私釈三国志 154 元遜台頭
F「さて、リアルタイムで見ていないヒトはちょっと混乱すると思うけど、先週公開したのが150回。仲達と孫権が相次いで亡くなり、一般的な『三国志』の登場人物はいいとこ片付いたことになる」
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A「だな」
F「アキラがいるうちには、時系列でのオハナシを進めておきたいので、今回はその辺りを一席。つまり、孫権の死後に呉で起こった権力争いについてだけど」
A「………………」
F「なぜここで黙るか」
A「あ、いや。なんか新鮮だよね? 皇帝が死んだからって権力争いが起こるのは」
F「……確かに、表立っての争いはしばらく起こらなかったか。霊帝の死後には外戚(何進)と宦官(十常侍)の間で権力抗争が起こって、結局董卓が漁夫の利を占めたが」
Y「曹操の死後には曹彰が動き、孔明の死後には魏延と楊儀が争ったが、ふたりとも皇帝ではない。曹叡や曹芳には仲達が、劉禅には孔明がついていたから、争いが起こりようもなかった……とも云えるか」
F「ちゃんとした補佐役もついていれば安心だろうね。ついでに云えば、年齢不詳の曹叡はともかく、曹丕は割といいトシだし、劉禅もいつか云ったがまぁ一人前の年齢だった。ところが、孫権の後継者たる孫亮は違う」
A「亮ちゃん、いくつだっけ?」
F「252年現在、数えで10歳。それだけに、孫権の死後、孫亮の補佐役……蜀における孔明の座に誰が収まるのか、がまず問題になった。なにしろ二宮の変(つまり、孫権)が原因で、呉の有力者はひとり残らず死んでいる」
Y「残った連中は、どうにも小粒だからなぁ」
F「状況を確認しよう。孫権が愚かにも(大事なことなので二度云います、愚かにも)喧嘩両成敗で二宮の変を収めたのが250年。どこから、というのは諸説あるが短く見ても10年近く、孫和と孫覇を両立させ後継者争いを放置していた罪は、かなり大きい」
A「確認するまでもないだろうけどね。……しかし、何でそんなに長いこと放っておいたンだろ」
F「司馬仲達による魏宮政変が起こり、曹爽一派が処断されたのがこの前年だ。例によって、他国の政変に乗じた……というところだろうな。二宮の変の原因は孫権の優柔不断だが、火に油を注いでいたのが娘の孫魯班だ。孫権の寵愛を受けていた歩夫人の娘だが、父の寵愛が孫和の母の王夫人(瑯邪)に移るのが気に入らなかったらしい」
A「私怨で国を割るからなぁ」
F「父親に似たのかもな。そんな魯班(字は大虎)は、二宮の変が終結すると孫亮に接近している」
A「どこまで節操ナイの、このヒト」
F「正確には、孫亮の生母の潘夫人にだがな。彼女の父が罪を受けて、連座して宮廷の下働きをしていたところ、孫権のお手つきになり、夫人に立てられた経緯を持つ」
Y「6人夫人がいたンだったな」
F「実際には、正史に伝を立てられているのが6人で、他にも袁夫人という名がある。ともあれ、成り上がり者のサガと云うべきか、潘夫人は我が強くて嫉妬深い性格だった。孫権が一時は皇后に立てようと考えた袁夫人(子供が産めなかったのを理由に辞退した)を讒言して死なせているくらいだ」
A「探せばいくらでも非道い女はいるワケか」
F「そゆこと。孫亮が皇太子に立てられたことで、翌251年に皇后となった潘夫人は、孫権が危篤に陥ると、前漢の御世に呂后が、劉邦の死後政治を執り仕切った事例について諮問している」
A「おいおい……」
F「というわけで、と云っていいだろう。孫権を看病していた潘夫人が疲れて寝ていると、日頃から恨んでいた侍女たちが寄ってたかって絞め殺した。もちろん黒幕は魯班のようで、この侍女たちも処刑されている。大トラの狙い通り孫亮が皇太子になったが、その母親が動くのは好ましくなかったようでな」
Y「まぁ当然か。腹違いの姉よりは実母の方が発言力は強いからな」
A「気持ちと理屈は判る……認めたくはないけど」
F「さらに、全jの孫娘(自分の子ではない全尚の娘)を孫亮の妻に押し込んで、間接的ながらも発言力がある状況に持っていった。この辺りのセンスには、父の外交能力を髣髴とさせるものがあるな」
A「握手している相手の足を蹴飛ばしても、股間は蹴り上げなかったよ!」
Y「南蛮の蜂起は一歩間違えば蜀を滅ぼすことになっていたように思えるが」
F「それが狙いだったのは公然の事実だ。さて、潘夫人から皇后親政について諮問されたのが孫弘だ。覚えていないかもしれんが、二宮の変に際して張休(張昭の末子)や朱拠ら、孫和派要人を次々と死に追いやった、孫覇派の切り込み隊長みたいな存在でな」
A「いろんな方面からにらまれてそうだね……」
F「いちばんにらんでいる孫和を、病床にあった孫権が呼び戻したいと云いだしたときには、魯班らともども反対しているな。当然ながら、と云っていいが」
Y「例の夫人がそいつに訊ねたってことは、補佐させる目的があったってことか?」
F「そう考えていいね。しかし、その潘夫人は早まったせいで謀殺され、孫権の死後孫亮を補佐し政治を執るのは、諸葛格と孫峻というコトになった。これまでにも出ていた諸葛格はともかく、孫峻は孫堅の弟・孫静のひ孫にあたる」
A「じゃぁ、孫弘も一族?」
F「出自が会稽だから、たぶん違うと思う(孫堅からの孫家一族は呉郡出身)。問題はそこじゃなくて、孫弘が、諸葛格と仲が悪かったコトでな」
Y「なぜ……と聞くのもアホらしいか。二宮の変が根を張っているワケだな」
F「そこで孫弘は、孫権が死んだのをいいことに、諸葛格を葬ろうと詔を偽装した」
Y「王昶の爪の垢でも煎じて呑めよ」
A「魏将との格の違いが明らかなのは何だろうねェ……」
F「ところが、それが発覚する。孫峻が諸葛格にその計画を密告したモンだから、返り討ちにあって孫弘は死んだ。前後関係から察するに、孫峻を味方に引き込もうとしてだまされたンだろう」
A「あらら……」
Y「諸葛格を殺せば、孫弘のが立場が上になるとも危惧される。自分より上ができるのが好ましくなかったか」
F「そんなところだろうね。というわけで、孫亮を諸葛格と孫峻が補佐することになった。……が、この諸葛格が、才気冠絶で知られた瑾兄ちゃんの長子でな」
Y「冠絶なのはどっちだ? 親か、子か」
F「両方だ。正史では、諸葛格の才覚をあらわすエピソードが多数収録されていてな。たとえば……瑾兄ちゃんは顔立ちが長くてロバに似ていたンだが、ある日宴席で、孫権はロバを引き出すと『瑾兄ちゃん』と名札を下げた。それを見た諸葛格は許可を得ると進み出て、名札に『のロバ』と書き足している」
A「諸葛瑾のロバになったワケか」
F「兄ちゃん、もらって帰ったそうだ。また、孫権がノンダクレなのは有名で、家臣にも酒を呑ませたがる悪酔いだった。ある宴席で、張昭はすでに酔っているから酒を呑めないと云ったンだが」
ジジイ「こんな年寄りに酒を呑ませるのは、老人をいたわる礼を逸しておりますぞ」
ヨッパライ「……おい格、呑ませてみろ」
ボン「老君はご自分を年寄りと云われますが、かつて太公望は九十を回っても、年齢を理由に軍務を拒むことはなさいませんでしたよ?」
F「張昭は、しぶしぶ酒を干している」
A「反論できないかぁ」
F「こんなエピソードもあるな。宮殿の前庭に白い頭の鳥が飛んできたときだが」
孫権「あの鳥は……なんだろうな」
諸葛格「白頭翁ですね」
張昭「(白髪首じゃと? ワシをからかっておるのか)かような鳥は聞いたことがないのぅ。陛下に嘘をついておらんのなら、対になる白頭母なる鳥を探してきてはどうじゃ」
諸葛格「鸚母(オウム)という鳥はおりますが、対になる鳥がいるとは限りませんよ。白頭母を探せとおっしゃるなら、先に鸚父なる鳥をお目にかかりたいものですね」
F「張昭は返事ができず、列席者からは失笑が漏れている」
Y「弁舌の才はあるワケな」
F「ただ、費禕とは相性が悪いのか、当意即妙とは云いがたいことになっているが」
費禕を迎える宴席で、孫権は、費禕が来ても食事を続けるように云いつけた。実際に費禕が現れても、孫権は食事をやめたが、他の者たちは顔も上げない。
「はてさて、鳳凰が現れるや麒麟は餌を喰うのをやめたが、ロバやラバは阿呆だけにまだ喰うのをやめんな」
すると諸葛格、おかえしに。
「梧桐を植えて鳳凰を待っていたのに、呼びもしない小雀がやってきて鳳凰来たりとほざいている。パチンコでも弾いて追い払ってやるか」
Y「孔明が来ると思っていたのかね?」
A「いや、それまずいだろ。実際に孔明が来たら、諸葛格は公には反論どころか口論もできないンだから」
F「儒教は厳格だからな。孫権に許されても、叔父に口答えはできん。しかも、コレ正史の本文ではなく忠に引かれたエピソードで、蜀書費禕伝では『諸葛格らは弁舌を駆使したが、費禕を論破できなかった』とある。発言も費禕らしくないのを考えると、費禕には敵わなかったと見るべきだろう」
A「酔ってたのになぁ……相手が悪いか」
F「そんな諸葛格の、いちばん有名なエピソードがある」
孫権「お前の父と叔父、どちらが優れていると思う?」
諸葛格「父です。仕えるべき主を知っておりましたので」
諸葛瑾(……うちはこの子の代で滅ぶのかなぁ)
F「瑾兄ちゃんは、諸葛格の才は認めてもその性格は評価しておらず、家を滅ぼすと危惧していた。『仕えるべき主を知らない』叔父・孔明も、諸葛格をあまり評価していなかったのは先に見ているな」
A「その呼び方やめろ」
Y「パターンから行くと、孫権からはあまり評価されないな。直言というよりおべっかだし、孔明を悪く云っている」
F「悪くは云っていないと思うが、その通りだ。この場では大笑いした孫権からは、我の強さを警戒されていた。死に臨んでもその性格を危惧したンだけど、孫峻がしきりに『彼は宮廷随一の人材です!』と勧めるので、その気になる」
Y「ボケてたからなぁ」
F「魯班が国政に口出しする気マンマンでは、孫和派最後の重鎮を登用することで対抗させ、バランスをとるのは人事的に間違いではない」
A「バランスかい」
F「大事だぞ? そもそも魯班が孫亮を立てるのに協力したのは、孫和が復権したら自分の身が危ういからだ」
Y「殺されるだろうな。生かしておいたら、今度は何をしでかすか判らん」
A「……死なないまでも日陰者だろうね」
F「泰永に一票。とりあえず、太傳に任じられた諸葛格は、次々と政策を実施している。関税・物品税の撤廃と負債の免除といった経済政策が中心だが、官吏監督制度の撤廃のような人事改革も行っている」
A「呂壱の二の舞を避けたかったってコトかな」
F「だろうな。この辺りの政策によって、諸葛格は大人気を博する。外出するたびに、民衆はこぞって彼を見に来たという。父や叔父はもともと文官で、気がついたら武官のトップやそれに近い地位に就いていたが、その辺りの薫陶よろしく、諸葛格も政治にある程度明るかった、と云える」
A「軍事には?」
F「微妙なところだ。えーっと、150回で云ったが、初期の呉において大都督の地位は荊州方面軍軍団長を意味する」
A「はぁ」
F「第四代大都督陸遜の死後、朱然が実質的にその地位を継承したが、いち時期その座が諸葛格のところにあったような記述もあるンだ」
『そうこうするうちに(孫権のせいで)陸遜が死ぬと、諸葛格は大将軍となって武昌(地名)に駐屯し、荊州の軍事全般の指揮を執った』
呉書諸葛格伝より抜粋(カッコ内は引用者補)
Y「定義上は大都督だな」
F「ところが朱然伝には『諸葛融や歩協らは、父の後を継いでいたが、朱然が彼らをまとめていた』ともある。呉の西方軍を統率する、という原則論で考えると、朱然で正しいように思えてな」
A「……気持ちと理屈は判った」
F「まぁ、役職としての大都督なら、朱異(朱桓の子)もなっている。地位として有名無実化していたのが実情だ。とりあえず、諸葛格の軍事的才能は次回に見ることにして、ところで……」
A「来たよーっ!?」
F「先に見た袁夫人は、家柄で云うなら夫人の中でトップだ。性格も控えめで、皇后にと持ちかけられても自分で子を産めなかったのを理由に辞退している。おまけに品行方正と、男にとっては都合のいいことこの上ない」
Y「それだけに、成り上がり者の罪人の娘は気に入らなかったということか?」
F「というか、群臣の反対もあったと思うぞ。何しろ、父は袁術だ」
A「殺されても仕方ねェよ!」
F「また、袁夫人には奇妙なエピソードがある。自分では産めなかったとはいえ、性格と素行が優れていたので、何度か孫権の子供の育成を任されたンだが、ひとりも育たなかった……とあってな」
Y「あんがい、自分でも殺してたンじゃないか?」
F「袁術の娘ならそれくらいやりかねない、と思わなくもないな。父や一族が滅亡した原因の一端は孫策にある。孫家に保護され孫権の寵愛を受けたとはいえ、含むものがあるあまりひっそり孫権の子を始末し、自分でも孕まないよう気を遣っていた……と」
A「悪女、というのはちょっと違うのかな」
F「四世三公の袁家の誇りを守るためひっそりと努力した、という表現だろうか。孫魯班のような女もいれば、こんな女性も当時にはいた、というオハナシ」
A「親に似たのか似なかったのか……」
F「続きは次回の講釈で」