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私釈三国志 117 鉄壁郝昭

F「はいっ、ではでわ新年初回となります117回を始めますー」
A「何か懐かしいなぁ。ほんの2週間ぶりなのに」
F「その間、割とばたばたしてたからな。『真・恋姫』発売からこっち、アクセス数が割と伸びてる。『夢想』の時同様に特需があるのはいいけど、しばらくクニに帰っていたから無沙汰を通したな」
Y「リアクション薄いのがこのサイトの問題だよな」
F「人生マイペースで行こう。さて、揚州で魏と呉が一戦交え、魏が大敗と云っていい被害を出して撤退し、質はともかくいち方面を将として預かっていた曹休が憤死した……というのが前回のあらすじ。これが228年の9月のこと」
Y「116回公開時点では、年表まったく修正しなかったけどな」
F「忘れてました! えーっと、この戦闘は9月に行われたンだが、激動の228年はまだ3ヶ月残っていた。冬になろうというのに、孔明が兵を挙げている」
A「世に云う第二次北伐だな」
Y「野郎の頭の悪さが明らかになるな。春先に大敗を喫しておきながら、半年そこらで再び動くンだから」
A「やかましいわ!」
F「お前、リアクションはその台詞で統一するつもりか? 云うまでもないだろうが、孔明が再出兵を急いだのは石亭の戦いが悪影響している。魏の意識と戦力が呉に向いている間に動いておこうと考えたようでな」
Y「短絡的だなぁ」
A「孔明に何か恨みでもあるのか!?」
Y「恨みはない。軍事的な実績もないのになぜか軍師として高く評価されているのが気に入らんだけだ」
A「フォローしてっ!」
F「その辺は130回に流すとして、タイミングそのものは悪くないだろうね。対呉前線で大敗を喫したのだから、魏には立て直しが求められた。その隙を衝くのは、道義的にはほめられたモンじゃないが、軍事的には正解だ」
Y「こーいうのを火事場泥棒と……」
A「しばらく黙っとけ!」
F「アキラがいると泰永が聞き手に回らなくていいから、僕としては大助かりだ。ただし、結論から云えばこの出兵は失敗している」
A「ひとりでオハナシをとんとん拍子に進めてるンじゃありませーんっ!」
F「むぅ。本題から離れたところでぎゃーぎゃーわめいてるのに絡めと云われても難しいものがあるンだが。演義では、呉から『この機に乗じて魏に攻め入れ〜』とけしかけられてその気になったンだが、冬に兵を挙げたということは、蜀軍は秋の時点で既に再編されていたことになる」
A「孔明を高くは評価できんでも、この辺りの事務能力は認めろ」
Y「前線に出なければ優秀なんだがなぁ」
F「話続けていいのか? ただし、向かう先は隴右ではなかった。祁山経由で関中に向かおうとして失敗した第一次北伐の轍を踏むまいと、直接関中へと兵を出した。魏延立案のコースよりは、ちょっと西になるが」
A(←泰永を抑え込んでいる)「むー、やはり劉備の見立ては正しかったというところか」
F「そゆこと。最初からそのコースを進んでいればよかったンだろうけど、二度めの出兵ということで魏の側にも備えができている。曹一族の『知恵の4号』曹真が『次に孔明が兵を出してくるとしたら、必ずこのコースをたどるだろう』と予見していて、関中平野の西門とでも云うべき陳倉(地名)に城を築かせていた」
A「……演義での間抜けな曹真を知っていると、その評価はどうかと思う」
F「実史での曹真は、蜀の侵攻に立ちはだかった最大の関門だぞ。しかも、この関には郭淮・張郃という一双の門扉もかかっている。馬謖程度では太刀打ちできなかったのはすでに見た通りだが、曹操が趣味と実益を兼ねて集めに集めた魏の人材層の厚さは筋金入りだった。陳倉での実務指揮にあたったのは、この三者のいずれでもなく、雑号将軍の郝昭だった」
A「格下だった、と」
F「地位と名声では劣っているな。だが、そのレベルの部将にさえ能力が備わっているのが魏の怖いところ。勇敢な若者は軍に入ると頭角を現し、10年以上西域の防御にあたっていたほどの歴戦の武人に成長していた。……先の北伐で何をしていたのかは今ひとつ判らんが」
Y「正史に記述はないが、本隊にいたンじゃないか? だから、戦後処理に回された」
F「現場にいたと考えるのが妥当かね。ともあれ12月。出兵した孔明は、曹真の読み通り陳倉を通って関中を目指した。ここに第二次北伐の幕が開く」
Y「すぐ降りるがな」
A「うるせぇーっ!」
F「演義では、先遣隊として魏延を出したのに、本隊が到着するまでに陳倉城を抜けなかったモンだから、孔明は『魏延を斬れ!』と怒っている。ところが幕僚チームの靳祥が『私は郝昭と同郷ですので、説き伏せて降伏させましょう』と申し出たから、機嫌を直した」
A「このまま斬っちゃえば後腐れはなかったのに……」
F「実は斬れない事情があったンだが、それは次回だな。靳祥の名は正史でも見られ、孔明の命で郝昭に降伏を勧告している。だいたいの台詞は演義でも似たようなモンだ」

 魏の法も俺の性格も、お前ならよく判っているだろう。魏の王室から多大な恩顧を受けた俺に、いまさら降伏などと云ってどうする。俺は命賭けで戦うだけだ、もう何も云うな。戻って孔明に伝えてくれ、すぐに攻撃してこい、とな!

A「かなりの忠誠心なんだよなぁ」
F「この発言を聞いた孔明は、それでも靳祥をもう一度送り、兵数でも軍備でも敵わんのだから自滅を避けるよう説得させている。だが、郝昭は弓を手に拒絶。正史(注だが)にさえ記載されたその台詞を引用する」

 ――云うべきことはもう伝えた。俺はお前を知っているが、矢はお前を知らんのだぞ!
 前言已定矣 我識卿耳 箭不識也

A「演義だと『俺にお前を射させるな!』って台詞なんだが、正史での台詞のがカッコいいじゃないか」
F「そっちは『吾前言已定 汝不必再言 可速退 吾不射汝(もう云うべきことは云っている、何も云うな。とっとと失せろ! 俺にお前を射させるな)』だな。こっちだとちょっとだけ靳祥に友好的」
Y「原文まで提示する必要があんのか?」
A「まぁ、ヤスったら自分が読めないからってひがんじゃって♪ このこのっ」
F「もう少し仲良くできんのかね、この連中は……。ともあれ、降伏勧告が失敗し、孔明は陳倉城を包囲して全面攻撃を命じる。蜀軍数万に対して、陳倉にこもる魏軍は一千少しであった」
A「……何でそんな寡兵に最前線任せてるンだよ?」
F「曹真がアホだったというより、曹休がアホだったと考えるべきだろうな」
A「死んだンだろ?」
F「魏の本営が長安を離れたのが4月頭、曹真が郝昭を派遣したのはその後になる。第二次北伐はさっき云った通り12月。8ヶ月足らずで城ができるとは思えん。たぶん、もともと陳倉にあった城を増改築しているところに、蜀軍が来たンだろう」
A「……呉で曹休が負けたのが、この状況の原因か」
Y「読みとしては正しいか。孔明がこんなに早く兵を挙げるとは考えにくいから、郝昭は兵一千と作業用の人員だけを率いて陳倉城を整備していた。……油断とは云いにくいな」
F「ところが曹休が大敗して、そっちに魏の意識と兵力が差し向けられるのを期待して蜀は動く。かくて、郝昭は孤軍での迎撃を余儀なくされた」
A「ところが、この小城を孔明は抜けなかった」
F「うむ。まずは雲梯と衝車という攻城兵器を動員する。これらは春秋戦国時代から使われていたものでな」
Y(……俺たちがリアクションするより早く、武器オタクの魂の緒に火がついたよ)
A(今回はアキラのせいじゃありませーん……)
F「雲梯は飛梯とも呼ばれ、箱のような車体に3対の車輪をつけ、上部には折畳みの梯子をふたつ備えたものだ。梯子を連結するとだいたい10メートルくらいになるンだが、城壁に近づいたらそれを伸ばして立てかけ、それを伝って城に侵入する。衝車は車体を皮革(主流)か金属(非主流)で覆った、云わば特攻車でな。巨大な丸太とか破城鎚を内蔵していて、やはり人力で城に接近し、城門や城壁を破壊するのに使われた」
Y「だがそれらは、郝昭には通用しなかった」
F「話の腰を折るンじゃない。本題から外れてエキサイトしていたのに。……まぁ、そゆこと。孔明が雲梯を出してきたのを見た郝昭は火矢を射かける。この時代の梯子は当然木製だから炎上し、乗っていた兵は焼け死んだ」
A「続く衝車には大石を投げつけて叩き潰す。兵器とはいえヒトの作ったものだけに、その弱点を見切っていたンだな」
F「頭に来た孔明は、今度は井欄を出した。コレは攻城塔とも呼ばれ、人力の車の上に高い櫓を組んで、その上に兵士を乗せる小屋を置いたものだ。高所から矢を射かけながら接近するのが主な使い道だが、やはり火には弱い。だが牽制には使えるので、コレで矢を射かけながら、兵士に堀を埋めさせ城壁の上への坂を作らせようとする」
A「対して郝昭、もうひとつ城壁を内側に築き、攻め入ってきても防げるように設計。井欄作戦も失敗だな」
F「まだまだ諦めない孔明さんだった。上がダメなら下からと、いつぞやの沮授のようなことを考える。城内に通じるトンネルを掘り進めようと企んだンだが、それと察した郝昭は城内の地面を掘り起こしてトンネルを横に切断。これまたしても失敗に終わっている」
A「ボロボロだよなぁ。この辺りの戦闘って、正史ではどうなってるンだ?」
F「え? 正史に書いてあるオハナシだよ、ここまでずっと」
A「……え?」
F「書いてあるのが正史明帝紀(曹叡伝)だから、多少は魏に有利に書かれているかもしれんけど『郝昭がたったひとり千からの兵だけで蜀軍を防ぎきった』と正史にさえ書いてあるンだよ。正確には正史の注だけど、どんな戦いを演じたのかまでしっかりと」
A「……それほどの武功だったと、正史では評価されているワケか」
Y「演義でも、ほとんどそっくりそのまま採用されてるンだよな? この一戦は」
F「うむ。靳祥の失敗から孔明の苦戦まで、しっかり書かれている。演義が正史に準じたワケだが、蜀を正統ととらえていながら孔明の負け戦もしっかり掲載しているワケだ」
A「何でそんなことするかな、羅貫中は……」
F「ひとつには、張任同様に郝昭を気に入ったンだろう。蜀軍を相手に奮闘・善戦する敵の良将、だな。偉大な敵を尊敬するのはひととして間違ってはいない。さらに、これが一番重要なんだが、孔明は神ではない。間違いも犯すし負けもする」
Y「ンなことは云われなくても判ってる」
A「だったら云わずに黙ってろ!」
F「繰り返すが、孔明は神ではない。間違いも犯すし負けもする。20日あまり続いた激戦は、魏の援軍が到着したことで孔明は兵を退き、いちおうの終息を見せている。……孔明は、万能ではないということだ」
A「天才軍師として扱っている演義でも、孔明に限界を設定していたンだな」
F「そゆこと。さて、その『魏の援軍』を率いていたのは、正史では張郃だった。孔明出兵と聞いた曹叡は、張郃を呼びよせて3万からの兵を与えている。撃退できるかと聞かれた張郃は『孔明は食糧がないでしょうから、私が行くまでに逃げていますよ』と安請け合い」
Y「見立ては正しいということだな。張郃も、いつぞやのお前の意見も」(←115回で見た魏の兵力について)
F「うん、このとき張郃の預かった兵力(実際にはもう少しいた)が、あの数字の根拠。もちろん、孔明は踏ん張っての抗戦を望まず、また、兵糧が尽きていたので、戦果なく引き揚げるに至った」
A「演義では、もう少し粘るンだけどなぁ。王双を斬ってるだろ?」
F「そうだな。演義では、王双率いる先遣隊が来たので部将ふたりを差し向けるものの、そのふたりとも斬り伏せられ、続いた張嶷も重傷を負う。そこで孔明は一計を案じ、撤退すると見せかけて最強の手札・魏延を投入。追撃してきた王双は一撃で斬り捨てられている」
Y「正史でも、撤退する蜀軍を追撃して死んでいるな。誰の手にかかったかは書かれていないが」
F「郝昭にしてやられた恨みをやつあたりで晴らしたみたいに思える。もちろん、張嶷が重傷を負ったなどという記述は、正史にはない」
A「……あの辺りはフィクションか」
F「孔明は神ではない。だが、負けっぱなしでは羅貫中も面白くなかったようで、正史ではちょっとしか触れられていない王双追撃イベントを大きくして溜飲を下げたようだ。たぶん聴衆も、孔明の苦戦でフラストレーションがたまっただろうけど、それを解消できたように思える」
Y「まぁ、全体では負け戦なんだがな」
F「ところで……」
A「はい、2009年初『ところで』です! アキラ逃げていい!?」
F「どこへだ? 泰永、郝昭の武力と知力について、いつものアレを」
Y「おう? 武力は……9作平均81.2、最大85の最小77(Tでは88)。知力は11作平均で……78.7、最大89、最低64(Z)。参考値として王双だが、武力平均88.7(最大90、最小87、Tでは95、Zでは84)、知力平均19.3(最大24、最小15)。評価しすぎという気もするがな」
F「ふむ、そうか?」
Y「きょうは俺がお前の掌の上か? だってそうだろう。たかが孔明一匹退けたくらいで、これほどのスペックというのはどうかと思うぞ。正史にだって、この陳倉攻防戦のほかにほとんど功績は記載されておらん」
A「まぁ、孔明を防ぎきった功績を評価されたンだろうけど……」
F「ほとんど、とお前が云ったな、泰永。正史の記述を鑑みると、どうも郝昭の指揮能力は純粋に高かったと評価していいように思えるンだ」
A「そんなモン、書いてあるの?」
Y「……いや、郝昭については、明帝紀(曹叡伝)で陳倉攻防戦を詳細に書かれているほかに、西域での叛乱鎮圧くらいしか記述はない。その叛乱がそれほどの武功とは思えんが」
F「お前らしからぬ浅慮だな。正史蘇則伝に記されているのは、郝昭が麹演らによる涼州の叛乱鎮圧に従軍したことだが、この一件は割と大きい」
A「というと?」
F「かつて董卓・曹操をも震え上がらせた涼州の怪物・韓遂を討ったのが、この麹演だ」
A「ぶっ!?」
F「215年、曹操は漢中の張魯を討つべく、陳倉経由で兵を出している。当時西平(地名)を占拠していた麹演は、曹操の威容を恐れ、周辺の都市と組んで韓遂を殺し、その首級を差し出して帰順したンだ。曹操はこれを評価して、彼に現地を与えている」
Y「……武帝紀(曹操伝)では『西平を占拠する麹演』だったのが、蘇則伝では『西平の麹演』になっているな。確かに、韓遂殺しの功で西平を与えられたと見ていいのか」
F「ところが、この麹演が魏に叛逆する。曹操が死んだと聞くや兵を挙げ、だが蘇則に兵糧を奪われ、慌てて降伏。蘇則は、西平と組んだ金城(地名)の太守を張っていたンだが、この辺りは、戦乱で荒れ果てて民心がすさみ、韓遂の遺功を恃む民衆も多く、羌族の襲撃も多かったので、ずいぶんと荒廃していた。それだけに、曹操が死ねば攻略は難しくないと判断したようでな」
A「ところが蘇則にあっさり鎮圧された?」
F「うむ。別の太守が西平を治めるに至ったンだが、麹演は諦めない。太守を追い出すと近隣の都市・異民族と組んで大規模な叛乱を起こしている。涼州ほぼ全域の豪族が呼応し、金城以西は麹演ら叛乱軍の手に落ちた」
A「大問題じゃねーかっ!」
F「この頃、曹丕が帝位についているのは関連を否定できないと思う。西域にその人ありと云われた張既が援軍を出すと公言したンだけど、蘇則は『大軍を待っていては敵が一致団結しかねない。体制が整わないうちに叩くのがいい』と、張既の軍を待たずに出兵。羌族を帰順させ、叛乱した都市を包囲した」
A「速攻に出たのか」
F「対して麹演は、3000の兵を連れて帰順を申し出た。蘇則の懐に兵を入れて内側から攻撃し、その都市を救おうとしたンだね。ところが蘇則は騙されず、麹演を斬り捨てる。麹演の死によってその配下は散り散りになり、他の都市は続々と降伏。河西は平定され、この功績で蘇則は中央に召され侍中に任命されている」
A「麹演ひとり頼みの叛乱だったワケか」
F「この"西の田豫"蘇則の下で金城の守備を張っていたのが、郝昭そのヒトだ」
Y「……涼州全域を巻き込んだような叛乱鎮定の、軍事実務を張っていたのか?」
F「と見ていいと思うぞ。云うまでもないと思うがこの叛乱は涼州兵・西羌がメインで、郝昭はそれを叩き潰している。武力としては81では足りないと思えるくらいだ。出兵前にごねたことを察すると、知力はもう少し低くていいと思うが」
Y「つまり、孔明率いる数万の蜀軍程度では、一千からの郝昭には勝てないということか」
A「……割と懐かしかったり、どうかと思う名前が出てきたけど、郝昭はヤスの発言があながち暴言とは思えないくらいの武将だと云うのは判った」
F「理屈っぽいのはどうかと思うがな。ともあれ、第二次北伐は失敗し、孔明は漢中へと引き上げる。……すべては郝昭ひとりのために」
A「まさしく鉄壁、というところかな」
F「続きは次回の講釈で」

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