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私釈三国志 120 孫権即位

7 孫権即位
F「まとめると、孫権は曹操にけしかけられて孫策暗殺を主導した。ところが孫策は、孫権に国事を委ねたいと思っていたから、末期にそれを聞いた孫権は何を思ったか泣き、張昭に『今さら泣くな!』みたいに怒鳴りつけられる」
A「とりあえず張昭は悪い、と」
F「そうとも云えんのだが、それは6回先で見る。かくて孫権は、呉での自分の地位を確たるものにするために、武将たちの暗殺・粛清を繰り返した」
A「実行犯は周泰……」
F「それを正史の行間から読み取った羅貫中は、周泰が華佗に治療されたエピソードを演義に採用することで、ニュアンスとして伝えた……と、僕は思った」
Y「思い込んだ、だな」
F「あいにく『私釈』だ。『僕はこう考えた』『正史・演義はこうも読める』のオンパレードなんだから。ある程度の根拠は示しているが、それを信じるのか信じないのか、どう評価するかの判断は任せる」
Y「ネタとしては面白い……いや、笑えないが、信じるのはどうかというところだな」
F「最近お前らが手厳しくてかなわんな。実際のところ、孫策が死んだタイミングで周瑜が『義兄の後はワタシが継ぎます!』と云いだせば、呉の半分は周瑜についたはずだ。魯粛でも、孫策が死んで孫家を見限り曹操のもとに走ろうとしたのは先に見ている」
A「孫策の死は、江東に動乱を起こしたわけだね」
F「その孫策の義弟にして三公を輩出した周家の御曹司が動けば、呉は割れていた。周瑜や、朱治・程普ら年長の重臣が支持したおかげで、孫権の地位は確立されたが、それは裏を返せば、家臣団が結託すれば孫権を廃立できることになる」
Y「だから、孫権は家臣団の粛清を繰り返した?」
A「気持ちと理屈は判るけど……王としてどうなんだ? それって」
F「呉を国家と考えるとその複雑性が把握できなくなる。孫家を核に江東の豪族が集まった集合体と考えるのが事実に近いと思う」
Y「……あながち暴論でもないな、それは」
F「孫呉では、それぞれの将軍が私兵集団を率いて、それを代々世襲する世兵制がとられていた。孫家の役割はその世兵を養うための奉邑(領土)を配分することにあったンだが、それを封爵制に切り替え、世兵の継承にも口出しし、それとは別の中央軍を編成し、中央集権とでも云うべき政治体制を作ったのが孫権だ」
A「当然、反発は強い?」
F「その反発をはねつけねじ伏せ敵や家臣と戦い続け、かくて229年4月7日、孫権は皇帝に即位した。ここに、皇帝3人が並立するという前代未聞の時代が幕を開ける」
Y「歴史的な意味での三国時代が始まったワケだ」
F「続きは次回の講釈で」

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