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私釈三国志 108 神刀蒲元

F「では、問題の108回を始めます」
A「自分で書いといて問題とか云うな」
F「最初に云っておくと、この『私釈』には複数の協力者がいる。この場で僕の相手をしてくれているアキラと泰永を別格とするなら、残りの面子で最大の協力者と云うべき御仁が、この『神刀蒲元』を108回にやるように指定していた。常々提供してくれている資料の量と質を考慮すると、僕にはそれを拒絶する権限はない」
A「で、今回ちゃんとやるワケか」
F「2周年企画を前に、厄介な宿題を済ませておきたかったのね。回数さえ押さえればいつやってもいいとは云われてるけど、早いに越したことはないだろう。というわけで、今回は蜀に仕えた鍛冶屋・蒲元について」
Y「コラム扱いでいいのか?」
F「もう10回ぐらいやってからなら、話の流れに組み込めなくもないけど、今やるならコラム扱いが精々だ。先方の許可は取ってあるンで、そこは心配しないでくれ。……とりあえず、この文章を読んでくれるかな」

 さて、エリクに率いられグリーンランドを目指した移民の中に、ビャルニという男がいた。だがビャルニの船は、航海途中で濃霧に包まれた際、どことも知れぬ場所へと流されてしまった。彼はそこで木々の生い茂る未知の大地を目撃したが結局上陸することはなく、無事グリーンランドへ辿り着き、エリクたちと合流した。
 彼がそれを皆に話すと、グリーンランドは木材資源豊かなこの謎の大地の話で持ち切りになった。そんな中、その地を探すためにひとりの若者が名乗りを上げた。エリクの3人の息子のひとり、レイヴである。
 サガの伝えるところによれば、レイヴは堂々として背が高く、明晰な頭脳を持っていた上、人に対しては驕ることなくいつも温和に接していたという。その優れた人となりは後にノルウェー王にも認められ、グリーンランドにキリスト教を伝道する役目を任じられた人物としても伝えられている。
(デアゴスティーニ・ジャパン「古代文明ビジュアルファイル」77「赤毛のエリクとレイヴ アメリカへ渡ったヴァイキング」2・3ページから抜粋)

F「突然ですが、ここで問題です」
Y「三国志はどこへ行った」
F「今回は三国志から割と離れたオハナシが続く予定でな。それはともかく、上記"赤毛の子"レイヴと"西楚の覇王"項羽が、兵なし・馬なし・武器のみでタイマン張った場合、どちらが勝つでしょう」
A「項羽に決まってるだろ!」
Y「感情としてはそう応えるが、そんな問題を出してきたということは、レイヴが勝つということか?」
F「たぶん、二合ないし三合でな」
A「……レイヴって、そんなに強いのか?」
F「充分強いだろうけど、そういう問題じゃない。アキラはともかく泰永でも誤解しているようだが、項羽の持っていた武器は鉄製じゃないンだよ。楚のみならず、当時の中国では青銅製の武器が主流だったンだから。鉄の武器とぶつかりあったら負けるに決まってるじゃないか」
A「……しまった、そういう考え方があったか」
Y「武器が砕けて一合、あと二合もつかどうか……か」
F「項羽なら三合まで持ちこたえるかもしれないが、黥布や竜且では一撃で斬り伏せられた可能性も否定できないな。項羽や劉邦の時代にも鉄製の武器がなかったわけじゃないが、主流としては青銅製だった。この青銅器が鉄器に取って代わられるのが、実は後漢時代なんだ」
Y「はい、ここまで読んできた皆さん、ご注意。今回はいつぞやの『麻婆豆腐』よろしく、地味なお話のようです」
F「オレ、こっち方面大好きなんだよ。地味になるのは否定はしないけど、お前らがコレを見落としていたのは事実だろうが。武器が鉄製だという思い込みはどうかと思うぞ」
Y「むっ……」
F「実は、見落としていたのはお前らだけじゃない。天下の羅貫中でさえコレには気づいていなかった可能性が高く、演義の端々で武器や防具が鉄製だったと書いてある。第1回で張世平が一千斤の鋼鉄(約223キロ)を用立てているけど、184年にそれだけの量を用意するには、たぶん三公の位に匹敵する金額が必要だぞ(黄巾の乱が起こっていたため、食糧のみならず武器やその材料の価格は高騰していたはず)」
A「曹操のおじいちゃんは、一億金出して三公の一隅を買ったンだっけ……」
Y「どーしてそンだけの金額をぽんと出すかな」
F「先行投資だよ。中国の商人は戦争をも投資の機会と考えていて、どこかで国同士が戦争を始めたら勝ちそうな方に金を貸し、実際に勝ったら利息をつけて回収した。あるいは利息を取らず返済さえ求めず、その国での商業権をもって利益とした場合もある。競馬の基本は本命からの流し買いだそうだが、大穴が勝ったら儲けも大きいのは云うまでもないな」
Y「劉備に金を出したのは、そんな流し買いの一環だったワケか」
F「将来性を見越したのかもしれんがな。演義での話をもうひとつ。趙雲が長坂で手に入れた青スの剣だが、41回で『鉄を切ること泥を切るが如し』と絶賛されているが、武器や防具が鉄ではないと考えた場合、その斬れ味も説明がつく」
Y「まぁ、本当に鉄をも斬り捨てられる剣があるなら、それはたぶん鉄製じゃないな」
F「赤く発色し鉄を斬り捨てられる金属に心当たりはあるが、歴史という棺桶に突っ込んだ片足の都合でそれを口にするのは許されんからなぁ。まぁ、青スはフィクションだ。モデルになったのは蜀帝八剣だと思うが、あのエピソードそのものがちょっと信憑性に欠ける」
A「なんなの?」
F「あとで触れる。とりあえず、根源的なところを確認しよう。人類が最初に使った鉄は、隕石から採取した隕鉄だが、いつしか山から採取された鉄鉱石を加工するようになった。ただし、製鉄技術というものはそう簡単には得られるものではなく、最初に天下統一を果たした始皇帝率いる秦でさえ、鉄の生産という観点で評価するなら後進国だったと云わざるを得ない」
A「ために、項羽の時代は青銅器がメインだった、と?」
F「発明という子供の両親の名を知っているか?」
A「……必要は発明の母、だっけ? 父親は……どうだろ?」
Y「失敗は成功のもとと云うが」
F「たとえば農地を開拓する場合、古代人は鋤や鍬を作り出したが、最初は木製だった。のちに金属が使われるようになると、鍬の先を金属で覆って、作業効率を向上させたワケだ。技術的には銑鉄と呼ばれるものだが、農具としてはそのレベルで充分だった」
A「えーっと……銑鉄?」
F「鉄中の含有炭素成分が2パーセントをこえるものをそう呼ぶ。低温で鉄を溶かすと不要な成分が多く含まれるので、ぶっちゃけもろくなるンだ。そこで、この銑鉄をさらに加熱して不要な成分を除去する作業を鍛造と呼び、できた鉄を鍛鉄と呼ぶ。鍛鉄を、熱を加えながら折り曲げては重ね、叩いて固くしたものが鋼鉄、つまり鋼だ」
Y「どういう反応をすればいいのか判らん」
F「……鋼鉄を作るには、まず、1200℃を超える高温に耐えられる製錬炉が必要だ。加えて、大量の空気を送り込んで、その温度を維持するためのふいご。武器の刃にするにはできれば炭素成分が2パーセント未満であることが望ましいンだが、ほとんど炭素成分がない錬鉄を銑鉄と一緒に製錬し、作り出された鋼鉄は、宿鉄と呼ばれ武器に最適と云われた」
A「はぁ」
F「その技術を事実上確立したのが、問題の蒲元でな」
Y(←正史を広げて聞き流していた)「よし来い」
F「この野郎。実は、この蒲元さんは奇妙なヒトで、正史にも演義にも出演しない。魏の技術者・馬鈞はきちんと正史にも出るのに、蒲元の名も功績も、正史では伝えられていないンだ」
A「いつか云ったけど、正史も演義もナシで三国志語っていいのか?」
F「それでいて、蒲元と云う刀鍛冶がいたことは確かでな。焼き入れの際にどこかの川の水でないといかん(川の水に含まれる微量元素が、鉄の硬さに影響を与える)のに、取りに行かせた部下が別の水を混ぜたのをひと目で見抜いたとか、蜀帝八剣と称する剣を鍛え劉備に献上した(ひと振りは現存)とか、鍛え上げた三千本の刀が斬れ味鋭く『神刀』とさえ呼ばれたなど、逸話は多い」
Y「正史に名がないからと云って、実在しなかったとは云いきれない……というのは3回前に見たな」
F「ただし、蜀帝八剣のエピソードはフィクションとしか思えないンだが」
A「どんな話なんだ? それ」
F「金牛山から掘り出した鉄で八本の剣を作り、それを劉備に献じたというオハナシ。気に入った劉備はひと振りは自分で佩き、残りの7本は劉禅・劉永・劉理、孔明・関羽・張飛・趙雲に与えた……となっている」
A「3人の王子と腹心の部下たちに与えたなら、疑う余地はないンじゃないか?」
F「これ、221年の話なんだよ(曰く『章武元年辛丑』)。関羽はすでに、張飛も下手をすれば死んでる。そもそも『蜀帝』と云っているンだから、関・張が絡んできた時点で疑えよ」
Y「修業が足らんぞ、アキラ」
A「うるさいやい!」
F「とりあえず話を戻して、蒲元な。コラムの『偃月長蛇』でさりげなく書いておいたが、字は仲康。これまた書いたが孔明より年下で、187年生まれ……曹丕と同い年だな。江夏の出身だ」
Y「どこから仕入れた、その個人情報? 正史には何も書いてないぞ」
F「それについては後で触れるから、とりあえず流す。えーっと、孔明の益州入りに同道してそのまま蜀に仕えたンだが、夷陵の戦いで長男が死亡。それでも蜀に仕えて、孔明を技術面から支えていた。基本的に『孔明の発明』したものは、設計は孔明で製造は蒲元だと見ていいぞ」
Y「じゃぁ、馬鈞の側にはある程度のライバル意識があったのかもな。『孔明の発明』した連発弩を『ワタシならもっと優れたものに改造できます』と豪語してるンだから」
F「負け惜しみという気もするがな。アイディアだけなら馬鈞は孔明を凌いでいたが、あまり実用化されなかったから。技術者としては一歩劣るンだよ」
A「要するに、蜀の技術力は魏を凌いでいたと見ていいのかな」
F「蒲元と馬鈞では蒲元が上だった、という見方はできる……と応えておこう。確認するまでもないが、蜀は山の中だ。ために、鉱物資源は豊富だった。対して魏では、皇帝の陵墓を掘り返して、副葬品どころか木材や建材まで略奪する専門官を設置していたらしい。のちに同じことをしでかしている郝昭辺りが、それに従事していた可能性がある」
A「非道いことするなぁ」
F「先走って見てしまうが、卑弥呼が魏(曹叡)から下賜された物品の中には、鉄剣と銅鏡があったな。それぞれいくつだったかを覚えているか?」
A「……ヤス〜」
Y「鉄剣が双振りと銅鏡百枚だ。それくらいがっこうで習っただろうが」
F「つまり、魏で使われていた金属材は、銅(青銅)50に対して鉄はわずか1だった可能性がある」
Y「事例として極端すぎるだろうが!」
F「まぁ、たかが朝貢国への下賜品に、国家の財政がそのまま反映されるとは思えんしな。云ってみただけだ、気に障ったなら謝ろう」
Y「お前という奴は……」
F「話を戻すが、蜀は弱かった。それなのに、局地的とはいえ孔明が魏に善戦できていたのは、確かな技術があればこそなんだよ。実は興味深いデータがあってな。ずいぶん時代はめぐるが1070年に、華北を統治していた契丹人の遼王国は、モンゴル高原に住まう韃靼人への鉄の禁輸を決定した。当時(今もだが)モンゴル高原には鉄鉱山が少なく、矢尻でさえ動物の骨で作っていたくらいだ」
A「ずいぶん弱体化したンだねェ」
F「ところがそれから60年くらいした12世紀はじめ頃、金(王朝名)が遼を西に追いやると、華北はたまたま漢人が治めることになった。この漢人が、何を考えたのか鉄銭を使わなくなったモンだから、その鉄貨がモンゴルに流れてしまった。モンゴル人はこれを鋳潰して武器に使ったようで、周辺地域に活発的に侵攻するようになったという」
Y「ちゃんとした武器がなければ軍隊は弱体化するが、武器があれば他国に侵攻できるようになる……か」
F「孔明が北伐を敢行できた理由の一環には、南中から得られた良質の鉄鉱資源を挙げていいだろうね。それがなければ、蜀の軍事力はもっと低いものになっていたはずだ」
A「……確かに興味深いけど、ちょっと気になった」
F「あいよ?」
A「レイヴは確かに鉄を使っていたの? ヴァイキングの武器が鉄だったという証拠は」
F「はい、待ってました」
A「……またアキラ、お兄ちゃんの掌の上で踊ってますか?」
F「僕が何のために、やたらと長い冒頭の文章を引用したと思っている? はっきり書いてあるだろう、『木材資源豊かなこの謎の大地の話で持ち切りになった』と。製鉄のための高温を得るのに石炭が用いられるようになったのは、この技術が発展していた中国でさえ10世紀も半ばを過ぎてからだ」
Y「それまでは……木炭か」
F「木を燃やす他に、高温を得る手段がなかったンだよ。モンゴルには小さな山をひとつ燃やして、その山の鉄を採取したという伝説さえある。大量の木を消費する文明は、それに見合った量の鉄を使用していた可能性が高い。グリーンランドでは『家などを建てるための木材の入手も容易ではなかった』とも書いてあったが、ヴァイキングがヴィンランドを探したのは、建築材のみならず金属加工用の燃料としても木材が必要だったため、という見方ができる。石炭・石油・化石燃料の実用化以前では、木材がなければまっとうな文明は成立し得なかったからな」
Y「だから『古代文明』は『古代の文明』になってしまった、ということか」
F「そういえば答えを云っていなかったな。発明という子供のご両親は、技術と資源だ。努力と根性では戦争に勝てないように、必要だからという精神論では物は作れん。確かな技術と豊富な資源がなければ発明はできないが、その時代の誰にも必要とされないものを作り続けたマッドサイエンティストは歴史上に数多い。南中で得た資源を優秀な技術者たる蒲元が活用したことで『神刀』が生まれたり、設計から製造まで自分でやらなければならなかった馬鈞が一歩ないし数歩及ばなかったのは、そういう事情による」
A「ましてや失敗においておや……ですか」
F「技術は技術者ごと略奪していた大ハーン・チンギスは、モンゴル高原を平定する際、鉄鉱山を擁する勢力を順に潰していった……みたいな記述が、白石典之教授の著書『チンギス・カン』(中公新書)にある。モンゴル軍の武器製造技術、特に鉄の扱いに関しては超一級の資料だから、モンゴルについて語るなら必読だぞ」
Y「白石?」
A「ふーん? ……あ、これ?」(←本棚に並んであった)
F「そう、それ。泰永は知ってるだろうが……」
A「……おい、アホ兄。これのどこが一級資料だ?」
F「はい、何ですか? 23ページでなければ文句は云うなよ」
A「ページまで記憶してるンじゃねーか。その23ページに『萌古とはすなわちモンゴルである』とか書いてあるぞ。どこのバカだ、こんなモン書いたのは」
F「バカとは何だ! オレと泰永のカミさんは、このヒトに足向けて寝られんのだぞ!」
A「ケツを向けろ!」
Y「……あぁ、白石教授な。うん、判った。というか、ふたりとも落ちつけ」

 ぴんぽんぱんぽーん
ヤスの妻「読んでた時に備えて、この場でお詫びします。ホントごめんなさい。アキラくんには悪気も知能もないンです。許してあげてくださいね」
 ぴんぽんぱんぽーん

F「ところで」
A「強引に話を戻すなよ!」
F「掘り下げられたらオレたちが困るンだよ! 先ほど云ったように蒲元は187年の生まれで、240年に亡くなっている。後は二男の蒲明が継いだが、蜀が滅んだのはその代だ」
A「まだモンゴルの話を続けたいらしいな? 元の後が明ってどうなんだよ」
F「早死にした長男が蒲亮と云う。孔明との関係は深かったようだな」
Y「どこまで深いンだか」
F「当然ながら蒲明には魏に仕えるよう説得の手が伸びたが、本人はこれを拒んで逃走。追われる身になった」
A「蜀よりは、孔明への恩義だろうねェ」
F「うん、そう考えていいと思う。ところが、交州に向かって逃げている途中、魏の兵に追いつかれそうになった」
A「……何で交州?」
F「交州からは国外に逃げられるからな。以前劉備もそっちに逃げようとしたのは、その辺が原因じゃないかと思われる。水滸伝にも孔亮・孔明という兄弟が出ている辺り、羅貫中はこの辺の事情を把握していたのかもしれない」
A「世界は狭いな」
F「違いない。ともあれ、蒲明はとっさに、蒲の穂が生い茂る沢に身を隠して追手をやり過ごした。これ以後、蒲澤の二字姓を名乗るようになったという」
Y「は?」
F「たどりついた交州は、73回で見たように山越の民の居住区が多く、呉からの侵攻をたびたび受けた。ために、賀斉によって山越民族が事実上滅んだンだけど、厳密には殺されたワケではなく――殺された人数も多かっただろうが――さらに南方や海上に逃げた者も少なくない」
A「あぁ、ヴェトナム人の源流だったな」
F「そして、海上に逃れた人々は、東方の小島にたどりつくと、そこに山越の民の国を興した。のちに大和朝廷に組み入れられることにはなったが、国号は守られ、越前・越中、そして越後の国として名残を留めている」
Y「……マジで待て、幸市」
F「なに?」
Y「お前の云う『最大の資料提供者』、どこの人だって?」
F「新津区(旧新津市。新潟市に合併された)の蒲ヶ沢に住んでいる蒲沢さん。なお、秋葉区は小須戸の原住民が僭称しているだけの誤った呼称なので間違わないように……とは本人の談」
A「そのものズバリかよ!?」
Y「さらに待て! お前さっき、聞き捨てならんことも云っていたな。蜀帝八剣のひと振りが現存するとか」
F「そこから先のコメントはしないことになっていてな」
A「いや、それがいちばん肝心なことだから!」
F「日本政府は民間人の手に貴重な文化財があることに否定的で、国宝に相当する物は没収する場合が多い。歴史に対する責任から、僕は、蒲沢氏から何を見せられたのかを公表できない」
Y「……態度としては間違ってないな」
A「気持ちと理屈は判る……な」
F「鉄資源を得たことで、人類の文明は発展した。だが、ヒトが鉄を使いこなせるようになったのは意外と近いンだ。意識していない場合が多いが、中国で武器が青銅から鉄に変わったのは、ちょうど三国時代のオハナシ。戦乱の時代であったからこそ技術は発展した、つまり必要によって生み出されたという考え方もできるが、そーいう見方で演義を読むとちょっと不思議な感覚に陥る」
A「羅貫中ほどの文豪が、それを見落としたンだもんねェ」
F「ひょっとしたら、僕は、地獄の羅貫中に『やーい、ひっかかったー』と笑われているかもしれん」
A「は?」
F「僕程度で気づいたことを、どうして羅貫中が気づけない? 僕が気づいたということは、羅貫中が気づかないはずがないンだ。三国時代に鉄が武器として実用化された、それを知った上で演義を書いたのではないか」
Y「なぜ?」
F「最初にレイヴの話をしたのは、実は『麻婆豆腐』のときの反省を踏まえてだ。地味なオハナシは何とか盛り上げないと、最後まで読んでもらえないし納得もされにくい。あの時は、僕の得意とする食人について書くことで無理に盛り上げ衆目を誘ったが、演義みたいな軍記物語で鉄について長々説明しても、読者も聴衆も飽きるだろう」
A「飽きられない、投げ出されないために……か」
F「以前触れたが、演義成立の時代的背景には、元から明に移る時代の趨勢が大きく影響している。科挙が行われなかった(後代には行っていたが)せいで、当時の文人は『物乞いの上、娼婦の下』という社会的地位にあった。飽きられるようなものを書いたら飢えて死ぬ。ために羅貫中は、あえて鉄に関する記述を行わなかったように思える」
A「……まぁ、書かなくてもお話としては実害ないモンねぇ」
F「加えて、ある程度の予備知識がないと『三国時代に鉄が使われだしたンだよー』と云っても納得せんだろう? 僕や泰永のカミさんとつきあいが長いお前らならそのまま受け入れるだろうけど、たぶん『その前から実用化されていたはずだ』と考えるひとがいると思うンだ」
Y「根拠を挙げろと云われたら?」
F「技術的な事実で応えるしかないな。繰り返すが、1200℃に耐えられる製錬炉とふいごがなければ鋼鉄は技術的に作れない。炉に関しては改良による発展だから以前からあったとも云えるが、高熱を維持するふいごは後漢末から三国時代以降に実用化されたンだから、この時代に鉄が武器として使われるようになった……と云っていいと思う」
A「じゃぁ、今回の蒲元に関する『私釈』を否定するような史料が発見されたら?」
F「気にせんよ」
A「気にしろ!」
F「どんな史料が見つかろうが、僕は、蒲元に関する僕の『私釈』が正しいと信じる。1800年受け継がれた神刀の銘と血を否定する史料など、僕は認めない」
A「……気持ちと理屈は判る」
Y「気持ちはともかく、理屈が通るか?」
F「続きは次回の講釈で」
Y「……強引に逃げやがった」

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