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私釈三国志 120 孫権即位

3 東西並立
F「話を戻すが、天下を東西に分割するこの提案は、おおよそ孫権が云いだしたものと見ていい」
A「その心は?」
F「分割案が適当にもほどがある。劉備は涿県(幽州)、孔明は瑯邪郡(徐州)の出身だぞ? また、兗・冀が蜀で幽州が呉というのも解せない」
A「どっかに地図ないか?」
F「紙でならいくらでもあるンだが……スキャナ持ってないから掲示できないンだよな。とりあえず、お前は確認しておけ。この天下二分案が割と無茶なのが判るから」
A「……あー、確かに。冀州が海まで到達してるから、幽州が呉領だと飛び地になるのか」
Y「荊州はともかく、故郷の地は割譲しないと心情的に蜀が納得しないか」
F「陳震(荊州出身)は祝賀使節ということで、ある程度相槌を打ったのか、それともそこまで気が回らなかったのか。とりあえず、まっとうな地理感覚があるならこの分割案はちょっとおかしいのに気づいたはずだ。酒が入って頭が緩んだンだろう」
A「つくづく思うが、お前って孫権には手厳しいよな」
F「アレをまっとうな君主だと評価するのがどうかしているように思えるがな。意外に思うかもしれんが、割と暗君入っているンだぞ」
A「そんなに非道い君主か?」
F「では、列挙してみよう。酒に酔って大暴れし、戦争に出れば負け、小人・悪人を重用し、女を美人というだけで後宮に入れ、無実の家臣を弾圧・粛清し、後継者問題を起こして呉国滅亡の原因を作ったンだぞ」
Y「……どこからツッコめばいいのか判らんのじゃなくて、ツッコめない。ことごとく事実だな」
A「しでかした悪事だけ挙げると董卓にも引けを取らんのか?」
F「袁術でもかわいく見えるのが、この暗君の恐ろしいところでな。加えて云うなら、正史・演義問わず大人気の関羽を殺し、演義では善玉とされている主人公・劉備を一敗地にまみれさせて死の原因を作り、孫策の遺言に背いて張昭を冷遇した挙げ句門に土をもって火までかけている。よくもまぁ、これで52年も呉の君主を張っていられたものだと、むしろ感心するぞ」
A「非道ェ……」
F「ただ、功績もちゃんとある。優れた家臣を集め、その進言を容れ、状況によっては敵にもへりくだって難局を切り抜け、戦機充実と見るや兵を出して勝利を演出している。地位や役職にはこだわらず、相手が長年の家臣でも新参者でも分け隔てなく扱い、功績は評価し罪は罰した」
Y「ある程度まっとうな行いもしているのか」
F「そもそも、割とぼかしていたンだが、孫策時代の勢力圏は、揚州内部でも五郡にすぎず、江東全体に支配権を確立したのは孫権の代だ。しかも、孫堅の代から使えていた家臣や孫策の名声・人格に惹かれて集まった家臣を率いてな。何かにつけて"小覇王"・"美周朗"と比較されたのは疑う余地がなく、孫権が劣等感からひねくれた可能性は高い」
A「お前の精神鑑定は家庭環境に全てを由来させるという絶大な問題があるからなぁ……」
F「事実だなぁ。とりあえず、孫権という男は善悪両面備えており、年齢とともに悪の面が表に出てきている。昔の英明さが薄れてきているのか、それともこれが本性かは微妙なラインだが」
A「この年……48歳か。ボケる年じゃないと思うンだがなぁ」
F「曹操は北で袁家と激闘を繰り広げ、劉備なら赤壁の戦いが一段落した頃だな。孔明とはひとつしか違わんし、曹丕はその年齢までに死んでいる。比較対象が難しいところだ」
Y「劉禅がその年になるのはまだまだ先だしなぁ」
F「その頃にはもう蜀が滅んでるはずだぞ、確か。……よいしょ」
A「? 何でお菓子を避難させる?」
F「20年後にやるつもりだったが、今回やろう……といつかのようなことを云う。正史三国志研究の世界的権威たる羅本さんが、自身の著作で、孫権を劉邦に比しているのはいいな?」
Y「ぶっ!?」
A「はあっ!? 羅本って……羅貫中か!?」
F「よけておいてよかった」
Y「なに……? 待て、待て……頭が落ちつかん」
F「先天的なものじゃないか? うっかり長兄。羅貫中より正史に詳しい誰かがいるなら、裴松之くらいだろ」
Y「誰がうっかりか。……いや、待て。まさかここで、演義そのものを出してくるとは思ってもみなかったから、本気でどうリアクションしていいのか判らん。何を云いだした?」
F「何のために13回に渡って『漢楚演義』をやったと思っている? そのタイトルの由来もな。劉邦がどんな君主だったのかいまさら確認する必要はないと思うが、演義での孫権と劉邦には共通点が目立つ」

項目劉邦孫権
容貌将来富貴を得る風貌だと評価される高貴の相をしたいかにも只者ではない男と評価される
地位の由来戦乱を乗り切るべく祭り上げられた孫策の死によって国を継いだ
部下・1新参の陳平を厚遇し、武将たちに避難されても重用した新参の魯粛を厚遇し、張昭らに避難されても重用した
部下・2趙に出征中の韓信から兵を取り上げる曹仁と対峙している周瑜から兵を自分の下に引き抜く
部下・3酈食其を厚遇したものの、ほとんど見殺しに近い最期を遂げさせる張昭を厚遇したものの、最後まで丞相には任じなかった
部下・4祭壇を築いて韓信を大将軍に任じるセレモニーを行う祭壇を築いて陸遜を大都督に任じるセレモニーを行う
部下・5鯫生を信じてえらいことになる呂壱を信じてえらいことをしでかす
部下・6功臣の多くを粛清部下の多くが最期をまっとうせず
戦闘・1紀信を犠牲に滎陽城から撤退淩操を犠牲に江夏の戦場から撤退
戦闘・256万からの軍勢を率いていたのに項羽の3万に蹴散らされる10万からの軍勢を率いていたのに張遼の800に蹴散らされる
戦闘・3よく負けてよく逃げる自分で兵を率いるととにかく負ける

F「こんな具合だ。ちなみにいずれも酒と女が大好き
A「いや、恣意的に似てるものを挙げていけば似るだろうさ! 演義にはっきり『孫権には劉邦の風格があった』とか書いてあるなら判らんでもないが、共通点があるだけで羅貫中がモデルにしたとは云えん!」
F「アキラ、劉邦とは何者だ?」
A「項羽を殺したノンダクレのスケベ親父だ!」
F「そして、漢王朝の創始者だ。劉備を漢の正統と任じる演義で『孫権と劉邦は似ている』などとはっきり書けるワケがないだろうが。イメージとはいえ正統性を呉に移すことになりかねん。だが、この通り似ているエピソードは演義の端々に散りばめられている」
Y「……それらを集めれば、お前が望む道につながるワケか」
F「道じゃなくて線な。羅貫中が何を考えているのか、演義の行間、渡辺氏の云う『影の旋律』を読むことがどれだけ重要か、何度も語ってきただろう。正史における孫権の性格・特性が君主としては望ましいものではなかったから、羅貫中は劉邦をベースにして性格付けを行った。……と、僕は読んだ」
A「羅貫中は劉邦をモデルに孫権のキャラ付けをした……か」
F「この辺りの孫権の所業は、正史でも書かれているものがあれば、演義での創作もある。そして、羅貫中は割と悪意を持って採用するエピソードとしないエピソードを選んでいるのは、80回・100回で見た通りだ」
Y「呂伯奢の件や裴潜による劉備評のことか。確かに、裴潜の発言が演義にあれば、もう少し劉備の評価はまっとうだったろうに」
A「やかましいわ! まぁ……確かに、魯粛の処遇を張昭が非難するってエピソードは、あったか記憶にないな」
F「また、実際には負け戦が多いのにそんなイメージがないのも、羅貫中の筆が巧妙なところだ。僕も顰に倣って、俗に『72戦1勝71敗』とされる劉邦の対項羽戦績をごまかすように『漢楚演義』を編集したが」
A「……へんなこと真似するンじゃありません」
Y「気づかなかったのは認めるが……」
F「ともかく、上の表で見た孫権・劉邦の相似性は認めるだろう?」
Y「確かに、これらだけを見れば似ていることは否定できん。だが、これが何を意味する? 羅貫中が孫権を劉邦に似せた理由は?」
F「割と重要な話だよ。以前触れた、孫策殺しの理由なんだから」

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