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私釈三国志 111 涼州麒麟

F「突然ですが、ここで問題です」
Y「また始まったよ」
A「答えはするけど、まっとうな問題出してよね? ちゃんとアキラでも答えられそうな」
F(ついっ)「三国志の武将を108人挙げよ
Y「眼を逸らすな!」
A「まっとうと云えばまっとうこの上ないし答えられないとも云わないけど、その問題真面目に答える奴がいるか!?」
F「いや、何とかお前ら抜きでも16人ほどの回答をもらったぞ」
A「つきあいのいい連中もいるモンだな、オイ……」
F「実は問題じゃなくて実験なんだが、ほぼ期待通りの結果が得られてな。答えてくれた108人を年代順に並べると、16人中14人まで、最後が姜維なんだ」
A「……ふむ?」
F「姜維という武将は、一般的には『最後の大物武将』として扱われている。実際にはケ艾・鍾会・陸抗・ヨーコなんかがいるのに、何も説明せずにただ『108人挙げろ』と云えば、姜維で止まる場合が多い。実験としてはデータが少なすぎるけど、たぶんそうなるとは思っていた」
A「……件数と結果はともかく、何でそんなモン思いつく?」
F「何年か前に劉備をヘッドに蜀将を108人挙げて梁山泊を作るという企画をやったンだが、僕を除いた参加8人全員が姜維で締めてたンだよ。結局流れたンだけど、最近改めて統計取っても似たような結果になったのは興味深いな」
A「そして、そんなバカな企画を今さらやり直そうとしているバカが俺の前にいると……」
Y「うちの女房は、最後のひとりに誰を挙げた?」
F「さすがに判るか。おっしゃる通りあのヒトは最後が姜維ではなかったひとりだ。順当に司馬炎で締めてくれたよ」
A「それはそれで納得すべき人選かな……。お前は誰にしたンだ?」
F「羅憲。まぁ、僕まで入れてもたった25人の統計を絶対視するのは危険だから、詳しいデータは公表しない。とりあえず、姜維は蜀将、そして三国志最後の大物という扱いがなされている……とオハナシ」
Y「アレの代で蜀は終わるワケだしなぁ。肯定的にも否定的にも、蜀の最期を飾ったのは認めねばならんのか」
F「じゃぁ、本題に入るよー。前回で見た通り、夏侯楙は趙雲の武と孔明の智の前に敗走を重ねた。南安城に立てこもったンだが、この機に乗じようと孔明は、夏侯楙の偽手紙を用意して安定城から救援の兵を出させ、空き城を奪うと救援の部隊を叩き潰した」
A「で、その部隊の指揮官を南安城に入れて降伏勧告させる。指揮官は降伏すると偽って孔明を城内におびき出し、捕らえようとした」
F「演義の記述を見るに、夏侯楙はこの辺りの計略を理解できていなかった節があるな。それはともかく、というわけで指揮官は張苞に殺され、夏侯楙も捕らえられて南安城は陥落した。……が、もうひとつ、安定城と同時に偽手紙を出した天水城は、この計略に乗らなかった」
A「姜維がいたからな」
F「天水の太守は馬遵というが、この男の配下に姜維をいう若武者がいた。部将だった父が羌族との戦いで死んでいて、その後を継いだ孝行息子という評判でな」
Y「その辺は正史準拠か」
F「最後を除いてな。馬遵に『これは孔明の罠です』と看破し、あえて誘いに乗って城を出るよう献策する。軍を率いて馬遵が出陣したのを見計らい、趙雲が兵を率いて城に迫るけど、守備隊は降伏するそぶりもなく、まず別動隊を率いた姜維が趙雲隊に攻撃をしかける。不意を突かれた趙雲だったが、迎撃に回った」
A「さすがは歴戦の武将だな」
Y「連敗を重ねても歴戦は歴戦だからな」
A「やかましいわ!」
F「小学館の『三国志武将画伝』には、各武将の演義での一騎討ちリストがあるンだが、趙雲は35戦33勝1敗1分の扱いになっている。最多戦および最多勝だったはずだが、その1敗がこの姜維戦でな(1分の相手は文醜)」
A「凄まじいよな……老いたりとはいえ先の戦闘で5人抜きしてのけた趙雲相手に、互角以上の勝負を演じるなんて」
Y「武力の場合はTとZは抜くンだったな(90回参照)。コーエーの三國志シリーズ9作での、武力平均は90.2、最大93の最低89(ただし、Tでは80)。知力平均は92.8(最大97、最低89)になっている」
F「文字通りの知勇兼備だからね。馬遵も戻ってきて包囲された趙雲だったけど、後詰の張翼が何とか助けだし、孔明の本陣に逃げ帰る。自分の策が破られたのみならず趙雲まで敗れたと聞いた孔明は、姜維という男に興味をもった」
A「で、ノコノコと天水城に攻め込んでみると、外に出ていた姜維・馬遵の軍勢に夜襲をかけられてまさかの敗走」
F「演義の孔明は天才軍師と描かれているが、万能ではない。龐統や関羽を助けられなかったように、何かとボケをかますンだ。というわけで、演義名物大軍師モードが起動した。姜維の母が冀県(地名)にいると知った孔明は魏延を送り、それと聞いた姜維は馬遵から兵を借り、魏延を蹴散らして冀県に入る」
Y「……強いなぁ」
A「で、ここで夏侯楙の出番か」
F「姜維から『夏侯楙を解放してくれたら降伏する』と申し出があった、と孔明に云われた夏侯楙は冀県に向かう。すると、冀県からの避難民に出くわし、すでに姜維は魏延に降伏していると聞いてしまった。慌てて天水の馬遵のところに逃げ込むと、夜更に蜀軍を率いて姜維が現れ『アンタが助けてくれというから蜀に降ったのに、どーしてアンタがここにいる!?』と夏侯楙を罵倒」
A「偽者なんだよな」
F「姿のよく似た兵を使って騙そうとしたワケだ。暗くなっていたのでまんまと馬遵も夏侯楙もだまされた。一方、本物の姜維は冀県にまだいたけど、趙雲が付近の食糧を徴発していたため、籠城が困難になってきた。そこで、魏延の陣に運ばれてくる食糧を奪おうと城を出る」
A「輸送隊はあっさり蹴散らされるけど、そこへ王平・張翼が兵を率いて攻め寄せる。仕方なく、奪った食糧を放棄して城に戻ろうとしたら、すでに魏延に攻め陥落れたあとだった」
F「姜維はわずかな兵を率いて落ち延びるけど、途中張苞に襲われ、天水についた頃にはひとりきりになっていた。とーぜん馬遵は門を開けずに矢を射かけてくる。仕方なく長安を目指したものの、関興・孔明本隊に捕まり、ついにというかようやっと降伏した」
Y「長引いたな」
A「孔明は姜維の手を取って『茅盧を出てから後継者を求めていたが、ついに君を見出した!』と大喜び。また、魏延に捕まっていた母親とも面会し、改めて蜀に忠義を誓ったという」
F「演義の原文には、母親云々はないンだが……ともあれ、天水攻略の策を聞かれた姜維は、矢の一本で落としてみせるという。城内には、姜維とともに馬遵に仕えていた補佐役がいたンだけど、そのふたりに届けろと云って矢文を射ちこんだ」
Y「誰が届けるか」
F「もちろん、その矢文は馬遵の手に渡るンだけど、別に怪しいことは書いていない。となると、むしろ前々から姜維に通じていたのでは……と疑惑を抱いてしまう。馬遵と夏侯楙はそのふたりを呼びよせて斬ろうと考え、それがあっさり露呈。ふたりはむしろ城を明け渡すのを選び、蜀軍を迎え入れる。外に出ていたもうひとりも相次いで降伏」
A「かくて前回見た通り、夏侯楙は羌族のところに落ち延びていく……と。めでたしめでたしかな」
F「では、正史での話に入るが……」
A「めでたくないのかよ!?」
F「割とめでたくはないな。正史では、孔明が出陣すると天水・安定・南安がすぐに降伏したような状態だ。これは、劉備の死後、蜀が大人しかったせいで、隴右には何の備えもなかったため。ために、出陣してきたと聞いた三郡は恐れふためいて降伏した……とある」
A「情けないのか、孔明の威明か……」
F「情けないのに一票。天水の太守は正史でも馬遵なんだが、姜維が蜀に降ったのは、完全にこの男のせいでな」
A「というと?」
F「正史での記述を総合すると、孔明が出陣して来た当初、馬遵は姜維たちを率いて巡察に出ていたようでな。そこへ蜀軍来襲の報が入ってきたンだが、何を思ったかこの男は『お前らなんか誰ひとり信用できん!』と云いだした」
A「は?」
F「小城に立てこもって姜維たちを追い払ったンだ。やむなく冀県に向かうけど、こちらでも追い払われる。行くところがなくなった姜維たちは、各々行動することにして、姜維は蜀に降ることにした……らしい」
A「何で? 演義とは違って孔明の策でないなら、ここで姜維を遠ざける理由ってないだろ?」
Y「記述がなくてな。ホントに『太守は、蜀軍が来て諸県が呼応したと聞くと、姜維たち全員が異心を抱いているのではないかと疑った』としかない」
A「馬遵は常日頃から、そんなに姜維を疑惑の目で見ていたのかな?」
Y「それなら重用はしないと思うが……」
F「ここで重要になってくるのが、姜維の父親でな」
Y「ん? ……羌族と戦って死んだ?」
F「さっき、姜維の同僚たる馬遵の部下も3人出たが、この3人は正史にも名がある。功曹・主簿・主記とされている役職も演義と同じ……というか、演義が準じたンだが。さて、どんな連中だと思う?」
A「聞いてる分では文官かな」
Y「……ということは、実際の天水の軍務は姜維が担当か」
F「うむ。姜維の父は羌族の反乱に遭い、郡将を守って自分は死んだとある。ために、姜維が郡の軍務に参画した次第だが、問題は、正史では姜維の人格について『功名を立てることを好み、ひそかに無頼を集めて、庶民とは生業において交わらなかった』としているンだ」
Y「早くに父を亡くした孝行息子だが、親の目を盗んで悪い連中とつきあい、まっとうに働こうとしなかった?」
F「こーいうキャラでは上司・上官の受けが悪くても無理はないだろう。若い頃の劉備がずいぶん苦労していたのを思い出せ。馬遵にいい感情を持たれていなかった公算は高いぞ」
A「演義では馬遵さん、ずいぶんいいヒトに書かれているンだけど……」
F「正史での馬遵は、さっき見た通りの猜疑心のカタマリだ。姜維の側にも問題はあるような気もするが、どうにも部下から忠誠心を向けられそうな人物ではないな。それなのに、その部下が戦場で武功をあげようと画策する野心家では、関係が良好だったとは考えられないな」
A「上司には恵まれなかったワケか……」
F「こういう場合は部下から歩み寄るものなんだが、姜維はそれができる性格じゃなかったようでな……。結局、母親のいた冀県にも入れず、蜀に降っている。ちなみに、冀県には何とか入れたものの、孔明のもとに使者として出され帰れなかった……という、厄介払いに近い扱いを受けたような記述もあるが」
A「そんなモン口にすんなっ!」
F「いずれにせよ、孔明は姜維を気に入ったのは事実だ。このとき27歳の姜維について、成都の蒋琬に『姜維は馬良でも及ばぬ、涼州最高の人材である。漢王室に心を寄せ、ひとに倍する能力を有しているのだから、陛下にお目通りさせ(重用し)たい』と手紙を送っているくらいだ」
Y「最初から蜀に寝返る気マンマンだったンじゃないかと思えるような記述だな。あるいは馬遵の見立ては、間違っていなかったのかもしれん」
F「自分から降ったってことはないみたいだがなぁ」
A「お前ら、そんなに姜維が嫌いか!?」
Y「蜀将なぞ好きなわけがなかろうが」
F「僕は大好きだぞ」
A「とても信じられんわ!」
F「――ところで」
A(逃げ腰)「何だ!?」
F「演義では……というか日本では、姜維の母も蜀に捕らえられ、姜維と再会している。さっき云ったがもともとの演義ではその辺の記述はないし、正史では『母親とは離れ離れになった』とはっきり書いてあるくらいだ」
A(……コイツ、スイッチ入ってないか?)
Y(いや、笑ってる。むしろ怖いが)
F「ただし、正史では『姜維は自分から降ったわけではないので、家族(母と妻子)は処刑されず、人質扱いで牢に入れられた』という記述もある。実際にどう扱われたのかよく判らないのだけど、ある日、蜀にいた姜維のところに『ウチに帰っておいで』という手紙が届いた」
Y「連絡が取れるのも不思議な話だな」
F「それに対する姜維のお返事」

『1万坪の領土を賜れば、1坪しかない実家なんぞ帰る気はなくなるだろう? 将来を考えると故郷に帰る気なんてなくなるね』

F「どうして孔明がこの男を気に入ったのか、はっきり判る供述だな。劉元起の大恩を意に介さなかった恩知らずと、言動がどーにも似通っている」
A「個人名をあげるな!」
Y「お前が姜維を気に入ってるというのは、どうも真実のようだな。……その辺を聞くと信じざるを得ん」
F「柴田錬三郎をして『関羽の武と龐統の智を併せ持つ』とさえ称された天水の麒麟児は、かくて蜀に降った。ここに孔明は後継者を得るが、それによってひとりの男が破滅への道を下っていくこととなるのは、もう少し先の、だが正史ではちょっと前のオハナシになる」
A「えーっと……?」
Y「何回か先で判るぞ」
F「続きは次回の講釈で」

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