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私釈三国志 100 劉備玄徳

6 劉曄子揚
F「さて、劉璋についてはフォローの余地がないが、劉表は割と有能な君主だった。孫堅・孫策・孫権を向こうに回して一歩も退かず、曹操にも外部(小)勢力を使って対抗している。河北を制して袁家を滅ぼし、実質天下を盗った曹操でさえ、荊州に全面戦争をしかけたのは劉表が(年齢ゆえに)衰えてからだったことが、それを証明している」
Y「ベテランの裏切り者の劉備がずいぶん長逗留していたくらいだしなぁ」
F「居心地がよかったンだろうね。ただ、その息子ふたりはかつて曹操が評したようにブタみたいなもので、偉大な父の行いを受け継げずに、荊州は三国入り乱れての争奪戦の舞台となった」
A「騒乱の原因の大部分は曹操だろ」
Y「残りの90パーセントは劉備だぞ」
F「劉表が名君と認識されていないのは、息子たちが権力争いの犠牲になって、国を全うできなかったのが悪影響したのは明白だ。……ところが、興した国が息子の代で潰れた劉備は、なぜか劉表ほど悪くは評価されていない」
Y「見方によっては、劉表よりはるかにタチが悪いンだがなぁ」
A「皇帝になったからかな?」
F「では劉表が皇帝を自称していたらどうなっていた? 僕には、それほど長じていられたとは思えんが」
Y「……劉表の器量が劉備に劣るものだったとは思えんな、確かに。だが、劉表が皇帝を自称していたら、曹操・孫権はもちろん、劉備・劉璋とて座視できまい。荊州は戦火の中心になるぞ」
F「そういうこと。劉姓の皇族だからといって、皇帝を名乗っていい理屈はないンだよ」
Y「その通りだな」
A「この野郎」
F「さて、劉備とは正反対に、れっきとした皇族でありながらその生涯を魏に捧げたのが劉曄だ」
Y「ここで出たか」
F「この男、見識においては程cや郭嘉にも引けを取らない智者で、彼らと同じ謀臣列伝(魏書十四)に名を連ねているンだけど、ある意味では程cよりタチが悪い」
A「そーなのか?」
F「13の年で亡父の側近を自ら斬り捨て、20過ぎてからは揚州の山賊のお頭を自ら斬り捨てているンだ」
A「殺人癖でもあったのか!?」
F「事情はあるンだがな……。戦争の勝敗・人物の忠誠心を見図っては、一度として外したことはない。曹操から重用されたが、曹叡(曹操の孫、魏の2代皇帝)からはやや疎んじられて、結局発狂したとさえ書かれている。あの時代にまっとうな人物がいたのか微妙なモンだが、その中でも屈指のキレ者だったと云っていい」
A「うーん……」
F「張魯・孟達・関羽・孫権らの心理・行く末を正確に見抜いた劉曄だが、この非凡な智者は劉備をこう評した。曹操が漢中を平定して間もなくのことだが」

 劉備は人傑ではありますが、度量はあってもグズです。蜀を得てから日が浅く、人民もまだ服しておりません。漢中を攻略した勢いで、公(曹操)が蜀へと攻め入れば、そのまま押し潰せるでしょう。
 もし時間を与えては、政治に明るい孔明が民心を安定させ、三軍に冠たる関羽・張飛が要害を固めて、蜀を攻略することは不可能となりましょう。公の頭痛は治まりませんぞ。

F「曹操が生涯頭痛を患っていたのは有名な話だな」
Y「割と高く評価していたワケか」
F「そゆこと。ただし、一度として劉備に仕えようとはしなかった。龐徳公なんかにも見捨てられていたので判るように、どうにも劉備は知識人には受けが悪い」
A「孔明だって知識人だぞ」
F「その通りだな。では、なぜ孔明は劉備に仕え、劉曄は劉備を高く評価しても仕えようとは思わなかったのか」
Y「見る眼があったということか?」
A「泰永」
F「あっはは……。究極的には立ち位置の違いじゃなかったのかと思う」
A「立ち位置?」
F「実際のところ、200年に曹操に叛逆してから23年間、劉備が人生を賭けて曹操に敵対し続けた理由が判らんのだ。漢王朝再興のためには曹操の邪魔をすべきではないのに気づけなかったほど愚かな男とは思えない」
Y「愚かだったンじゃないのか?」
A「曹操はともかく息子や孫が漢王朝に害をなすと気づいていたンだよ!」
F「あるいは、献帝にとって代わって自分が皇帝になりたかったのだと考えてしまえば、それで何もかも説明はつくンだがな。一度敵対したのに曹操に降って許された武将は、実際のところ数えきれないくらいいるぞ」
A「いるけど、信用されていたのに裏切って、また降伏したなんてのは……」
Y「畢ェがいる。曹操の配下だったが張邈を経て呂布に仕え、呂軍滅亡に際して生け捕りになり『お前が主に忠実なのは判っている』と魯の大臣に迎えられた、どっかの雪男が泣いて喜びそうな武将がな」
A「迎えられた国が凄ェ!?」
F「関・張とは離されるだろうが、降伏していればそれなりの爵位・処遇を受けていたはずだ。それにもかかわらず、劉備は曹操に敵対する立場を貫き、皇帝にまでなった。まるで、歴史の神に反曹操勢力の旗頭としての役割でも命じられたかのようにな」
A「神を出すな、神を」
F「ここで、注目すべきエピソードがある。――孔明が曹操に仕えるわけがない、という事実だ」
A「……あ」
F「詳細は120回に譲るが、孔明は、曹操に敵対するために劉備を選んだ。だが、劉曄は曹操に仕えている。彼には曹操に何のしがらみもなかったからだ」
Y「たとえ漢を滅ぼすことになっても曹操に仕えた者と、漢にとって代わってでも曹操に仕えるわけにはいかなかった者……か。立ち位置というか、信条というか……」
F「いちばんてっとり早い台詞を使うなら運命という奴だが、僕はこの言葉の存在を認めたくないのでな。ともあれ、劉曄がどんな心構えで魏に仕えていたのか、本人の供述がある。その身が宮廷にあったのにほとんど周囲と交流しなかったことについて答えた台詞だ」

 魏は帝位についてまだ間もなく、世人が納得しているとは考えにくい。私は漢の王族の隅っこだが、魏では高官の地位にある。徒党を組んでいては道義に反するだろう。

F「漢の王族が徒党を組むと魏の王権は揺らぎかねない、ゆえに私は自ら孤立しているのだ、と云っている」
A「……どうしても魏を守りたかったワケか」
F「そして、『徒党を組んで魏の王権を揺るがした漢の王族』が劉備だ。もっとも、揺らいだか及び本当に王族かは議論の余地があるだろうけど」
Y「いずれも『もう少し頑張りましょう』という程度じゃなかったかと思うンだがな」
A「やかましいわ!」
F「頑張られても困るがな。ともあれ、漢の王族であることを武器に皇帝になった劉備と、漢の王族であることを防具に魏を守ろうとした劉曄は、ある意味好対照に思える。劉備好きなひとは、もう少し劉曄に注目すべきではなかろうか」

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