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私釈三国志 121 三国鼎立

F「リンゴむけたよー」
Y「うぃーす」
F「はい、アキラもお食べー。いちにち一個のリンゴは医者酒睡眠休息いらずだぞ」
A「後ろふたつは要るから! 今朝まで120回やってたのに、リンゴ喰っただけで回復するかよ……。だいたい、ひとつのリンゴを3人で喰って『いちにち一個』は通らんだろ」
リンゴ大明神の第一使徒「まったくだな。もう2個あればいいンだが、あいにく一個しかない」
A「いーから『私釈』やろうぜ……とっとと終わらせてごはん食べに行こう」
F「おーらい。さて、孫権までもが皇帝を名乗り、ついに三人の皇帝が並び立ってしまったのが前回。孔明の目論んだ天下三分の計は、露骨にかたちを変えて実現された……ンだけど、本音としては、今回は少し日にちを置きたかった」
A「120回への反応が見たかった、と?」
F「そゆこと。実は、120回ではいかにも『私釈』らしいことをしでかしているンだが、気づいてもらえただろうかちょっと不安で」
A「……何をしでかした」
F「タイトルが『孫権即位』なのに、肝心の即位に関する記述がほとんどねーンだな、コレが」
A「いつも通りですねっ!?」
F「いや、実は理由がある。どこからどう見ても、孫権は野心に駆られて皇帝を名乗っているンだ。それとも、他の理由が思いつくか?」
2人『うーん……』
F「強いて考えるなら、曹叡・劉禅が皇帝を名乗っているのだから、その向こうを張って敵対するには自分も相応の権威・権力が必要だと判断した……とも云えるが、積極的に魏(ないし、蜀)に侵攻していないからにはこの線も薄い」
A「積極的って言葉からは、かけ離れた性格だモンな……」
F「ただし、野心と云うからひと聞きが悪いだけであって『孫権は天下一統の大望をもって皇帝に即位した』と云えばまだ聞こえはいいし、納得もしやすいと思う」
A「……言葉を変えただけでも印象が大違いになるな」
F「大違いだ。天下三分・三国鼎立は過程であって結論ではない。三国の究極目標は天下統一。曹丕も劉備も孫権も、漢土全域を支配するために戦っていたのだから、野心がなかったかと云えば全員にあったとしか云いようがない」
A「曹操忘れるなよ!」
F「このタイミングでは、曹操は必要ないンだ。曹操は帝位についていない。仮に曹操と献帝の年齢が逆だったなら、献帝は早い段階での禅譲を考えただろうが、曹操が受けていた可能性が皆無だというのは80回で見た通り」
A「むぅ……」
F「曹丕はどうかといえば、野心8割自衛2割で家臣の要請から禅譲を受けている。つまり『受けないなら曹植を代わりの皇帝にまつり上げるぞ』みたいな空気があった。劉備も心理的には野心7割自衛3割、こちらは『今さら魏に降れるものか!』という考えで、皇帝を自称している」
A「曹叡は?」
F「2代め。帝位を継承した者ではなく、三国で最初に帝位についた者を考えているンだってば。そう考えると難しいのが孫権で、ほとんどが野心に思えるンだが別の観点から見るとほとんどが自衛のためだ」
A「別って?」
F「孫権の基本戦略は『呉国防衛』でな。とりあえず呉の国体を守り、外征なんぞ行わない。呉を守るためなら誰にでも頭を下げる。戦下手の孫権が、それでも守成のひとと思われているのはこの辺に由来しているように思える。ために、派手なエピソードに欠ける分、一般的には曹操・劉備より評価が低い」
A「無理もないか。……じゃぁ、呉を守るために帝位についたと?」
F「考えられなくもないが、その『ために』の前後に関連があるようには思えないのが本音でな。呉を守るだけなら魏に降って、呉王の地位を守り抜けばいいのに、魏や蜀の向こうを張って三国の一隅を担っていたのには、やはり天下への野心があったと考えるべきだろうな」
A「まぁ、孫権が野心家なのは否定できないけど……」
F「けっこう重要なオハナシになるが、孫堅はともかく孫策・孫権に漢王朝を重視する意思があったのか、実は判ったモンじゃない。というか、正史・演義通じて策・権の勤皇を思わせるエピソードが記憶にない」
A「……えーっと、孫策は官渡の戦いの折に、許昌を攻めて献帝を救おうとしていたンじゃなかったか?」
F「その時代に曹操の下から献帝を連れ出そうとするのは漢王朝の敵だと云っているだろうが。さらに、実際に兵を出そうとしていたのか判ったモンじゃない。正史には『孫策が動こうとしていたとしたら、それは陳登を討つためだったはずだ』ってツッコミまであるぞ」
A「……改めて考えてみると、他には思いつかないなぁ」
F「うん。献帝を擁する曹操と友好的な関係にあったのを傍証にできなくはないけど、それも孫策が征途半ばで果てたときに終わったと考えるべきだな。何しろ、後継たる孫権は面従腹背を繰り返した挙げ句、皇帝を自称しているンだから」
A「董卓でもやらなかったな、それは……」
F「行間を読もうにも、これはちょっと元の記述がアレすぎる。結果論から見ると、孫策・孫権は漢王朝を軽んじていたと評価せざるを得ん。だからこそ三国鼎立の一隅を担えた、とも云えるが」
Y「漢王朝の正統を継承した魏と、それを認めない蜀、そして、漢王朝なんてどうでもいい呉……か」
F「ただし、繰り返すが三国鼎立は経過であって結果ではない。鼎立して終わりではなく、その後に天下一統に持っていくのが、孔明や魯粛、甘寧と云った天下分割プランを唱えた者の考えだが……以前天下三分について触れた93回に、こんなコメントをいただいた」

孔明の天下三分の計は、曹・孫・劉で勢力を3つに分けて当時強大な勢力を築いていた曹操に対抗することではなく、曹・孫・劉の三人が皇帝になり、天下を三倍に増やす――つまり、天下三倍の計であったのではないでしょうか?
故に斬新であり、魯粛の天下二分の計とは全くの別物だったんじゃないでしょうか?
実際、孫権と曹操は倒すことはできなかったわけですから、極めて現実的で、それでいて皇帝(天下)を3つに増やすという雪男様の言う通り、普通では考えられないモノを当初から考えていた。 故に孔明は偉大であったのではないでしょうか?

F「まずは、ご意見いただいたことに感謝を。そして、リアクションが遅くなったことに陳謝を。改行はこちらで調整させてもらいました」
Y「お前の、孔明への皮肉を真に受けているように見えるな」
F「え? いや、この件に関しては、僕は孔明を本当に評価しているぞ。ただ、今回のネタに都合がよかったので、あの時点で返事をするのは躊躇われただけだ」
A「……また何か企んでましたか、この雪男は」
F「改めて考えてみて、孔明の読みの深さと僕の読みの甘さをを痛感したンだ。ご意見は三段に分けさせてもらったが、『天下三分と天下二分は別物』と『当初から天下三分を考えていた孔明は偉大』はその通りに思えるが『天下三倍の計』は違うと思う」
Y「待て。ご意見のはじめの一歩には異論があるのに、そこから先は認めるのか?」
F「厳密には、天下を増やすことは考えていても、劉備を皇帝にすることまでは考えていなかったようだが……とりあえず『天下三倍の計』には違うと異を唱える」
A「その心は?」
F「天下は天下の天下だ。ゆえに天下を分けることで曹操に対抗するという謀略を目論んだ孔明は偉大だった……と、93回で云った。が、『天下三倍の計』というご意見をリンゴを切りながら反芻していたところ、自分の『私釈』にとてつもない問題があったのに気づいたンだ」
A「真面目に考えろよ!」
F「いや、ニュートンか地傑星かは知らんが、あの時リンゴを持っていたのは何かの導きに思える。リンゴを三つに割れば3人で喰えるが、ひとりあたりの取り分は減るンだよ」
A「はえ?」
Y「……天下を分ければ、天下は増えるが、それぞれの天下は小さくなる?」
F「えくせれんと。絶対量が広がってはいないンだからな。北は万里の長城、西は秦嶺山脈、東と南は海で囲まれている当時の"天下"を三つに分けたのが、天下三分の実情だ。……正直、こんなことに何で今まで気づかなかったのかと思えるほど、単純かつとんでもない問題でな」
A「……何でリンゴなのかはともかく、云われてみれば小さいのか」
F「表現の問題かもしれんが、この現象をして『三倍』とは云えない、というのが僕の結論だ。数は増えたが3倍にはなっていないという、数学では考えにくい状況なんだ。リンゴそのものがひとつでは、3人で喰うには足りない」
Y「そう考えると……孔明がどう偉大なんだ」
A「それが判っていた、ということ?」
F「アキラにしては察しが早いな。確認しよう。正史・演義を問わず天下三分の計は以下のプロセスで提案されている」

1 曹操は皇帝を擁し、中原に強大な勢力を有している。さしあたって敵対するべきではない。
2 孫権は父・兄の遺した地盤・家臣に恵まれているのでこれまた敵対できない。むしろ同盟すべき。
3 荊州は天下一統の拠点となるべき地だが、劉表ではこの地を活かせない。とりあえず奪おう。
4 西の益州はボンクラ劉璋が治めているが、険阻で肥沃な土地なのでこれも奪う。
5 荊・益両州を治め、西南の異民族を手なずけ、孫権と同盟した上で内政を充実させ、天下の変事が起きた時、荊州からは上将を、益州からは劉備殿が兵を出せば、民衆はこぞって正義の軍を迎え、天下統一が実現されて漢王朝の再興もかなうだろう。

F「で、魯粛の天下二分はこんな具合」

1 漢王朝はすでに滅んでおり、曹操を討つことも実質不可能。
2 そこで、江東の地を抑えて天下に破綻が訪れるのを待つべき。北は北で問題を多く抱えているので、その処理に追われている間に黄祖・劉表を討ち長江流域をかため、皇帝を名乗るのが得策。
3(のちに追加) 劉備は天下の英傑なので、彼に荊州を与え同盟相手とすべし。

F「いずれも『天下の変事』『天下の破綻』を待つとしているが、これらは曹操の死を指しているというのが通説だ」
Y「お前の口から『通説』なんて単語が出るとは思わなかった」
A「同じく……」
F「真面目な話続けていいか? つまり孔明は、天下を曹操・劉備・孫権各人の器量・才覚に相応しいサイズに分けることを考えたのではなかろうか、ということなんだが」
A「……もともとの天下は、劉備の手にはあまるものだった、と?」
F「カリスマ性はともかく能力全般において、劉備が曹操に劣っているのは誰もが認めているだろうが。さらに、孫権というよりは三代に渡って江東に根づいた孫家の地盤にも、手を出さないように進言している。残る領域に劉備の"天下"を求めたのでは、と思いついたンだ」
A「主君を含む群雄の能力を分析して、天下を好ましいサイズに分けようとした……か」
F「実は、コレを分析の中心に据えると『何でこんなことしたンだ?』と思えるイベントに、ある程度の説明がつく。なぜ曹操は自ら万里の長城を超えたのか、孔明は南蛮に自ら侵攻したのか。天下を外に広げようとしたからだ。なぜ孔明は劉備の呉侵攻を止めなかったのか。劉備には荊州まで領有できる器量があると思っていたからだ」
Y「では、なぜ孔明の目論んだ通りに事態は進まなかった?」
F「陸遜と曹丕だろうな。孔明は当初、孫権の器量を揚州および交州を治めるのが精一杯と踏んでいた節がある。それほど間違った評価ではないようにも思えるが、ところが孫権どころか周瑜にも引けを取らぬ男がひょっこり現れ、蜀軍・魏軍を破って荊州を鎮護してのけた」
A「孫権より周瑜が上なんだ?」
F「周瑜は『ワタシに関羽・張飛をいただければ天下を盗ってみせます!』と豪語している。孔明の天下三分と魯粛の天下二分の違いは、孫権に長江流域(曹操の支配域にない地域)を統一する器量があるかないか、という点だ。これについて、実は孔明・周瑜・魯粛の意見は一致している。――ない、と」
A「ないンかい」
F「うむ。孔明は『ないから荊・益は劉備殿が治めましょう』と考え、周瑜は『ワタシがいれば大丈夫!』と主張した。そして魯粛は『器量のなさを補うために皇帝になってしまいましょう』とけしかけたワケだ。相違点その2、途中で主に帝位を勧めている」
A「……あ。孔明は、劉備を皇帝にするつもりはなかったのか」
F「当初予定にはなかったな。ところが魯粛は、後に方針転換して、劉備との同盟を重視するようになった。コレもやはり、孫権の度量を見極めてのものだと考えれば説明がつく」
A「アレでひとを見る目があったのは不思議だな……」
F「ただ、孔明が想定していなかった事態が発生する。益州入り・漢中制圧に時間がかかりすぎたようで、曹丕が献帝から禅譲を受けて皇帝になってしまったンだ。これにより『漢王朝再興』の大義名分が途絶えたモンだから、方針変更を余儀なくされた。つまり、劉備を皇帝に据えることで『漢王朝を曹操の手から取り戻せ!』から『我ら漢王朝の領土を取り戻せ!』に切り替えた。93回で云った『益州の民衆に信じ込ませた』謀略だが」
Y「ところが、その皇帝は『呉を攻める!』と云いだして敗走の挙げ句死去」
A「やかましいわ!」
F「孔明について、正史・演義に採用されているエピソードがあるな。学友を『君たちは仕官すれば、きっと刺史や郡主になれるだろう』と評し『じゃぁお前は?』と云い返されると笑って返事をしなかった、という奴」
A「あぁ……あったな。つまり、孔明は隆中で晴耕雨読していた頃から、人物鑑定が得意だったってコト?」
Y「得意ではなかっただろうな。何しろ、云われたひとりは徐庶だが、魏での消息を聞いた孔明は『徐庶がそんな官職とは、魏にはどれだけの人材がいるのだ?』と嘆息しているンだから」
F「馬謖を用いて街亭で敗走する直前のオハナシです」
A「陳寿と手を組んでまで孔明を貶めようとするンじゃねーよっ!」
F「ともあれ、というわけでひげ男爵様。天下三分の計は天下を増やすというより、君主の器量に併せて細かく分けるのが目的ではなかったのかと(今では)思っています。それを思いついた孔明を歴史の神がどう評価するのかは判りませんが、僕の結論としては割と偉大だったように思っていいかと。以上、参考になれば幸いです」
A「ご意見ありがとうございましたー」
F「ところで……」
A「締めたンだから終わってよ! お願い!」
F「鼎立した三国を改めて確認する。魏は、後漢王朝の禅譲を受けて成立した。ところが魏の王権を認めず、あくまで劉氏の血統による天下統治を掲げ、劉備が皇帝に即位した……ものの、死去したため劉禅が帝位につく。困ったことに劉禅は、事実上孔明に政権を丸投げしてしまっている」
A「ホントに困った奴だね、まったく」
F「そして孫権は『劉氏の王権などどうでもいい、俺も皇帝になってなぜ悪い』と帝位を自称した」
A「……あれ?」
Y「……おや?」
2人『……えーっと?』
F「30年前の曹操・袁紹・袁術による派閥抗争が再現されちまったンだな、コレが」
A「……規模が天下に広がっただけで、何も変わっちゃいないのか?」
F「役割としては、劉氏から受け継いだ正統を維持する魏が保守派、神輿が劉氏であればそれでいい蜀が改革派、でもって孫権が革命派だ。どーやら歴史の神が求めた孫権の役割とは、イデオロギー的な袁術の後継者のようでな」
A「だから、前回のタイトルを『偽帝孫権』にしたかったワケですか……」
F「なぜ敬語か。この辺の派閥対立は、それこそ22回『偽帝袁術』を参照してもらえればと思うが、肝心なことなので繰り返しておこう。三国時代ならまだしも、三国志がいつから始まったのかなんて僕には判らん。見方によっては『漢楚演義』だって秦・前漢・楚による三国志とも云えるンだし」
Y「400年以上経ってるのに、たいして変わらん戦争を繰り返しているワケか」
A「人類は進歩しませんね……」
F「続きは次回の講釈で」

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