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私釈三国志 100 劉備玄徳

5 悪逆非道
F「僕の尊敬する加来耕三氏は、劉備の能力を低く評価している。……ように見える」
Y「ぶはははははっ!」
A「笑うなーっ!」
Y(挙手)「いや、つい手を挙げるのも忘れるくらい笑っちまった。そうだったのか?」
F「うん。潮出版社の『人物 諸葛孔明』で、劉備のことを割とボロクソに書いてるンだ」

 一言でいえば、劉備は一個の無能者でしかなかった。空虚であった、といってもいい。堂々たる体躯や美髯、大陸好みの魁偉な面構えは、人並以上に備わっていたとはいえ、武技に秀でていたわけでもなく、兵法に長じていたのでもなかった。
 そればかりか、生来、臆病者である。かといって学問・教養には縁遠く、己の分別・定見すらまったく持たずに成長した。
 前章でみたように、前漢の中山・靖王劉勝の末孫で、景帝の玄孫にあたるとは称していたが、真に受ける者はほとんどおらず、人々は劉備の前身を涿県楼桑村(河北省涿州市)の蓆売りとしか見做していなかった。
 個人としての才能を持たず、氏素性もあやしい劉備は、世間にあっては常に支援、ありていにいえば支えを必要とした。青年期の関羽と張飛、四十代以後での孔明が著名である。
 周囲の誰かが知恵を絞り、何かを提案すると、劉備はそれを躊躇なく採用する。もし、劉備に多少なりとも能力があったとすれば、献策者が複数であった場合に適当な策を採り、人選したくらいであったろう。
(前掲書 141〜142ページから抜粋)

Y(挙手)「俺でも、ここまで云うかと思ったくらい、劉備をこきおろしてるな」
A「何でこんなこと云う奴のこと尊敬してるンだ、お前は!?」
F「続きがあってな」

 それだけに、失敗しようとも決して怒ることはなかった。
「少なくとも、オレがやるよりはましであったろう」
 劉備の思慮は、ここが基本になっている。したがって、大抵の人物は結果として包容された。他人の些細な欠点に目をつぶり、その長所や功績をほめて適材適所につける。
 劉備に接すると人々は、何ともいえぬ大きさと温か味を感じてしまった。
 それが才覚ある教養人には、途方もなく大きな器に水を注ぎ込むがごとき快感を覚えさせ、乱世に身を応じた叛将や札つきの悪党といわれた男たちには、
「この人のためなら」
 と生命賭けの思い入れを持たせた。
 この"徳"とも"侠"とも形容し難い――ある種の愛嬌のような魅力が、電磁力となって幾多の奇才や英傑を劉備に惹きつけ、わずかな期間に軍閥を築きあげた。
(前掲書 142ページから抜粋)

F「劉備の魅力というものを端的に表した文章だと云える」
A「素晴らしいね、加来センセはっ!」
Y(挙手、というかお手上げ)「お前ね……」
F「話は変わるが、鳳凰というのは一対でな。鳳がオスで凰はメスだ。同様に、麒はオスで麟はメス」
A「あ、そーなん?」
F「かつて『恋姫』に出演しなかった龐統が出たのは嬉しいが、よりによってこの字になったからなぁ。それはともかく、龐統は人材を評価するとき、当人の能力より上に評価することが多かった」

 世の中は乱れに乱れ、人道はすたれ、悪人が多い。風紀を正すにはとりあえず褒めてやって、名誉を重んじる善人を増やしていかなければ。10人を登用してその半分がダメな奴でも、半分が有用な人材なら十分じゃないか。

F「とにかく相手を評価する、という方向性で劉備と似通っていたものを持っていたようだ」
A「惜しいヒトを亡くしましたね……。龐統が生きていれば、劉備がどれだけ助かったことか」
F「そんな龐統相手に、劉備が云った台詞がある。正史でも演義でも採用されている、自分と曹操との関係だ」

 オレと曹操は火と水の関係だ。曹操が厳格ならオレは寛大に、曹操が暴威をふるえばオレは仁徳に頼り、曹操が謀略を用いればオレは誠実を行う。いつも曹操と逆のことをしてきたのが成功の秘訣だったのに、小利のために天下への信義を損なうことを行うのは、オレのやることじゃないだろう。

F「益州を奪え、と勧められた時の返事だ」
Y(挙手)「曹操が拠点を得れば劉備は拠点を失い、曹操が戦争に勝てば劉備は負け、曹操が献帝を保護し政を行えば劉備は漢中王を名乗って叛逆する。なるほど、逆をやってるな」
A「どこまで劉備が嫌いなんだ、お前は!?」
F「とりあえず落ちつけ、お前ら。ツッコミは後に回すが、国の統治者が、それを治める能力がないのをいいことに、自分が実権を握ってないがしろにし、仲違したら武力で威圧して部下も側近も殺し、自分の意を汲んだ家臣たちに迫らせて禅譲の様式を整え、パフォーマンスの後に受ける……ということをしでかした者がいる」
A「何でここで曹丕が出る?」
F「いや、劉備だ」
A「爆弾発言するなっ!」
F「劉備の行いをまとめると、こんな具合でな」

悪事劉備曹操・曹丕
国の統治者益州の劉璋後漢の献帝
能力がないそもそも無能政治は曹操に任せきり
実権を握る益州の民心を得るため暗躍魏王兼丞相として国政を預かる
武力で威圧要求を渋られると兵を挙げた暗殺計画には断固たる措置
部下を殺害戦場で劉カイ(字が出ない)他武将を討ち取る董承など姻族はことごとく処刑
家臣の脅迫簡雍を送り劉璋に降服勧告華歆らが献帝に禅譲を迫る
パフォーマンス攻め滅ぼさずに開城させる再三に渡って禅譲を拒絶し、祭壇まで築かせてからようやく受ける

F「劉備の益州入りについて見ただけでも、一般的な曹操親子の悪行と思われているものと大差ないことをしてるンだ。実際にはこれに、劉gの処遇や漢中王即位が加わるワケだから、むしろ劉備のが非道いことをしでかしてるくらいだぞ」
A「いやでも、漢中王はきちんと手続きを踏んで……」
F「アキラ、『なりました』と事後申請するのは手続きと云わない。というか、正史で劉備は、漢中王に即位すると『左将軍の印璽を返還』している。後漢王朝から公式に認められていた位を捨てて、自称を優先しているンだ。こーいうのを判りやすい言葉では叛逆と云う」
A「漢王朝に叛逆したンじゃなくて、曹操に反発してるだけだ!」
F「詭弁に過ぎん。漢王朝にとって曹操が必要不可欠な存在だというのは常々見てきた通りだ。曹丕に代替わりしたが、基本的に曹氏は漢の藩屏だった。だったら、権力を得るにはどうしたらいいか? アキラの云う通り曹操が国政を私物化していると糾弾して、自分たちを正当化するしかないじゃないか」
Y「その正当化さえ行わずに皇帝になったンだから、お前が孫権を悪く云うのは無理もないのか」
F「曹操は漢の忠臣だった。演義で(見方によっては正史でも)作られた逆臣論に凝り固まっていると劉備を正当と見做したがるむきはあるが、では聞こう、劉備は劉璋をどう扱った?」
A「……荊州に、追放した」
F「果たして、劉備が曹操を討ち中原を制していたら、献帝はどうなっていただろう」
Y「考えるまでもないだろうな。自分が皇帝になるため始末するか、謙譲の美徳を示し遠方に追いやる。劉gや劉璋の扱いを見ていれば一目瞭然だろ」
F「このように、演義の記述に基づいた悪質な先入観をナシに評価すると、劉備は逆臣でしかない。それが一般認識足りえていないのは、三国志演義が劉備を善玉と持ち上げていたからだ。曹操こそが真の逆臣である、それを討とうとした劉備は偉い……とな」
Y「そろそろ、演義の呪縛から解き放たれてもいい時期に来ているンじゃないかね。曹操のどこが逆臣なのか、むしろこっちが聞きたいくらいなんだからな」
F「現実問題、僕が曹丕をあまり評価していないのは、この辺が原因なんだ。基本的には劉備と同じことをやっている。それも、規模をグレードアップさせて、な。功績としては名君と称していいンだが、どうにも行いがよろしくなくて」
Y「一緒にするなと云っていいか?」
A「一緒にされたくないな、確かに……」
F「もちろん、正史が絶対に正しいとは僕でも云えない。云わない。だが、曹操や曹丕が逆臣なら劉備もそうだ。それを認識できないのは、歴史に対する態度としては間違っている」
A「……でも、それは漢王朝を主として考える場合の話だろ?」
F「それを否定すると、そもそも劉備はただの流賊だぞ」
A「ううううぅ〜……」
F「常々云われていて、この『私釈』でも何度となく云ったことを確認するぞ、アキラ。劉備は、曹操に及ばない。善悪を論じるつもりはないが、曹操が悪党なら劉備は小悪党だ」
Y「だからこそ、羅貫中はともかくお前は、劉備より曹操を評価しているワケか」
F「三国志演義が他の柴堆ものより受け入れられ、正史と並び称されるほどに評価されている理由を思い出せ。最後までやり遂げたからだ。善悪を云うなら中途半端なのがいちばん悪い。……少なくとも僕はそう思っている」

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