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私釈三国志 164 郭淮死後

A「あれ……? ヤスは?」
F「今回、お休みだそうだ。カミさんが『ごめんねー』って云いに来た」
A「何かあったの?」
F「お前の結婚相手が明日(6月20日)に挨拶に来ると伝えたら、カミさん、僕もよけて通る逆鱗モード入ってな。泰永相手に発散しないと正気を保てないくらいお怒りなんだ」
A「……アキラの婚約者さんなんだから、祝ってほしいところなんだけどなぁ」
F「頭のいいヒトだから、悪いようにはしないはずだよ。まぁ、泰永を安静にさせる意味で、枕元で講釈してやるワケにもいかん。というわけで、今回は泰永は欠席」
三妹「アタシじゃ不満なの、アキラ?」
A「もっと義姉さんみたいに可愛く凄んでください」
三妹「あんなモン、アタシに真似できるワケないでしょ!」
F「とりあえず落ちつけ。お前に不満のある男がこの世のどこにいるか」
三妹「あら、ひとりはいるみたいだけど?」
F「まったくだ。こんなに佳い女を放っておくとは、お前の夫は何をしているンだか」
三妹「……別に、アンタに褒められたくて身体磨いてるワケじゃないわよ」
F「オレの勝ち。前回さらっと触れたが、蜀軍は徐質を討ち取ると、狄道など三県の住民を蜀に強制連行し、退きあげている。直接の明記はないが、ある程度以上の戦果を挙げたのと張嶷が死んだのが撤退の原因と考えていい」
三妹「……少しは引きずりなさいよ」
A「あははぁ……ちーちゃん、ご愁傷さま。えーっと、勝つには勝っても有力な軍幹部が死んでは、戦闘継続は難しいか」
F「士気そのものは高揚するだろうけど、張嶷級の武将が欠けては純粋な戦闘力が低下するからねェ。これが254年の冬のことで、翌255年新春には、姜維は夏侯覇・張翼を伴って成都に凱旋。やっと年表に追いついたがこの年、の1月30日に郭淮が死んでいる。以前触れたな」
A「161回だね。毌丘倹の敗戦後に文欽が呼応するよう誘いをかけて、でもすでに死んでいた……って」
F「その前に起こった王淩の乱で、連座することになった妻(王淩の妹)をかばって司馬一族にたてついた前科があるのが、文欽が誘った原因だろうな。生年は不明だが、王淩が180年代の生まれと仮定(146回参照)し、妹(やはり年齢不詳)との兼ね合いを考えると、還暦回っていたと考えていい」
A「かな」
F「5人の子供がいたからには妻が若かった可能性は高いが、トシが離れた兄妹ないし夫婦というものまで考えているとキリがないからな。その死後、やはりいつぞや云ったが、魏の西方方面軍は陳泰が指揮を執るに至っている。そして、というわけで姜維は兵を挙げた」
A「それが理由か」
F「理由の半ばは、郭淮の死を知ったからだろう。定軍山の戦いから36年西方に位置し、夏侯淵・曹真・仲達・夏侯玄のいずれにも重用された、魏西方の守りの要だ。その当時に魏延をはじめとする蜀軍にしてやられたからか、コーエーの三国志ものでは割と酷評されているように思えるが、それなりの智将だ」
A「大きすぎる壁が亡くなったから、ここぞとばかりに……?」
F「が、残りの半ばは呉との連携。255年の2月に、孫峻が寿春に兵を出している。同盟国としても軍事権力の持ち主としても、この動きは見逃せないワケだ」
A「東西両面からの攻撃は、孔明の悲願でもあったからねェ」
F「さらに云えば、司馬師の死も念頭にあったろう。文欽が郭淮(が、死んでいるのを知らず)に送った書状では、司馬師が死んでいるのを知らなかった旨の記述があるが、皇帝自ら喪服で迎えては話題に挙がらんはずがない。それも、この時点での諡号が、あろうことか忠武公(孔明は忠武侯)では、それと聞いた姜維がキレるのは明確だ」
A「それなりに状況は見ているンだね」
F「ただし、以前諸葛格の出兵案に呉の群臣こぞって反対したのを見たが、蜀でも反対の声が挙がっている。昨年の狄道戦にも従軍していた張翼が、宮廷で姜維が『兵を挙げます!』と奏上したのに反発しているンだ。正史ではさらっと反対しているだけだが、演義だともう少し台詞がある」

 ――蜀は小さく、生産能力も低い。こちらから討って出るのはいかがなものか。防御を固めて分をわきまえ、軍をいたわり民を慈しむことが、国を保つ手段ではなかろうか。

F「費禕なら拍手して賛成していただろうな」
A「……正面からの反発は難しいところか」
F「が、姜維はこれを退けている。前回云ったが、この頃の車騎将軍は夏侯覇で、衛将軍が姜維だ。征西将軍の張翼が反対しても、軍の序列から優先権は姜維たちの側にある。まして『魏につけいる隙ができたンだから、それを逃してどうする』という演義での発言は、割と正しい」
A「諸葛格じゃねーけど、出師の表も似たような理由で書かれてたしなっ♪」
F「そんなワケで、反対していた張翼も引き連れて(演義では妥協して従軍)北伐は行われた。もっとも、この時点ですでに、今回は失敗すると予測すべきだろうが、8月になってから、だが」
A「半年後!?」
F「確認すると、5度に渡る北伐で孔明が勝てなかったのは、魏の側で防御態勢が整っていたからだ。劉備の死後完全に防備をほったらかしていた第一次や、主将交替に伴う指揮権の混乱で魏軍が自滅しかけた第四次が、ある程度の戦果を上げられたのは、防御態勢が整っていなかったから」
A「惜しかったよね、第四次は……」
F「魏が本腰を入れてしっかり守りを固めると、蜀軍ではそれを抜くのが難しい。そもそもの国力が違うので、正面対決ではまず勝てないンだ。事実上の国家責任者たる司馬師が死に、呉が兵を出していた時期に動くことができれば、戦況は変わっていた可能性は高い。だが、姜維は半年遅く動いている」
A「それが、悪い方向に動いた……」
F「これでいい方に働いたら苦労はない……と云いたいところなんだが、ときどき歴史の神サマはワケの判らんことをしでかしてくれるからタチが悪い」
A「だから、神を持ち出すなと云うに。何があったの?」
F「まさかの連勝だ」
A「はいぃっ!?」
F「先年、蜀軍は、徐質を討ち魏軍に勝利しながらも、張嶷の死によって撤退を余儀なくされた。ところが今回、再び狄道に攻め入ると、西の古城まで迎撃に出てきた王経率いる軍勢をきっちり打ち破っている。魏書曹髦伝でも『大敗』、蜀書では『大いに破った』『死んだ王経の兵は5ケタ』『いやいや数万』と、とりあえず万単位の死者が出たのは事実っぽい」
A「……いや、俺が驚くことじゃないじゃないか。姜維ならそれくらいできてもおかしくないだろ」
F「単純に考えるとそう云えるか。もともと姜維は、それを目当てに孔明に見込まれたワケだから、27年下積みとして磨いた力量が発揮された……というのはある。ところが、ここでアクシデントが発生する。狄道城に逃げ込んだ王経を追撃しようとした姜維を、張翼が引きとめたンだ」

翼「これで充分ではありませんか。追撃してもしものことがあったら、この大勝利に瑕がつきますよ」
維「いやじゃ!」
翼「絵の蛇に足を描いてどうするンです!」

三妹「蛇足、ねぇ……」
A「……つか、何で止めるの? このヒト。大勝利して意気あがる軍勢にもしものこと云々なんて、空気読めないってレベルじゃねーですよ」
F「前に呉で同じことがあったが、それとはちょっと違うように思える。アレは諸葛格に功績を挙げさせまいと孫峻が手をまわしたものだが、張翼は純粋に戦況の悪化を危惧したようでな」
A「というと?」
F「以前触れたが、漢中争奪戦で趙雲が空城ならぬ空陣の計をやろうとした折に、その陣地を門を閉ざして守っていたのが張翼だ。また、治めていた郡で叛乱が起こって馬忠と交替する折には『賊を討つ準備は整えておかねばならん』と云って、馬忠が来るまで防御を固めながら食糧物資の確保につとめていた」
A「……地味と云うか堅実と云うか」
F「2番に一票。堅実ないし重厚と呼ぶべきスタイルを誇るのが張翼だ。ある程度悪い状況を想定して、それをフォローするために必要な措置を取れる、と云うべきか。ただし『張翼は法を厳格に行い異民族を弾圧したため、酋長の劉冑は叛逆した』とか『ワシが馬忠と替えられるのはそれが原因ではなく、ワシでは劉冑に勝てないからだ!』とのこと」
A「有能なのか無能なのかはっきりしてくれ」
F「蜀基準なら1番、魏でなら2番かなぁ。ともあれ、姜維は張翼の制止を突っぱね、狄道城を包囲した。第2ラウンドのゴングが鳴らされたワケだが、さすがに今度は魏も手をこまねいてはおらず、陳泰指揮のもと迎撃を行っている」
A「最初から来とけよ……」
F「実は先週、ヤン・ヒューリック様から『魏の西部方面のグダグダ』な『弱体化の原因が分かりません』とのメールをもらっている。このヒトときどき、次の回でやるネタをピンポイントで突いてくるンだが、またしてもそンなことをされてしまったワケで」
A「往年の勢いが陰っていたのは事実だな。孔明を退けた頃の魏軍とは比べ物にならないくらい、もろい」
F「魏の西方軍弱体化の原因として、まず、この王経が足を引っ張っていたのを挙げていいと思う。つまり」
 主将:夏侯淵 副将:張郃、郭淮
F「だったのが」
 主将:曹真 副将:張郃、郭淮
F「から」
 主将:司馬仲達 副将:張郃、郭淮
F「を経て」
 主将:夏侯玄 副将:郭淮、夏侯覇
F「があって」
 主将:郭淮 副将:陳泰、夏侯覇
F「で」
 主将:陳泰 副将:王経、胡奮
F「西方軍幹部は主にこんな具合に変遷している。夏侯淵の死後に、郭淮が指揮権を張郃に受け継がせたのは147回で見たが、その後に曹操自らこの戦線に来たモンだから、後任は曹真に移っている。仲達が抜けたあとでいち時期郭淮が指揮を執っていたが、曹爽自ら蜀攻めを行ったせいで夏侯玄に移り、魏宮政変までそれは続いた」
A「皇族の肝煎りだと指揮権はあっさり移る、か」
F「そして、曹真の死後は仲達に移ったが、これは蜀に孔明という曹叡の怨敵がいたからこその人事で、そうでなければ、張郃が西方軍を率いていた公算は高い。特別な事情がなければ、西方軍の主将は副将から昇進するからだ」
A「夏侯淵が死んだら張郃、司馬懿が抜けたら郭淮、郭淮が死んだら陳泰……か」
F「つまり、西方軍の弱体化とはイコール副将の質が悪い、という公式が成り立つ。かつて陳泰とともに奮戦していた徐質は昨年戦死しているが、王経はさらにその下を行く武将だった」
A「下って……何者なんだ?」
F「江夏の太守だった当時に、曹爽から『呉と交易しろ』と命令を受けたら官職を捨てて故郷に逃げ、母親の密告で棒叩きにあった前歴を持つ。郭淮の死後に指揮権を得た陳泰に『蜀に先制攻撃しましょう!』と進言し『判った、判った。あとでな』とあしらわれてもいる」
A「えーっと……敵国との交易を拒む気位の高さと、積極的に攻め入ろうとする好戦的な性格を併せ持つ武将」
F「それでいて、30年の下積み生活の結果が出せるようになったとはいえ、姜維には及ばない指揮能力の持ち主だ。官職を捨てて逃げたら棒叩きでも御の字だというのに、その辺の自覚がなかったことからも、こいつはどーにも自分の能力が自覚できていない面がある。自意識過剰で好戦的、つまり?」
A「……協調性はないな」
F「そのようで、陳泰は『狄道に行け。本隊が到着してから姜維を討つ』と王経に命じていたンだけど、王経はどうしたワケか狄道城を出て姜維と交戦し、敗れているンだ。命令に背いて姜維に立ち向かったのか、それとも、正史陳泰附伝に『王経配下の諸軍は古い城辺りで姜維に負けた』とある通り、狄道の場所を知らなかったのか
三妹「……相当のモンね」
A「無能なのか、バカなのか……」
F「いやらしい二択だが、この一戦でいうなら緒戦で魏が敗れたのは完全に王経が原因だ。代替わりの悪影響で、純粋な戦闘力が低下していた。その証拠に、陳泰が動くと蜀軍は劣勢に追い込まれているンだから」
A「来たぜ、本隊……」
F「しかも、王経に任せるのを不安に思ったのは母親だけではなかったようで、わざわざ東方戦線から兗州のケ艾を引き抜いて、陳泰の指揮下に入れているンだ。さっそくケ艾は『勢いのある姜維に当たるのは危険です、衰えるのを待ちましょう』と、それこそ諸葛格がやられた消極的防御策を提示しているけど、陳泰はこれを突っぱねた」
A「順当、かな」
F「だな。対して陳泰は『姜維は狄道を放って東に進むべきだった。我が方の糧食を奪い、降伏者や西羌を集めていれば四郡は厄介なことになっていたが、勝ちに溺れて城を包囲する愚を犯している』と、狄道の東南で大量の狼煙を上げ、太鼓を鳴らし角笛を吹きまくった。これには狄道城内の兵は奮いたち、蜀軍は動揺する」
A「増援到着を大々的に知らしめたワケか」
F「蜀の諜報網が優れていたのか、それとも陳泰の脇が甘かったのか、姜維は陳泰の『本隊が到着してから蜀軍に向かう』との方針を見切っていて、本隊は諸軍と合流してからこちらに向かってくる、と計算していた。ところが、突如本隊が現れたモンだから、将兵問わず震え上がった……とある」
A「まぁ、驚くよな」
F「が、姜維も手を打っていた。周辺が山道だったので伏兵を置いていたンだけど、これについて裴松之は『救援は姜維の不意を突いて現れたのに、何で伏兵なんて用意してあったンだ?』と疑問を提示している。まっとうな疑問ではあるが、応えられる資料は提示してあるな。アキラ?」
A「……張翼か」
F「そう考えていいだろうね。張翼の性格からして、いざ救援が来たときへの備えをしているだろう。『追撃をいさめられて、姜維は張翼を不満に思っていた』とあるが、その辺を察して自分から後曲に下がったように思える」
三妹「アンタ、自分が裴松之より上とか考えてる?」
F「とんでもない。あのヒトや師匠に及ばんオレが、どうしてそこまで思いあがれる」
三妹「ならいいけどね」
F「まぁ、この伏兵も陳泰には見抜かれていて、脇道を通って回避している。ことここに至っては姜維も包囲を続けていられず、陳泰本隊との交戦を決行した。……そして、敗れた」
A「仕方ないか」
F「涼州(西北)に退こうとした姜維に対し、陳泰は王経に『討って出ろ! お前が追撃して時間を稼いでいる間に、本隊は蜀軍の退路を断つ!』との文書を内密にやり取りした。それがどうしたことか姜維に知られたモンだから、蜀軍は本格的な撤退を余儀なくされ、狄道城は救われている」
A「……勝敗はともかく、諜報能力では蜀軍のが優れてないか? たびたび、魏軍の作戦を察知している辺り」
F「うん、陳泰はそれを自覚していて、逆用した形跡さえあるな」
A「褒めるンじゃなかった……」
F「とまぁこのように、副将さえしっかりしていれば、陳泰は姜維を防げるンだ。陳泰が姜維にというよりは、徐質・王経が張嶷・張翼に及ばなかったと云うべきだろうけど。現に、この戦闘後ケ艾が現地に留まることになり、王経は宮廷に召された。またあとで現れる……けど、そのときにはついに処刑される。ともあれ、彼は助かってからこう云った」

『城内の食糧は十日分にも足りず、救援に来てもらわなければ城は陥落し、雍州は失われていました』

A「誰のせいだよ!?」
F「半ば以上王経の責任だな。ところで、残り半分は人事的なものとは云えないかもしれない」
A「来たな……」
F「いや、ある意味人事か。252年に三征侵攻があったが、この年に羌族か鮮卑かが何かしでかしたらしくてな。詳細は記載がないが、陳泰が『異民族を討伐したいので、并州の兵を貸していただきたい』と健在当時の司馬師に上奏している。司馬師は許可したンだが、現地并州の二郡では『そんな遠くに行きたくねェ!』と叛乱までして逆らった」
A「藪をつついたら蛇が出たワケか」
F「つまり、ほんの3年前に、并州では反乱が起こって、雍・涼州では異民族が蠢動していたことになる。これでは陳泰どころか郭淮がいても、多少の不利はやむを得ない状態だったと云えるンだ」
A「そうか、北狄……異民族が積極的に動いていたのか」
F「田豫の没年は明記がないが、この頃すでに死んでいた(享年は82)ようでな。それじゃ北方が動揺するのも仕方のないオハナシだが、こうやって考えると演義での郭淮の最期には、羅貫中がそれなりに気を遣ったのが判る」
A「………………えーっと?」
三妹「知らない」
F「お前らね……。蜀と組んで侵攻してきた西羌の俄何焼戈を討ち、迷当大王(正史にも出演)を使って蜀の陣地に斬り込んだ。西羌を友軍と思いこんでいた姜維は丸腰に近く、弓は持っていたけどすぐに矢を射尽くしてしまう。そこで、郭淮の放った矢をつかむと射ち返し、その矢で額を射抜かれた郭淮は落馬し、助からなかった。なぜか253年のオハナシになっているが」
A「割とあっけないけど……」
F「西羌が動いていた、それを陳泰が鎮圧した……のを暗示しているように思えるのは、考えすぎだろうか」
A「……無視はできないようだな」
F「続きは次回の講釈で」

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