私釈三国志 136 曹爽台頭
F「では、時系列の流れに立ち戻る」
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A「このまま二宮の変まで見てもよかったンじゃないかな」
F「いや、そうもいかんだろう。魏朝二代・明帝曹叡が崩御したのは239年の正月元旦だが、二宮の変が幕を開ける241年までに、魏でも呉でも蜀でもある程度のイベントが起こっている。それを見ないワケにはいかんのだよ」
A「素直に思うンだけど、この辺の馴染み薄い年代を講釈していると、お客さん減るよね」
F「人生マイペースでいこう。さて、曹叡について、正史に記述されている享年が変(演義のはもっと変)なのは先に見ている」
Y「生年が不詳だからなぁ」
F「種が曹丕ならな」
A「……やけにその点にこだわるね?」
F「子供の父親なんて母親にも判らないモンだ。陳寿もそう云いたくてああ書いたのかもしれない……とはこっそり思うが、それはともかく。僕は、200年以降に生まれた武将を第二世代に分類している。つまり、官渡の戦いに勝利したことで、曹操の天下への優位性が確立したあとの生まれ、ということだが」
A「優位性であって、覇権ではない?」
F「まだまだ天下は収まる気配を見せなかったからな。董卓によって事実上漢王朝が幕引きされ、各地の群雄が覇を競っていた時代から、曹操・袁紹の二強が激突し、ある程度の整理がなされたのが200年、と考えているンだ」
A「でも、袁家が滅んだのって207年だよね?」
F「厳密には202年で切るべきなんだろうな。袁家の滅亡は袁譚・袁尚の内輪揉めによる自滅に近いンだから、袁紹さえ生きていればそれは先延ばしできたはずだ。袁紹の死によって袁家が天下を盗れる可能性が亡くなり、曹操は他群雄から先に踏み出せた。……が、判りやすさ優先で200年と考える」
A「その後も袁家や孫権や馬超や劉備に不覚を取り続けたのを考えると、ほんの一歩くらいの差かな」
Y「結果で云えば劉表・劉璋はもちろん、劉備や孫権でもその一歩の差を埋めることはできなかったようだがな」
F「その辺の時代だと喰いつきがいいな、お前ら……。とりあえず、事態を確認するが、第一世代の仲達(この年還暦!)が、自分より若い第二世代の曹叡を看取った悲劇は134回で見た。……が、状況を知らないヒトが見ても変だと思うような箇所がある」
A「?」
Y「曹芳と曹詢の年齢だ」
A「あ、そーそー。アキラもそれ気になってたンだ〜、弟のが後継指名されたンだな、って」
F「入れ知恵はしないように……まぁ、そういうことだ。完全にスルーしていたが、曹叡の子は名を曹殷と云ったが、231年に生まれたのに13ヶ月後に死んでいる。そこで、縁戚の曹芳・曹詢を養子にして皇子とした」
A「誰の子なんだ?」
F「ぶっちゃけ、不明だ。正史には『宮中のことがらは国家機密に属するので、ふたりの出自は誰も知らなかった』とある。いちおう注では『任城王曹楷の子とも云われる』とはあるが」
A「………………」
Y「お前な。……曹彰の子だったか?」
F「任城王と云っているからには、曹仁の子(にも同名の者がいる)ではないと思う。ただ、これはこれで信憑性としてはどうなんだろう、とも思うけど」
A「薄い?」
F「曹操が死んだ途端、曹彰は『父は植を後継とし俺に補佐せよと命じられた!』と称して、兵を率いて上洛し玉璽を求めたンだぞ。魏の宮廷には『曹丕対曹植・曹彰』という対立構造があったのに、わざわざ敵性勢力に天下を譲渡する理由があるか?」
A「……曹叡にはなさそうだねェ」
F「何しろ、件の曹植が死んだのが実に232年だ。同じ年に皇子を亡くした曹叡が、曹彰の子から養子を得るとは考えられない。曹丕から『献帝を大事にしろ』とともに『曹植は絶対に許すな』みたいな遺言が出ていたであろうことは以前に触れたが、曹彰は曹彰で疎んじられていたンだから」
A「息子の態度が変わっていなかったら……考えにくいね」
F「そして、態度が変わっていたにしても考えにくいのを証明する事例がある。以前、朱元璋の四男・朱隷(燕王、のちの永楽帝)が皇帝たる兄の子(建文帝)を討ったのをさらっと挙げたが、朱元璋がなぜ朱隷を後継者にしなかったのか、といえば理由は割と簡単。四男だったからだ」
Y「簡単すぎんか?」
F「四男が天下の主になったら、その兄ふたり(長男は故人)をどう扱えばいい? モンゴル統治時代が長かったとはいえ、儒教において兄は弟より上にある。ために、朱隷を帝位につけるのには問題がある、とされたンだ。というわけで建文帝は、朱隷を含めて叔父全員を殺そうとし、次男・三男はホントに殺した」
A「そして朱隷は建文帝を討ち、永楽帝に即位した……か。肝心の曹楷本人は?」
F「239年現在、厄介なことに存命中だ。しかも、235年にボケかまして封地を二千戸削られている。養子に迎えたら別の家の子、という考え方もできなくはないが、曹彰も曹楷も問題児では、本人も周りも何かと問題視するだろう」
A「……人間関係で考えると、曹楷の子というのはありえないのか」
F「というわけで、曹芳の出自は不明。あろうことか235年に斉王に立てられるまで、何の記録もない。ただ、曹叡の後継者として認められたという一点で考えると、皇族ないし親族の出だろうとは思う。それでも皇太子となったのは、曹叡が重体になってから」
A「周囲の反発があったンだろうね」
F「それもだが、曹叡自身がこんなタイミングで死ぬとは考えていなかったはずだ。205年の生まれとしても34歳、当時でもまだまだ働き盛りの年代だ。そのため、実子が生まれなかったときのための保険程度に考えて、縁戚から聡明そうな子供を養子に迎えていたンだろう」
A「女好きで手癖も悪い父や祖父に似て、精力は抜群だっただろうからねェ」
F「なお、曹操の男児は武文世王公伝(魏の部屋住み王子名簿)によれば25人」
Y「やかましい」
F「かくて、出自不明の曹芳・曹詢は曹叡の養子に納まり、たぶん実家の都合で曹芳が後継者となった。ちなみに、本人はともかく曹詢は、244年になすことなく世を去っている。死因・死の状況はいずれも不明」
A「……何だかなぁ」
F「さて、仲達とともに幼い曹芳の補佐(というか、お守り)を仰せつかったのが曹爽だが、また弟がボケる前に云っておこう。曹真の子だ」
A「大将軍の子かぁ。それなりの切れ者なんだよね?」
Y「夏侯楙の前例を忘れたか? 切れ者というよりは切れる参謀をもっていた、というのが実像だろうな」
F「何晏か……それもそうだが、この曹爽は、父の名を辱めないほどの切れ者だったと考えていいぞ」
A「それだと、大したことないように聞こえるンだけど」
F「演義の読みすぎだ、それは。……ここで確認しよう、魏の宮廷で行われていた権力抗争を」
Y「抗争?」
F「ことは曹丕の崩御までさかのぼる。このとき、曹丕の遺言で曹叡の補佐にあたったのが、曹真・曹休に陳羣・司馬仲達の4名。皇族と異性、地方の軍将と宮廷の文官、がそれぞれ2名ずつというバランスのとれた人事だったが、彼らとは別に鍾繇・華歆・王朗といった曹操時代からの重鎮も健在だった」
A「劉曄も、かな」
F「んー、この場合数に入れるべきか考えもの。曹丕存命中は、陳羣とどちらかが曹丕に従軍して残りは宮廷を守る、ということをしていた仲達の、個人としての初陣に等しいのが、瑾兄ちゃんの襄陽攻め(孫権の江夏攻めの別動隊)。この際に一緒に昇進したのが、曹真・曹休・陳羣・鍾繇・華歆・王朗で」
Y「劉曄は昇進はしなかったワケか」
F「董昭なんかもだが、この場面ではな。この辺りが、当時の宮廷での上位陣だったンだが、228年に王朗・曹休、230年に鍾繇、231年には華歆が死んでいる。この年には曹真そのひとも死んでいるけど、爵位は曹爽が継いだ」
A「えーっと、劉曄は234年、陳羣・董昭は236年に没……」
F「というわけで、236年12月24日の陳羣の死(董昭の死は5月13日)をもって、権威・権力で曹爽に対抗しうるのは仲達ただひとりしか残っていないンだ」
Y「……偶然と考えるには、あまりにも都合がよすぎるか」
A「いや、でも、それなら容疑者はもうひとりいない?」
F「誰が?」
A「司馬懿だよ!」
F「仲達が自身の権力奪取のために有力者たちを蹴散らすべく暗躍した、とは考えにくい。何しろ、曹叡が病に倒れた当時、仲達は百日離れた遼東にいた」
A「父にも劣らぬ倅ふたりが、洛陽に残っていたら?」
F「それもないと思う。たとえば長子の司馬師は、確かに近衛軍団たる中護軍の指揮官になっているが、この人事は曹芳の即位後だ。まだ宮廷にそれほどの影響力があったとは考えにくい。何より、曹叡が病に倒れたあとに起こった宮廷の政変劇に、仲達一家は完全に出遅れているンだから」
A「今度は何ー!?」
F「ここで関わってくるのが燕王の曹宇だ。曹操の息子(九男。ただし、演義では曹丕の子)ではあるが、幼い頃の曹叡と友好があったので、曹叡は彼を頼りにし、また手厚く扱っていた。220年に曹丕が即位してから、魏の都は洛陽にあったが、それまでの首都だった鄴を曹叡時代には預かっていた形跡さえある」
235年に召されて入朝し、237年に鄴に帰った。(正史燕王宇伝)
Y「魏の五大都市のひとつにして、先の王城をか……確かに、扱いが尋常ではないな」
F「238年の夏にもう一度宮廷に呼ばれ。12月には大将軍に任じられているほど、曹叡の信頼を受けていた。同じ燕王の公孫淵を討つのに毌丘倹・仲達が出張っていた辺り、軍才はなかったようだが」
A「で、この燕王が……?」
F「明帝の傍に侍っていたため、かの孫資でさえ寵愛を受け続けられるか不安になった、とある。彼はもともと重鎮というより曹叡の秘書に近い存在で、ちゃんとした権力者とは上手くいっていなかった。曹宇に夏侯献・曹爽・曹肇・秦朗だな」
A「? 秦朗って、死んでなかったか?」
F「えーっと……演義では故人だな。234年に戦死しているが、正史では、曹操に保護されて何晏とともに育てられたような記述がある。ただ、曹叡のお気に入りというだけで出世し財貨を集めた無能者、という立ち位置だが。また、夏侯献はこの一件でしか出てこないような人物なので、今ひとつ立ち位置は不明」
Y「この連中が、孫資と上手くいっていなくて?」
F「本人は、宮廷を曹宇に任せて身を引こうと考えていたようだが、相棒と呼ぶべき劉放(秦朗と仲が悪かった、と名指しされている張本人)が『お前も俺も釜ゆでになろうとしているのに、ンなこと云ってる場合か!』と孫資のケツを叩いたンだ。病に倒れていた曹叡の傍らから、曹宇が離れた隙を狙って、ふたりで曹叡のところに乗り込んだ」
A「何で離れたンだ?」
F「曹叡の息がかすかになったので、曹肇と相談していたらしい。ところが持ち直して曹爽だけが傍らにいるところに、劉放は乗り込み状況を一変させた」
『陛下は、親族を政治の中枢に据えるなとされた、先帝の詔勅をお忘れでございますか!』
Y「なるほど……これは事態が覆るな」
A「うん、この台詞だけで曹叡を翻意させるのに充分だね……」
F「曹肇が喰い下がったものの、曹宇は大将軍から解任され、曹肇・夏侯献・秦朗らとともに宮中から追放された。後任の大将軍には曹爽が任じられ、さらに仲達を呼び寄せて参与させるべし、ということになった」
A「……待て。何で、ここで曹爽が大将軍になるンだ? 親族は政治の中枢に据えるな、だろ?」
F「ヒトの話聞いてるか、アキラ? 何で曹爽が大将軍にならないンだ?」
Y「コイツの差し金だったと?」
F「そう考えるべきだろうな。先の功臣絶滅といい、今度の燕王失脚といい、あまりにも曹爽に都合よく事態が進展している。しかも、曹真・曹休没後は魏において最強の軍事力を有する仲達が、洛陽から遠く離れた遼東にいる間に、だ」
A「曹叡崩御に前後する政変・権力闘争に仲達は関わっておらず、曹爽が主導だった……」
F「"仲達は"と"関わって……"の間に(積極的には)とつけておいてくれ。手はシロいが関与が皆無だったとは云い切れない。単純にまとめると、こういう状況だったようでな」
曹宇派(曹宇+曹肇):対立:文官(劉放−孫資):結託:曹爽派(曹爽+司馬懿)
A「曹宇派と劉放の対立に、曹爽が便乗した?」
F「そゆこと。ただし、なぜ劉放が秦朗と仲が悪かったのかは不明(もともとうまくなかった、としか書かれていない)だが、曹爽にも曹肇と対立するのに充分な理由がある。曹爽は曹真の子で、曹肇は曹休の子なんだ」
A「曹一族内部での主導権争いか……」
F「もともと曹真と曹休とでは、生前から権勢に格差があった。曹肇はそれを覆そうと曹宇に接近し、それを警戒した曹爽は、劉放を利用して権力奪取に走った……と考えられる。劉放・孫資が曹爽と結託していた証拠に、曹芳即位の翌年(240年)、この両者には三公に次ぐ地位が贈られている」
A「その頃には、すでに実権は曹爽のものだった……な。判りやすい行賞人事で」
F「このあと、仲達も曹爽の専横に手も口も出なくなるのを考えると、やはり事態の黒幕は曹爽だと考えざるを得ないンだよ。ただし、曹爽にしても仲達の軍事力は侮れずまた心強いものだったので、ある程度以上の信頼と警戒を向けていた」
A「ために、名誉職にまつりあげることで実権を奪った……かな。司馬師が近衛軍を率いることになったのも、人質と考えられなくもないし」
Y「……夏侯楙と比べるのも失礼なくらいの謀略性能だな。ここまで来ると、曹叡の死すら疑わしく思えるが」
F「さすがにそこまでやったとは考えたくないが、可能性として低くはないと思うぞ。曹叡は、曹宇を上に曹爽・曹肇が両輪となって支え、仲達に孫資・劉放らの異性の家臣が仕えれば、魏は安泰だ……とか考えたのかもしれない。でも、有能な人材を集めれば集めただけ結果が出るとは限らないンだ」
A「人数を集めてもそれが仲違いしたら、数はむしろ問題になるか」
F「上に立つ者とは部下の人間関係を把握し、調整できなければならないが、お若い皇帝さんにはそれができなかったようでな。かくて、曹爽は天下の実権を握るに至った。コレを陰謀と呼ぶか天命と呼ぶか、あるいは偶然と呼ぶかは判断に任せる」
A「恐ろしい奴がいたモンだね……」
F「ところで、一連の謀略戦に出遅れた仲達が、この時点では動かなかった理由は割と明らかだ。幼い皇帝を気遣ってだろう」
A「……気遣うか?」
F「さすがに年長とはいえ曹操を亡くし、仲達より若い曹丕にも先立たれている。その曹丕から託された曹叡を支えることがかなわなかったのに、曹爽相手の権力抗争を見せつけるのは、3人の主を亡くし続けたおじいちゃんとして気が引けたンだろう」
A「年を取って丸くなるようなタイプか? アレが」
F「丸くなった、というのは少し違うと思うが……まぁ、それは次第に見ていこう。今回はここまで」
A「あいよ……頭使いすぎて疲れたよぅ」
Y「使ってたのか!?」
A「血相変えるほど驚くなよ!」
F「続きは次回の講釈で」
A「だから、アキラをフォローしてっ!」