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私釈三国志 130 諸葛孔明

7 天下一品
F「天下を群雄それぞれの器量に併せたサイズに切り分け、一種の膠着状態を形成し、曹操の死をもって兵を挙げ劉氏の天下を回復する……のが、天下三分の究極目標だと僕は見た」
Y「結局、それが適わなかったのは130回かけて見てきた通り」
A「やかましいわ!」
F「劉備の"天下"を荊・益州に求めた辺りに、孔明から見た(その時点での)劉備への評価が判るが、では、孔明自身は自分の器量をどれほどと見ていたのだろうか」
A「んー……そりゃぁ劉備よりは上じゃないか? もともと益州と荊州を抑えるのが精一杯だったと見ていたのに、自分が補佐すれば天下を盗れるとけしかけたンだから」
Y「だったら孫権のように、自分で天下を目指せばよかろう」
A「だから、孔明にはそれを成す大義名分がないンだって」
Y「名分論を云うなら曹操に背いていたことそのものが、天下への叛逆だぞ。そもそもの根底がずれている」
A「あー、もぉ……。どーしてそういう考え方をするかな」
F「天下は天下の天下だが、孔明は自分の"天下"をどれほどのものと見ていたのか。これは、極めて重要な問題だ。なぜなら、その答えは、劉備が天下を統一したとき孔明はどうしたのかとほぼイコールだからだ」
Y「……こっちで益体もない正統論を唱えている場合ではなさそうだな。どういうことだ?」
F「戻ってきたね。孔明が自分の器量を劉備より上と見て、だが才徳の徳として掲げる御旗として劉備が必要だったなら、天下統一の暁には孔明は丞相となって、曹操のような立場についただろう。逆に、自分の器量が劉備より下だと見ていたなら、天下統一を果たしたら、役目は終わったと范蠡や劉基のように隠遁したかもしれない」
Y「劉基……劉基?」
A「珍しく覚えてないのか? 羅貫中が演義での孔明のモデルにした、朱元璋の軍師だよ」
Y「あぁ……」
F「『功成り名遂げて身を退く』というのを実践したに等しい大軍師だが、劉備が天下を盗ったら孔明はどうしただろうか。孔明について考える場合、コレはどうしても避けて通れない話題だろう。ちなみに、加来耕三氏は『こればかりは、幾らシミュレーションしてみても、確信の持てない最後の一項』としている」
Y「……まぁ、な。劉備が本当に漢王朝(劉邦)の血を引いているなら、天下を盗ったら家臣団を粛清しだしてもおかしくない。そうなる前に身を引いていたとは思うが、そもそも劉備が天下を盗れるわけがないンだし」
ヤスの妻「アキラくん、バットおこうね」
F「というか、どっから出した? 加来氏も同じ著書で『その末路は決して幸福なものにはならなかったのではないか、と思えてならない』としているように、天下を盗ったあとで劉備がそれまで通り仁君でいたかという問題もある」
A「劉備なら大丈夫です!」
Y「劉邦の子孫がか?」
A「……そう云われると、割と不安になる」
F「孔明は、若い頃から自信満々な性格だった。徐庶ら学友に『君たちは仕官すれば、きっと刺史や郡主になれるだろう』と評し『じゃぁお前は?』と云い返されると笑って返事をしなかった……のは以前に見ている通り。自分を管仲・楽毅になぞらえるなど、高慢ちきな言動が目立ったモンだから、周りからの評判は悪かったらしい」
Y「コーエーの三國志シリーズだと、10作(\では能力値としての魅力がない)平均94.1(最大98、最低85)なんだがなぁ。Zではやや低いが、他9作ではずいぶんお高い」
F「85なら充分高いと思うぞ。まぁ、劉備を受け入れた恩人や同族から国を奪えと主君をけしかけた辺り、確かに嫌われてもおかしくないくらいだ。関羽や張飛が孔明を認めなかったり、逃げる劉巴を説得できなかったりには、その辺の性格が影響しているのは想像に難くない」
A「若い頃の孔明は、やや自信過剰で自意識過剰か」
F「割とな。……ところが、125回で今回やると云っておいたイベントがある。祁山に出陣していた頃のことなんだが、三十万を数える魏軍が向かっているとの報が入ってきた。ところが、総勢十万のうち2万が休養に入っていて、手元にいたのは8万のみ。それも都合の悪いことに、ちょうど交替のタイミングだった」
Y「まず防げんな」
F「というわけで、楊儀らが、休養に入らせるのを延期して敵に当たるべきだと主張したンだけど、孔明は」

 軍を率いるのには信義をもってしなければならん。一度返すと約束したのだ。兵たちは帰れる日を心待ちにしていたろうし、家では家族が帰りを待っている。敵が来たからと云って、帰す日を変えるワケにはいかんだろう。

云う奴「そう云って、兵たちに『はい、解散〜。帰っていいよー』と云いだした」
云いそうな奴「まさか『ハイそーですか』とは云えんだろうな」
云わせない奴「あたりまえじゃ!」
F「というわけで、兵たちは帰還を拒んで戦うことを選び、帰る順番でない者も奮起して戦うことを選んだ。孔明さまの恩義には、死んでもまだ報いきれん……! と発奮し、先を争って斬りこんではひとりで十人を相手にし、魏軍をさんざんに打ち破った……とある」
A「孔明がいかにして兵たちの心をつかんだのかを物語るエピソードだなっ♪」
Y「(確認中)……そして、裴松之が『まったくつじつまの合わないオハナシで』と鼻で笑っているエピソードだ」
F「実はその通り。正史の注にも記載はされているが、裴松之はありえないと否定している」
A「無理もないか……」
F「だが、思い出してもらおうか。第四次北伐で祁山に出兵した孔明は、兵を二分して一方を祁山に残し、もう一方を率いて出陣している。そして郭淮(演義では孫礼)が羌族を動かした記述も、実はある」
Y「……あぁ。そういえば、祁山に残った兵もいたな」
A「と、いうことは……?」
F「そっくり記述通りのイベントが起こったとは思えん。演義では孫礼が率いる雍・涼州兵20万、正史では曹叡が率い仲達・張郃が補佐する三十万以上だ。兵数や指揮者、場所なんかがありえないから裴松之ははっきり否定している。……のだが、このエピソードのもとになった戦闘はあったように思えるンだ」
A「魏軍の数は、それほど多くなくて……」
F「率いていたのもたぶん郭淮。いや、いっそ魏軍でなかった……南蛮兵相手だったかもしれない。そして、孔明はほぼ同じ言動『お前たちには戦わなくていいって云ってたンだから、いまは休んでろ、な?』とか何とか云ったのかと。それに兵たちは感動し、孔明に心服した。どこかでそんな具合のイベントが起こっていないと、蜀の将兵が孔明に不満を抱かなかった理由が説明できないンだ」
Y「連年負け続きだったからな」
A「やかましいわ!」
F「そして、若い頃から高慢ちきで、その頃なら『全員残って戦え』と平然と云いきっただろう孔明だ。やはり、自分で兵を率いるようになってからは、その前の頃の孔明と、心理に変化が見られるンだよ」
Y「劉備存命中は、兵士に認められるような性格であったはずがないな」
F「いちおうは入蜀時に兵を率いたようだが、軍事実務は趙雲が執っていたと考えている……と前々から繰り返しているな。そして、前線に出たことがない蕭何を、諸将が『アイツは戦場に出なかった!』と非難していたのは、ついさっき確認した通りだ。孔明は、ある程度不安でも兵たちに信頼されなければならなかった。でなければ北伐を戦い抜くことはできなかっただろう」
Y「将たる素養と経験のいずれも欠けていたワケか」
A「……じゃぁ、孔明は民衆からはどう思われていたンだ? 兵士から慕われるかどうかが将の素質なら、民から慕われるかどうかが宰相の資質だろ」
F「いいところに注目したな。孔明に対して『民から恨みの声がなかった』とある。これについては部下の証言があり」

 公(孔明)は、たとえ自分に縁遠い者でも賞することを忘れず、近しい者でも処罰に手心を加えられない。功績のない者に爵位を与えるような真似をせず、権力者であっても処罰するのを躊躇わなかった。

F「要は信賞必罰ということだ。法正や劉巴といった、孔明では飼い馴らせなかった者たちが健在の頃には考えられないふるまいだが、少なくともそうあろうと努力する姿に、民は畏れつつも尊敬していたようでな」
A「……責任が大きくなるにつれて、人格に深みが出るのかな」
F「ん?」
A「無位無官の頃から高慢ちきだったけど、徐庶や龐統たちには認められていただろ? その頃から、自分の周りには気配りができていたンだよ。で、劉備に仕えたらそれなりに、蜀を率いる身になったら露骨に、責任感が表に出て、他者への配慮ができるようになったように思える」
F「……えくせれんと(ぱちぱち)。なるほど、それはいい評価だ。無官の頃でも数少ない面子からは認められていたンだから、自分と接する面子への気配りはもともとできていた。ために、地位が上がり責任が増え、接する人層が広がるにつれて、気配りをするべき対象が広がっていった。……という考えでいいのか?」
A「うん。でも、基本的には信賞必罰・公平無私だから、ちょっと怖いけど尊敬できる人って評価になった」
F「うむ……その考えなら、孔明が自分をどう評価していたのか予想がつく。多々益々弁ず、だ。どれだけの地位であっても責任であっても、それを背負い率いる自信はあっただろう。能力としては最初から、人格としては徐々に」
Y「孔明の"天下"は、天下そのものだった……と?」
F「自分の性格と性質を自覚していたなら、という前提があるがな。劉備の下において孔明は、あくまで行政面での責任者だった。韓信に天下への野心があったとは思えないのは以前見たが、同様に、孔明もまた天下の主を支える忠臣として生涯を終えるつもりだったように思える」
A「でも、劉備は劉邦じゃない。猜疑心から部下を切り捨てることはしなかったはずだよ」
F「そう思いたいところだな。結論が出た。孔明には、劉備の他の君主は似あわない。小さい輪なら小さな和で、大きな国ではそれにふさわしい協調性で、それを治めることができる。人の和の国の宰相に、これほど相応しい者はない」
Y「……お前が、アキラが云いだす前に想定していた結論とやらを聞いておきたいところなんだがな」
F「弟の成長を喜ぶ意味で、それを口にするのはやめておこう」
A「ちょっと残念……かな」
F「だが、別の話をしておこう。神話や伝説というものは、その民族の文化にある程度左右されるンだ。たとえばキリスト教圏における理想の女性ナンバー1が聖母マリアだが、閉鎖的な男系社会で禁欲的な生活を強いられると、男は『処女にして母』というワケの判らん女に理想を求める」
Y「お前、キリスト者だろうが」
F「学術的な分析は前に歴史コラムでやったのでここでは避けるが、伝説には多数派民衆の要望が色濃く反映されるンだ。歴史的に云うなら敗北者の"諸葛亮"が演義では天才軍師の"孔明"になったのは、長きに及ぶタタールの軛で窮屈だった漢民族の自意識が影響している」
A「北方の大敵に立ち向かう、悲運の英雄として?」
F「そゆこと。ゆえに、演義でも北伐が成功しなかったのには、孔明本人の能力に拠らない、別の理由が必要になる。先に見た通り、これまでの北伐では孔明の責任ではない理由で撤退を余儀なくされてきた」
Y「だから、魏延を悪に仕上げる必要があったワケか」
F「そうだ。魏延とは何者だったのか。蜀の名将でありながら費禕の謀略で叛逆者にされた……というのは前回確認した通り。それを羅貫中は大々的に利用した」

 出会い頭に孔明「魏延には反骨の相があります、殺しましょう」とブチまける
  ↓
 魏延、根に持つ
  ↓
 南征で孔明、魏延に「15日負け続けろ!」とトンデモ命令を出す
  ↓
 魏延、根に持つ
  ↓
 兀突骨らを焼き殺したことに、孔明心を痛める
  ↓
 北伐で孔明、魏延の提案を退ける
  ↓
 魏延、根に持つ
  ↓
 孔明、天命が尽きたのを知り延命の祈祷を行う
  ↓
 魏延、それをブチ壊す
  ↓
 孔明が死に、魏延が謀叛
  ↓
 ここにいるぞ!

F「こんな具合に、因果応報の流れができているワケだ。全ては、孔明という天才軍師の読みと悲運を顕彰するために」
Y「いっそ魏延が憐れだな」
F「出会い頭に『お前の頭が気に入らんから殺す』と云いだした奴の下で働かないといけなかったことに、演義での魏延の悲劇はある。探せばいくらでも同情の余地があるンだが、正史にはこんな文章もある」

 魏延は猛々しい性格で、危難においては重要な命令を授かり(それを果たし)、外敵を防いで戦い国境を守り抜いた。しかし、周囲との協調性がなかったため、節度を失って叛逆した。彼の人生の後半分を憎み前半分を惜しまずにはおれないが、性格からではどうしようもないか。

F「叛逆云々を除けばおおよそ妥当な評価に思える。だからこそ演義において、孔明殺しという周瑜・仲達を凌ぐ歴史的偉業を任されたのだろう」
A「英雄を倒すのはある程度の英雄でなければならない、ということか」
F「その意味では評価されていると云えなくもないが、そんな評価、本人はいらんだろうね」

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