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私釈三国志 116 曹休敗走

ヤスの妻「まさか、あのネタを使われるとはねェ」
F「違いない……正直、新キャラでアレを出すと聞いた時点でそこまで思い至らなかった僕の落ち度だな」
2人『うーん……』
Y「ナニを悩んでいる、何を!?」
 今回はアキラが……以下同文。
ヤスの妻「え? うん、わたし計画えーじろ実行のいたずらが『真・恋姫』のせいでちょっとアレかなって」
Y「そんなモン覆せる奴がこの世にいるか!」
三妹「……どーしてウチの男どもは、こうも身内に手厳しいのやら」
F「一緒にするな。泰永は照れ隠しだがオレは純粋に嫌ってるだけだ」
Y「だいたいお前ら、いつの間に準レギュラーと化した?」
ヤスの妻「双央さんやるのが気に入っちゃって」
F「僕のプライド総崩れですけどね」
Y「金を取らない同人活動に、そこまで時間と予算を割くお前の性格がよく判らん」
F「それを云うならこの『私釈』だって無料だぞ。世の中にはお金を絡めちゃいけないオハナシもある。おーらい?」
Y「雪男の耳に東風が吹いても意味がないのは判ってる」
F「この野郎。まぁ、脱線はこれくらいにしておいて『私釈』やるよー。軽く寝てもまだ頭が冴えないけど、いちおうのクォリティは維持したい」
Y「今年最後だしなぁ」
F「実は、このところ孔明の北伐をメインにオハナシ進めていたから『蜀の味方ばっかりしてンじゃねーよこのアホ』というお叱りをいただいてな」
叱った奴「それは知ってる」
F「というわけで、ここしばらく第一次北伐をベースに長安から漢中にかけての西方がメインだったので、ちょっと視点を南に動かす。要するに、魏の南方戦線についてだが」
Y「あぁ、曹休の呉攻めな……いいんじゃないか? 101回からの15回中、異民族とコラムで6回だからな。ちゃんと中原、と呼ぶにはやや南寄りだが、そちらでのイベントもしておくべきだ」
F「……内容でも偏ってたか。えーっと、ひとまず、第一次北伐の戦後処理から。蜀の側のは前回見たな」
Y「実際は処分したくないけど形だけ切ったから許せよってアレな」
F「対して魏では、魏帝曹叡自らが長安に行幸して防御に当たったのは演義の通り(正確には演義が準じた)だけど、これが2月17日のこと。4月8日にはすでに洛陽に戻り、16日には孔明を退けた功績への論功行賞を行っている」
Y「辺境の劉賊を退けたくらい、対した功績ではないと思うが」
F「劉備の味方がいないと、読んでくれるヒトの反応がちょっと怖いンだけどなぁ。……ちら」
ヤスの妻「あ、おかまいなく。求められなければ口出ししないから」
三妹「同じく」
F「然様か。えーっと、相手が蜀でなかったとしても、ある程度の功績とは認められたと思う」
Y「その心は?」
F「ここでの勝利は割と大きいンだ。何しろ、数年前まで先帝陛下がたびたび呉に侵攻していたにもかかわらず、その都度戦果なく御引き揚げあそばされていた次第であられますから。皇帝自ら軍を率い戦勝したというのは、冗談抜きでしばらくぶり。気をよくした曹叡は大赦を発して、死刑囚を除く囚人を解放したくらいで」
三妹「ツッコミほしいの? もうちょっとマシな敬語を使いなさい」
F「うむ、反省」
Y「……なぜ一撃でコイツの防御態勢を貫通できる? それはともかく、どこまでの大喜びだ」
F「どこまでも喜んだようでな。察するに曹叡は、蜀を退けたことで舞い上がったンだろう。曹丕は割と負け戦続きだったが、自分は違うと自信をもったらしい」
Y「20を超えて間もない小僧では、そんな単純でも仕方ないのか」
F「そんな曹叡だけに、まだ長安にいた頃に『この機に乗じて蜀を滅ぼしましょう!』という進言……正史では誰が云ったものか記述はないが、演義では仲達の申し出を受け、すっかりその気になってしまう」
Y「本人が長安にはいなかったのは前回参照だな」
F「ところが、孫資という文官が反対意見を述べた。蜀は要害の地であり、かつて曹操でさえ張魯に苦戦し、夏侯淵を失っている。用兵に優れた曹操でも直接蜀に相対しなかったというのに、一時の勢いで突出していいものか、と」
Y「だが、漢中平定の勢いに乗じて益州を攻めていれば、蜀は興らなかっただろう?」
F「そうだろうね。以前云った通り、僕ならその局面で仲達に軍を与えて攻めさせていた。だが、孫資は『蜀を攻める軍兵』『道を切り開く工兵』『物資の輸送隊』『呉への備え』などなどに要する兵を計算して曹叡に『これだけ要りようですけど、ほんっとーに攻めますか?』と迫り、意見を容れて曹叡は蜀攻めを断念している」
Y「……クレーフェの元ネタかな」
F「? だれ?」
Y「知らんならいい。古い話だ。だが、割と交渉上手だな。浮かれ上がった心理状態にある若造を翻意させるとは」
F「孫資は、亡き荀ケが『戦乱のため北方の賢人はみな死んだと思っていたが、なんともこれほどの傑物がいようとは』と絶賛したほどの人材だからね。ただやみくもに兵を出すなと云うのではなく、要衝に諸将を配することで防御を固め、蜀や呉に付け入る隙を与えぬよう国境を固めることを献策している。兵馬を十分に鍛えれば、地力が違うのだから国力の差は開く一方だ、と。演義では蜀と呉の関係が悪化することを期待しているが、さすがに正史にはその台詞はない」
Y「割とちゃんとした同盟関係だったからな。孫権の腹の底は判ったモンじゃないが」
F「曹叡はこの意見がまっとうであるとして、長安には曹真・郭淮・張郃・郝昭らを残して蜀への備えとした。曹叡は洛陽に引き揚げ、仲達はそもそも長安まで来ていなくて、宛に張っている」
Y「南は仲達が守っていたと考えていいだろうな。北荊州を拠点に、魏の南・西ににらみを利かせていたと」
F「だね。さて、ここで数年さかのぼる。曹丕が死んだのは226年のことだが、この7月、孫権は自ら兵を起こして魏領の江夏(地名)へ侵攻している。正史にも『文帝(曹丕)崩御の報を聞き』とあり、はっきり喪につけこんだと云える一戦だ。5万からの兵を率いて石陽(地名)を包囲したが、江夏太守の文聘は城を堅守して動じる隙を見せず、結局20日を超える防御戦を展開した」
Y「劉表の配下だったか」
F「長坂で劉備に『曹操に寝返って、地獄の劉表殿にどのツラ下げてまみえるつもりだ!』と怒鳴られ退いた男だな。正史では、劉表への忠誠を曹操に認められて手厚く礼され、江夏を任せている。ここはかつて黄祖が孫家への抑えを張っていた、荊州と揚州の境界。合肥にも劣らぬ戦略上の要衝だったため、荊州の地理に明るい文聘に預けたワケだ」
Y「やはり、曹操の人材起用は的確だな。降るを潔しとせず、泣いて我が身を恥じたこの男を、曹操は『真の忠臣』と評した。その忠義を認めたからこそ呉への要衝を預け、預けられたからこそ曹操の信と礼に文聘は応えた。こーいう地味な武将のエピソードにも、曹操の偉大さが見てとれる」
F「その割には、荊州の兵を預けるのは躊躇ったようで『北方から連れてきた兵を指揮させた』ともあるが、ともかく文聘は優秀で、関羽北上戦や三路からの呉侵攻でも遊軍として奮闘している。実際、江夏を預かったのが荊州平定の頃(208年)だから、226年だと実に18年に渡って呉への守りを張っていたことになる」
Y「云われてみれば、ずいぶんと長いこと守っていたンだな」
F「没年も明記されていないが『数十年江夏を守った』とあり、その後最低でも3年は生きた計算になるか。名声は呉にも届き、呉軍は侵攻を躊躇ったとある。隠れた名将という奴だが、この時も、孫権が退くのに併せて追撃し、さんざんに打ち破っている。かつて黄祖を攻めて失敗し、淩操を失ったのを懲りていなかった孫権は、またしても自分で兵を率いて失敗した次第だ」
Y「……いつかお前が云ったが、確かに孫権は、自分で兵を率いるとどーにも負けるな」
F「それなのに守成のヒトって印象があるのは何だろうねェ。さて、そんなことがあってから2年。孫権の悪い虫がまたぞろ動き始めた。事の起こりは225年に、山越の首領・彭綺が呉に叛旗を翻したところから」
Y「正史の呉書に『賊』とあったら、だいたい山越か」
F「ほとんど間違いはないと思う。この男が勝手に将軍を名乗り県を攻めると、呉に反感を抱く者が続々と集まり、数万からの徒党となった。かつて曹丕はそれらを利用し、呉の内紛を誘っているが、それこそ孫資に云わせると『法令が行われている間は無理でしょうね』とのことで、やはり彭綺も失敗して生け捕りになっている」
Y「むしろ、読みが正しい孫資をこそ評価したいところだな。コーエーの三國志シリーズには今のところ出ていないが、出演が待ち望まれるぞ」
F「鄭泰と併せてな。ただ、彭綺も踏ん張っていたようで、2年は持ちこたえている。生け捕りになったのは227年のことで、捕らえたのは周魴という呉の武将」
Y「察するに、お前が気に入らんことをしでかした武将か」
F「気に入らんのは、その『気に入らんこと』を信じやがった曹休だ。周魴は積年の恨みを晴らす策を弄した。魏に通じている賊を通じて、自分が太守を務める鄱陽(地名)を曹休に献じたい、と曹休に申し出させたのね」
Y「おびき出して叩き潰そうって策だろ? よくもまぁ、こんな単純な策にひっかかるな」
F「もちろん、賈逵などの目端の利いた者は『罠では?』と警戒するンだけど、曹休はほとんど手放しで信じてしまっている。周魴から七通、内通の書状が届いていたンだけど、それは本当かと詰問する使者を送ったら、周魴は剃髪して使者を迎えている。親からもらった身体を傷つけてまで策を弄する奴はいない、と甘ったれたことを考えたンだ」
Y「……お前なら引っかからんな」
F「演義にははっきりと『片腕を切り落として相手に信用させた刺客の例もあります』と賈逵に云わせているが、僕も同意見だ。ただ、剃髪しなかったとしても、曹休は周魴の降伏を信じていた可能性は高い」
Y「そこまでのアホだったか?」
F「アホなんだが、この前年(227年)に、韓綜という武将が『孫権に、部下が略奪をしていると因縁をつけられたので、呉にいられなくなりました……』と、一族郎党数千人を率いて曹休に降伏しているンだ。韓綜は、孫権の石陽攻めに際して、父の喪に服していたため兵を出さなかったンだけど、それがどーにも孫権の気に障ったらしい」
Y「部下の事情も汲んでやるべきだろうに」
F「正史の記述は『喪に服するため守りに残した』となっているけど、そんな状況で『女にふけって無法を働く』奴はいないだろう? 韓綜がそこまでのアホだったとは考えにくい。何しろ、その父親というのが、赤壁・夷陵でも武功を挙げた、人もあろうか韓当そのヒトだ」
Y「……あー、アイツか。道理で聞いた名だと思った」
F「ただし、正史でも韓綜が悪いという書き方をされているこの降伏劇は、韓綜のできがよほど悪かったか、それとも韓当も似たような性格でなければ説明がつかない」
Y「何らかの理由で、韓綜という男は歪んで伝えられていると? 正史の記述ではよほどできの悪い武将に見えるが」
F「個人的には正史の記述を疑うことはしたくないが、韓綜に関してはどうにも疑わしい、とは云っておこう。ともあれ、孫堅以来の宿将の息子が、父の棺と生きた母を連れて魏に降る世の中なんだから、髪の毛を切って誠意を見せる男がいてもおかしくない……と考えたンだね。無理もないと云えば云えなくもないが、どうにも曹休はうっかりが目立つ」
Y「曹仁ならこんなヘマはしないだろうに。曹洪でも……いや、曹洪はまだ存命だったな」
F「力の一号、技の二号、うっかり三号というところか。すっかりその気になっちまった魏軍は、曹休に10万の兵を与えて南下させ、賈逵には満寵らの諸将を率いさせて建業に向かわせる。仲達にも宛から出陣するよう命が下った」
Y「それこそ何年か前に、同じような軍事作戦があったな」
F「結果もほぼ一致するンだな、コレが。皖(地名)に入った曹休だったが、陸遜・朱桓・全jらの軍勢に包囲される。不意を突かれたものの、この兵力なら戦えると踏んだ曹休は、退かずにそのまま交戦。が、三方から攻め立てられては敵しえず、伏兵は強行突破され、魏軍は壊滅寸前に追い込まれた」
Y「陸遜はともかく、また全jが相手か」
F「どちらかといえば朱桓が怖いンだが、ともかく曹休軍は壊滅した。捕虜は1万を数え、放棄された軍需物資は数え切れないほど。賈逵が駆けつけなかったら、曹休は生きては帰れなかっただろう」
Y「もともと、曹休とは仲が悪かったンだよな? 曹丕の代に、誰が揚州の軍権を握るのかで問題になって」
F「うーん、曹休が一方的に嫌っていたため、賈逵も買い言葉で反発したみたいな感じだ。演義では、周魴を信用できないと進言しても『俺の手柄を妬むのか?』と突っぱねて留守番に残したンだけど、敗走した曹休は駆けつけた賈逵に『君の云うことを聞いていれば……!』と嘆かせている」
Y「よくあるパターンだな」
F「正史の場合はちょっと違う。出陣した賈逵は曹休敗北の報を聞くや、速攻で呉軍の不意を突き夾石(地名)を占領。兵と食糧を曹休に回し、手薄になった自軍は、大量の旗を立てる疑兵の計で補った。つまり曹休と合流しなかったンだ。警戒した陸遜だったけど、戦果充分とみたのか兵を退いて、魏軍は何とか虎口を脱している」
Y「野郎の慎重居士も変わらずか」
F「実は朱桓が、戦闘前に『曹休は皇族というだけの、智勇に欠けるアホウです。一戦すれば敗れましょうし、敗れれば必ず夾石を通って逃げるはず。私を夾石に回していただければ、必ずアホウを捕らえてみせます。そーすれば魏軍は意気消沈し、そのまま寿春・淮南を攻め上ることもできましょう。許・洛への道が開けますぞ』と進言している」
Y「おおむね正しい見立てだな。まぁ、そこまで呉が快進撃できるとは思えんが」
F「見立てはまっとうなんだが、問題はよそにあった。孫権と陸遜が事前に作戦案を協議していたので、朱桓の進言は退けられているンだ。慎重だったというよりは、上意だったから出せなかったというのが正しいようでな」
Y「賈逵の意見が容れられなかったのと似たようなモンか。だが、こちらもきっちり戦闘に出ているな」
F「演義でも賈逵・朱桓の意見はないがしろにされて、だが戦功はきっちり挙げた辺り、きちんと正史に準じていることになる。かくして、魏は赤壁以来となる大敗を喫し、呉は夷陵以来となる大勝を得た」
Y「そこまで云うか?」
F「ちょっと云いすぎたかな。ところで……」
ヤスの妻「わー(ぱちぱち)」
Y「無責任な拍手はやめろ!」
F「無視して続けるが、朱桓の見立てが正しかった事態が、正史の注に引かれている。賈逵のおかげで逃げおおせた曹休なのに、あろうことか『アイツが合流の日時に遅れたから、俺たちが退却するハメになったンだ!』と主張。敗戦の責任を賈逵に押しつけようとした」
Y「恥の上塗りもいいところだな」
F「対して賈逵は何も抗弁せず沈黙を守っている。正史のどこを見ても、この戦闘に関しては『曹休が敗走した』とあるように、誰もンな寝言を相手にしなかったらしい」
Y「……まぁ、無理もないか」
F「曹叡は腹心の部下を送って曹休を見舞ったともあるが、この部下(陳羣ではない)がその件を叱責したンじゃないかという気もする。とりあえず曹休は憤激のあまり、洛陽に帰還してそのまま亡くなっている」
Y「なるほど、ただの阿呆に思えるな。曹操の時代から見て、武将の質がどうにも落ち続けているか」
F「かつて銅雀台で弓勢を競った文聘と比べると、あまりにも情けないのが見落とせなくてね」
Y「……途中で時間をさかのぼってまで文聘の話を挙げたのは、相変わらずのマイナーズ擁護じゃなくて、曹休との対比が目的か」
ヤスの妻「あー……割とつまんない『ところで』だと思ったら、そういうオチが来るンだ」
F「続きは次回の講釈で」
三妹「逃げ支度しながら云うことじゃないでしょーが」

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