前へ
戻る

私釈三国志 112 雅丹丞相

F「突然ですが、ここで問題です」
Y「また始まった……つーか、またか」
A「アキラ、逃げていいですか?」
F「丞相と云えば?」
A「……孔明?」
Y「曹操」
F「アキラ10パーセント、泰永20パーセント」
2人『何が!?』
F「昔、コーエーの雑誌の読者投稿コーナーで載ってた三国志度数チェック。"丞相"ですぐに思いつくのは誰かで、三国志感染度というか汚染度をはかるものだけど、何で僕が100パーセントなのかまるで判らん」
A「むしろ納得するが……では、お前にも聞こう。丞相といえば?」
F「雅丹丞相」
A「エントリーされてるのが驚きだよ!」
F「もちろん、メジャーなほど度数は低くて、マイナーなほど高いンだけど、雅丹丞相ってぜったいマイナーじゃないと信じてるぞ、僕は」
Y「まぁ、合方と一緒ならな。三国志で丞相と云われてそいつが真っ先に思いつくなら、いちど病院に行ってこい」
F「あとで覚えとけ、この野郎。というか、その雑誌、どこにしまったのか判らなくなったンで、正確なところがどー書いてあったのか自信はないけど、孔明10曹操20雅丹100だったのは間違いないと思う。今回は、そんな雅丹丞相と、合方(相方、ではない)の越吉元帥率いる西羌軍団のオハナシですー」
Y「どーしてこんなバカなネタばかり思いつくのか、この雪男と羅貫中は……」
A「天気が悪いからじゃないかな」(←新潟は雪模様)
F「さて、西羌……あるいは単純に羌族とも呼ぶが、これは中国西北部の異民族だ。西戎と北狄のいずれに属するのかは時代で違うが、タングート系のチベット民族でな。漢代では羌族の居住区まで版図が広がっていたため、彼らは内地に居住することになった」
A「それじゃ問題が起こるわな」
F「うむ。他の異民族を束ねて徐々に勢力を拡大し、後漢の順帝の代では20万からの軍を動員できるほどになっていた。見かねた朝廷が10万からの兵を差し向けるも敗れ、征西将軍が戦死するという体たらくだ」
A「強いな……」
F「もともとチベットは、モンゴルが成立する前の中央アジアでは最強の民族だったからね……仏教に染まって弱体化したけど。それでも後漢は段熲をもって徹底的に弾圧し、何とか鎮圧したンだけど、今度は王朝そのものが弱体化してしまった。ために、またしても羌族は勢力を拡張していたのが、この時代」
A「えーっと、徹里吉だっけ? この時代の酋長は」
F「酋長云うな。とりあえず、状況の確認な。前回・前々回と見たように、夏侯楙が敗れ姜維が降り王朗が罵殺され、挙げ句の果てに同士討ちして魏軍はほとんど総崩れと相成った」
Y「確認しておくが、演義での話だからな」
F「そこで郭淮が弄した策は、西羌の軍勢を動かすことだった。彼らとは曹操在りし日から誼を結び、曹丕も懇ろにしていたので、誘えば援軍を出すだろう、と」
A「以前、五方面からの蜀侵攻に乗ったのは、その辺が原因なのかな」
F「……あー、それもちょっと見ておいた方がいいな。劉備が死んだ直後に、仲達が五方面から蜀に侵攻する策を弄している。この『私釈』でも103回でさらっと触れたが、演義だと85回だな」
Y「繰り返すが演義だから、フィクションだからな」
F「しつこいなぁ。えーっと、曹真率いる魏の本軍は趙雲を抜けず撤退。孟達率いる別動隊は、盟友の李厳からの書状に軍を進めることができなくなる。孟獲率いる南蛮軍は魏延に退けられ、呉はケ芝の説得でむしろ蜀との関係正常化を図るに至った。そして、西羌の兵は、当時存命だった"神威天将軍"馬超の姿を見るや戦わずに逃げ出したという」
A「神威天将軍って……すげーフレーズ。つくづく惜しいヒトを亡くしましたねェ」
Y「フィクションだがな」
A「やかましいわ!」
F「それがあったのが223年だから、えーっと、4年か5年前になる。アキラの云った通り、"この時点"の西羌は徹里吉が酋長……というか王として治めていて、武臣で越吉元帥、文臣で雅丹丞相が佐弼していた」
A「さひつ?」
F「……補佐していた。これならいいか? 日本語まで講釈しなきゃならん事態はごめんだぞ。郭淮からの密使を受けた徹里吉は、越吉・雅丹にどーしたものかと持ちかけるンだけど、ふたりして『王よ、我らは年来魏との友好を続けてまいりました。今になってそれを怠るのは義に反しましょう』と……」
A「何で蜀将はヤンキー口調なのに羌族がそんなまっとうな喋り方するンだよ!?」
F「角川文庫の『完訳 三国志』だと雅丹が田舎者口調で喋ってるのが気に入らないからだ! ったく、お気に入り具合では一〇八指に入る武将だというのに……」
Y「お前の指は何本あるンだ?」
A「つーか、数に入れてたのかよ……。えーっと、西羌来たると聞いて、迎撃を志願したのは関興・張苞、それに西羌に詳しい馬岱が補佐としてつけられた」
F「西羌の軍勢はおおよそ15万。あまたの武器で武装していたが、特に目を引いたのは鉄車兵だった。鉄装のチャリオットだが、中原ではすでに騎兵が重用され戦車はすたれていたのに、西羌ではこれを活用していた次第だな。連なった野陣に武装した戦車が並んでいる姿は、あたかも城砦を思わせた」
Y「フィクションにツッコむのもアレだが、馬超だと逃げたのに馬岱にはちゃんと突っかかるのか」
F「実は単純な理由がある。先に仲達の誘いに乗ったのは軻比能という羌王でな」
A「あ、別人なんだ」
F「馬超が羌の血を引くクォーターだけに、羌族でもその配下になっていた者は少なくなかったが、状況が変わったようでな。蜀陣に馬岱ありと知っても突っ込んできた。まずは越吉元帥が鉄鎚を手に、戦車を進軍させる。……本人は騎馬だが」
A「この戦車隊が強いのなんの。弓弩を鳴らし蜀軍に斬りこんできたモンだから、馬岱・張苞は後退し、関興は包囲された。山道に逃げ込むと元帥が馬を走らせ追ってくる」
F「関興を互角の武勇で追い詰め、鉄鎚を閃かせれば馬が怯えて川に落ちる。越吉も追いかけるがどうしたことか、川辺でひとりの武将が羌兵を足止めしてくれていたので、関興はその隙に、越吉の馬を奪って逃げおおせた」
Y「張苞が援護したのか?」
A「んーん、パパさん」
Y「……よほどできの悪い倅なんだな。たびたび親父が化けて出るとは」
A「化けて出る云うな!」
Y「ヒゲ化けて出た、ヒゲ化けて出た、ヒゲ死んじゃったら化けて出た」
A「替え歌やめろ!」
F「はいはいやめなさい、行の無駄行のムダ。迷い出た関帝聖君は、鉄車兵に追われる張苞を救うと『関興を助けろ!』と云って消えたとか。何とか関興は、迎えに来た張苞と合流したものの、関羽は以後現れなかった」
Y「なむー」
A「お前から成仏しろよ……。というわけで、陣を馬岱に委ねて、関興・張苞は孔明のところに帰陣する」
F「エクソシスト免許なら持ってるぞ(実話)。趙雲・魏延を魏への抑えに残し、孔明は本隊を率いて西羌軍と対峙した。季節は冬で、雪風が吹きつけるなか、まずは姜維を出すと越吉が迎撃する」
A「もちろん、罠なんだけどね」
F「戦車が出てきて姜維は逃げる。追いかけっこは蜀の陣まで続いて、姜維はそのまま姿をくらました。越吉元帥は陣内を捜索させるけど、中には兵はなく、孔明がお琴を弾いているばかり。さすがに不安になった越吉が、本陣の雅丹と連絡を取ると『気にすんな、殺っちまえ』とけしかけられた」
Y「俺としては、こんな連中に率いられていた西羌こそがむしろ不安だぞ」
F「まったくだ。孔明が四輪車に乗って逃げだすと、越吉は戦車を出してそれを追った。山道を抜けたところに蜀兵がいると偵察した越吉は、その場所に戦車隊を差し向ける。
A「ところが、平野に広がる大雪を舞い上げ進む戦車が、突如消えた。雪の下に落とし穴が掘ってあったンだな。気をつけよう、戦車は急に止まれない」
F「気をつけたところで後から後から押し寄せてくるから、止まろうにも止まれない。何とか踏みとどまって方向転換した戦車もいないではなかったが、そこへ蜀の伏兵が矢を射かける。さらに姜維・馬岱たちがタイミングよく後方から兵を出せば、西羌軍はなすすべもなく逃げ惑うしかなかった」
A「ンで、逃げだした越吉には、報復とばかりに関興が斬りかかり、これを討ちとる。雅丹も馬岱に捕らえられて、西羌軍は実質崩壊したのだった♪」
Y「なぁ、雅丹丞相なにもしてないような気がするンだが」
F「……翌日になって孔明の前に引き出された雅丹だが、孔明はその縄目を解いてやり『オレたちは友邦なんだ、仲良くしようZe』と云って、穴から引っ張り出した戦車たちと一緒に帰してやりましたとさ」
Y「無視すんなー」
F「一方で魏の本軍だが、西羌に敗れた馬岱たちを救うため孔明が陣を動かしたと聞くと、そこを討つべく動き出した。が、魏延・趙雲に蹴散らされ、駆けつけた関興・張苞にも手ひどくやられて、曹真・郭淮とも命からがら逃げ伸びる始末だった。ついに、魏は最終兵器を動員することに」
Y「次からは、ようやく正史に戻れるのかね」
F「いや、まだちょっと挟む。……ところで」
A「……来るか」
F「残念なお知らせです。大活躍いただいた雅丹丞相・越吉元帥ともに、正史には登場しません」
A「うん、そうだよね。だろうと思ってた」
Y「見覚えはないな、確かに。羌王の軻比能は正史にも出ていたはずだが」
F「では泰永、徹里吉はどうだ?」
Y「ん? えーっと……(確認中)あれ、いない」
A「え?」
Y「おかしいな……ちくま学芸文庫8巻収録の人名索引に載ってないぞ?」
F「実は、徹里吉そのひとからして演義の創作でな。そもそもこの時点で西羌が動いた……魏に味方したという形跡もないンだ。この西羌戦そのものが羅貫中の手によるフィクションだけど、王様まで自作の人物を出していたンだな、これが」
A「じゃぁ軻比能とかいうヒトは?」
Y「……俺の記憶が曖昧だったな。そいつ、鮮卑の王だわ」
F「うむ。曹操に厚遇されておきながら、蜀に呼応し魏に攻め入り、結局刺客の手にかかった鮮卑王だ」
A「………………あのー」
Y「例のエピソード(91回参照)の、モデルになった奴だと考えていいのか?」
F「だと思う。正史の記述を見るにかなりの切れ者で、魏の北方で田豫を相手に抗争を繰り広げていた。かの高名なる智鬱築鞬が討ち死にした戦闘だが」
Y「誰も知らんわ。8巻の人名索引見てオモシロ名前の奴を暗記してるンじゃなかろうな」
F「その戦闘が行われたのが228年なんだ」
Y「……失礼しました。講釈続けてください」
F「田豫というのは幽・并州で対鮮卑・烏桓戦略を管轄していた、事実上の北方総督だ。演義にはほとんど出てこないが、正史でも『反三国志』でも北狄対策のスペシャリストとして重用されている。正直、この男について1回語りたいくらいで……次回やろうかな」
A「するな」
F「ともあれ、なぜ羅貫中が、鮮卑系の軻比能を西羌の王として出したのかは判らん。あるいは羅貫中が間違えただけというのがいちばん手っ取り早い結論なんだが、徹里吉や雅丹・越吉を出した理由なら察しがつく」
A「その心は?」
F「軻比能なら誘われても動かんからだ。この男なら、情勢を見極めて有利な方につく。だから、兵を出したとしても智鬱築鞬が関興に斬られることはないだろう」
A「いや、そんな変な名前の奴は死んじゃっていいですから……」
F「非道いこと云うンじゃありません。だから、武には秀でるがやや思慮の足りない越吉や、助けてくれたことに感謝して蜀との関係を修復しようと云いだす雅丹、そして修復してしまう徹里吉が必要だった。読者が不安になるくらい、頭の足りないボンクラ軍団が、な」
A「演出の都合でキャストを変えたわけか」
F「西羌は、仲達の五方面侵攻計画に加わっておきながら、後に蜀に通じて魏に侵攻する。五方面侵攻そのものが、孔明の神算鬼謀を称揚するためのフィクションだが、あとで蜀が西羌と通じるイベントを起こすには、どこかで関係修復しないと状況がおかしくなるだろ? いつの間にそんなに仲良くなった、と。残念ながら"神威天将軍"はもういない」
A「惜しいヒトを亡くしました。だから、ここで一戦して敗れ、でも手厚く帰されたことで関係修復できたわけか」
Y「元帥討ち取られたけどな」
F「その後に雅丹丞相がどうなったのか、演義にも記述はない。だが後年、蜀に通じて西羌は魏に侵攻する。その折の先鋒の名は俄何焼戈と云った」
Y「だからオモシロ人名はあげんでいい!」
A「アキラの気持ちがやっと判ってきたみたいだね……」
F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る