私釈三国志 168 土井晩翠
F「突然ですが、ごめんなさい」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
ヤスの妻「よきにはからえであるぞよ」
Y「お公家か」
F「違うような気もするが、流す。今回は、お詫びから入らせていただきます。といっても、完全に特定個人向け。漢詩については1回じゃまとめられないので、何回かに分けて講釈する……と予告していたンだけど、順番が変わって、魏より先に蜀(というか、孔明)関連の詩についてやります」
ヤスの妻「えぇ〜? 『建安七子』じゃないの〜?」
F「何でタイトルはっきり見切ってますか!?」
ヤスの妻「男の子なら3日だろうけど、女ならひと晩で充分だから。魏の詩については2回に分けて、前半が『建安七子』後半が『竹林七賢』。で、竹林の方の『ところで……』で『呉に関連する詩は割と少ないので、ここでまとめてしまう』とかやるでしょ」
F「……姐さんが生きてたら、オレ捨てられたかもなぁ。このヒトいたらオレいらんもん」
Y「漢詩には疎いはずだったンだがなぁ。ひょっとしてお前、幸市のこと嫌いか?」
ヤスの妻「ヤスとアキラの次には好きよ。本当のことしか云わないから考えが読みやすくて、手玉に取りやすいから」
F「相性が悪すぎる……。ええぃ、気を取り直して。ともあれ、アキラが不在な今回はコラムですが、そんなワケでいつぞややると云っておいて流した、土井晩翠の『星落秋風五丈原』ですね」
Y「結局それをやる日が来たか」
ヤスの妻「だいじょうぶ、暗唱できるから」
Y「お前もか!?」
ヤスの妻「えーじろにできてわたしにできないことなんて、天窓ふきくらいだよ。負けてるの身長と体重だけなんだから」
F「姐さん、オレなんか悪いことしましたか……? 最近、このヒトがホントに手厳しくてかなわん。えーっと、とりあえず話を逸らそう。ちょっと引用文から。ちなみに、地の文での引用は、タイプしてプリントアウトしたものを臨席者に提示しています。公開講釈はイレギュラーだったので、ニニギ様たちの分は用意できなかったけど」
また、二、三十人の東京の張三李四の輩を恐れ入らせた花和尚は、彼らの目の前で大きな柳の木を根こそぎにしておどろかすが、これ以来、日本の講談では、清海入道だろうと、後藤又兵衛だろうと、荒川熊蔵だろうと、岩見重太郎だろうと、豪傑と呼ばれる者は、みんな松の大木をバリバリバリと引っこ抜いて、暴れねばならぬことになった。
(中略)
源平時代から南北朝時代に活躍した山法師や荒山伏は、弁慶以外は人気がなくなり、忘れかけていたころに、水滸伝が輸入され、その中に花和尚が山法師・荒山伏のイメージに新風を吹きこんだのだ。
(中略)
おそらく武蔵坊弁慶を除いては、日本の暴れ坊主たちはだれも花和尚魯智深の豪放豪侠ぶりには及ばなかったようである。
實吉達郎『豪傑水滸伝』(コーエー) 68・69ページより抜粋して引用
F「略した部分には、真田十勇士の三好清海・伊三入道や、鬼弁慶玄達・信濃丸入道円海・黒龍坊雲海・独心坊・火焔坊雷雲・鬼熊入道雷山坊・鬼坊主雷山・常陸坊天岳(登場順)など、日本講談界の山法師・荒山伏らが語られている。實吉氏によれば、おおよそ弁慶を除いて『日本の悪い暴れ坊主』は皆、花和尚の影響を受けている、とのこと」
Y「久しぶりに水滸伝来たな」
F「僕も170回近く講釈続けてきたから、講談というものはそれ単体では成立しえないことが身にしみて判ってるンだ。何か元ネタがあった方が、おはなしを作りやすい。水滸伝が日本の講談に与えた影響は、驚くほど深いンだよ」
ヤスの妻「……は判ったけど、えーじろ、これ三国志じゃない」
F「身長もそうですが、手の長さでも勝ってるつもりですので。魯智深和尚というキャラが後世に割と大きな影響を与えている、というのを先に理解しておいてほしかったンですね。それがニュアンスでも判ってくれないと『星落秋風五丈原』という孔明に対する賛歌の奥深さは理解しにくいので。まぁ、孔明本人の詩才はさておいて」
Y「孔明が詩を詠んだか?」
ヤスの妻「隠棲時代に梁父吟を好んでいた、という記述は正史にもあるね。もっとも、原文だと『好為梁父吟』となっていて、これが『梁父吟(詩)を詠むのが好きだった』のか『梁父吟を吟する(声に出して読む)のが好きだった』のかは、解釈が分かれるところだけど」
F「2番でしょうね。コレの他に孔明が詠んだ詩というのは記憶にないので」
ヤスの妻「……否定はしないな」
F「では、納得してもらったところで、問題の『星落秋風五丈原』の全文を見ていただきましょう。思えば半年前から準備は済ませてあったから、それを出すだけという便利なオハナシ。なお、今回は新潮選書の『詩歌三国志(松浦友久)』を全面的に参考史料として使っています」
(別ページに用意しました)
ヤスの妻「名文だよね」
Y「長すぎるわ」
F「両方否定しない。全七部に渡るこの長歌は、土井晩翠が孔明への思慕を込めて、古今の漢詩から引用や拝借を繰り返しながら詠ったもので、かの二条河原落書と並んで日本史上最高の名文と呼んでいい」
Y「……で、お前らは両方暗唱できると」
2人『とーぜん』
Y「聞いただけだ」
F「就職活動中に、面接対策の発声練習で一日三度全文朗読してたからな。この長歌を詳細に見ていくと、後世の詩人たちが孔明をどう評していたのか……が、割と見えてくるンだ。まずタイトルだが、コレは演義38回に元ネタがある」
羅貫中 三国志演義第三八回より
身未升騰思退歩 ――孔明は、野にある内から『大成したら戻る』と告げていた
功成應憶去時言 ――もし漢王朝復興の大願が成就していたら、きっとそのことを思い出し、実行していただろう
只因先主丁寧後 ――だが、劉備臨終に際しての詔により、
星落秋風五丈原 ――巨星は、秋風吹く五丈原に落ちてしまった
F「この『(孔明という)巨星は、秋風吹く五丈原に落ちてしまった』という一文を、晩翠はタイトルに持ってきた。演義での大軍師を深く信奉しての撰題であることは疑う余地がなく、それだけに、第一部は五丈原での孔明と蜀軍の哀しみがとつとつと詠まれている」
ヤスの妻「七段に渡って『丞相病あつかりき』と繰り返されるリフレインが、その悲劇性を際立たせているのね」
Y「別にかまわんが、祁山から五丈原までは200キロばかり離れているはずなんだがな」
F「演義ベースなんだから、そこは見逃してくれ。さて、第四段の『三尺の剣』というフレーズは、ちょっと詳しいヒトならすぐに出典が出てくると思う。漢王朝の創始者たる劉邦が『ワシは三尺の剣をひっさげ天下を盗ったのだ!』と豪語したエピソードだな。それにちなんで、蜀がもう一度天下を統一するのだー、という意思表示だが」
Y「劉邦が剣を持っていたのはいいが、それで何か斬ったことはあったのかね?」
F「酔っ払って逃げる途中に大蛇を斬ったくらいだな、記述としてあるのは。もちろん、孔明が直接ひとを斬ったという記述は、正史・演義のいずれにもない。第六段『中原鹿を争ふも』は、天下争奪のことを狩人が競って獲物を追いまわすのに比して『中原に鹿を逐う』と表現するのを意識している」
ヤスの妻「ところが、七段にある通り、黄河が濁るほどの乱れた時代。名相伊尹や周公旦の治世ははるか遠くなってしまった。管仲が死んで九百年、楽毅が死んで四百年。『王者の師』はいずこ、『王者の治』を受け継ぐ者はいずこ……それは、孔明さんをおいて他にはいない、と」
F「あなかしこ、あなかしこ。さて、五丈原での孔明を詠った第一部から、第二部では孔明の若き日々に焦点を当てている。全体量が全体量なので、今回は細かく見ることをしないで、蘇軾(蘇東坡)の詩をもって流しておく」
蘇軾 隆中
諸葛来西国 ――孔明は西国(蜀)に来て名声を馳せ
千年愛未衰 ――千年もの間、土地の人々に愛されている
今朝游古里 ――いま、私(蘇軾)は彼の故郷・隆中に来たのだが
蜀客不勝悲 ――蜀からの旅人として、悲しみをこらえることができない
誰言襄陽野 ――誰が予想できただろうか、この襄陽の片田舎が
生此萬乗師 ――万乗(天子)の師たる孔明を生もうとは
山中有遺貌 ――山中には孔明を慕うおもかげが残り
嬌嬌龍之姿 ――嬌々と連なって龍のごとき姿を為す
龍蟠山水秀 ――龍が臥していた(臥龍=孔明がいた)頃には山水も麗しかったであろうに
龍去淵檀移 ――その龍が飛び立った後では、深い淵檀さえも涸れ果てる
空余蜿蜒蹟 ――今はむなしく延々たる山並だけが残り
使我寒涕垂 ――私に悲しみの涙を流させるのだ
ヤスの妻「ビッグネーム来たね。四川省出身だけに、孔明さんへの思慕の念も篤かったみたい」
F「この詩を詠んだとき、蘇東坡は26歳でした。三顧の礼で劉備に迎えられた折、孔明は27歳。嫌でも意識していたようで、後に(場所は違っていたものの)秋・冬ふたつの『赤壁賦』を詠んでいます」
Y「これだから蜀贔屓は……」
F「続く第三部は、赤壁に始まって南征で終わっているものの、赤壁に関する孔明をたたえる詩というのはちょっと見当たらないのでパス。代わって、夷陵の戦いにおける孔明の動きについて、杜甫が詠んだ『八陣図』を」
杜甫 八陣図
功蓋三分国 ――孔明の功績は三分した国々を覆い尽くし
名成八陣図 ――孔明の名声は八陣の図によって完成された
江流石不転 ――長江の水は流れても(=どれほどの時が経とうとも)、石兵八陣(=孔明の名声)は崩れない
遺恨失呑呉 ――ただ惜しむらくは、呉を併呑し天下を盗ることができなかったことか
F「演義で陸遜を殺しかけた、八陣の図についてですね」
ヤスの妻「遺跡そのものが残ってるンだっけ?」
F「かなり早い時期に、すでにできあがっていたようですね。続く南征に関しては……胡曾ですか、唐代の詩人がこう詠んでいます」
胡曾 詠史詩六四七段
五月駆兵入不毛 ――五月、孔明は兵を駆り不毛の地へと踏み入った
月明瀘水瘴烟高 ――月は煌々と瀘水を照らすが、あやしき瘴気は高く立ち昇る
誓将雄図酬三顧 ――だが、三顧の恩に酬いる誓いのためならば
豈憚征蛮七縦労 ――孟獲を七縦することを厭うはずがない
『星落〜』第三部ラスト
辺塞遠く雲分けて
瘴烟蛮雨ものすごき
不毛の郷に攻め入れば
暗し瀘水の夜半の月、
妙算世にも比なき
智仁を兼ぬるほこさきに
南夷いくたび驚きて
君を崇めし「神なり」と。
F「晩翠がこの詩から引用したのは明白なワケですね」
ヤスの妻「判りやすいなぁ」
F「第四部では北伐に入っており、さすがにこの頃の、原因はともかく失敗続きだった孔明をたたえる詩は少ないようです。李商隠(唐代の曹植マニア)が『籌筆駅』を詠んでいますが、分量の都合でパス」
ヤスの妻「非道っ」
F「長いンです、アレ。第五部は、半ば第一部の補講ですね。死を目前にした孔明と蜀軍の様子を克明に描いています。第六部はさらに掘り下げられた、孔明の心理の様子。第六部第三段以降には、ちょっと注釈しましょう。これは論語に収録された『楚狂の歌』を意識しています」
孔子 論語楚狂接輿歌
鳳兮 鳳兮 ――鳳(=孔子)よ、鳳よ
何コ之衰 ――どうして徳が衰えたのやら
往者不可諫 ――過去の賢者でも世直しはできまいし、
來者猶可追 ――未来の賢人など待っておれまい
已而 已而 ――仕方ないではないか
今之從政者殆而 ――このような乱世で志を遂げることはできんよ
注 楚の接輿(人名)は、狂人のふりをしてこの歌を歌いながら、孔子の前を通り過ぎた。乱世で出世しようと目論むことの危険性を説き、暗に隠棲するよう勧めている。
『星落〜』第六部第三段
明主の知遇身に受けて
三顧の恩にゆくりなく
立ちも出でけむ舊草廬
嗚呼鳳遂に衰へて
今に楚狂の歌もあれ
人生意気に感じては
成否をたれかあげつらふ。
ヤスの妻「隠棲を勧められても、人生を劉備に捧げた孔明にはことの成否など関係ないのだよ、かな」
F「唐代は魏徴の『述懐』を意識している、との指摘がありますね。結びの二節が『人生感意氣 功名誰復論(人生賭ける意地があれば、結果などどうでもいい)』となっていますので」
ヤスの妻「思ってたより、引用多いのね」
F「ですね。で、『成否を誰れかあげつらふ』を重ねた上で、第六部の締めをこう結んでいます」
成否を誰れかあげつらふ
一死尽くしし身の誠
仰げば銀河影冴えて
無数の星斗光濃し、
照すやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ、
其壮烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風。
F「これについては、岳飛と並び称される悲運の英雄・文天祥の『正気の歌』の一節『或為出師表 鬼神泣壮烈(或るいは孔明の出師の表となり、鬼神をも壮烈に泣かせよう)』という孔明への賛辞から、とのこと」
ヤスの妻「文さんもフビライ様に降っていればなぁ」
Y「モンゴル時代の人名はよく判らん」
ヤスの妻「仕込んであげようか? えーじろも泣きだすくらいに」
Y「いらん!」
F「だから、えーじろやめろ……。では第七部、最終ラウンドは『秋風に涙が出ちゃう、だって鬼だモン』と、前六部の末尾を繰り返している」
Y「お前オリジナルの訳文はつけるなと、たびたび云ってるだろうが」
ヤスの妻「えーじろにはギャグのセンスないものね。お座蒲団は没収です」
F「お笑いを取ったら姐さんの教えしか残らんのじゃないですか? お互い」
ヤスの妻「穴兄弟としては納得も否定もしかねるなぁ」
Y「だから、穴兄弟云うな」
F「正確には同じ穴の姉弟だけどな、僕のが姐さんに仕えたの遅いから。ともあれ、第七部の、そして全体のハイライトとなる結びの一段」
高き、尊き、たぐいなき
「悲運」を君よ天に謝せ、
青史の照らし見るところ
管仲楽毅たそや彼、
伊呂の伯仲眺むれば
「万古の霄の一羽毛」
千仭翔る鳳の影、
草廬にありて龍と臥し
四海に出でて龍と飛ぶ
千載の末今も尚
名はかんばしき諸葛亮。
F「この部分は、杜甫の『詠懐古跡』をかなり意識しているようです」
杜甫 詠懐古跡五首其五
諸葛大名垂宇宙 ――孔明の偉大な名声は、時空を超えて伝わっている
宗臣遺像肅清高 ――この忠臣の遺像は粛然として清らかで、気高い
三分割拠紆籌策 ――天下三分して策略を運らすそのさまは、
万古雲霄一羽毛 ――永遠に大空を舞う、一羽の鳳のようだ
伯仲之間見伊呂 ――その才覚が伯仲する者には伊尹と太公望がいるだけで、
指揮若定失蕭曹 ――もし指揮どおりに策が業われていれば、蕭何・曹参も顔色(=存在意義)を失っただろう
運移漢祚終難復 ――しかし天運は彼に味方せず、漢の帝位は回復されなかった
志決身殲軍務労 ――北伐の志は変わらなかったが、過労死してしまった
ヤスの妻「ずいぶんだね……」
F「ですな。さて、最初の話に戻りますが、實吉氏に『花和尚はわが国に多くの「子孫」を残したのだ』と云われるほど、日本の講談では『日本人のちぢみ志向』で魯智深を『矮小化、淡白化』させた『クソボウズ』が多く出てきます。後世の同業者に与えた影響で云うなら、魯智深抜きでは日本の講談は語れません」
ヤスの妻「でも、残念ながら孔明さん抜きでも、漢詩は語れるでしょ?」
F「その通りです。ですが、かの岳飛が出師の表を『これを読んで泣かねば男にあらず』と称したり、李白こそ見ませんでしたが杜甫・蘇軾ら漢詩界のビッグネームが絶賛していたりで、孔明への賛辞は手広く存在しているンですね。弁慶ひとりを別格に、魯智深から山法師や荒山伏が枝分かれしていったのとは真逆に、多数に分かれていた孔明への賛歌をひとつにまとめ上げたのが、この『星落秋風五丈原』だった、というワケです」
Y「裾野を広げることで矮小化していった講談の豪傑とは逆に、裾野をひとつにまとめ上げた名文……か」
F「民衆の間にも、文字には残さないある種の口伝として歌謡があったのは、先に触れています。それらの詩歌に自分の想いをつづった集大成、と僕は評価しています。『星落〜』が書かれたのは1898年、孔明の死から1600年以上経っていますが、思慕の念は薄れるどころかむしろ強まって完成の域に達した……ように思えます」
ヤスの妻「名文だからねェ」
Y「長いけどな」
F「否定しない。ところで、今回は『蜀関連の詩』の予定が、まるごと『孔明に関する後世の詩』を見てしまいました。倉廩実ちて則ち礼節を知り、でもないですが、魏呉に国力で劣る蜀では目立った詩人がいなかったとしても無理からぬオハナシなんですね」
Y「張飛なんか、そもそも字が読めたか疑問視できるしなぁ」
F「読めないなら王平みたいにそう書いてあると思うが、ともあれ。孔明が詠んだとされる唯一の詩『梁父吟』をこれに」
伝諸葛亮 梁父吟
歩出斉城門 ――斉の城門からふらりと出れば、
遥望蕩陰里 ――遠くに蕩陰(地名)の里が見える
里中有三墳 ――そこには三つの墳墓があり、
塁塁正相似 ――土が高く盛られ、どれも同じつくりだ
問是誰家墓 ――「これ、誰の墓かね?」
田疆古冶氏 ――「田疆さんに古冶氏さんでさぁ」
力能排南山 ――武勇は山をも崩し、
文能絶地紀 ――政務でも才覚を誇った彼ら
一朝被讒言 ――だが、ひとたび讒言を被って、
二桃殺三士 ――ふたつの桃で3人の勇士が死んだ
誰能為此謀 ――その謀略を成したのは誰だ?
国相斉晏子 ――斉の相国、晏子そのひとなのだ
注 「二桃三殺」のエピソード
斉には田開疆・古冶子・公孫接(詩中では、字数の都合で『田疆古冶氏』となっている)という三人の勇士がいた。
が、彼らが権力を握ると国が乱れると考えた晏子は、王と謀って三人を殺すことにした。
ある日、王の前に呼び出された三人に、晏子は桃をふたつ示した。
「お前たちの中で、功績が優れていると思う者は、この桃を取るがいい」
田開疆と公孫接がとっとと桃を手にしてしまった。出遅れた古冶子は腹を立て「オレの方が功績は上だ!」と剣を抜く。
するとふたりは、自分の功は古冶子に及ばないのに先に桃を取ったのを恥じて、自害してしまう。
そうなっては古冶子も、手柄をひけらかしてふたりを死なせたのを恥じて、自害してしまった。
恥を知ることを示す矜持をくすぐって、晏子は三人を排除したのだ。
ヤスの妻「これはこれで有名だね。晏子のような天下を左右する宰相になりたい、みたいな」
Y「だいそれたことを」
F「それほどだいそれていなかったのは実史が伝える通りだが、むしろ『二桃殺三士』に着目したい。桃の数はともかく、曹操・孫権と"天下"を分け、のちに平らげる天下三分の計を隠棲時代から練っていた孔明が、田(開)疆・古冶子のように奴らを……と考えていてもおかしくはないだろう?」
ヤスの妻「公孫接は?」
Y「献帝か」
F「えくせれんと。魏・呉そして後漢を平らげて、新しい漢王朝を築きたい。そんな想いが、この『梁父吟』には込められているように思える。もっとも、孔明が天下を盗れたら献帝をどうしていたか、は割と悩ましい問題だが」
ヤスの妻「……どーにも、一歩だけえーじろの背中に届いてないのは悔しいなぁ」
F「オレはアンタの足元に届いているとも思ってないので。では、どうぞ」
ヤスの妻「続きは次回の講釈で♪」
Y「次回もいるつもりか!?」