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私釈三国志 135 呂壱騒動

F「まず、お詫びを。前回のラストで見た劉曄の曹叡評ですが、『前漢の孝武帝』は前漢七代の武帝本人です。正確には、孝武皇帝が諡号で、一般的には武帝と呼ばれている、というところですが」
A「あー。孝武帝やらいう皇帝が前漢にいるのかと聞き流してたのに」
F「……知らなかった読者の方がいたとはいえ、お前どうやら、番外編3に引き続いてお説教されたいようだな」
A「やぁ、そいつは勘弁だぜェ☆」
(ぺぺんぺんぺん)
F「物理ガードキルの研究はさておくが、アキラ、日本の国会情勢を面白く書く方法を知っているかい?」
Y「……いま、お前何をした?」
A「防げないって……えーっと、なに?」
F「そのまま書くのさ」
A「……お前のロシアンジョークは露骨に笑えん」
F「アネクドートと云ってもらおう。政治ネタで笑うのはロシアの国民芸だ」
A「いや、ロシアンジョークでいい」
F「その心は?」
A「寒い」
F「……『私釈』するか。孫権が暗君だと証明するいちばん手っ取り早い方法は、後半生をそのまま書くことだ」
Y「そこでつなげるのか」
A「まぁ、グウの音も出ませんがね。公孫淵の件といい、二宮の変といい、どうしても晩節を汚した感がある」
F「演義に採用されなかったせいかいまいち影が薄いものの、その二件に引けを取らぬ孫権の失敗が、呂壱に関する今回の一件なんだ。時系列という建前論で云うなら去年(238年)のことだが、劉邦が鯫生を信じことが鴻門の会を誘因したように、孫権は、呂壱を信望してとんでもない事態を引き起こしている」
A「だから並べンなってンだろーがね、この野郎は……」
F「とりあえず、事態をそのまま見てみる。宮廷の文書を監査する役職にあった呂壱が、この職権を悪用して、賄賂を集めたり無辜の者を投獄したり、重臣たちを誣告したりしていた。皇太子孫登らが呂壱を除くよう進言するンだけど、孫権はそれを受け入れない」
A「いつくらいのこと?」
F「年代の明記はないな。根拠はあとで見るが、早くても236年以降だ。この時代、呉の丞相は顧雍だったが、その顧雍まで軟禁状態になったほどでな。家臣たちが上奏をやめたのも無理はないだろう」
A「次は自分か……と怯えるワケか」
F「ただ、正史の端々に記載されているのは、呂壱の小役人ぶりと孫権の暗愚さでな」

1「呂壱の食客が法を犯したので、鄭冑はこの男を逮捕して投獄し、取り調べで殺した。それを根に持っていた呂壱は鄭冑を讒言したところ、孫権はこれを信じてしまい、鄭冑を召喚して処刑しようとする。潘濬・陳表がそろって命乞いしたので釈放された」
2「呂壱が刁嘉を誣告すると、孫権は刁嘉を投獄し、関係者を取り調べた。連座した者は呂壱を恐れて『刁嘉は国政を誹謗しました!』と証言したが、たったひとり是儀は聞いていないと突っぱねる。孫権はいきり立って是儀を責めるが、事実のみを口にして供述を変えず、結局是儀・刁嘉ともに許された」
3「呂壱は、朱拠が横領を働いたと考え、部下の役人を拷問の末殺した。朱拠がその部下を手厚く葬ると、呂壱は『アレは、白状せずに死んだから手厚く葬ったンですぜ』と奏上。信じた孫権は朱拠を詰問するが、一切弁明しなかった。ところが真相が発覚すると『朱拠が無実の罪を着せられるようでは、下々への害は想像に余りある』と、呂壱をついに処罰した」

A「……簡単にまとめると『呂壱にそう云われたので、孫権は鄭冑・刁嘉・朱拠を詰問した』ってこと?」
F「素直な本音を口にすると『何だこりゃ』ってところでな。しかも、呂壱の小役人ぶりはまだ終わらない」

4「呂壱が顧雍・朱拠を誣告したので、彼らは軟禁状態にあった。そこで謝厷が『顧雍が処分されたら、誰が後任となりますかな』と問い詰めると、呂壱は返事ができなかった。すかさず『潘濬が後継となるのでは?』と推すと、ややあって『そうなるだろう』と応える。すると謝厷は『潘濬は常々あなたに敵意を抱いていたが、外に出ていたから何もできなかった。もし丞相となられたら、即座にあなたに噛みつくでしょうな』と何が起こるのかほのめかす。震えあがった呂壱は、顧雍の件をうやむやにした」
5「潘濬は建業に出てくると、孫権が孫登の上奏をすら聞き入れなかったのを聞き、もはや強硬手段しかないと決断。百官を呼び集めた場で呂壱を斬り捨てると豪語し、呂壱は仮病でその場に欠席した。それでも潘濬は、参内するたびに呂壱の悪辣さを並べたてた」
6「呂壱の権勢に、誰もが言葉を失っていたが、李衡を役職に引きたてた羊衜が『呂壱を追いつめられるのは李衡しかいない』と決意し、彼を孫権に推挙する。孫権に引見した李衡は、呂壱の悪事・失策を数千言並べたてて弾劾し、孫権は大いに恥じ入った。呂壱が処刑されると、李衡はおおいに取り立てられた」

A「えーっと……無実の丞相を軟禁したのは自分が取って代わるためではなくて、少し脅かされると逃げを打ち、正論を並べられるとあっさり切り捨てられた?」
F「この辺りの硬骨の士とは別に、歩隲が名指しで『呂壱を遠ざけ陸遜らを重用されませい!』と迫ったりしたことで、次第に孫権の寵愛も薄れたのか、前非の数々が発覚して投獄された。丞相(つまり、顧雍)自ら取り調べにあたっていることからも、ことの重大性が判るな」
A「……私怨じゃないンすかね?」
F「そうではないが、ともかく呂壱は処刑された。その処刑に際して『火あぶり車裂きにして、極悪人がどうなるかの見せしめにすべきです!』との声も上がったほど、呂壱は恨まれていた……というオハナシ。繰り返しになるが、演義では採用されていないエピソードだ」
A「だったねェ。……でも、小役人を重用して忠臣を遠ざけるのは、暗君によくある失敗にも思えるけど?」
Y「アキラでも孫権が暗君だと認めるようになったのはともかく、意見そのものは正しいな」
A「……しまった」
F「周瑜・魯粛らの賢臣に支えられ、よく呉の国を切り盛りし、曹操・劉備の向こうを張っていたころには英明と云ってもよかったンだが、残念ながらこの頃の孫権が露骨にボケはじめていたのは周知の通り」
A「ひとつしか違わないのに、五十路回っても最前線張っていた孔明とは、えらい違いだね」
Y「敵ながら、年は取りたくないモンだ」
F「実際のところ、呂壱が演義に出ない理由の一端に、彼が何者か判らないのを挙げていいと思う。いきなり238年前後の呉書の端々に『悪いことしました』と名指しされているンだが、出自はどこでいつ頃から職に就いたのか明記されていないンだ」
A「はっきり云えば一発屋?」
F「表現としてはどうかと思うが……そゆこと。正史にはそんなの珍しくないとはいえ、これだけ周りから恨まれておいて家族に累が及んだ記述がないのも、僕としては認めたくないが、当時の風潮としてはおかしい。この頃の孫権なら三族皆殺しくらいしているはずだ」
A「やってもおかしくはない……ね」
F「ということは、呂壱は孫権の指名でこの座に就いたと考えていい。皇帝直々の指名だけに、役職をタテにやりたいほーだいしても皇太子級の者でしか文句を云えず、いざ処罰するにしても火あぶり車裂きには二の足を踏んだ」
A「……むぅ」
Y「そういう上下関係に目をつけるのが、お前のいやらしいところではあるが、読みとしては否定できんな」
F「この時代の人間関係には、身分制度や推挙した人物の影響が色濃く反映されるからね。だが、経過から云っても結論から云っても、この人事は失敗だった。呂壱は己の役職と孫権の後ろ盾を最大限に利用して、私腹を肥やすのに専念し、丞相をも軟禁に追い込んでいる」
A「そんな発言を信じるほどに、この頃の孫権はボケていた?」
F「と、考えざるを得ない。この呂壱騒動に関して、呉書の記述は割と少ないンだ。もちろん呉書にしかないンだが、さっきまでに見たように、どうして孫権が信じたのかと思えるくらい、割と単純なものが書いてあってな。全文を引用しても、『私釈』一回あたりの規定量にさえ届かないくらいだ」
A「主だった記述を、ではなくて?」
F「実は先日、ここまで見てきた1から6のように簡潔にまとめたもの(14まで)を実際にタイピングしてみたら、ワードファイル1ページにも満たなかったンだ(『規定量』は3ページ。……最近は4ページ近いが)。それくらい、呉にとって表沙汰にしたくなかったことなのか、それとも重要事項ではなかったのか」
Y「だが、前者だと」
F「そうだ。4をよく見ると、潘濬が『外に出ていたから何もできなかった』とある。この発言の裏を考えると、孫権がとんでもないことをしでかしていた可能性がでてくる。宮廷内はともかく、外地からの上奏は呂壱を通して孫権に届いていたようなんだ」
A「そこまで孫権がボケていたとは思いたくないけど……」
F「最初に云ったが、呂壱の役割とは宮廷の文書を監査することだぞ。考えてみれば役職通りのことをしているだけだったりするンだな、コレが」
A「……外部からの文書を孫権に取り次ぐのが、呂壱の役割」
F「それだけに『この上奏には陛下を誣告する内容が含まれております。一度、お取り調べを』と進言してもおかしくない。やっていることは職務としては正しいが、問題は、恨みのある者には悪意を持って、敵意を持って上奏できるということだ。……そして、どうもしでかしていたらしいということだ」
A「ぅわ〜……そこまで欲ボケた家臣を使ってたの、仲ボン?」
F「そゆこと。それも、孫登(皇太子)や歩隲(武の重鎮)らの反対を押し切って。欲ボケと忠臣の区別がつかなくなるのが暗君化の第一歩だが、それを踏み外していたワケだ」
A「……割と豪快に」
F「たびたび上奏されて、ついに呂壱を処断した孫権だが、そのあとに孫権の本心が見える。132回のラストで、孫権が239年3月に兵を遼東に差し向けたのを見たが、タイミングとしては呂壱の処刑の翌年だ。仲達が遼東を去るのを見計らったとも考えられるが、コレを率いていたのが羊衜・鄭冑なので、それは二次的要素だろう。しかも、呉主伝では成功しているこの遠征は、鄭冑サイドの記述では『魏に打ち破られた』となっている」
A「死んでこいと云われた鄭冑たちが、実際に死にかけたワケか」
Y「確かに、呂壱は孫権の肝煎りのようだな。処分に至ったのを根に持っていたと見える」
F「孫権がどうして呂壱を信任したのかに、ある程度の答えは出せる。君主として絶対にしてはならないことをしでかしたように思えるンだ。臣下からの上奏を『朕はかようなこと聞きとうない』と突っぱねるために、息のかかった者を文書監査に配置した」
A「……なるほど、君主として絶対にやっちゃならんな。したとは思いたくないが」
F「かつて劉邦は『毒薬は口に苦いモンです(注 史記の原文は"良薬"ではない)』と云われて従っているが、毒を飲むのを選ぶ者は絶対的に少数だろう。それでなくても韓綜が、父の死体と生きた母を抱えて魏に亡命したりしていたせいで、家臣を信用できなくなっていても無理はない」
A「猜疑心の塊になっていた……ってことか」
F「だが、信任した呂壱が呉の人臣にえらい迷惑をかけまくったので、さすがに孫権でも反省したンだが、この時とんでもないことが起こっている。正史の記述から書き起こしてみよう」

使者「皇帝陛下は、現状において改めるべき政策とは何かと下問されておいでです」
歩隲「国政は顧雍に陸遜と潘濬が取り仕切ればよい。彼らは万能ではありませんが、主の期待に背くことはしませんぞ」
諸葛瑾「ンなことは陸遜か潘濬にでも聞いてください。私は文官じゃないンですから」
朱然「自分は軍人であります。民政のことは担当しておりません」
呂岱「オレは交州を治めるので手一杯です。大将軍にでも聞いてくださいよ」
使者「……ということなのですが、大将軍殿」
陸遜(ちらっ)
潘濬(ふるふる)
2人『さめざめ、さめざめ……』
使者「何で泣きますかっ!?」

A「……何が起こったンだ?」
F「宮廷にいる顧雍はともかく、他の重臣たちは『改めるべき政策は何か』との問いに『知りませーん』と答えているンだ。呂壱を処断しても家臣たちは根に持っていて、孫権を見捨てたような態度をみせた」
A「気持ちと理屈は判るが……」
F「実際のところ、呂壱の台頭を236年以降と考えたのはコレが理由だ。張昭が生きていれば、孫権が『朕は毒なんぞ飲みとうない』とほざいても口の中に流し込んだだろうし、呂壱を使いたいと云いだしても口うるさくとがめたてただろうから」
Y「反論する余地はないか。じいさんが健在なら、効果はともかく孫権の暴挙・暴走を真っ向からいさめるだろう」
F「その通り。困り果てた孫権は書状を瑾兄ちゃんたちに送りつけた。その書状には、簡単にまとめるとこういうことが書かれていた」

『オレが悪かった』

Y「簡単すぎんか?」
F「もう少し要約すると『心根を改めて反省するから、どうか自分を支えてください』という書状だな」
A「でも、孫権が簡単に反省するか?」
F「確かに、鄭冑たちへの態度から察するに、簡単には反省しなかっただろうし、できないだろう。だが、この時は孫権が本当に反省したと判断したようで、瑾兄ちゃんは本格的に呉を見捨てるような真似はしなかった」
Y「簡単ではない事態だったワケか」
F「用いるべきでない家臣を用いてしまったツケで、孫権は家臣に低い姿勢を見せることになってしまった。もともと、状況が好転するまで誰かに頭を下げるのを躊躇わない男ではあったンだから、いつも通りと云えば云える。だが、繰り返すがこの一件は大きい」
A「燕王騒動や二宮の変に匹敵する、孫権の失策……」
F「そう。呂壱はその言動と死で、呉の家臣団に孫権への不信感を植えつけた。それが爆発したのが二宮の変だ……が、そこまで見てしまうのはさすがに先走りだな」
A「この辺りのイベントでも、きっちり予定立てて講釈できるンですね……」
Y「きちんと計算立てているンだからなぁ」
F「きちんと、ではないがな。ともあれ、ところで……」
A「はい、何!?」
F「この呂壱、たぶん本名ではない」
Y「? 呉書のどこかに、そんな記述があったか?」
F「いや、蜀書だ。蜀の呉懿は、正史では呉壱になってるだろう? 陳寿が正史を著したのは晋の時代だから、実質的な初代皇帝たる司馬仲達の諱は使えないンだよ。たぶん、呂壱も本名は呂懿だろう」
A「……正史に残せない名だったから、ある程度以上に渡って記述を削除できた?」
F「陳寿は、正史に(少なくとも積極的には)嘘を書いていないと僕は考えている。でも、書かないことで事実を隠すような真似はいくらかしていると思うンだ。呂壱に関する記述が少ないのは、呉の側でも(故意に)史料を残さなかったのが半分、残り半分は名のせいだろう」
A「まだその意見が尾を引いているンですね……」
F「続きは次回の講釈で」

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