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私釈三国志 119 兵聖孫武

F「……あれ?」
A「どした」
F「おかしいな……予定表だと今回が116回になってる。どこで間違えたンだ、オレ? えーっと……あ、『西羌軍団』を消し忘れてた」
Y「その予定表、俺にも見せてみろ」
F「お前の耳こそきょうは安息日になってろ。……まずいなぁ、120回に『孫権即位』持ってくるには、どっかで1回増やさないと。突発性間抜け症候群が再発したかな」
A「常駐じゃね?」
(ぺぺんぺんぺん)


F「というわけで、今回はコラムですー」
Y「ジャブからアッパーにつないだか」
F「一度は"孫子"について触れておこうと思っていたしな。次回『孫権即位』をやる前に、やっておいてもいいだろう」
A「回数あわせの割には、計算ずくのタイミングと内容じゃね?」
F「何だろうねェ。ともあれ――"孫子"の前に兵書なく、"孫子"の後に兵書なし。人類史上"唯一"の兵法書たる"孫子"について。……まぁ、『"孫子"の前』にはひとつあったンだけど」
A「……いや、あったのか?」
F「僕、どっかで云わなかったか? えーっと、著したのは春秋戦国時代の呉に仕えた武将(ただし、出身は斉)でな。司馬遷の史記に逸話が残っている。王様("臥薪"夫差の父)に自身で書いた兵法書を献じたところ『お主の兵書十三篇は読んだが、実戦での役に立つかは判らん。ひとつ実践して見せてくれ』と云いだした」
A「兵法家としては評価できても、武将として使えるかを確かめようと考えたワケか」
F「そこで、後宮の女たちを兵に見立てて練兵することになった。王の寵愛篤いふたりを隊長格にして90人ずつを指揮させ、孫子本人は陣鼓を手に号令をかける」
A「でも、女たちは笑うばかりで相手をしない」
F「王様が高いところから見ていたので、孫子は『将たる私の説明が不足していたようです』と弁解して、女たちに号令をしっかり教える。孫子が右云ったら右を向く、左云ったら左、という具合だ。確認してから孫子はもう一度号令をかけるけど、やっぱり女たちは笑うばかり」
A「……で、孫子はキレた。何がおかしいかー! と怒って、隊長にしたふたりを斬り捨てると息巻く」
F「慌てて王様が止めようとするけど『説明不足なら俺のせいだが、しっかり説明したのに聞かないのは隊長の責任だ!』と豪語し『軍中にあるからには王命よりも現場の判断が優先される』とふたりを斬り捨てた。女たちは震えあがり、以後孫子の命令に従うようになる」
A「無理もないか」
F「逆らうなら確たる決意がないといかん。誰かが殺されたからと従うのははっきり最低。女たちは、皆殺しになってでも孫子を貶めるか、殺される前から従うべきだったンだがな」
Y「……ヒトは、お前ほど強くないンだよ」
F「というわけで、孫子はのうのうと王様の前に進み出た」

孫子「この通り、女たちは命令を遵守するようになりましたぞ。試しに降りてきてお命じください。火の中水の中にでも飛びこんでいくでしょう」
王様「もういーから宿舎に帰ってくれ……あのふたりを殺されては、ワシはそんな事をする気にならん」
孫子「どうも陛下は、兵法の字面をなぞるのはお好みでも、実践するのは本意ではないようですなぁ」

A「……これじゃ息子が"臥薪"もするか、と思えるくらいダメな君主だな」
F「それでも孫子を将として、隣国の楚・斉・晋に威容を示した……とあるがな。ただ、なぜ孫子がこういう態度に出たのかは、単純な理由じゃないかと思っている」

 ――将聴吾計用之必勝留之 将不聴吾計用之必敗去之(我が進言を容れるならその国は勝つのだから、私は留まる。だが、我が策を容れないならその国は負けるだろうから、留まってなどやらない)

A「……王に試されて頭に来た、と?」
F「うん。せっかく兵法書を献じたのに、どうして俺を試すのだ……とでも思ったンだろう。一方で王様の性格も読みきっていて、女たちを斬っても罪には問われないと踏んでいた。だから、強烈なインパクトで王様に心理的ダメージを与え、自分を売り込むのに成功したワケだ」
A「下手なことをすれば自分の首が危ういのに、きっちりやり遂げた辺り、さすがだと思わずにはおれんな」
F「ともあれ、ここまで『孫子』で通してきたが、本名は孫武という。この"子"は先生の意味で孫先生、孔子なら孔先生だ。今回で"孫子"とあったら兵法書、孫子なら人名扱いで。ちなみに、ふたりはほとんど同時代を生きた」
A「孔子の死後が戦国時代で、それまでが春秋時代だもんな。過渡期にいたワケか」
F「史記に遺されている孫子の行跡は、実際のところ今まで見てきたのでほぼ全部だ。ために、孫子の存在を疑う声はずいぶん根強かった。何しろ、稀代の兵法書の著者の名が"武"では、疑いたくもなるだろう。内容にも、春秋期ではなく戦国期でなければ用いられない表現が含まれているし」
A「あぁ、別の誰かの著作じゃないかって話になったンだったな。子孫の孫臏が本当の著者だ、いや伍子胥だ、范蠡だ……だったか」
F「伍子胥というのは孫子の同僚で、同じく呉に仕えていた。実は楚の大臣の家に生まれたンだが、お世継ぎ騒動で父が捕らえられてな。出頭を命じられたンだが、兄に『俺は死んで父に尽くす、お前は生きて名を残せ』と云われて呉に出奔。で、孫子の助力もあって楚の王都を攻略し、すでに死んでいた父兄の仇たる当時の王の墓を掘り起こし、死体を鞭打ったことで知られている」
A「……ずいぶんなお人で」
F「呉王が夫差の代になった頃には宰相の地位にあったンだが、そんな性格から疎まれるようになってな。ついに死を賜ることになった。それなのに『俺の眼を抉り出して城門にかけておけ! 呉を滅ぼすのが誰なのか見届けてやる』と豪語している」
A「まったく懲りちゃいなかったワケか」
F「実際に、呉はそれからしばらくして滅んだンだけど、夫差は『伍子胥にあわせる顔がない……』と、自分の顔を布で覆ってから自害したとか」
A「……死に際は天晴れだな。その頃、孫子は何をしていたンだ?」
F「記述はないが、呉を滅ぼした越と戦火を交えはじめた頃に、夫差が王になっている。その前後には死んだか呉を見限って離れていた、というのが有力だな」
A「夫差があてにならなかった、というところかね」
F「で、その越軍を率いて呉を滅ぼしたのが、"嘗胆"勾践に仕えた范蠡そのヒトだ。陶朱公とも呼ばれ、中国史上屈指の大商人だが、軍を率いる才にも長けていて、孫武・伍子胥によって鍛え上げられた呉軍を打ち破っている。呉を滅ぼすと『国を富ませるのには成功したから、今度は家を富ませてみよう』と身を引いて商人になり、巨万の富を得たという」
A「功成り名遂げて身を引く……か。中国人の理想だな。最後の、つーか最初の孫臏は?」
F「アレは孫武から百年くらいあと(孟子と同時期)の子孫だが、孫臏が孫子ではないことは確認されている」
A「その心は?」
F「1972年に『孫臏兵法』が見つかってるンだ。その内容があまりにも低レベルだったモンだから、とても孫子とは思えない……と脱落した」
A「ダメじゃん」
F「低レベルと云えば、俗に孫呉と並び称されるが内容では圧倒的に劣っているのが、呉子。著したのは呉起という武将だが、政治力にも優れていて、どこかの国に仕えては重用されて出世するのに、同僚に疎まれて追放され他国に逃れる……という人生を送っていた」
A「才能はあっても世渡り下手だったワケか? それとも、忠誠心に欠けていたのか」
F「たぶん前者だ。仕えていた王様が死んで後継者争いが起こり、王様の死体を埋葬さえできずにその場で矢が飛び交っていたモンだから、王の死体に我が身を覆いかぶせ、矢を浴びて死んでいるンだから」
A「……悪いひとじゃなかったンだな」
F「ここまでは、基本的にはいつぞや『妙才暗躍』で書いたことを拡大しているだけだ。孫子が誰なのかについて、僕の考えをもう一度述べておく」

『"孫子"の著者が誰かという疑問は、もの凄く単純に応えられる。孫子だ。……そこで飛蝗石を握ったひと、まず手を開いてほしい。孫子とは、云うまでもなく個人名ではない。この"子"は"先生"の意なので、要するに孫先生だ。じゃぁその孫先生とは誰なのか? それは、多分考える必要はない。それが孫武であれ孫臏であれ、兵法の極意を受け継ぐ者こそが孫子である。兵聖の称号。それこそが孫子だと僕は思う。……それならば、曹操やナポレオンが孫子であっても、一向にかまわないのではなかろうか』(『世界奇人変人列伝』より)

F「さて。兵法書としての"孫子"は、今日では十三篇。司馬遷の史記でも、さっき見たように十三篇となっているンだけど、漢書では八十二篇となっていて、それを魏の武帝が十三篇に編纂し直したものが『魏武注孫子』だ。云うまでもなく『魏の武帝』とは曹操を指し、つまり、現存する"孫子"は曹操の手によるテキストだと云っても過言ではない」
A「『真・恋姫』では、その八十二篇ヴァージョンが呉ルートで出てきて、魏ルートでは曹操が注釈を加えているところが描写されていたな」
F「僕も漢語での原文は持っているが魏武注だ。単純に触れると、第一篇は全体の序論にあたり、戦争を始める前に熟慮しなければならない旨が述べられている。第二篇は軍費の問題からの軍需計画論、第三篇は『戦わずして勝つ』要道をまとめている。ひとによっては『その先の十篇は読む必要なし』とさえ云う」
A「……事前準備がそんだけ重要視されているワケか」
F「第四篇、攻守の態勢。第五篇、軍の勢いについて。第六篇、主導権の重要性について。この辺りは戦術論だな。第七・八・九・十・十一の五篇では、実戦にあたっての配慮がメイン。第十二編は火攻め・水攻めについて。そして第十三篇では用間、つまりスパイの扱いに関して一篇が割かれている」
A「戦術的なことについても、ある程度割かれているワケか?」
F「どっかで云ったが、究極の戦術とか至高の戦略とかは書かれてないけどな。こういう地形ではこう動け、敵の裏をかけ……などなど、原則論に終始している。冒頭三篇だけとは云わんが、それらと第十三篇だけ読んでいれば充分という気もしなくはない」
A「それじゃ面白くないだろうに……」
F「"孫子"十三篇を通じて書かれているのは、ぶっちゃけてしまえば冒頭の一文を補うものだ」

 孫子曰 兵者国之大事(孫先生は云う、戦争とは国家の一大事である、と)

F「戦って勝つことを最上とはしておらず、戦わずに勝つことをこそ至上としている(是故百戦百勝 非善之善者也 不戦而屈人之兵 善之善者也:謀攻篇)。好戦的であってはならないと戒めていて、よくよく熟慮していれば戦う前から勝敗を知ることができる(吾以此知勝負矣:計篇)とまで云いきっている」
A「だから、お前の場合は冒頭三篇とスパイ篇か。敵を知り己を知ればってアレだな」
F「原文では『彼を知り己を知れば』何度戦おうと危険はないが、彼を知らず己を知るなら勝ったり負けたりし、彼も己も知らなければ戦うたびに危険だ(知彼知己者 百戦不殆 不知彼而知己 一勝一負 不知彼不知己 毎戦必殆:謀攻篇)だな。敵味方の情報を正確に把握し、主従軍民一体となり、訓練の施された精兵を多数そろえ、軍需物資を整え、時勢・地勢・天候の好ましいタイミングで短期決戦せよ。物凄く単純にまとめると、孫子はそういうことを教えているンだ」
A「単純でもそれを実現するのは難しくないか?」
F「『シャドウラン』というTRPGがあるが、これの標語を知っているな? 泰永」
Y「油断するな、迷わず撃て、弾を切らすな、ドラゴンには手を出すな。……だったか」
F「勝機と見たら即座に動く決断力と、事前の準備。加えて、強敵には当たらない勇気。それらよりもまず『油断するな』と云っている辺り、孫子に通じるものがあると思うのは僕だけだろうか」
Y「メイドインUSAのゲームにそこまで求めるのはどうなんだ?」
F「そう卑下するモンじゃないンだが……さて。正史ではともかく演義において、"孫子"にのっとって双方の動きを見ると『これじゃ負けるわな……』と納得するようなものがある。渡辺氏が挙げているのは演義の三十九回、世に云う博望坡の戦いだが」
A「夏侯惇が、孔明が火攻めの準備をしているのに気づかずに趙雲を追いかけて、あっさり魏軍が火にまかれるアレか」
F「演義には『昼に風が起こり、夜になって激しくなった』とある。魏軍メイン級では随一の慎重派・李典に『火攻めにされたら危ないですよ……』と云われた時には遅かった、というものだが、実は"孫子"にこんな記述がある」

 風久 夜風止(昼の風は長く続くが、夜になるとおさまる:火攻篇)

F「昼から吹いていたのだから、夜になればこの風はおさまるだろう……と、夏侯惇は考えていたと読めるンだ。つまり、"孫子"の内容が頭に入っていたワケだが」
A「……ところが、相手は風雨を自在に操る孔明だった」
F「"孫子"の内容が頭に入っていないと『夏侯惇はアホやなぁ』と考えてしまうが、そーいう浅い読みこそ羅貫中に『やーい、ひっかかったー』と笑われることになるぞ」
A「ぅわー……『真・恋姫』見てるととてもそうは思えん……」
F「最近やった街亭の戦いも、"孫子"で考えると面白い分析がある。演義の九十五回、馬謖は山上に陣を張り、水を断たれて張郃に敗れているが、こんな記述がある」

 視生處高 戦隆無登 此處山之軍也(高みを見つけたらそこに陣を張り、高いところにいる軍に向かってはならない。これが山での戦争である:行軍篇)
 高陵勿向(高い丘にいる軍を攻めてはならない:九変篇)

A「……馬謖が山上に陣取ったのも、間違いではないのか」
F「まぁ、な。ところが、張郃も兵法を知らなかったわけではない。彼は『隆きに戦い登る』ことも『高陵に向かう』こともしなかった。下から上に向かうことをしないで、山を包囲して水路を絶っただけだ」
A「孫子の兵法を逆用したワケか」
F「馬謖の油断だな。兵法書をなぞるばかりで、実践できていなかったのがここで響いた」
Y「劉備に何を云われたのか忘れていた孔明も悪いが、実践できなかった馬謖はもっと悪い、ってコトか」
F「そゆこと。ために、逃げ帰ってきた馬謖は孔明から『生兵法とはお主のことだ!』と罵倒されている。云い得て妙だな」
A「何だかなぁ」
F「ところで……」
A「はい、何!?」
F「"孫子"を高く評価する声は、洋の東西・時代を問わず根強い。ナポレオンや東郷平八郎が愛読していたのは有名だし、欧州大戦で敗れたプロイセンのヴィルヘルム2世は『20年前に、この本を読んでおればなぁ……』と嘆息している」
A「それも『妙才暗躍』で聞いたけど、ヨーロッパでも"孫子"は高く評価されていたワケか」
F「うむ、英語圏での"孫子"への評価は極めて高い。英語版のタイトルにこそ、白人の"孫子"への評価が見えている」

 The Art of War.

A「……戦争の芸術って」
Y「どこまで高く評価しているンだ?」
F「続きは次回の講釈で」

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