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私釈三国志 153 木牛流馬

F「アンケートで、当時の性風俗事情が知りたいというのをもらっているンだが、実はこれが難しい」
Y「だろうな」
F「いや、ネタはあるンだ。問題は、読者に未成年もいるってこと。下はたぶん中学生だから、さすがにそんなモン読ませていいのかと躊躇ってしまって」
Y「実体験からその辺りをわきまえたのはいいが、何でトシが判るンだ?」
F「アンケートの1番。いちおう、日本国内で手に入る『三国志もの』には、ある程度以上の情報をもっているつもりだ。これにどう応えたかで、年齢層はだいたい把握できる」
Y「……相変わらず裏の裏の裏の裏を読んでいるのはともかく、中学生にこんなモン読ませるのを問題視すべきかね」
F「若いうちに読んじゃいかんのは水滸伝の方だよ、革命意識を持っちゃいかんぞって。年を取ってから三国志を読むと、悪いことを企む老人になるぞって警句もあるな」
Y「そんな警句を気にもしない奴がここにひとり」
F「それが誰なのかはシベリアの彼方に放り投げて。中井様から、蜀の桟道はどんなものだったのかと疑問を提示されている。ひとがすれ違えるほど広かったのか、と……えーっと、許可をもらっているンでその辺り、引用しよう」」

ところで、衝車や井欄は構造も理屈も分かるのですが、木牛と流馬って、どうなっていたんですかねえ。
あの話が逸れて構造まで到達しなかったのが残念でなりません。
当時の蜀の桟道の構造がどうなのかは分からないのですが、人がすれ違えるほど広かったのでしょうか?
桟道を効率的に物資を運ぶための道具ならば、行きだけではなく、帰りの事も考えていたのですよね?

F「聞いたか泰永、残念だそうだ」
Y「やかましいわ。……はともかく、現物、現存してなかったか?」
F「桟道の跡そのものは残っていたンだが、それこそ先週それ目当てに買った週刊文春で、加来耕三氏が『日本人が見たがるので、どんどん作られて』いるのを暴露していたな」
Y「商売上手なのか、アホなのか」
F「ちょっと爆弾発言しよう。基本的には上下にふたつ作られ、徒歩のひとは上段の細い桟道を歩き、牛馬や荷車は下の広めの桟道を進んでいたらしい」
Y「二段構造?」
F「知らなかっただろ。まぁ、軍隊も進行するときは下の桟道を進んだだろうね。さすがに万単位の人数が乗ることは想定していなかっただろうから」
Y「……だろうな」
F「二段の桟道だが、上の歩行者道でひとがすれ違えたのはたぶん事実だ。今でも自分より大きいくらいの荷物を平気で背負って歩くのが漢民族だから、ある程度の幅がないと歩けない」
Y「いや、歩行者道はいい。問題は下の車道だろう。車がすれ違えるだけの幅があったのか?」
F「泰永、考え方が逆だ。車の幅は道幅の半分を超えちゃいけない」
Y「は?」
F「それくらいないと道路として成立しない。たとえばキツキツの道路を荷車が十台、列になって進んでいたとする。前から3台めが故障したらどうなる?」
Y「後ろ7台は立ち往生するな」
F「そゆこと。すれ違う以前で、故障した前の車を追い抜けないと、道路としての利便性に欠けるンだよ。ために、車の幅は最大でも道路幅の半分までだ。でないと渋滞が起こる」
Y「いや、理屈では判るが、孔明にそんな近代的な発想ができるか?」
F「孔明さんより前だよ。始皇帝が轍の幅を統一したのを忘れたか? 轍の幅が統一されていれば、道路幅はその倍以上に設計すればいい」
Y「……蜀の桟道は、その当時からのものをメンテナンスして使っていたか」
F「60年代と150年代に改修・補修されている。漢中から北への道に関しても、232年に斜谷道を(魏が)修築した記念の碑文も残っていたな。2年後に孔明さんがその道を通ったのには、そんな理由もあってな」
Y「自分で工事しろよ」
F「ここで木牛と流馬だが、128回でお前らに無言の反対をされたため、構造について触れることができなかった。が、木牛・流馬の大きい方の約2倍が、桟道の幅だと逆算できるワケだ。しかも、都合よく陳寿は『諸葛亮集』という著作の中に、木牛と流馬の製造工程を残していた。……のだが」
Y「のだが?」
F「この件に関して、正史と演義の訳者がどう考えているのかを引用してみる」

正史(ちくま学芸文庫版:井波律子訳 蜀書164ページ)
 流馬の寸法が詳細に述べられるが、その構造、術語などよくわからない。残念ながら省略せざるをえない。
演義(角川文庫版:村上知行訳 5巻113ページ)
 孔明の木牛・流馬はたいへんに有名である。ただし、その形式も製法も伝わっていない。(中略)この部分の原文は理解も翻訳もできず、ただ省約された訳文により、からくりのイメージを描いていただくほかはないようである。

Y「? おい、訳者がそろって『こんなん知らん』とサジ投げてるぞ」
F「うん、原文を見る分にはずいぶん難解でね。というか、木牛は構造は詳しく書いてあるけどサイズが書かれておらず、流馬はサイズは書いてあるけど各パーツの結合性がよく判らん。しかも、正直、読んでて投げ出したくなったくらい、どう訳していいのか判らん記述が続いている。……えーっと、もの凄く乱暴に翻訳すると、こんな具合になる」

「木牛は、全体的に牛のかたちに似せていて、ひとつの車輪の左右に四角いコンテナを搭載している。このコンテナの下には四つの添木がある。湾曲した頭部をもち、舌が腹部につくまで収納可能。たくさん積めるが移動速度は遅く、大量の物資を運ぶのには向くが少量のものを運ぶのには向かない。二本のハンドルをつかんで60センチ歩けば、車輪は4回転する。慣れれば一日数十里、まぁ二十里は行けるだろう。1年分の食糧を運んでも労苦とならない」
「流馬は、ふたつのコンテナを連結し、左右に車輪をつけたもの。コンテナの外側にはカバーがかけられ、中には兵士23人分の食糧を搭載できる。前後にハンドルが伸びていて、四本の脚をもつ」

Y「それなりに、どんなものか伝わってきている気はするが」
F「何とか意味が通じるように、苦心したからねェ……。日本語版の正史ではカットされた流馬の寸尺と演義に記述されているものは一致しているので、羅貫中はその辺りをそのまま採用したことになるが、渡辺精一氏曰く『はたしてまともな物体ができあがるかどうかは疑問である』とのこと。なお、『原文は出されても読めない』とも云われているので、その辺を引用するのはやめておきます」
Y「丁寧に翻訳するとどうなる」
F「はいっ、蜀漢テレビショッピングのお時間がやってまいりました! 本日お勧めするのは、我らが熱血宰相・諸葛孔明様が設計した万能輸送用具、木牛!」
Y「ナニを云いだした!?」
F「こちらは一輪の輸送車、車輪の左右にコンテナを搭載しております! 全体的に牛のかたちに似せておりまして、湾曲した頭部は舌が腹部につくまで収納可能! 移動速度は遅いものの大量の物資を輸送するのには持ってこい! 二本のハンドルをつかんで歩くだけ! アナタが60センチ歩くだけで、車輪は4回転! コンテナの下に添え木が何と4本もついておりますので、疲れて休む時でも車体がひっくり返るおそれはナシ! 慣れないうちでも一日で二十里、慣れれば数十里の行程を、1年分の食糧を積んで歩いても苦にはなりません! ……というところか」
Y「何もかも無視するが、桟道の幅が計算できないじゃないか」
F「あたりまえのことを大げさに力説するのがポイントだそうだ。当時の暦通り、1年を360日、1ヶ月を30日で計算し、一年間に必要な食糧を36斛として両者の積載量を比べると、木牛360(『1年分の食糧』を運べる)に対し流馬は23(原文『二斛三斗』)になる。コンテナはいずれもふたつなので、木牛のが大きいと考えていいだろう」
Y「流馬は、木牛を改良したンじゃなかったか?」
F「木牛の説明にある通り、少量のものを早く運ぶのには、流馬のが便利なんだ。木牛の欠点である機動性を補えているからね。その流馬のコンテナひとつ分の積載量を12(正確には11.5)とすると、木牛のコンテナは積載量180となる。流馬側コンテナのサイズは記載されているので比率から計算して、木牛コンテナの幅はだいたい200センチくらい。車輪のサイズも考慮して、木牛の横幅は420センチと推定できる(流馬は90センチくらい)」
Y「となると、桟道の幅は8メートル超えるくらいか? 一般道並みの広さはあったことになるな」
F「そんなところじゃないかと思う。えーっと、木牛の構造で注目すべきは、頭部が収納できることかな。おそらく、ハンドルと頭部で木牛同士を連結させることが可能なんだろう。さらに、コンテナの下に足があるので、転ぶ恐れもない」
Y「改良型ということで、流馬にもその辺りは受け継がれていて?」
F「左右に車軸で連結していたコンテナを、縦に並べ変えることでさらにつなぎやすくした……という見方もできる。技術者としての孔明が優れていたのが判るな」
Y「設計した孔明か製造した蒲元かは知らんが、国力の劣勢を小手先の技術で覆すようなことはできなかったから、究極的には負けていたンだろうが」
F「手厳しいがその通りだな。ところで、今回は割と大きな問題を孕んだ講釈でな」
Y「何だ?」
F「今回、ここまで続けてきた木牛・流馬についての講釈には、『僕の翻訳が正しければ』という薄弱極まりない前提条件があるンだな、コレが」
Y「……ツッコんでいいのか悪いのか、俺には判らん」
F「続きは次回の講釈で」

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