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私釈三国志 107 出師之表

Y「ひとつ提案」
F「拝聴しましょう」
Y「今回、きっちり規定分量で抑えよう。前回・前々回・その前と、このところ長いのが続いてたからな。ここらで軌道修正しないといかん」
A「格好のタイミングで云いだしたな、ヤス?」
Y「でなきゃ『出師の表を全文掲載しよーぜェ』とか云いだしかねんからな。お前が」
A「アキラですかっ!?」
F「意見はまっとうだな。次回もちょっと長くなる予定だし、今回は文量の規定を心がけることにしよう。お前ら、ボケはほどほどにするように」
Y「持つべきは話の判る弟だな」
A「気に入らん……」
F「さて。前回見たように、曹丕が死に曹叡が後を継いだ。それを聞いた孔明は、今こそ魏を討つ好機と見て、蜀の総力を上げて北伐を敢行することにした」
Y「ヒトの不幸につけこむのは、タイミングとしては間違っちゃいないワケだな」
A「やかましいわ!」
F「うーん……」
2人『悩むなよ!』
F「天の時、地の利、人の和と云う。孔明のグランドプランたる天下三分の計は、荊・益両州を抑え孫権と結び、周辺の異民族を従えながら国力を富ませ、中原の動乱……つまり、曹操の死ないしそれに匹敵する一大事を狙って兵を挙げるというものだった。その際、荊州には別将が、益州からは劉備が軍を率いるとしていたが、中原の動乱を天の時、孫権と結び荊・益州を抑えるのが地の利、国力を富ませ別将を選抜し挙げるべき兵馬を整えることを人の和とする」
A「割とまっとうなことを云いだしたな……それで?」
F「まず、地の利が破綻しているのは確認するまでもないと思う。呉まで加えての三正面作戦を魏に強いるのが目的なのに、この時点ですでに荊州を失っている。そもそも、荊州の州都・襄陽をはじめとする江北一帯は魏の版図だ」
A「……まずいですね、確かに」
F「純粋な国力において、中原を支配する魏は天下の七割を押さえていたと劉曄が評したのは過大とは云い難い。蜀と呉の完全な連携がなされていたとしても魏の優位性を覆すのは難しい。それこそ燕の公孫氏や北狄まで動員すれば話は別だが、それが判っていたからこそ、曹丕はそれを避けるために、魏の北方に位置した匈奴や公孫氏への配慮を忘れなかった……という見方ができる」
A「そこまで曹丕は優秀だったと?」
F「見ていいだろうね。まぁ、呉と公孫氏ならまだしも、孔明が匈奴と結ぶことは距離的にも難しい……えーっと、距離とは純粋な長さのみならず、その間に位置する障害(敵性勢力)を考慮すべし、とも以前云ったな? というわけで、孔明は地の利を得られなかった。これが第一」
Y「はっはっは、孔明をボロクソにけなすなら先にそうと云ってくれれば、冒頭のような無粋な提案はしなかったのに」
A「お前はもう黙ってろ!」
F「次に天の時だが、これに関してもいささかタイミングを逸していた感は否めない」
A「は? 曹丕はちゃんと死んだだろ?」
F「曹操の時ほど混乱が起こらなかった……まぁ、そのときも表立っては起こらなかったンだが、それに関しては92回参照。曹丕が死んだのは前回見た通り226年5月17日。対して孔明が出師の表を劉禅に奉ったのは227年3月らしいし、実際に魏に攻め入ったのは228年に入ってからだ。2年近く経っていれば、帝位相続のゴタゴタなんてすっきり納められるのは、実際に孔明がやってのけただろうが」
Y「あぁ……劉禅を帝位につけてから南征までは2年かかっていたか」
F「その2年間で孔明は何をしていたのかといえば、漢中に駐屯して出陣準備を整えていた。手元に南征で使っていた(つまり、戦う準備は整えてある)兵士があったのに、それを動かさなかったンだ。南蛮兵を順化させるのに時間がかかったとの見方もできるが、それなら趙雲なり魏延なりに精兵を預けて動かし、自分が後から蛮兵を率いていく……という手法も考えられただろう。それができなかったのは周知の通りだが」
Y「この辺りの鈍重さをして、陳寿は『臨機応変の戦術には通じていない』と評したのかね?」
F「あるいはもっと笑えないことも考えられるが……ともかく、天の時を得ていたとも考えにくい」
A「だが蜀は、人の和をもって立つ! 天の時も地の利もない「地方政権の」蜀がそれでも魏と渡りあえたのは、孔明を中心とした家臣団の団結があったからで……余計な口出ししないのー!」
Y「反応遅いぞ、アキラ。で、この坊やの妄言を覆してくれると期待していいンだろうな?」
F「同い年だとゆーに。ここで、今回のタイトルにもなった出師の表を話題に上げたい。僕は、この文章に込められた孔明の想いを高く評価しているつもりだ」
A「これを読んで泣かない奴は漢じゃない! とまで云われた、天下の名文と名高い孔明の絶筆だからね〜」
F「正史にさえ採用されているこの文章の、全文を引用したいのはやまやまだが、ンなことしたら今回もまた長くなりかねん。要点だけを押さえることにする」

 先帝(劉備)はその覇業が半ばにも達しないうちに斃れられました。いまや天下は三分し益州は疲弊しており、まさに存亡の瀬戸際です。しかし、文武の臣は国家のために忠勤を続けております。これは先帝の恩顧に報いんとすればこそのものと云えましょう。
 陛下(劉禅)は広く意見を聞き、先帝の遺徳をもって彼らの気持ちに応えていただかねばなりません。みだりに「僕はボンクラだしー」などと云われるような軽薄さでは、大義を失うことになりましょう。宮廷と政府が一体となって善悪・賞罰を明確にしなければなりません。悪人や善人は刑罰・恩賞をもって公平に扱い、私情に駆られて法を左右してはなりません。
 費禕・董允らは先帝に抜擢された忠臣です。宮中のことは彼らに諮ってから行えば、利益を損なうことはないでしょう。軍事に関しても、先帝が有能と認めた向寵を用いられれば間違いは起こりません。前漢が隆盛したのは賢臣を重用し小人を遠ざけたればこそで、後漢が衰退したのは小人を重用し賢臣をを遠ざけたればこそ。先帝は私によくそのことを嘆いておられました。陛下も蒋琬や費禕といった忠実な家臣たちを重用なされば、国体を保つことができましょう。
 臣(孔明)はもともと無官の農民でしたが、先帝自ら三顧の礼を尽くして招聘していただいたのに感激し、お仕えさせていただきました。長坂での敗戦から21年、身を粉にして忠勤してきましたところ、先帝は崩御にあたって臣に国家の大事をお任せくださいました。その命を果たせず功も挙げられず、先帝の意に背くのを恐れるばかりです。南方を制して軍を整えた今こそが、北方平定の契機。臣は愚鈍なる才を挙げて、旧都を取り戻し姦賊を討ち、漢室復興を成し遂げたく存じます。これこそが、臣が先帝の恩顧に報い、陛下に忠節を尽くすこととなりましょう。
 どうぞ臣に賊を討ち漢を復興する功をお任せいただきたい。政策は費禕たちに委ねて大丈夫ですが、陛下も彼らを正しく用いられますよう。そして臣が失敗したのであれば、臣を処断して先帝にご報告ください。
 先帝の遺言を思い起こしては大恩の感激を抑えきれず、(陵墓より)離れるにあたっても、この表を前に涙が止まらず、臣には申し上げるべき言葉もございません。

F「まとめたつもりが充分長くなったな。原文だと、えーっと……1248字か? その中で"先帝"と13回、"陛下"は7回出ている、はずだ」
A「……暗唱できるなら先に云ってくれ。いきなりベラベラと云いだしたから、ヤスったらドン引いてる」
F「僕、いちおう『星落秋風五丈原』も全文暗唱できるよ?」
2人『するな!』
F「さて、いつぞや劉備が荊州に侵攻した時も、あるいは孔明が南中に兵を入れようとしたときも、反対の声は少ないながらもあがった。これは当然のことで、イスラムでは『全会一致なんて不正がなければ起こらない』という考え方もあるくらいだ。少数意見をどう遇するのかで、その団体の真価は問われる」
A「北伐にも反対意見があったのか?」
F「当然ながら、と云うべきだろうな。といっても、費詩や趙雲のような正論ではなく、秦宓に近い反対意見だが。譙周という(演義では)劉璋に劉備に降るよう勧めた文官が『いまは星の運りが思わしくありません。天文をよくする丞相が、それと気づいていないはずはないでしょう』と、暗に天の時を得ていないと言上している」
Y「本心としては反対なのに表立ってそうは云えないから、天文のせいにして反対したワケか」
F「実際のところ、魏が攻めてくる可能性はあったのかと云えば、低かったと考えていい。天下の険に囲まれた蜀に侵攻するには、相当の軍備が必要になる。劉備が蜀に入って要害を固めたら大変よー、と魏の文官たちが評したくらいで」
A「だから、守りを固めていれば蜀は安泰だという……慎重論かね」
F「孔明を積極論と位置付けるなら、そうなる。これらに対して、南征に反対した王連はまた違う立場でな」
Y「塩田の責任者だったか」
F「蜀における塩鉄専売の責任者だ。ただし『何もせずに尊大にかまえて家臣の名誉を傷つけた』と処罰された廖立に『アイツは俗物のくせに偉そうな顔をして民衆を疲弊させた』と云われているが」
A「何でそんな奴が南征に反対するンだ?」
F「塩鉄の専売は民衆には負担になるけど、その分利益は上がるンだ。益州領内でやってる分には王連がそれを独占できるけど、南方の資源まで蜀の版図に入ったら、呂凱辺りが競争相手になるだろう。それを防ぐために、一見孔明を案じている意見で南征を思いとどまらせたようでな」
A「私利私欲かよ!?」
F「実際、王連の発言力はそれなりにあったようで、孔明はその時点での出兵を取りやめているくらいだ。ところがその王連が死んだ(没年不明)モンだから、南征への反対は下火になっていき、結局孔明は兵を挙げた」
A「何だかなぁ……」
F「王連の手腕は蜀の経済の一角を確かに担っていて、彼に代わる塩鉄産業のスペシャリストを得られなかった蜀は、経済的に弱体化していくンだが、それはともかく。このように、自分の職分をタテに孔明の動きを封じられる文官が、当時はまだいたンだよ。ところが、南征を経て北伐に至るまでに、そういった手合は少なくなる」
A「例によって世代交代で?」
F「いや、この出師の表で」
Y「……孔明子飼いの連中を重用しろと、劉禅に云っているな」
F「云うまでもなく費禕や董允は孔明のシンパだ。さっき見た廖立だが、王連をはじめ董允たちを侮辱する発言を蒋琬に聞かれて、公職から追放され庶民に落とされている。誰を使え誰を重んじろと布告することで、自分の派閥を劉禅の近辺に置き『宮廷と政府』……つまり劉禅と孔明に別れていた蜀の政治ラインを一本化している」
A「そーゆう見方をするかな!?」
F「布告文というものは裏返して見るのがポイントでな。家臣、特に忠臣と呼ばれる者が主君に献じた文章の場合、主君は書かれているものと逆のことをしていることが多い。たとえば日本の南北朝時代、北畠顕家が後醍醐天皇に『身分の低い輩や皇室の評判を落とすような連中は遠ざけるべきです』という、楠正成が何のために死んだのか判らなくなる書状を奉っている」
Y「えーっと……『アンタは私情に駆られて法を左右しているが、先帝を見習ってワタシの云うことを聞きなさい。費禕たちを重用して、何もかもワタシの思い通りになりなさい』ってところか」
A「変な日本語訳は付けんでよろしい!」
F「出師の表というのは、ひと言で云うと劉禅への説教でな」
A「否定はせんが簡潔にまとめすぎじゃ、ボケ!」
F「いくら父親が重用していたとはいえ、もとは農夫の宰相を、年若い君主が信用するのは稀なんだよ。孔明の専横許すまじと反発する連中も、当然いるだろう。そういった連中の意見を抑え、蜀の権威・権力を孔明に一極化するために、出師の表は書かれたとみていい」
Y「例によって、孔明は権力欲に取り憑かれた亡者だったというワケだ」
F「いや、そこは違う。常々見てきたように蜀の国力は乏しく、単独で北伐を成し遂げるのは難しい。それなのに国論が分裂していたら、乏しい国力がなおさら疲弊するだろう? 蜀を統治していくためには、国家を一丸とする必要があったンだよ。では、どうやって挙国一致体制を作り上げるか。孔明はこうやった」
Y「劉備の遺徳を前面に打ち出した檄文を提示し、北伐に反対する奴は国家の敵だみたいな雰囲気を作り出して、逆らう奴は実際に処罰した?」
F「先に云ったが、僕はこの文章に込められた孔明の想いを高く評価している。国をひとつにまとめるためには、多少強引にでも孔明に全権を集中する必要があったンだ。蜀は強くない。国というよりは地方軍閥と考えた方が正しいくらいだ。その小さな軍閥が内部争いしていたら、なおさらに小さく弱くなる。孔明はそれを避けたかったンだろう」
A「……小さいなら小さいなりの戦い方をしようとしたワケか」
F「廖立が、孔明の処罰を恨みに思わず、孔明が死んだら『もう国は終わりだ』と嘆いているくらいだ。蜀をひとつにするという目的で出した檄文としては、出師の表は絶大な効果を上げたと見ていいぞ」
Y「むぅ……何となく面白くない結論だな」
A「同じく……。孔明を否定されてるワケじゃないのに、どーしてこんなに面白くないンだろう」
F「とりあえず、今回は規定分量で終わらせることになっているから、ここで終ろうと思う。いちおう出師の表の全文を別ページに掲載するので、興味のあるヒトは御一読ください」
A「どうにも尻切れ感がぬぐえないけど……変なことやられるよりマシか」
F「続きは次回の講釈で」

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