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私釈三国志 167 淮南再戦

F「乱世において幼い君主というのは、その時点で罪になる。何しろ、トップが自分で判断・決定できないワケだから」
Y「若くして英明、という君主もいなくはないが」
F「その場合問題になるのは周りの姿勢か。幼君の詔をかしこまって受ける者と『はいはい、アメあげるからねー』と相手にしない者とでは、圧倒的に2番めが多かろう? ために、宦官や外戚といった決定権を持つおとなが権力を握るようになる」
A「それが戦乱の長引いた原因、と」
F「意外と因果関係はしっかりしているわけだ。しばらく魏をほったらかしていたが、実は司馬師の死後にひと悶着あった。曹髦(つまり、郭太后)から『司馬昭は許昌に留まり、洛陽へは帰ってくるな』という詔が下っているンだ」
A「つまりって」
F「これについては、明元郭皇后伝(『明帝の皇后郭さん』の意。元は追号)に『皇帝が三代に渡って幼少だったため、補佐の大臣が政治をおこない、国家の大事はすべて皇太后にお伺いを立ててから施行した』とある。事実上の宰相に帰還するなという命令を出す大事が、郭太后の耳に入っていないとは考えられんのだ」
A「この時代の魏における『頼れるおとな』は郭太后か」
F「と、司馬一族だな。詔勅は権力者の都合で出されるが、司馬昭に詔を出せるのは形式的にも皇帝しかいない。今回は、曹髦を通じて郭太后が、司馬昭に帰ってくるなと命じている」
A「……んー、妥当なのかそうでないのか。戦後すぐに民心が落ちつくワケがないもんねェ」
Y「現に、諸葛誕伝に『寿春の民衆十余万は、こぞって城門を破り呉に逃げ込んだ』との記述があるからな。地方の安定のためには必要な措置とも云えるが」
F「そう考えるのも無理はないな。戦略的にも政略的にも間違ってはいないが、ただし、この命令には別の思惑も絡んでいた。司馬師が死んだのを契機に司馬昭を遠ざけ、政治の実権を曹氏に取り戻そうとしたンだ」
A「……気持ちと理屈は判る」
Y「お前には云えないことなんだが、計略の意図があからさまでは反撃も容易じゃないのか? ヒトを罠にかけるときは、もう少し頭を使うべきだと思うが」
F「嘘をつかずにヒトをだますのがどれだけ難しいか、判ってねェよな……。まぁ、郭太后が司馬一族に不満を抱いていたのは、割と明らかだからな。不満というより被害妄想だが、根も葉も枝も実も花まであっては無理もない」
A「妄想じゃねェだろ!」
Y「覚えておけ、アキラ。権力者や上司が『アイツには被害妄想がある』と云ったら、無条件で部下が悪い。それが社会というものだ」
F「根も葉も枝も実も花まであっても、幹がないでは木とは云えん。責めるに責められないからとりあえず遠ざけて、現状の打破を目論んだようだが、もちろん司馬昭は逆らっている」
A「凄いこと云ってるよ、この連中……」
Y「鍾会がけしかけたンだったな」
F「正確に云うと『東方が不安だから、司馬昭は許昌に留まって地域安定に努め、軍は傳嘏が率いて洛陽に戻れ』という詔勅でな。鍾会は名指しされた傳嘏と相談のうえ、司馬昭と全軍を率いて洛陽に帰還している。いつぞや見た通り傳嘏は目端が利くので、郭太后に通じていた可能性は否定できない」
Y「本人が人質ではそれ以上の反抗はできんか」
F「無理だったようで、曹髦自ら司馬師の遺体を迎えたのは以前云った通り。役職は司馬昭に受け継がれ、衛将軍から大将軍・録尚書事に昇進した」
A「武圧に屈したか」
F「この後だが、鍾会に『君には才はあるが、野心がそれを上回っている。身を慎まねばならんぞ』と説教して、その年のうちに傳嘏は死んだ……とある。孫盛は否定しているものの正史の注には、司馬師が傳嘏に自分の代理として政治を執るよう指示したが、本人が固辞したとの記述もあってな。何かあったと疑えば疑えるな」
A「判りやすい陰謀劇で……」
F「実際、司馬師が病身を押して出陣したことそのものが、宮廷と司馬一族の抗争……それも、両者とも一枚岩とは云えない、に関連したパフォーマンスにも思えるが、それは先のことにしておいて」
Y「考えすぎとも云えないのが、この頃の魏宮の困ったところだからな」
F「さて、というわけで諸葛誕が叛した」
A「どーいう!?」
F「そもそも諸葛誕が、少し前まで、魏でないがしろにされていたのは先に触れてある。曹叡が毛嫌いしている敵国の宰相の一族では無理もないが、さらに、夏侯玄やケ颺(曹爽のブレーンのひとり)とも親しかった」
A「……てことは、曹爽派?」
F「派閥で云うならぶっちぎりのな。夏侯玄たちを四聡、諸葛誕らを八達(いずれも全員の明記はない)、劉放・孫資の子ともうひとりがやや劣って三豫と、15人で、互いに称号をつけあい、名声を博した……と、どっかで聞いたようなことをしていたンだ」
A「……?」
Y「俺も知らんな」
F「覚えてないというより、素で知らないか? おおよそ100年前のオハナシになるが、党錮の禁で罰せられた清流派が、似たようなことをしていたンだよ。たとえば陳蕃を『天下義府陳仲挙(天下の大義は陳蕃のもとに集まる)』、李膺を『天下模楷李元礼(天下の模範、我らが李膺)』などと、七言の人物評を立てている」
Y「諸葛誕らが、自分たちをどう評価したのかという記述はないがな」
F「それはないンだが、そんな評価を受けた35人を、上から三君・八俊・八顧・八及・八厨とランク付けしているンだ。陳蕃は三君の末席(総合で3位)、李膺は八俊の筆頭(総合4位)につけ、八及の三席(総合22位)に『海内所称劉景升(天下の語り草)』劉表がいる。この辺りが、党錮の禁でのターゲットになったワケだ」
A「えーっと……」
F「第1次が166年、第2次が169年。89回を読み直しておくように。で、諸葛誕たちがンなことをしていた当時は曹叡の代だが、そんな表面的な華やかさを嫌った曹叡は、15人全員を免職して官位をはいだ」
Y「あの皇帝は、その辺り厳しいからな」
F「そゆこと。さらに云えば、四聡の聡は『聡明』でいいが、八達の達は『四通八達』からと見ていいだろう。我らの才気は天下に縦横無尽、みたいな。亡き賈逵はもともと賈衢という名だったが、いずれも大通りに相当する文字だ。仲達八兄弟のそれ(司馬の八達、狼顧いちばん良し)に通じているな」
A「……こりゃまた」
F「まぁ、『党錮之禁』と銘打って1回を割くのは、僕の坑儒スタイルに反するので、コレくらいにしておいて」
A(それをやめろとまず云いたい)
Y(やめとけ)
F「ともあれ、諸葛誕が謀叛するに至ったのには、ちゃんと理由と事情がある。ちょっと書き起こしてみるが」

諸葛靚「オヤジ、ダメだとさ」
諸葛誕「呉が国境を犯しているのだから、10万の増兵と新しい城くらい許可してくれてもいいではないか! 孔明が死んで20年になるというのに、まだオレを疑っているのか!?」
諸葛靚「それだけじゃないからな、オヤジの場合。王将軍や毌丘将軍の二の舞にならないよう、身を慎まないと」
諸葛誕「曹爽、王淩、夏侯玄、毌丘倹……次はオレか? それならいっそ……あ、誰か来た。はーい」
伝令「早馬でーっす。ハンコか花押お願いしまーす」
諸葛誕「はい、ごくろうさま。オレあてに……詔勅? えーっと……諸葛タンを司空に任命するので、軍を楽チンに任せてすぐ来てね、か。ふむ……せーちゃん」
諸葛靚「せーちゃんはやめろ」
諸葛誕「魏に謀叛するから、お前呉に行って援軍を頼んで、そのまま人質になってくれ」

A「だから、どこからツッコミ入れればいいのさ?」
F「諸葛誕の造反をもの凄く単純にデフォルメすると、こんな具合になる。順番に見て行こう。前回見た呉の徐州方面出兵(256年)に対し、諸葛誕は魏の朝廷に10万の増兵と淮水に面した新しい城の建設を許可するよう求めている。が、朝廷は『お前の指揮下の軍勢で対応できるだろうが』と突っぱねている」
Y「意見そのものは、どうなんだろうな」
F「んー、たぶん大丈夫だったはずだ。これについて陳寿は『淮南を保持するための、保身のための上奏だった』と断じているが、結果として諸葛誕は思いつめるに至った。夏侯玄やケ颺と親しかったし、魏の東方軍として呉に対していた、同じ立場の王淩・毌丘倹が相次いで討たれている。なにより孔明と同族ということで軽んじられていた過去から、危機感を強めていた」
A「それは無理もない。うん」
Y「さすがにこれを被害妄想と斬り捨てることは俺にもできんなぁ」
F「孔明云々は正史では記述がないが、宮廷人はそう考えるだろうし、そう考えなければならん。それが国を率いる立場としては正しい態度だ。また、増兵要求も危険視していたと考えていい。諸葛誕が城の金庫を空けて、民衆に施しを行い支持を集め、命知らずの無頼を募って軍に編成している。死罪になる罪人でも命を助けたのは先に触れてあるが、ンなことをしていたため淮南では諸葛誕を慕う声が高まり、宮廷としても放ってはおけなくなったワケだ」
A「鍾会の策?」
F「と、賈充だ。さっき出た賈逵の息子なんだが、司馬昭が大将軍・録尚書事に任じられたのを四征将軍のところに連絡して回ったのがこのヒト。諸葛誕は、毌丘倹の後方を扼したり呉と戦っているうちに自分の立場の危うさに気づいたようで、賈充がついた頃には人気取りをはじめていた。ために、賈充は聞いてみた」

賈充「洛中でみなが大将軍に帝位を禅譲すべきと話しているのは知っていると思うが、君はどう思うね」
諸葛誕「お主は曹操様に重用された賈逵殿の子でありながら、そんなたわけたことを云われるか! 代々魏に仕えておきながら国を売り渡そうとするなど、聞き流せることではないぞ。もし洛陽で返事が起こったのなら、オレは無論命を投げ出す所存だ」

F「賈充は、司馬師に手を打つよう進言している。この台詞が諸葛誕の真意かと云えば、ちっと疑っていいだろう。賈充が司馬昭と皇帝のどちら側にいるのか判らなかったので、皇帝を擁護する発言をした……というところだと思う」
A「でも、それなら何で司空に任じるンだ? 賈充を通じて司馬昭が叙任したンだろ?」
F「曹髦伝にもその旨記述はある。まぁ、誘いだろうな。支持を集めた土地と兵から引き離し、宮中に連れ込んでしまえばどうとでも処分できる。賈充曰く……えーっと、ちょっと長くしないと文脈が通じないな」

『諸葛誕は威名・人望を揚州に馳せている(ため、非常に危険である)。いま召しだしても応じないだろうが(詔勅に逆らったという事実をもって罰する口実にできるので)、災難は小さく、事態は軽く済む。だが、召しださず(に放置して)、事態の起こるのが遅くなればなるほど、災難は大きくなる』

F「カッコ内は僕の補足だけど、発言の大意は判ったと思う」
Y「まずは淮南から諸葛誕を離そうと考えたワケか」
F「ところが、そのあとがまずかった。司馬昭は、三公の一隅を提示すれば諸葛誕はホイホイ来ると高を括っていたようだが、賈充も鍾会も『それでは来ないでしょう』と読んでいる。事実、諸葛誕は喜ぶよりむしろ不審に思った。序列で考えれば驃騎将軍の王昶が先に三公になるはずだ、と」
A「その辺りの気が回るのか」
F「状況的にも心理的にも追い詰められているのに、ある程度冷静な判断はできるンだ。しかも、詔勅でありながら勅使が派遣されず、早馬で届いたというのも諸葛誕の不審を増長させた。ついに挙兵を決意したというより、ついにキレたと云うべきだろう。257年5月、諸葛誕は動く。こういうのを日本語では『仕方ない』という」
A「仕方ないじゃ済まねーよ……気持ちと理屈は判るけど」
F「最初に諸葛誕の怒りが向いたのは、『軍を預けよ』と名指しされた揚州刺史(当時諸葛誕は征東大将軍)の楽綝だった。演義では戴陵・張虎(張遼の子)と並んで孔明相手のやられ役だが、曹操軍五将軍の一・楽進の息子だ。もともと諸葛誕の部下だったので、あるいは東方軍にも『地方軍将は副将が昇格する』という不文律があてはまっていたのかもしれん」
A「その息子が、賈充と組んでいたってコト?」
F「と、考えるべきだろうな。諸葛誕の年齢は不明だが、楽進が死んだのは218年(39年前)だ。それなりの年齢になっているはずなのに、かつては冷や飯喰っていた諸葛誕の下に配属されて不満を抱いていたのは想像に難くない。しかも死に方はあっけなく、楽進伝にぼそっと『不意打ちで殺された』とあるだけ」
A「抵抗もしなかったのかよ!?」
F「諸葛誕伝の注だともっと非道いぞ。攻め込んできた(どこの城かは記述がない)諸葛誕相手に籠城しようと、兵に門を閉じるよう命じるンだが、諸葛誕が『お前はかつてオレの部下だっただろうが!』と怒鳴ると、兵は門を閉じるのをやめたようなンだ。で、数百人からの諸葛誕軍に追われ、楼上で死んだ……となっている」
Y「部下を掌握することも戦うこともできずに逃げ惑い死んだ、か。父の名を汚してるな」
A「情けなや情けなや……」
F「残念ながら、東方で何かあったときの戦力として期待していい胡遵が、昨256年の7月5日に死んでいる。それが諸葛誕挙兵の遠因であることは否定できないが、楽綝ではその代わりにはなりえなかったというワケだ」
A「この世代もどんどん死んでるなぁ……」
F「かくて諸葛誕は楽綝を攻め殺し、淮南・淮北の官吏・軍兵十余万、精兵四万から五万を召集し、1年間戦えるだけの食糧を集めた。さっきさらっと云ったが、その気になればこれだけの兵を即座に集められるンだから、増兵なしでも呉軍を退けるのは難しくなかったように思える」
A「なるほど……」
Y「さすがに、呉を退けた戦上手だけはあるのか。展開に隙がない」
F「うむ。そして守りを固める一方で、末子の諸葛靚を呉に送り、臣従を申し出て救援を求めている。以前云った通りこれだけはやっちゃいかんのだが、すでに諸葛誕は『魏にはオレの生きる場所はない!』と思いつめていたようでな」
A「1番かよ……」
F「というわけで、"魏の狗"諸葛誕は魏に叛した。彼にどんな未来が待っているか……は、次回見ることにして。ところで、コーエーの三國志シリーズでも、この辺りの時代は扱われていないわけではないが、かなりアレな人選になっているのが実情でな」
Y「だから、その話をするな!」
F「『王毌丘諸葛ケ鍾伝』の5人で云うなら、他4人は演義でも登場するからか、Uからすでに出演しているンだけど、王淩だけは遅くて\から。王基はVから、王昶はWからになっている。姜維がT(正確には無印)から皆勤なことを考えると、この辺りの扱いにはどーにもえこひいきがあってな」
Y「陳到のデビューもYくらいだっただろ。知名度と能力評価を考えると、人選にある程度の偏りが出るのはやむを得んだろうが」
F「残念でありませんね。では、今週はこんなところで」
Y「どうぞ」
F「続きは次回の講釈で」

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