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私釈三国志 131 燕王挙兵

F「130回前から用意しておいた台詞を云おう。――孔明が死んでも、歴史は動く」
A「ヤスがいたら『やかましい』と怒鳴られていたと思います」
F「血のつながりがないとはいえ、仲のいい兄弟を続けるのもなかなかに難しいものだ。さて、孔明の死後蜀軍で内紛が生じ、結局費禕が独り勝ちしたのは2回前で見た」
A「恐ろしい野郎もいたモンですね……」
F「対陣していた時点で、仲達が実際に孔明の死を知っていたかどうかはともかく、蜀軍は斜谷道に入って(つまり、追撃圏を逃れて)から公表したようでな。これにより、魏では西方前線が安定したと判断したらしい」
A「単純な発想だな?」
F「というか、魏がもともと、蜀より呉を敵として重視していたのは見てきた通りだ。夷陵の敗戦から10年以上経ってはいるが、国力として呉が上なのは事実。以前に満寵が合肥新城の放棄を奏上したのを見たが、軍事的に優秀な皇帝サマはそれを突っぱねている」
A「呉の軍勢を大したモンじゃないと判断して?」
F「いや。魏では曹丕のころから、防衛線を『東は合肥、南は襄陽、西は祁山』と制定していて、曹叡にも『この三ヶ所だけは絶対に守れ』と云っていたらしい。一ヶ所でも失うのは防衛ラインの崩壊を意味するモンだから、それを放棄するのは許さん……と突っぱねた」
A「えーっと、蒋済? が、合肥城の移築・改築に反対したのには、その辺の関係もあるのかな?」
F「なくはないだろうね。でも、防御力強化の目的で、その場面では満寵の意見を認めた曹叡だったけど、合肥を放棄するとなると、魏の防衛戦略の根底にかかわるので、認められなかったワケだ」
A「曹操時代から仕える重鎮の意見を蹴ったねェ……」
F「キャリアでは曹叡の比じゃないだろうけど、戦況・国是からして曹叡の判断は正しい。……まぁ、これが純粋な軍事力というわけじゃないだろうけど、単純計算すると、魏は呉2に対し蜀1で接していたことになる」
A「……事態を単純化して説明するのはお前の得意技だが、ここまで単純にしていいモンか?」
F「西には長安があるとはいえ、南には江夏・樊城、東には寿春・汝南なんかの拠点もあったから、兵力比としてはおおよそそれくらいだったンじゃないかと思っている。まぁ、荊州方面軍を率いていた頃の仲達が益州侵攻にも駆り出されているから、完全に2対1ってことはないだろうけど」
A「うーん……」
F「さて、234年の第二次合肥新城攻略戦は、孫権にしてみればその人生における数多い敗戦のひとつにすぎないが、魏の側から見ると割と大きかった。ために、127・128回で触れたのに、今回でも引きずっているンだが」
A「? いつも通り、攻められたのを防いだだけじゃないのか?」
F「気づかないかなぁ。孫権自ら率いる10万の軍勢が合肥新城に攻め入り、陸遜・瑾兄ちゃんには荊州に攻め込ませているンだ。なぜか呉書陸遜伝では236年になっているけど、明帝紀・呉主伝の記述からして誤植だろうと思う」
A「はぁ」
F「まだ孔明は健在のうちに行われているンだぞ、この侵攻は」
A「……えーっと、問題の三大拠点、全部に攻撃を受けたワケか?」
F「気づくのが遅い。これが理解できていれば、曹叡が自ら動いてまで合肥を守らせた理由も判るだろう。文聘が健在なら(健在かどうかは不明だが)荊州方面は安心できる。だが、揚州は、孫権自ら攻め入ってきていて、満寵も逃げたいと云いだしたほどの劣勢だったから、だ」
A「そして、合肥を抜かれたら防衛線は崩壊する……」
F「孫権撤退と聞いた群臣が『西では孔明がいまだ出張っております』と、軍をそのまま西に向けるよう進言している辺りにも、魏の焦り具合が判るというものだ。ちなみに、曹叡は『呉が退いて孔明は落胆していよう。大将軍(仲達)がいるのだ、心配しなくていい』と、西には行かずに寿春で戦勝式典を開いている」
A「どンだけ蜀舐めてンだ、お前は!?」
F「正直なオハナシ、しばらく蜀をほったらかしにする予定なのは、その辺りが原因なんだ。魏は、というか曹叡は、蜀を軽視していた。結論で云うとそうなる」
A「ほったらかすなよ!」
F「前に泰永に怒られたけど、それでも魏について触れなかっただろうが。そういうオハナシ。……さて、128回でさらっと云ったが、この呉・蜀の侵攻戦に際して、燕の公孫淵は動かなかった」
A「そりゃ、呉と絶縁して魏に与したンだから、当然だろ?」
F「当然を云うなら動くべきだった。再三云っているように、ひとに尽くして感謝されるのは相手が困っている時だ。官渡前に袁紹と手を切り曹操に降った張繍は厚遇され、降るよう説得した賈詡はさらに上に遇された。ところが、曹操に勢いのあるうちに降った劉jは、荊州に残ることさえできなかった」
A「……例の火事場泥棒計画か」
F「そう云われると人聞きが悪いが、困っているときに助けられるとひとはなおさらに感謝するものだよ。海路で兵を出し呉の徐州方面軍を側面から衝けば、魏に恩を売れたはずだ。実際の軍功があっては、魏としても公孫淵にある程度の配慮をしていただろう」
A「てことは、しなかったンだ?」
F「これまた当然と云っていいだろうね。面従腹背とはいえ魏に臣従していたなら、魏の戦略的大ピンチに際して動かなかったのは大きな失点だ。233年に大司馬・楽浪公に叙任されていたンだから、独自に兵を動かす権限そのものがなかったとは云えない。というか、主の危難なら動かないと怒られる」
A「そして、怒られた」
F「繰り返そう、当然だ。第一には、今さっき見た通り魏の危機にそれを救おうとしなかった。第二に、呉に通じていたのを魏では覚えていた。第三に、公孫淵の面従腹背ぶりがいい加減我慢ならなくなってきたので」
A「2番はともかく3番てことは、本性バレたンだ?」
F「正史の本文・注のいずれにも、魏からの使者には騎兵・歩兵・武装兵を配備して、威圧しながら対応したとあるンだぞ。バレないワケがあるか」
A「……凄まじく判りやすい面従腹背ですね」
F「加えて、原因の一端には孔明の死も影響している。西側最大の軍事的脅威が消失したから、西に張りつけておいた兵をある程度削減できるンだよ。ただし、とりあえずは洛陽に召喚して問責しようと考えた」
A「平和的解決をはかったのか」
F「公孫淵が公孫恭から遼東太守の位を奪った頃から、公孫淵を討つべしという声を朝廷で挙げていた者がいたンだ。だが、遼東で四代に渡って威勢を誇った公孫氏の当主を討つとなると、魏の側にもある程度の被害を覚悟しなければならない。ためにその声を無視して、曹叡は『(公孫淵を)慰撫していた』とある」
A「でも、公孫淵の態度がいい加減我慢の限界になってきたのに加えて、孔明が死んだせいで……ついに動いた」
F「そゆこと。……のだが、魏の側でもいろいろと問題が重なっていたので、実際に召喚の勅使が送られたのは237年のことだった。問題そのものは何回か先で触れるが、この使者を、公孫淵は(もちろん)突っぱねている」
A「いただけないことしでかしてるなぁ……」
F「明帝紀では『以前、孫権は高句麗に使者を出し、遼東に攻め入らせようとした』とある。この年に、朱然が2万からの兵を率いて江夏に侵攻し(いつも通り)失敗しているが、だったら……と孫権は高句麗に使者を出したようでな」
A「またあの男はそんな真似を……」
F「魏はこの動きを奇貨として、高句麗への抑えという名目で毌丘倹を主将とする軍勢(兵数は不明)を、遼東との国境に配している」
A「……でも、公孫淵にしてみれば、その軍勢は遼東に侵攻してきているように思える?」
F「その昔、馬超らが似たような危機感を抱いて曹操と戦争おっぱじめたが、アレとは違って実際に攻められたことになる。かくて、第一次遼東討伐戦は始まった。公孫淵が何をしたかったのかは、加来耕三氏と正史の注が看破している。幽州を基盤とする独立勢力としての自立をはかり、独自の元号まで立てているンだ。即ち、"四国志"の成立を目論んで」
A「ンな無茶な……。皇帝が三人いたから三国志なんだろ?」
F「帝位こそ名乗らなかったが、コーソンさんがそれくらいやりかねない"河北のプチ董卓"だったのは以前見ているぞ。北方で自前の勢力を築き、状況によっては皇帝を名乗れるという意味で、公孫淵にはコーソンさん同様、群雄割拠の一翼を担う資格がある」
A「……だから孫権と公孫淵の間には、いち時期とはいえ同盟関係があった?」
F「この先に何が起こるのか、前を見返すと割と見つかる……という、かなり笑えないオハナシだ。まぁ、コーソンの敵が改革派から保守派になっているンだが、かつてコーソンさんが袁紹相手に互角の戦いを演じていたように、毌丘倹らによる第一次遼東討伐戦は失敗している」
A「意外なのかそうでないのか……。で、毌丘倹って?」
F「もの凄く単純に云うと、東の田豫だ。魏の東部(正確には東北部)で軍を率い、満州・朝鮮半島への武圧を担当していた武将でな」
A「東夷系異民族対策のスペシャリスト……か」
F「正確に云うなら、この時点では『担当することになった』武将かな。もともと荊州刺史だったンだが、公孫淵討伐のために幽州に転任したンだ。これが本軍。一方で、肝心の田豫に青州の諸軍を統率させて別動隊を編成している。本来なら負けるとは考えにくい配置なんだけど、人事的な問題で魏は負け戦をしてしまっている」
A「人事?」
F「まず毌丘倹だが、さっきも云ったがもともと荊州にいた武将だ(出自は司隷)。ところが『事態に対応できる策の持ち主』と見込まれて幽州に転任になった」
A「どんな策だ?」
F「こんな」

 陛下は即位以来、いまだに記録すべき功業がございません。呉や蜀は険阻をたのんでおりますので早急には平定できませんから、しばらく使っていなかった幽州の兵を用いて、遼東を平定するのが得策でありましょう。

A「……これは策じゃなくて、主君に出兵をけしかけているだけだ」
F「もちろん『呉が連年兵を挙げ民衆が疲れているのに、たかだか一将を用いて三代に渡る公孫氏を討てるおつもりですか!』という反対意見があがったのに、曹叡は聞く耳をもたなかった。また、いちおう毌丘倹も、見込まれただけあってある程度の功績は挙げている。いつぞや、白狼山で曹操に敗れた烏丸の残党が、遼東(当時は公孫康)に逃げ込んだのを触れたが、まだ生き残っていたその連中が軍を率いて降伏してきたンだ」
A「おー」
F「ところが、その後がまずかった。迎撃に出てきた公孫淵と戦火を交えると、これがどうしたワケか敗れてしまう。本隊が退いてはまずいな……と、曹叡は田豫にも撤退命令を出した。が、田豫は退かずにむしろ進軍して、燕海軍の動きを読んで待ち伏せ、暴風で船を失った兵たちを捕虜にしている」
A「田豫は渋く活躍していたのか」
F「なのに、田豫の下に配属された青州刺史が『野郎は敵から奪った軍需物資・金品を官に納めませんでした!』と讒言したモンだから、その功績は取り上げられなかった……とある。作戦中にも田豫の指揮権を疑う発言が目立っている辺り、青州諸将が田豫をおとしめたような格好でね」
A「魏にも内部対立があったワケか」
F「蜀で起こった、武将と文官が共倒れするほど激しいモンじゃないみたいだけどね。そんなワケで第一次遼東討伐戦は失敗した。人事的な敗北を補うのに人事的な手段をもってするのは、単純ではあるが間違いではない。というわけで、西方前線から司馬仲達が洛陽に呼び戻された」
A「魏の勝ち戦はあまり喜べないけど、公孫淵が勝つよりはマシかね……?」
F「まぁ、仲達が実際にどう戦うのかは次回見よう。……ところで」
A「はい、来ましたね!? 何!?」
F「警戒しなくていいって云ってンのにね、この子は。公孫淵がなぜ魏に背いたのか、についてだが、歴史の神の意志だという見方もできる」
A「歴史を語るのに神を持ち出すンじゃない!」
F「『漢楚演義』で見た通り、始皇帝に荊軻を送りこんだのが燕の太子・丹だった。ためにマサ君は燕を滅ぼしているが、これが正当防衛なのは云うまでもない」
A「……過剰防衛じゃないっスかね」
F「その後、陳勝の乱のどさくさで燕王も立てられたものの、項羽と折り合いが悪かったモンだから遼東に流されることになり、コレを拒んで攻め殺されている。殺したのは元部下の臧茶で、これが新たな燕王になった」
A「えーっと……韓信に降伏したンだっけ?」
F「そう。そして、前漢成立後に発生した功臣粛清でトップを切って、叛乱を起こし死んでいる。素直な本音を口にするが、『漢楚演義』で臧茶についてほとんど触れなかったのは、この男が何をしたかったのかまるで判らんからだ」
A「……領土は保全されていたンだよな?」
F「うむ。他の誰かが粛清された後でなら判らんでもないが、何が不満で叛乱したのか判らん。例によって陳平の策だった可能性もあるが、その後燕王になった盧綰も、劉邦の死後に匈奴と組んで挙兵し、負けて、結局匈奴の地で死んだ」
A「その辺は呂后の陰謀だったよな」
F「陰謀を自分で目論んだのが、前漢の武帝の三男。燕王に任じられていたが、武帝が死んだ折に、兄たちがすでに死んでいたので自分が後を継げると思っていたが、末っこ(弟)が八代皇帝になってしまった。ために、クーデターを起こして帝位を奪おうとし、失敗して自害した」
A「判りやすい失敗例で……」
F「仲のいい兄弟を続けるのもなかなかに難しいものだ。仲の悪い親子だったように思えるのは、時代はすっ飛ぶが元朝五代大ハーンのフビライと皇太子チンキム。燕王に任じたところ、有能なチンキムは漢土北方を事実上総督するに至っている。ところがある日、突然あっさり病死した」
A「……何かあったようにしか思えませんね」
F「隋末唐初の戦乱期では高開道・羅芸が燕王を名乗り、いずれも終わりをまっとうしていない。挙げ句の果てが明の永楽帝だ。明祖朱元璋の四男だったが、燕王としてモンゴルの抑えを張っていたのに、二代建文帝(甥=兄の子=朱元璋の孫)を討って自分が皇帝になるンだからな」
A「……何ですか、この叛乱多発地帯は?」
F「詳細を掘り下げると(不謹慎だが)かなり面白いこの一件も正当防衛なんだが、このように、思い出せるものをさらっと挙げただけでも、公孫淵を含む"燕王"が挙動不審・品行不正なのは見てとれると思う。安史の乱で有名な安禄山・史思明が皇帝を名乗ったのも燕だった辺り、目立つ"燕王"にはどうにも問題のある輩が多くてな」
A「つまり過剰防衛ということなんだろうが、こンだけ実例があっては気持ちと理屈は判った……神様のせいにしたくもなるか。ところで、この時代の燕王って誰?」
F「公孫淵」
A「じゃなくて!」
F「魏が封じていた燕王だな? その男の名は曹宇という。叛乱こそしなかったもののあとで重要な役柄を背負う人物なので、ここでは触れない」
A「……怖いよぅ」
F「続きは次回の講釈で」

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