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私釈三国志 130 諸葛孔明

6 臨機応変
F「例の三国史プロジェクトではない、中国の研究者に云わせると、孔明は赤壁でしか勝ったことがない」
Y「ぶはははははっ!」
A「笑うなーっ!?」
F「まぁ、認識としては間違ってるな。孔明の生涯で唯一の勝ち戦は南征であって、赤壁では戦前に孫権のところに交渉に出ただけで、実戦には加わっていないのは以前に見た通りだ」
A「……待て」
F「はい、何ですか?」
A「劉備の生涯勝率は2割、曹操のアベレージは8割だったな。孔明は?」
F「究極的な戦闘目標を達成したかどうかで考えるなら、南征でしか勝ったことがないと評価せざるを得ない。北伐はことごとく失敗しているし、南征までではほとんど兵を率いたことがないンだから、勝ち戦はその一度だけだ」
A「……この野郎」
F「突然だが、直接戦略・間接戦略という軍事用語を知っているか?」
A「えーっと?」
F「前者は何となく判るだろうが、後者は、戦場で敵を叩き潰すのに固執せず、外交・諜報・経済面などで敵を包囲し追い詰めていき、最終的に相手を屈服させるもの。ぶっちゃけて云うと、項羽があくまでこだわったのが直接戦略で、劉邦が用いたのが間接戦略だ」
A「項羽は、戦場で劉邦を討ち取るのに全神経を費やしていた……」
F「劉邦は、項羽の鋭鋒には防御を固め、第一に韓信別動隊をもって楚についた魏・趙・斉を討ち、第二に外交で燕を味方につけ、第三に黥布・周殷といった楚の有力武将を寝返らせ、第四に彭越率いるゲリラ隊で楚の補給線をズタズタにした。それでいて、自分たちの補給は蕭何が常に賄っていた」
Y「高所から見ると、張良・陳平の敷いた包囲網の中で項羽があがいているのが判るな」
F「さすがに、お前でも劉邦とは云わないか。だが、孔明の天下三分がこの間接戦略を意識しているのは見ての通りだ。防御をかためて曹操の死を待つのにも、それによる魏将の寝返りも期待していただろうし、異民族を手懐けたり孫権と結んだりと活発な外交ルートも計画だてて、荊州からの別動隊だの肥沃な荊・益州を擁しろだのとある。つけいる隙を見い出せなかったのか、後方を扼するのには言及していないが」
A「張良のひそみにならったワケか?」
F「劉邦が『72戦1勝71敗』で中国チャンプなのはいいな? 意識的にごまかしていたが、戦場で項羽に勝ったためしはほとんどない。それにもかかわらず天下を盗れたのだから、その天下盗りの手法を参考にするのは、考え方としては間違っていない」
Y「成功しなかったけどな」
F「当然だろ」
A「ひと言で突き放すなよ!」
F「張良・陳平できて孔明にできなかったのはなぜか、という疑問は実際のところ単純なんだ。相手が項羽ではなかった、これに尽きる。項羽はただ劉邦を叩き潰すことに妄執していたから、その猛攻さえ防げ(れ)ば、なおさら嵩にかかって攻めかかってくる。その間に後方を扼し足元をぐらつかせることが可能だった」
Y「曹操相手にそんな真似は不可能だな。防げるかどうかはともかく、防がれたら策を弄するンだから」
F「項羽は劉邦を叩き潰すのに専念していたが、実は、これは判断としては間違っていない。反項羽勢力の旗頭は劉邦なんだから、あのノンダクレのスケベジジイさえ斬れば項羽の敵は核を失い分裂する。残念ながら、韓信・張良・蕭何ではそれをまとめ上げることはできん」
A「劉邦の才がその三者を上回っているとは納得しかねるンだけど」
F「才じゃなくて徳の問題。韓信・彭越・黥布らを使いこなせるのが劉邦だけだったから、蕭何も粛清には反対しなかったンだ。故国のために秦を滅ぼした張良は、秦が滅ぶとまず故国に帰った。劉邦が死んだらテロリストと化して項羽暗殺に乗り出すことはあっても、自分が上に立とうとは思わないだろう。韓信や陳平では他の面子がついていかない。まして諸将から『アイツは戦場に出なかった!』と非難された蕭何ではな」
A「……他に漢をまとめられそうな奴はいないか」
F「というわけで、分散した敵を各個撃破すればいい……というところまで項羽が読んでいたのかは判らんが、歴史的に見るなら方向性そのものは間違っていなかった。ただ、潰しても潰してもまだ殺せない劉邦に専念しているうちに、自分の足元そのものがなくなっているのに気づかなかったンだが」
Y「呂布かコーソンになら通じそうだが、曹操はそんな阿呆じゃないぞ」
F「うん。直接戦略への対策としては間接戦略は万全なものだけど、曹操級の戦略家相手だと、むしろ戦力の分散になる。合肥に張遼、襄陽に曹仁、関中方面には夏侯淵を配し、自分は遊軍として各方面への援軍に駆けつけられるよう準備を整えながら補給態勢を万全に整えていたのが曹操だから」
Y「そして、援軍さえ到来すれば合肥も襄陽も抜かれる恐れはない」
A「夏侯淵死にましたー! 漢中陥落しましたー! 曹操自ら来ておいて負け戦でしたー!」
Y「うるさいよ」
F「やっぱり相性ってあるンだろうな。ともかく、曹操は死んだが天下三分は崩壊し、予期していた間接戦略は発動の機会を永遠に失った。そして孔明に残されたのは、弱い国と将兵だけだった」
Y「マトモな戦力は劉備が夷陵経由で地獄につれていったからな」
A「お前こそうるさいわ!」
F「というわけで孔明は、雍闓の叛乱を2年放置せねばならないほど衰えていた、蜀の国内整備に専念する。その一方で、南蛮兵まで編入して蜀軍の強化につなげている。のちに涼州兵に目をつけたのも、弱い蜀の兵を補強するためと考えてのことだったはずだ」
A「益州兵は弱かったの?」
F「強くはなかったはずだぞ。劉焉が益州入りしたのは188年だが、劉備の入蜀は212年(成都攻略は214年)だ。州内が安定していたとはもっと思えんが、30年以上対外的な戦闘は起こらなかったンだから。漢中の張魯や南蛮との関係を考えると小競り合いは絶えなかったはずだけど、そんな状況では兵は衰える一方だ」
Y「果ての見えない戦闘にやる気をなくした兵のところに乗り込んで、それでも龐統を失い2年の歳月をかけてようやっと攻略した劉備」
A「その劉備に5年後負けてますー!」
F「だから仲良くしろってのよ、お前ら。劉備の軍勢もかなり士気が落ちていたのは、劉巴について触れたときに見た通りだ。だが、その頃と比べても、孔明時代の蜀軍は質を落としていたことになる」
Y「よくそれで、北伐なんて夢物語を実現しようと目論んだな」
A「その軍勢に半ば以上手も足も出なかったのは誰だった?」
Y「……孔明は、どうやって蜀軍を強くしたンだ?」
F「まずは、繰り返しになるが国力の増強。華陽国志では蜀について『塩や銅を生産し、山や川からの収入は豊富。居住する人口も多く、富は大きい』と絶賛している。だからこそ、賢明な君主を求めその国力を活かすことを、配下の諸将は求めたワケだ」
Y「三劉ののちに事実上の主君となった孔明の代で、ようやく賢明な君主が得られたワケか」
A「劉備を劉焉・劉璋に重ねるなよ!」
F「次に、南征による軍事実習教練。これが、現地の兵員を『飛軍』と呼んで蜀軍に編入することにつながったのは以前見たが、南方からの財貨も軍費に回っていたようでな。南征を起こした225年は、劉備入蜀からわずか11年後のことだ。だのに、国内の税金で軍備を賄おうと云いだしたら、王連ら益州生え抜きの、まだ孔明に心服していない連中が反発するのは必至だろう。正史でも『南方の財産で蜀は豊かになった(諸葛亮伝)』とある」
Y「略取された南方民こそがいい面の皮だな」
A「それについては反論できません……」
F「蜀の経済事情については割と笑えないものがあるンだが、それはともかく。次に、鉄製武器の生産。正確には銑鉄ではなく宿鉄の生産技術確立だが、これについては108回で見たな。初期の製鉄技術は三国時代以前にもあったが、武器に最適の強度を持つ宿鉄を製造する技術はこの時代までなかった」
Y「……今度は俺が反論できんな」
A「馬鈞では蒲元に及ばない、だからな」
F「その蒲元が、孔明の設計した新兵器を製造したのも無視できない要因だと思う。演義では連弩と呼ばれる、十射式の弩だ。連射式の弩はあったけど、これは一度に十本の矢を射出できるもので、射撃間隔が大きいという欠点はあるが殺傷力は大きい。木門道で張郃を射殺したのも、コレの仕業ではなかったのかと思われる」
A「孔明の大発明・そのにじゃねっ」
Y「喜ぶな」
F「実は、この連弩が1964年、四川省で見つかっている。本物かどうかは判らんが」
A「何で?」
F「銘を信じるなら261年製造なんだけど、なぜか銅製なんだ」
A「……変だね」
F「蒲元が死んだのは240年らしいから、この時点製造で銅製ってどうなんだろう。現物を見たことがないので断言はできんが、どうにも奇妙に感じてな。それはともかく、完全な余談になるが、孔明の指揮能力はある程度高かったンではないかと思っている」
A「余談にするなよ、そんな命題!」
Y「余談でもするなよ、そんな妄言」
F「はいはい、仲良くしなさいなアンタたち。というか、結果論から見るとそう考えざるを得なくてな」
Y「陳寿は、孔明の指揮能力をずいぶんとけなしているぞ? 本人が演義で、張昭に『臨機応変の能力がなければ天下の笑い者だ』と自己紹介していたが、ほとんどそんな文章で」
A「表出ろ、ヤスンディッツ・マエダスキー!」
F「だから、いい加減になさい。孔明は、北伐において究極的な目標――魏の討伐を果たせなかったが、5(+1)度の北伐において大敗もしていないンだ」
A「勝てはしなかったが、大きくは負けなかった?」
Y「だが、魏書明帝紀(曹叡伝)には第一次北伐について『張郃が蜀軍を大いに破った』とあるぞ」
F「魏書を出してきたということは、その先のことを覚悟してと考えていいのかな? 確かに第一次北伐では、街亭で馬謖が敗走し蜀軍全体で撤退している。だが、その時の馬謖隊がどれほどの数だったのか思い出してもらおう」
A「……あぁ、五千くらいだっけ?」
F「それくらいだろう。魏延にさえ与えなかった1万の軍を与えるとは思えん。しかも、うち一千は王平分隊だと明記されているので、馬謖隊が全滅しても被害はおおよそ四千。侵攻開始当初に諸郡がこぞって降伏し、撤退に際しても趙雲の孤軍奮闘でまっとうできたことを考えると、蜀軍全体の被害は一万にも満たないという計算が成立する」
Y「……計算としては正しいな」
F「第三次・第四次に加えて魏延の雍州侵攻は、事実上の勝ち戦だった。蜀軍の戦死者より挙げた首級のが多いことは明白。第五次では仲達が穴熊を決め込んだのだから、小競り合い程度のものしか発生しなかった。つまり、大きな戦闘もなく撤退したのであって、その後の魏延の乱で生じた被害には、孔明が責任を負うべきではない」
Y「第二次北伐はどうなんだ?」
F「アレについては敗走を否定する余地はない。攻城兵器も大半が失われたようだが、防御側にあった(積極的にうって出た記述はない)郝昭の兵数が一千だったことのだから、それほど多くの蜀兵を殺すことはできなかったはずだ。以上のことから、五次に及ぶ北伐において万以上の兵数を失ったとは、軍事的にではなく数学的に考えられない。現に明帝紀他に記載されている北伐において『蜀軍を大いに破った』という類の記述があるのは、第一次北伐のみ!」
Y「むっ!? 何だと(確認中)……本当にない!?」

戦役明帝紀曹真伝張郃伝郭淮伝
第一次北伐
(228年)
張郃が諸葛亮を攻撃し、
大いに破った
張郃が馬謖を大いに破った馬謖の軍の水を断ち、
これを大いに打ち破った
張郃は馬謖を、
郭淮は高翔を破った
第二次北伐
(228年)
郝昭らを派遣し
孔明にあたらせた
郝昭らを差し向けて守らせ、
孔明に備えた
「自分の到着までに蜀軍は退く」と読み、
実際に退いていた
記述なし
第三次北伐
(229年)
記述なし記述なし記述なし記述なし
(負けた張本人なのだが)
曹真の益州侵攻
(230年)
大雨が降ったので軍を退かせた長雨から軍を退いた記述なし
(従軍しているはずなのだが)
記述なし
魏延の雍州侵攻
(230年)
記述なし記述なし記述なし記述なし
(負けた張本人なのだが)
第四次北伐
(231年)
仲達を派遣し諸葛亮にあたらせ、
諸葛亮は逃走
(死去)追撃し戦死魏軍に補給を行った
(勝敗の言及なし)
第五次北伐
(234年)
諸葛亮が死んだので蜀軍は撤退した(死去)(死去)蜀軍を迎撃した
(勝敗の言及なし)

Y「……おいおい」
F「大敗したのは第一次のみ、そしてその"大敗"も、石亭で曹休が出した被害よりは少ない」
A「慎重な用兵が孔明の身上だからなっ♪」
F「慎重ということは、冒険やギャンブルをしないということだ」
A「……またアキラ、お兄ちゃんの掌の上ですか」
F「いつか触れたが、戦術とはもともと保守的な技術。そもそも孫子の云うように、戦争とは国家の大事であり、国の存亡・民の死生がかかっている。みだりに行ってはならない半面、行うなら勝たねば意味がない。ゆえに、一度確立し効果が実証された戦術は、天才的な英雄が現れ従来のそれを叩き潰すまで、絶対のものとして戦場に君臨する」
A「……つまり?」
F「臨機応変の業に欠けるのは、戦術家としては珍しいことじゃないンだ。堅実な用兵家は敵が攻めてくる場所をきちんと守れる戦力で守っているから、華やかさはないが隙もない。名将は奇抜な戦術など行わない、と孫子にもある」
Y「孔明の本質は、戦略家ではなく戦術家だったということか」
F「それも、野戦に特化したな。現に仲達は『蜀軍が渭水を東に向かえば厄介なことになる』と、平野で孔明に勝つことの難しさを、過去の経験(局地的な敗戦)から理解しているような発言をしている」
A「思えば、王双や張郃はきっちり討ち取っているンだからねェ」
F「うん、郝昭・曹真・費曜はともかく、そのふたりが蜀軍との戦闘で戦死しているのは事実だ。もっとも、いずれも追撃戦で討ち取っている辺り、上手い逃げ方を身につけていたとも云えるが」
A(……逃げるってゆーな)
F「だが、戦術的な優勢は補給線の破綻で覆され続けた。臨機応変な、すなわち、従来の戦術を叩き潰しうる奇抜で効果のある戦術を用いられなかったのが、戦術家としての孔明の本性であり限界であった」
Y「孔明は、戦術家ではあっても名将ではなかった」
F「だから僕は『孔明の指揮能力はある程度高かったンではないか』と云ったワケだ。とうてい、曹操に敵しうるレベルではなかっただろう」
A「ある程度……か」
Y「まぁ、仲達にも及ばんようでは、曹操に勝てるわけがないか」
F「………………」
2人『無言で悩むな!』
F「仲達については場を改めていずれ触れよう。とりあえず、孔明について避けては通れない話題を触れておく」

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