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私釈三国志 125 蜀魏死闘

F「泰永、やすながー?」
Y「あいよー」
F「今回、演義メインのオハナシなんだけど、お前どうする?」
Y「……まぁ、いよう。ツッコミいないとどっかの絵描きが暴走するからな」
教えた奴「いつも暴走しているのはヤスの弟だと思う。アニメイトで『いけ僕』の列伝買ったら各武将のクリアファイルもらえたのを今さら聞きつけて、コイツの居ぬ間に書庫に侵入をはかって、ねーちゃんとヤスの妹さんにボコボコにされてたンだから」
F「知らずに『関羽伝』買ったら最後の一枚だったから、さすがに手放せんのだよ」
Y「不出来な弟で相済みません」
F「では、125回を始めます。このところ正史ベースで暴走してきたので、演義派が『関興! 張苞! 蜀軍勝たせろ!』とやかましくなっている。そこで、演義ではこれまでの北伐がどのように戦われてきたのか、に1回を割く」
やかましい奴「おー(ぱちぱちぱち)」
F「……と云っても、どこからやってないンだ? 演義での内容についても、ちらちらとは触れながら来たからなぁ」
出席者「えーっと、第一次北伐については、姜維まで含めてばっちりやってるから、第二次北伐から?」
F「そうなるか。じゃぁ郝昭戦はほぼ正史通りの推移なので、王双戦辺りからだな。えーっと、陳倉城を包囲していた(117回辺りの)蜀軍だったが、王双率いる魏の援軍が来たとの報告を受けた。イライラしていた孔明は、魏延が『俺が防ぎましょう』との申し出を『大将が出るまでもあるまい』と退け、副将クラスの部将に兵をつけて出した」
A「ところが王双が強いのなんの。その部将ふたりをあっさり斬り伏せた」
F「慌てて孔明は王平・張嶷・廖化を出したところ、王双得意の流星鎚を受けて張嶷が負傷。そこで、姜維が策を弄した。王双の抑えに魏延を残し、その後ろから向かってくる曹真本隊に軍を差し向ける」
A「曹真軍の先鋒は……費耀? だっけ」
F「以前出た費曜なんだろう。曹真のところに姜維から『蜀軍の食糧を焼くから、魏への帰参を許してもらいたい』と書状が届いた。曹真はその気になるンだけど、費耀は『罠では?』と不安がる。そこで費耀がまず蜀軍に向かうことに」
A「もちろん孔明の罠で、合図の火の手に斬りこんでみれば関興・張苞に待ち伏せされて、次々と兵が討たれていく。やっとの思いで逃げ延びてみれば、そこには姜維!」
F「この野郎、と斬りかかっても勝てるワケもなく、火の手と追っ手に包囲されて費耀はついに自害。率いていた兵は降伏したものの、『曹真を捕らえられずに残念です』『大がかりなしかけだったのに小さい奴がひっかかったなぁ』と姜維・孔明さんは云いたい放題。悔しい曹真は(仲達の入れ知恵もあって)、蜀軍の食糧不足を逆用することを思いつく。孫礼に命じて隴右から物資を運んで来させるンだけど、その物資は枯れ草に火薬をブチまけたモノだった」
A「孔明に向かって火計だなんて、身の程知らずにもほどがあるねェ」
Y「誰か鬼○を呼べー」
F「そんなワケで風の強い夜、孫礼指揮する物資の車に火が放たれ、馬岱・馬忠・張嶷(治った)が斬り込む。だますつもりがだまされた孫礼は火の中矢の中をかいくぐって逃げ惑うけど、近くの魏陣も攻略されていて、曹真本隊まで逃げ続けるしかなかった。というわけで、曹真は陣をかためて足を止める」
A「その間に、食糧不足になった蜀軍は撤退。そうとは思っていなかった曹真は、司馬懿の命で来た張郃から『勝ったら蜀軍は退くまいが、魏軍が負けていたら蜀軍は退くだろう』と聞かされて、慌てて偵察を出したところ、ホントに蜀軍はいなくなっていた。曹真はすっかりやる気をなくしてしまう」
Y「なるほど。この辺りだけを見ていると、曹真が『知恵の四号』とは思えなくなるな」
F「そだねー。さて、曹真が守りに入った隙に蜀軍は退いたンだけど、撤退の時間を作るのと同時に、王双への援軍を出せなくする目的もあったようでな。孤軍と化していた王双隊は、対陣していた魏延が撤退を開始したのを嗅ぎつけ出陣する。一目散に逃げる蜀軍を追っていくと、突然背後から『我が軍の陣地が焼かれましたー!』と悲鳴が上がり、見れば夜空も燃えるほどの火の手が上がっていた」
A「これまた孔明の策。魏延が撤退を開始すれば王双は討って出るだろうから、その隙に別動隊が陣に火を放つ」
F「まんまとしてやられた王双の前に、実は別動隊にいた魏延本人が現れた。こんな状況では流星鎚も使えず、王双はあっさり斬り捨てられる。そのせいで兵士が四散したのが救いで、実は魏延率いる別動隊は30人しかいなかった」
Y「大胆なことしでかすなぁ」
F「王双を討って無事退却してきた魏延を、孔明は喜んで迎え、宴まで開いている。この頃にはまだ両者の関係は蜜月だった……それはともかく。孫権が帝位についたある日、陳倉の郝昭が重病との報告が入ってきた。そこで孔明は魏延・姜維に『3日で1万の兵を整え、陳倉に向かえ』と命じる。先の第二次北伐では、30万の軍でも抜けなかった陳倉を、そんな寡兵で攻め落とせと……? と、小首をかしげながらふたりは出陣した」
Y「先の戦闘に、蜀の人口の3割を動員したのか?」
F「演義だからねェ。この頃郝昭は病気に伏せっていたンだけど、『1万程度で俺に勝てるとでも?』と迎撃する気マンマンだった。ところが病が苦しいある夜、突然蜀軍が来襲し、火に包まれた城内は大混乱。郝昭はブっ倒れ、そのまま死んでしまった」
Y「……どーいう最期だ」
A「つまり、3日後に1万の兵で出陣しろと命じたのは郝昭を油断させる謀略で、実際には関興・張苞を連れた孔明自らが陳倉まで来ていたンだよ。3日後にノコノコ現れた魏延・姜維には言葉もない」
F「孔明はふたりに、そのまま北上するよう命じた。散関(地名)を取ってしまえ、というンだけど、郝昭が病に伏せったのを聞いた郭淮は、張郃に替わるよう命じて兵を出していた。ところが散関はすでに魏延・姜維に攻略されていて、討って出た魏延に蹴散らされる」
A「いやー、孔明の神算鬼謀には頭が下がるねっ」
F「曹真が先の敗戦でブっ倒れていたモンだから、仲達に迎撃の指揮を執るよう命が下った。曹叡は使者を出して、曹真に大都督の印綬を提出するよう求めるつもりだったンだけど、それでは曹真が面白くないだろうと、仲達自ら曹真の館を訪ねた。蜀軍来襲と聞いた曹真は寝てもおれず、曹叡の前に病身を押して駆けつけ、仲達に印綬を譲る」
A「野郎の計算高さは着実なモンだな」
F「さて、長安に来た仲達は、武都・陰平が気になった。郭淮・孫礼に命じて兵を出すンだけど、道々ふたりはこんなことを云いあう」

「のぅ、お主は孔明と仲達、どちらが優れていると思う」
「さぁな。どちらとも云えぬが、やはり孔明の方が優れているのではないか」
「確かに……だが、此度の策はそうはいかんぞ。今度こそ蜀軍にひと泡吹かせてくれる」

A「そんなことを云っているふたりの前に、当の孔明が現れて『武都も陰平ももう陥落したぞ、とっとと降伏しろ』と云いだした。実際に、どういう戦闘が起こってその辺りが陥落したのかの描写はない」
F「態度としてはどうなんだと云う気もするが、その二郡を攻略した姜維・王平が背後から、関興・張苞が前から斬り込んだから、郭淮・孫礼も呆然とばかりはしておれず、山道を通って退却する。……が、功を焦った張苞が馬もろとも谷川に転落。そのまま成都に送還された」
Y「ここで口を出しておこう。正史には張苞が北伐に従軍したとの記述はない。というか、正史では『若死にした』としか書いちゃいない。活躍した記述なんぞ一切ないぞ」
A「やかましいわ!」
F「そんなことがあったモンだから、仲達今度は孔明の本陣に攻撃することに。本人が出ているなら……と張郃・戴陵を出すンだけど、それを読めない孔明ではない。攻め込んできた魏軍は伏兵に包囲され、山の上には孔明がいて矢を放ってくる。たまらず張郃は逃げ出した」
Y「おい、戴陵は?」
F「逃げ遅れた。モンだから、張郃は蜀軍の包囲網に取って返し、斬り伏せねじ伏せ文字通りの血路を開いて戴陵を回収。アレが張飛とも互角に戦った張郃か……と、何とか殺そうと決意する」
Y「……あぁ。演義では、街亭で馬謖を破ったのは仲達だったか」
F「そういえばそうだから、この場でその点についての言及がなくても問題はないのか。だが、演義で張郃が張飛と互角だったかという新たな疑問も浮かぶが」
A「圧倒的に張飛有利だったけどなぁ?」
F「さて、この頃丞相に復権した孔明は、じりじりと陣を捨てながら退却を開始する。十日で三十里のペースを守って、三度撤退したモンだから、張郃は仲達を『このままでは漢中まで逃がしてしまいますぞ!』とせっついた」
Y「実際には、その気がない張郃に司馬仲達が追撃を命じた……のは、別の戦闘だな」
A「で、張郃率いる3万が先発し、仲達率いる本隊五千が後に続いた」
F「それを聞いた孔明は、迎撃の人事を整える。先発隊と本隊の間に割って入る者がいないか……と魏延を見ながら云うンだけど、王双の時のことを根に持っているのか、本人は顔を挙げない」
A「自信がなかったンじゃね?」
F「自信の有無を云うなら、あったと思うぞ。なにしろ……は、さておいて。そこで王平・張翼に1万の兵を預けて谷間に隠れさせ、タイミングを計って魏軍の二部隊の間に割って入るよう命じる。必死必殺の心構えで、後のことは孔明に任せて戦え、と」
A「続いて指名されたのは姜維・廖化。3万の兵で山上に隠れていて、王平たちが危なくなっても助けには出るなと命じて、錦の袋を渡し、勝負どころと見たらそれを開けと云いおく」
F「正面から張郃隊にぶつかるのは呉班・呉懿・馬忠・張嶷(兵数不明)。はじめのうちはどんどん退いていいけど、関興が斬り込んだら取って返して攻撃しろ、と命じる。その関興には五千の兵で、合図したら斬りこませる手筈を整えた。この祁山退却戦は、演義では第三次のみならず北伐を通じて最大の会戦とされていて、偉大なる横山光輝氏の三国志では先に見た準備が『蜀魏関ヶ原』、これから見る戦闘が『決戦』と銘打たれている」
Y「……どんだけの戦闘なんだ、オイ」
F「横山氏の偉大なところは、この戦闘のために、それまでの50巻以上(何巻に収録されていたのかはちょっと記憶にない)で一度として"決戦"というタイトルを使わなかったことでな。ほとんど1ページで終わった官渡はともかく、赤壁・漢中攻略戦・夷陵のいずれでも、タイトルにはその語がなかった。……はずだ」
Y「記憶にないのは仕方ないにしても、お前がその六十冊を持ってないのがむしろ不思議だな」
F「我ながらな。ともあれ、決戦の火蓋は切って落とされた。時は六月、炎天下のもと両軍の死闘は繰り広げられる。人馬は汗にまみれ草木は血に萌えた。さすがは魏の精鋭部隊である、正午ごろには蜀軍は五十里近く押しまくられ……」
Y「……待て。お前、暗唱してないか?」
F「さすがに細部および数字はずれていると思うけど、大筋では横山氏のコミックス通りになっていると思うゾ」
A「六十冊暗記してるンじゃないよ!」
F「全部は無理だって。ともあれ、孔明が赤旗を振ると関興隊が魏軍の横腹へと斬り込んだ。馬忠ら四隊も反撃に転じる。悪戦苦闘しつつも踏みとどまる張郃めがけ、王平たちまで背後から襲いかかった。三方から攻め立てられて、張郃は兵たちを叱咤し必死に奮闘。……そこへ、ついに仲達が兵を率いて現れた」
A「本隊だな。今度は王平・張翼隊が挟撃される立場になったけど、ここまでは孔明の読み通りと開き直り、王平は合流しようとする張郃隊を抑え、張翼は包囲しようとする仲達隊へと斬り込んだ!」
F「こここそまさに勝負どころと、姜維・廖化は錦嚢を開いた。そこには『汝ら二隊はこの戦場を離脱し、魏の本陣へと攻め込め』と書かれている。そうなれば本陣を攻略できなくても魏軍は撤退するはずだ、と。動きだした姜維たちは、警戒を忘れなかった仲達の手の者に察知され、本陣に向かっていると聞いた仲達は真っ青になって撤退を命じる」
A「逃げだした司馬懿の本隊に張翼が追撃。張郃隊はほとんど壊滅し、張郃・戴陵は山道を通って必死に逃げる。関興まで追撃に加わって、魏軍は大敗した!」
Y「むしろ、当然のように実はいた戴陵に驚くぞ」
F「眼のつけどころがずれてるぞ。そんなワケで仲達は本陣(姜維たちは既に退却済み)に逃げ帰り『二度と無理な戦はせんぞ!』と宣言。一方で、蜀の本陣に凱旋した孔明のところには、成都で張苞が死んだとの報が届いた」
Y「え? まだ生きてたのか?」
F「まぁな。というわけで孔明はブっ倒れ、それをかばって蜀軍は撤退した……ところで、第三次北伐は終了」
Y「どうしても『勝つには勝っても何らかの理由で退却せざるを得なくなる』という展開が続くな」
F「そうでもしないとそのまま長安・洛陽に攻め入る『反三国志』みたいな事態になるからねェ」
Y「アレはアレでどうかと思うが、コレはコレでどうなんだ」
A「うるさいやい」
F「さて、曹真の逆撃は長雨で撤退に追い込まれたものの、演義では蜀軍が追撃をしかけている。撤退の指揮を執る曹真・仲達は、一日、蜀軍が追撃してくるか来ないかで口論になり、ついに仲達は『十日の内に蜀軍が来なかったら、このヒゲ面に白粉を打って紅を引き、女の衣装を着てお詫びしますぞ!』とまで云いだした」
Y「変態か」
F「そうまで云われては曹真も引けず『蜀軍が来たら恩賜の玉帯と名馬をくれてやる』と、祁山の東西に分かれて布陣し蜀軍を待つことにした。ところが、祁山の東に張った仲達の陣で『長雨なんだから退けばいいのに、将軍様たちは賭けをしていやがる。兵の苦労が判らんのかね』とぼやいている者がいた」
A「聞きつけた仲達は『我らは賭けに興じているのではなく、蜀を打ち破るためにここにいるのだ! 不当な発言は許さんぞ』とそいつを斬り捨ててさらし首に」
F「西祁山への追撃部隊を率いていたのは魏延・陳式たちだったンだけど、駆けつけたケ芝が『伏兵に気をつけろ』との孔明の命を伝えると、陳式笑って『伏兵どころか攻撃すれば勝ちは間違いあるまい。取り越し苦労をなさる』、魏延も『あのとき俺の策を容れていれば、今頃は長安どころか洛陽まで落としていたさ』と根に持っていたことをブチまけた。結局、陳式は五千の兵で出陣してしまう」
A「そして、返り討ちに。四千あまりの兵を失い、生き残った手勢も全員負傷。魏延・張嶷が何とか魏軍の追撃を退けて助かったものの、孔明の先見に今さらながら恐れ入った」
F「一方の東祁山で、曹真は蜀軍が来るはずがないと油断しきっていた。7日めに少し兵が見えたので、秦良を五千の兵で出したところ、すぐに撃退したとの知らせが来る。すでに陳式を破っていた仲達から『こっちには蜀軍が出たので油断されませんように』との使者が来ても相手にしないで、引き揚げてきた秦良を迎えに出る」
A「というわけで、曹真の陣は陥落!」
Y「秦良は?」
F「小勢と見えた兵を追いかけて行ったら、蜀の本隊に完全包囲されて廖化に斬られた。で、捕虜から甲冑を奪って魏兵に偽装し、曹真の陣にノコノコ近づいたワケだ。かくて曹真は逃げに逃げ、ようやっと仲達に助けられた」
A「賭けは仲達が勝った次第。ところが、そんな曹真のところに孔明から『無学な逆賊が武器を捨てて、ドブネズミのように逃げ惑った。今さらどのツラ下げて中原に帰るのですかー?』みたいな手紙が届く」
Y「大人げない」
F「コレにキレた曹真は、悔しさのあまり憤死。復讐に燃える仲達は、孔明に決戦状を叩きつけた。戦陣に立った仲達は『漢の正統を禅譲された我が国に逆らうとは何事か!』と怒鳴りつければ、孔明しれっと『代々漢王朝に仕えておいて、その漢王朝を簒奪するのに手を貸した者が何を云うか』と応える」
Y「どう考えても仲達の側に分があるンだが」
F「ここは演義だからなぁ。そんなワケでぐうの音も出ない仲達は、孔明に陣比べを挑んだ。魏軍が敷いた混元一気の陣を『三歳児でも知っている』と鼻で笑って、孔明は八卦の陣を敷く。知っているなら破ってみろと云われた仲達は、本陣に戻って戴陵ほか2隊を出した」
A「そして、もちろん返り討ちー」
F「まぁ、各隊30人ずつ、合計でも100人足らずで斬り込めば負けるのも無理はない。全員捕まった93人は鎧を剥がれ、裸で返された。逆上した仲達が全軍に攻撃を命じると、背後から関興・横から姜維の奇襲を受けて、兵の過半を失った。またしても陣をかためて巣籠の構えだ」
Y「どこからこんなワケの判らん戦闘を持ってきたのかね、羅貫中は……」
F「ところが、食糧を運んできた李厳の部下が、十日も遅れたことを責められて棒刑を受けた。ために仲達に内通を申し出ると『では成都に戻り、孔明が謀叛したと流言せよ』と命を受ける」
A「この野郎が実施しちまったモンだから、成都は大混乱。残っていた蒋琬が止めるのも聞かずに、ボンクラ劉禅は宦官に云われるまま、孔明に召喚命令を出した」
F「ここで孔明は、最初は一千、翌日は二千……とかまどの数を増やしながら兵を引いていき、仲達に『かなりの数の殿軍を残しているな……追撃やめるか』と思わせる策を用いて、実際に追撃を受けずに漢中へと引き揚げてしまった。あとでそうと知った仲達は『……かなわんなぁ』と嘆息して、洛陽に帰還している」
A「で、成都。孔明に詰問された劉禅は、宦官に云われて退却命令を出したと白状。孔明は、首謀者の宦官を斬り捨て他の宦官も追放したものの、肝心の裏切り者はすでに魏に逃げたあとだった」
Y「前回云っていた奴か」
F「ために『お前らがもっとしっかりしておらねばならんのだ!』と蒋琬・費禕を怒鳴りつけ(て、劉禅にも反省を促し)、次なる北伐に向けての準備を整える。またしても祁山に出陣した孔明だったけど、またしても食糧が足りなくなった」
Y「計画というものがまるでなっちゃいないンだよな」
A「やかましいわ!」
F「そこで隴西の麦を刈り取ることに。姜維・魏延・馬岱と孔明本人が、まったく同じ装束の部隊を率いて、魏軍の前に現れては逃げ、現れては逃げ……と繰り返せば、仲達は『孔明は八門遁甲をよくすると聞いていたが、縮地の術を使っているのか?』と困惑。兵を退かせてしまったので、麦は刈り放題」
Y「何やってるかね……?」
F「そこで郭淮が『じゃぁ本陣を攻めましょう』と、いつぞやと同じ過ちを犯す。孔明のこもる小城を囲んだ魏軍だけど、城壁からは矢の雨が、背後からは姜維・魏延・馬忠・馬岱が斬りこんでくる。やっとの思いで逃げ延びた仲達は、孫礼に雍・涼州の兵を集めさせたものの、これまた鎧袖一触で斬り散らされた」
A「あれ……?」
F「それは130回でやる」
A「じゃぁ納得」
Y「何をだ? というか、何でそこまで簡単に通じる?」
F「それくらいのイベント。そんな孔明のところに、李厳から『呉が魏と通じました!』との急書が届いた。これには孔明驚き慌て、漢中への退却を命じる。あまりにも急な退却だったモンだから、張郃でも追撃を躊躇った」
A「らしくなく慎重だね」
F「手を出しかねていた仲達は蜀軍が空になったのを確認すると、喜んで『誰か追撃しろ!』と云いだす。もちろん張郃が行くと申し出るのに『お前は短気だからなぁ……』と渋る。本人に押し切られて、五千の兵で出発させた」
Y「正史では真逆だったのは前々回で見た通り」
F「追ってきた張郃の前に魏延が立ちはだかり、しばらく戦って引き揚げる。追っていくと今度は関興が出てきて、しばらく戦って逃げた。魏延・関興が何度か交替でそんなことを繰り返していると、やがてとっくり日が暮れて、狭い山道……木門道に誘い込まれた」
A「我に返った張郃が撤退しようにも、石や丸太で道はふさがれ、上からは矢が降ってくる。ついに張郃は、矢を浴びて討ち死にを遂げた」
Y「最期だけは正史に準じたか」
F「漢中に戻った孔明は、やってきた費禕に『何でまた引き揚げられました?』と云われてむしろ驚く。李厳からの書状を見せるものの、李厳は李厳で『食糧は用意していたのに、丞相が兵を退かれてはどうしていいのやら……』という書状を劉禅に提出していたという」
A「演義では、食糧を調達できなくて、それをごまかすためにそんな書状を孔明に送った……とあるね」
F「僕がどう考えているのかは前回に見た通りだ。孔明は李厳を斬ろうとするけど(まだいた)費禕が『あの御仁は先帝陛下に仕えた家臣です……』と寛恕を乞う。事の次第を聞いた劉禅も、李厳の処罰にゴーサインを出して、でも蒋琬にいさめられ、平民に落とした上で追放処分とした」
A「そんなこんなで第四次北伐も終了」
Y「やっと終わったか」
F「タイミング的にはまだ先だが、ここでやっておこう。関興だが、次の北伐を待たずに病死している」
Y「正史では、いつ死んだとの記述はないな。孔明に才覚を評価されたが、二十数歳で死んだとしかない」
F「羅貫中は、関興・張苞を活躍させることで、正史ではあっさり死んでいるこのふたりに『惜しまれつつ退場』という見せ場を与えている。そもそも魏延はともかく、姜維が軍事的に活動しはじめるのは孔明の死後だし、馬岱だって『資料が乏しく、それゆえ蜀史に伝をたてられることもな』いのに、不思議と活躍している」
A「聴衆を喜ばせるために、見せ場を演出したかったのかな」
F「確認しておくと、演義はもともと講談として成立したものです。というか、演義での北伐をまとめる」

年次回数演義での武功演義での失態
227年

228年
第一次姜維を降す
王朗を罵殺する
西羌軍を破る
馬謖が街亭で敗走したため全軍撤退
戦後に馬謖処刑
228年第二次費耀を斬る
追撃してきた王双を斬る
戦前に趙雲病死
郝昭を抜けず、食糧不足で撤退
229年第三次陳倉城の攻略
武都・陰平の攻略
祁山退却戦での大勝利
張苞、負傷し死去
張苞の死に孔明が倒れ、そのまま撤退
230年魏軍迎撃戦秦良・曹真死亡
仲達との陣比べに勝利
退却を完遂
劉禅からの撤退命令に従う
陳式処刑
231年第四次隴西の麦を刈る
雍・涼州兵を討つ
張郃を射殺
李厳の偽報に退却
戦後に関興死亡

A「こうしてみると、撤退理由は戦場じゃなくて別の場所に求められるねェ」
F「直接負けての全面敗走、というのはないンだ。強いて云うなら第一次くらいだけど、アレだって馬謖隊が壊滅したくらいで、全軍に被害が出たわけじゃない。踏みとどまって戦えば戦えたはずなのに、孔明は無理な戦闘をせずに引き揚げた……という書かれ方をしている」
A「それが、孔明の戦争スタイルだった、と?」
F「忘れてはいけないのは、蜀軍が相手にしていたのはあくまで魏のいち方面軍にすぎないという事実。それでも蜀軍を兵力では圧倒している魏軍に、無理な戦闘をして全軍敗走してしまったら、中原回復は夢と消える。最終的な目的、魏の討伐のためには、少しのミスも許されない用兵を求められていた。羅貫中はそれを考えて演義を書いた……というのは考えすぎだろうか」
Y「……実史においても孔明が、負けない戦闘を心がけていたのは事実だな」
F「加えて、北伐のたびに演義では有力とされている武将が死んでいく。趙雲は正史でも認められているが、張苞・関興は活躍どころかほとんど記述がなく、馬謖に至っては劉備をして『口だけ』と云わせていた。だが、演義では活躍が描かれているせいで、それらの武将を失い続けたせいで孔明の悲願は達せられなかった……という演出がなされている」
A「じゃぁ、陳式は? 有力武将でもないけど」
F「アレは、以前見た通り陳寿の父とも思われている武将だ。それが馬謖とほぼ同じ(命令に背いて敗戦し処刑)最期を遂げたことで『陳寿は孔明に恨みを持っていた→陳寿は正史で故意に孔明をおとしめた』という通説を作り上げたンだ。実際のところ、演義を見る分には多少の不公正はあっても、馬謖・陳式の処刑は間違いではない」
Y「そして『だから、正史より演義が正しいのだ』とでも云いたかったのかね?」
F「そこまでは考えていないと思うが、陳式が実際に第三次北伐で功績を挙げているのは見逃せない。この時期の蜀軍で功績を挙げるのは孔明だけでいい、という考えはあったかもしれない。正史に陳式の最期は記述されていないが、魏延が功績を挙げるのは悪くて陳式ならいいのは、陳式なら昇進しても魏延の競争相手がせいぜい。孔明の地位には影響しないと判断したンだろう」
A「……つまり、演義では『孔明は戦えば勝つのに、周囲の横槍で撤退を余儀なくされたせいで北伐が失敗を続けた』と暗示している、ってコト?」
F「そゆこと。さらに『北伐を重ねるたびに歴戦の武将が死んでいき、孔明の背負う武勲と責任は重くなっていった』と、『孔明ひとり頼みの蜀』を演出した。ために、蜀が天下統一できなかったのはやむを得ない……というわけだ」
Y「試合に勝って勝負に負けた、というところか」
A「やかましいわ!」
F「割と重要だぞ、それは。実際には勝負どころか試合でも負けてるンだから」
A「うううう〜っ!?」
F「ともあれ、演義での孔明は天才軍師の謀略ぶりを遺憾なく発揮し、だが魏を討つことはできなかった。その悲劇性を演出するため、羅貫中はさまざまな手法を駆使していた、というオハナシ」
A「惜しいひとを亡くしました」
Y「……誰のこと云ってる?」
F「ところで、と云っておこう。第一次北伐のハイライト・空城の計を、『私釈』本編では完全にノータッチ貫いたので、あるいは今回、触れると思ったヒトがいるかもしれない」
A「期待してたひといるかもねェ」
F「が、それについては番外編2で講釈したので、ここで繰り返すのはやめておきます」
Y「俺は欠席したが、お題がお題だけにどうでもいいのか興味がないのか微妙だな」
A「つまり、聞かなくていいンかい」
Y「返事がほしいのか?」
A「……もう締めちゃってください」
F「続きは次回の講釈で」

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