬昭に晋公という記述を使っている。ために、263年の詔勅を受けたと考えられる」
A「野心の第一歩か」
F「今度は否定しないな。まぁ、その辺りはちょっと先、だが遠くない回で触れるが。ともあれ、曹奐の即位によって、魏に司馬昭を止めうる者はいなくなった。その野心の矛先は、まずは蜀へと向けられる」
Y「終わりの始まり、だな」
F「続きは次回の講釈で」

※ 先週、アキラのカミさん交えて、自作『真・恋姫RPG』を行い、珍しく陶双央に一矢報いた。

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