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私釈三国志 147 仲権出奔

F「えーっと、予定では落としてきたイベントを拾うつもりだったンだけど、まだ時系列でオハナシを続けることにしました」
A「ナニを企んでるのさ……」
F「だって、気づけばもうすぐ150回だぞ。さすがに大きいのをぶつけないといかん……と思ったら、もってこいのネタがあった。そんなワケで、150回『大帝崩御』までは時系列で続ける」
A「……誰?」
Y「笑うべきか孫権だ」
A「……ねェ、素直に『孫権仲謀』を温存しておくべきだったンじゃない?」
F「それはそれで抵抗があったンだよ……。ともあれ、今回の講釈に入るよー。王淩の叛乱から2年前に、夏侯覇が蜀へと逃亡している」
A「時系列じゃないだろ!」
F「状況からしてそうせざるを得なくてな。曹爽がしなかったことと王淩がしようとしたことの類似性は、続けて見ないと見落とすかもしれん。そして、そのふたつを鎮圧したのが、魏に対する仲達最期の御奉公だった」
Y「必然的に連続していないといかんワケか」
F「加えて、正史での夏侯覇の扱いが微妙でな。突然ですが、ここで問題です。夏侯覇の伝は次のどれに収録されているか答えなさいA 諸夏侯曹伝(魏書) B 王毌丘諸葛ケ鍾伝(魏書) C 蜀書
A「C?」
Y「Aだ」
F「正解は、いずれにもありません。確かに諸夏侯曹伝で、夏侯淵伝の注には引かれているものの、陳寿はこの男の伝を直接立てることはしていないンだな、コレが」
Y「……云われてみれば注の魏略だったか」
A「扱い非道くない?」
F「なぜそんな扱いだったのか……は、とりあえずさておいて、その経歴についてちゃんと見た方がいいか。えーっと、夏侯覇、字を仲権……で判るように次男だ。夏侯淵の子だが、演義では長男がいなくなっていて、ついでに三男と五男(栄ちゃん、69回参照)がすでに死んでいて出ないモンだから、長男扱いされている(明記はないが)」
A「何人兄弟よ?」
F「確認できる分では7人。演義での初登場は234年、第五次北伐の迎撃に向かうことになった仲達が『先鋒として使いたい』と曹叡に奏上してのこと」
A「あぁ、覚えてる。曹叡が『また、夏侯楙みたいな奴じゃないでしょうね?』って疑念を抱くシーンだろ」
Y「夏侯楙は期待を裏切ったが、夏侯覇は魏そのものを裏切るという伏線かね」
F「あれ……? 当時、云わなかったか? 演義での夏侯楙は、夏侯淵の息子だぞ」
Y「……は?」
F「正史では夏侯惇の実子だが、子供がいなかった夏侯惇の養子になっている、という設定なんだ。大口叩いて出陣したにも関わらずボロ負けして、結局帰ってこなかった兄がいては、弟の才を疑問視しても仕方なかろう」
A「気持ちと理屈は判る……」
Y「巧妙に、人間関係を操作していたということか」
F「さすがは羅貫中、といった具合でな。デビュー戦では王平・張嶷を乱戦で破り、1万からの兵を討っている。その後はあまり活躍しないが、延命の祈祷をしている孔明のところに、魏延が踏み込む直接の原因を作ったのがコイツの夜襲だ。また、死せる孔明から逃げた生ける仲達の馬を取り抑え『ワシの首級はあるのか、ないのか!?』と錯乱する仲達に『首級はあります! 蜀軍も逃げました!』と応えたのもこのヒト」
A「トリックスターな役割が目立つな」
F「正史(の注)での初陣はちょっと早い。夏侯淵が討ち死にしたのを根に持っていて、蜀に攻め入りたいと考えていたとあり、230年の曹真逆撃戦で、曹真本隊の先鋒に召されている。魏軍は長雨のせいで退却しているンだが、さすがに攻め入ってきた先鋒を放ってはおけなかったようで、蜀軍は夏侯覇と戦火を交え、夏侯覇自ら奮戦する事態に陥ったとある。本隊が到着して危機を脱したが」
A「ちゃんとした戦闘もあったンだ、あの侵攻戦」
F「そりゃ、孔明が雨乞いの踊りをしている間は、足止めしないといかんだろうよ」
A「実体験からは離れろ!」
Y「というか、雨乞いをやめろ」
F「演義ではきちんと風雨を操っているじゃないか。ともあれ、その後は征蜀護軍(将軍)となり、郭淮の下で姜維と戦ったりしたのは何回か前で見たな」
Y「正史での方が、ある程度の働きを見せているンだな」
F「そゆこと。で、話を249年当時に戻すが、この頃祁山にあって魏の西方軍を率いていたのが夏侯玄でな」
A「……負けなかったか?」
F「負けたものの解任されなかったようで、そのまま征西将軍として留まっていたらしい。夏侯尚は夏侯淵の親族なので、息子同士も親戚関係にある。ところが夏侯玄は曹真の姉妹(明記がない)の子だったので、曹爽のいとこに当たる」
A「派閥で云うなら完全な曹爽派だね」
F「その辺りも、曹叡に退けられながらもその死後に昇進できた理由だからねェ。本人もずいぶん才気走っていて、行政について諮問された折には、簡単に要約すると、仲達が『君の云っていることを実行すれば政治の問題は解決するが、これらを実行するのはワシにもできん』と嘆いた回答をしている」
A「ずいぶんな切れ者だな……」
F「しかも、嘆いた仲達に、ことさらに要約すると『やりましょうか?』と云い放っててな。244年の漢中戦役に、曹爽に引っぱられて従軍していたところに、仲達が『お前、どーすんの?』と心配する書状を送ったように、仲達は夏侯玄を高く評価していたと云える」
Y「あの当時は、まだ司馬懿と曹爽の仲も険悪ではなかったからなぁ」
F「で、以後249年まで、蜀への抑えを張っていた。といっても、軍事実務は郭淮や夏侯覇が担当して、行政・軍政を自分で見ていた、というところだろうけど」
A「政才はともかく軍才はなさそうだモンねェ」
F「さて、249年に曹爽一派が誅殺されると、夏侯玄のところに朝廷から召喚命令が来た」
Y「俺なら逃げるな」
F「夏侯覇もそう考えた。曹爽が処断され、夏侯玄が朝廷に召されては、自分もどんな扱いを受けるか判ったモンではない、と。しかも、夏侯玄の後任は(もちろん)郭淮だったンだが、なぜか夏侯覇と仲が悪いとあって」
A「あ、そーなん?」
F「うん、そんな素振りは何もなかったのに、この場面では『以前から仲が悪かった』となっているンだ。本人同士の仲が悪くても敵にあたる場合に団結するのは、何十年か前に張遼と楽進・李典が見せているが、思えばあの時もなんかとーとつに『仲が悪かった』とあって不思議だったな」
Y「云われてみれば李典伝に『平素から仲が悪かった』としかないのか」
F「張遼伝・楽進伝にはそれっぽい記述はない。そっちは、曹操の旗揚げ当時から従っていたふたりが、武勇は確かとはいえ寝返り組の下につけられたのが不満だった、と考えられるが、郭淮と夏侯覇の関係となるとまるで判ら……ん?」
A「……なんか受信したね」
Y「シベリアから雪の女王が寒波を送ってきたか」
F「郭淮……夏侯覇……夏侯淵。見えた……かな。ちょっと待ってろ」
(確認中……確認中……確認中……発見)
F「夏侯淵が戦死した折に、漢中方面軍の指揮権を『国家の名将である張将軍でなければ、この難局は乗り切れん!』と張郃に引き継がせたのが、参謀だった郭淮だ。しかも、郭淮本人は『病気のため』その戦闘に参加していない」
A「……夏侯淵では劉備の相手は務まらないと判断して、見捨てたようにも見えるね」
Y「看破というにはちと弱い気もするが、無視はできんな。当時、夏侯覇はいくつだ?」
F「年齢の明記はないなぁ。でも、栄ちゃんで13歳ならひとりの武将として扱われる年代だったことになる。それをさしおいて、これまた外様の武将に指揮権を引き継がせては、本人が面白くなくてもまぁ無理はないな」
A「あのショタ武将が、ここで響いてくるとはなぁ」
F「オレもネタで出したのに、こんな関連付けができるとは思わなかった。ともかく、夏侯覇と郭淮の関係は、あまりよろしくなかったのが推測できる……な」
A「……理屈はともかく気持ちは判った」
F「ともあれ、夏侯玄が洛陽に召されると、夏侯覇は危機感を抱いた。もともと、公にはともかく個人的に仲が悪かった郭淮が上役では、もうやってらんないとでも考え、最低の決断をする。――蜀への逃亡だ」
A「まぁ、やっちゃならんか」
F「包囲されて進退行き詰まりやむなく降伏するならまだしも、自分の命可愛さに敵国に走るのは、ちょっと武将としてやっちゃならんことだと云わざるを得ない。その辺りをやわらげようと、演義では郭淮相手に一戦かまして負け、進退行き詰まるのを演出しているが、正史の注では不安に駆られるあまり蜀に走っている」
A「でも、無理もないンじゃないか? 周りがバタバタと処刑されたら、不安になるのも……」
F「あぁ、こっちは確かに云い忘れたな。夏侯玄は、朝廷に召されたものの害は加えられてないぞ。むしろ外務大臣相当の要職につけられ、石高で云えば2倍近いもの(比二千石→中二千石)を得ている」
A「……何で?」
F「割と単純な理由だ。曹爽一派に朝廷の要職は独占されていたンだぞ。それがそっくりいなくなって、人事に空きができたンだよ。ために、西方で慣れない軍務についていた行政のエキスパートを召しだした、というのが実情っぽい」
Y「……まぁ、そんなところにそのレベルの行政官を置いておくのは、人材資源のムダ遣いだな」
F「次回触れるが、後漢時代に賈詡がやったような『能力はあっても高い役職にはない』というのを、魏では許さなかった傾向があってな(逆の『能力はないのに高い役職にいる』は黙認されていた。古今東西のあらゆる政府と同じように)。数年後には太常という、宮廷の祭祀・儀礼担当官の最高位に昇進しているンだ。これをして本人は『曹爽との関係を理由に抑圧されていた』と考えていたが、僕には誤解としか思えない」
A「司馬懿か誰かは知らないけど、露骨に気を遣ってるのが伝わってくるな」
Y「それとは知らずに、夏侯覇は蜀に走った?」
F「うむ。当初、夏侯玄もそんな扱いを受けるとは思わなかったようで、夏侯覇から『一緒に逃げよう!』と誘われても『生きながらえて蜀に降るなどできん!』と張魯や龐徳のようなことを云って、潔く召喚に応じている。その辺りがふたりの今生の別れだったようで、夏侯覇は誤解したまま出奔した。気をつけよう、確かめてからの救急車」
A「考えが足りなかったのね」
F「それなりに計算はできる男なんだけどなぁ。何しろ、蜀の皇后(劉禅の正室)は、夏侯覇の血縁者だ」
A「……あぁ、そういえばそうか」
F「張飛の妻は夏侯覇のいとこなんだ。何でそんなことになっているのかは番外編1で触れたが、要約すると張飛がミーハーなロリコンだったということでな」
A「だから、もう少し要約の手を緩めてください!」
Y「割増講釈1回分をひと言にまとめやがるのが、この雪男の悪い特技だからなぁ。で、繰り返すのか? お前に直接会いに来た奇特な読者が『こんな張飛は見たくなかった』と云っていた講釈を」
F「中井様からも人格面の観察が足りない趣旨の感想をもらっているので、その辺はスルーしよう。ともかく、張飛の妻の産んだ娘、夏侯覇から見ればいとこの子にあたる女性が皇后になっていたのは、『攻め入りたいと考えていた』蜀に投降した原因の筆頭に挙げていいだろうね」
A「受け入れたンだ?」
F「受け入れたどころか、夏侯覇が出奔したと聞いた蜀では、ひとを出して迎えさせている。魏の西方軍に属していた姜維は、この辺りの事情を把握していたようでな」
Y「知っていてもおかしくないだろうな」
F「ところが、コレは劉禅が指示したことではなかったらしい。成都で夏侯覇と会見した劉禅は慌てて『お前の父は乱戦の中で死んだのであって、ボクの父が手にかけたンじゃありませんからね!』と叫び、自分の子供を指さして『アレはほら、君の甥っ子にあたります!』と狼狽している」
A「……どーにもコイツは情けなくていかんね」
F「というわけで、と云っていいだろう。夏侯覇は手厚い爵位と恩寵を賜っている」
Y「判りやすいは判りやすいな、劉禅の態度は」
F「ただ、蜀の諸将……今まで実際に戦ってきた面子にしてみれば、コレはちょっと認められたモンじゃない。たとえば張嶷は、夏侯覇から親交を求められても『いやー、どうなんでしょうねェ』と距離を置く返事をしている」
A「姜維は受け入れたンだろ?」
Y「アレだって寝返り組だろうが。王平(248年死去)もそうだが、孔明の死後、蜀軍は魏から投降した武将に支えられていたという笑えない事実がある」
A「……むしろ泣きたい」
F「まぁ、事実だがな。そんなこんなで、『諸夏侯曹伝』『王毌丘諸葛ケ鍾伝(叛臣列伝)』『蜀書』のいずれにエントリーされてもおかしくない夏侯覇は、その死後に、どこにも個別の伝を立てられなかった。蜀で生まれ魏に降り晋に仕えた陳寿がそんな扱いをしても、無理はないと云える」
A「気持ちと理屈は判る……」
F「さて、夏侯覇の投降を受けた姜維は、単純なことを思いつく。魏で曹爽一派が処刑され、夏侯玄が洛陽に召喚され、夏侯覇が蜀に降ったなら、魏西方の守りは薄くなっているのではなかろうか、と」
Y「考えの方向性としては間違いではないな。魏軍のメイン級がそっくり抜けたワケだし」
F「孫権が人生を賭けて繰り返している火事場泥棒と、同じことを考えたンだね。ただし、以前触れた通り、費禕は姜維を高く評価していないのと、保守的な性格だったので、出兵には否定的だった。今回に限らず、根本的に」
A「上役に恵まれなかったのが、この時期の姜維の不幸だね」
F「まぁ、費禕には費禕の戦略があってのことだから、どちらが悪いとは一概には云えない。演義では『蒋琬・董允が相次いで亡くなり、内政に人を欠いているのに、出兵などとんでもない』とか『あらゆる面で亡き丞相に及ばぬ我らが、どうして中原を盗れようか』と発言している。正史でも2番めの台詞は見えるな」
A「正論ではあるンだよねェ……」
F「対して姜維は『私は長らく隴西にいて、羌人の気質はよく知っている。彼らと連合して友軍とすれば、隴から西を魏から奪うことができる!』と、正史の本文にも引かれている返事をしている」
A「コレはコレで正しいしなぁ」
Y「善悪で云うなら両方悪だ、というのがあるンじゃなかったか?」
F「あるが、今回には当てはまらない。結局劉禅が認可したのは、姜維の強硬論だった。というわけで249年秋、姜維は雍州へと攻め入った。先鋒として句安・李歆を麹山に送り、堅固な砦をふたつ築かせる」
A「迎撃には郭淮が?」
F「もちろん、と云っていいな。副将として陳泰……亡き陳羣の息子が従軍しているが、この一戦はほとんど陳泰の計略通りに進んだ感がある。蜀軍は、句安らが砦をしっかり固め、羌人を動員して諸郡に攻撃をしかけた。そこで陳泰、麹山を包囲すると輸送を断ち、水も手に入らないよう手を回している」
Y「街亭と同じことをしでかしたワケか。あの時も、山上に陣を構えて水を断たれ、馬謖は全滅しかけたが」
F「麹山というのは、簡単に云うと魏と蜀の国境に位置する山でな。前線基地としてそこに砦を築いたのはいいが、姜維本隊は西に移動し、羌人と合流していたようなので、砦周辺が手薄になったンだ」
A「何でそんなことしてるのさ……」
F「ことの原因を探すなら、やはり兵数不足だろう。費禕のせいで1万しかいなかった蜀軍は、羌人と合流して兵数を増強する必要があった。守りを固めるなら誰にでもできるが、羌人を動かすのは自分にしかできない……というのが、姜維が自ら出兵した理由のひとつだから」
A「考えとしては正しいのか」
Y「というか、仕方ないな、そうするしか」
F「ところが、陳泰はその辺りの発想を見抜いていた。麹山は堅固だが、輸送と水路を断ってしまえば蜀軍は飢えて死ぬ。羌人は姜維に心服していないから、戦況が覆れば自然と魏に帰参するだろう……と。実際のところ、魏に否定的な西羌は247年から248年にかけての叛乱と鎮圧で、ほとんど雍州には残っていなかった公算が高い。それも、叛乱が勃発した原因は、曹爽に戦争に駆り出されたからだ」
Y「前は輸送要員だったが、今度は実際の戦闘に参加させられたら、まぁ嫌になるだろうな」
F「というわけで、ひとまず姜維本隊や西羌は放置し、魏軍は麹山に専念した。郭淮は後方で指揮を執りながら蜀軍が東に向かってきた時の抑えになり、陳泰・徐質・ケ艾らが麹山を包囲する。これによって蜀軍の補給は途絶え、水も確保できなくなった。句安は何とか血路を切り開こうとしたものの、魏軍は守りをかためて相手をしない」
A「いま、さりげなくビッグネームが加わってなかったか?」
F「困窮した蜀軍は、おりしも降った雪を溶かして生米を煮炊きし、飢えをしのいだとある。演義では李歆が、命がけで包囲を突破し姜維のところに駆け込んだが、正史ではそんな真似ができたという記述はない。とにかく、かなり悪いタイミングで姜維本隊が麹山に到着した」
A「陳泰でも、放っておけずに迎撃に出る?」
F「いや、基本的には専守防衛一辺倒。麹山には他の武将を残し、自部隊で姜維の足止めに回った。その上で、郭淮に動くよう使者を出す」
Y「魏の本隊も動いたか」
F「郭淮本隊の狙いは明らかだった。姜維も麹山もほったらかして牛頭山へ向かい、蜀軍の退路を断とうとしたのね。麹山が包囲されている状態で牛頭山まで陥落たら、武都方面への退路を断たれることになる」
A「……あぁ。長安や祁山じゃなくて、もう少し西で戦闘していたのか」
F「姜維本人が云った通り、この戦闘の目的は中原回復ではなく、隴西方面の獲得にあるからね。でも、陳泰がしっかり守りを固めてつけいる隙を見せず、郭淮が退路を侵したモンだから、姜維は戦闘継続を断念した。武都に向かって退却している。孤立無援となった麹山の句安・李歆は降伏し、蜀軍はまたしても勝利を得ることができなかった」
A「陳羣の息子が、どうしてこんなに切れ者なんだ……? ほとんどアイツひとりに負けたようなモンじゃないか」
F「というか、負けた。郝昭のときに云った通り、雑号レベルの武将にも智勇が備わっているのが魏の強さだ。夏侯玄や夏侯覇が抜けた"くらい"の穴は、すぐにでも埋められるンだよ。費禕と姜維の戦略に優劣を求めるのは難しいが、今回で云うなら姜維のが悪かったと云わざるを得ない」
A「夏侯覇級の武将でも、いくらでもいる……か」
F「魏と蜀の人材層には、根本的な格差があったのは歴然たる事実だ。その差を埋めるべく、姜維は智略の限りを尽くすことになるが、それはまだ数年先のことになる。ところで……」
A「はい、なんですか!? しみじみしたら終わってくれると嬉しいな!」
F「さっき云った通り、演義で夏侯覇は、郭淮と一戦交えて敗れ、そのあとで蜀に逃亡している。孔明の死後30年以上を1冊にまとめている横山三国志で、この時郭淮が云い放つ台詞がまた凄くて」

『夏侯覇よ、戦とはこうやってやるものだ。孔明と戦い鍛えに鍛えられた我が軍に、勝てると思ったか!』

F「例によって暗誦だが、おおむねこんな台詞だったと記憶している」
A「60巻暗記するなって云ってンだろ!」
F「問題はそこじゃない。孔明の死から15年経っているのを、あの横山氏が気づいていなかったとしか思えない台詞だということだよ。五丈原で孔明が死んでからそれだけ経っているのに、どうしてそれが自慢になるのかとむしろ不思議で」
A「……思うなよ、そんなこと」
Y「それにしても、いつぞやの孫礼との会話でも思ったが、横山三国志の郭淮は孔明をどこまで評価してるンだ?」
F「その辺りが、横山氏の本音なんだろうね」
A「まぁ、あのヒトの孔明好きは読んでて明らかだモンねェ……」
F「続きは次回の講釈で」

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