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私釈三国志 100 劉備玄徳

4 董承処刑
F「董承による曹操暗殺計画は、専横を強める曹操に涙した献帝が国舅の董承に密書を送り、それに劉備・馬騰が加わって……という、演義序盤の一大イベントだ。云うまでもなく、許田の鹿狩りはフィクションだが」
Y(挙手)「嘘田の名が示す通り、正史にも『そんなのありえない』ってはっきり書いてあるからな。羅貫中はどーしてそんなイベントばかり集めて、あんなクソ長いものを書き上げたのやら」
A「長さを云うなら、孔明が死んだのは演義では104回だぞ。あと4回で残る伏線全部回収して、この『私釈』にオチをつけられるのか?」
F「誰もそんなこと云っとらん。先に見た通り、この一件は曹操と董承の権力争いだ。事態の本質がただの権力争いなだけに、外様で新参の劉備に関する正史の記述を、鵜呑みにしていいものかと考えさせられる」
A「外様じゃなくて親藩。でも、ホントにそんな単純なことでいいのか?」
F「かつて王允は董卓を除こうと、韓遂と手を組んで罠にはめたぞ」
Y(挙手)「……おい、やってることが変わらんのか?」
F「類似のイベントが複数存在する場合、それを比較して事態を検証するのは、研究方法としてよく使われるものだ。かつて董承は、袁術と組んでまで曹操を宮廷に入れまいとし、やむなく宮廷に迎えて(正確には、献帝サマ御一行が曹操に保護されて)からも、そんなことを考えていた。なぜか……は、以前『漢楚演義』で云ったな」


F「つまり、当時の風潮としては、王侯將相には種があるという思想が主流だったことになる。ヒトは生まれながらにみな平等ではない、という思想だ。懐王が項梁に含むところがあっても、おかしいことではあるまい」
A「いや、でも、項梁のおかげで王位につけたンでしょ、懐王? その恩人を謀殺するか?」
F「逆。懐王にしてみれば、項梁に『どうしてもっと早くオレを王にしなかった!』とか『秦を滅ぼして天下を平定せんか、ボケ!』と文句を云わなきゃならないンだ。なぜなら、懐王は王だから、だ」
Y「……天に選ばれたから王は王であり、選ばれなかったから民は民である。ゆえに、王は民より上にある」
F「子供が事業を興して成功したら、それに協力しなかった(むしろ足を引っ張った)としても、親はそのおこぼれにあずかれる、と普通は考えるだろう」
A「まぁ……普通だな」
F「ところが、儒者は違う。儒教では、子供の儲けは全て親のものであり、親のためのものであるとされている。子供が金を稼いだら、親は、子供におこぼれを与えてやってもいいだろう、というのが儒教の教えだ」
A「……えーっと、懐王は、項梁に王位につけてもらったのを感謝しておらず、むしろ足りないと考え、楚の実権を握るべく項梁を除こうとした……と?」
F「発想はしにくいが理解はしやすい思想だろう」


F「確認を忘れたような気がするが、劉邦の御両親は項羽に捕らえられて脅迫(と、スープ)の材料にされかかったのに、劉邦が皇帝になるとある程度の扱いを受けている。また、他の武将を担いで劉邦を裏切り、敵対までした豊(地名)は、ただ劉邦が生まれただけで『我々を優遇しろ!』と皇帝陛下に要求し『やだなぁ』と云わせている」
Y(挙手)「結局、優遇したンだけどな」
F「この辺りの選民意識が判っていると、王允と董承のメンタリティにほとんど差がないのは判ると思う。……もっとも、連環イベントの当時、董承がどこで何をしていたのかはよく判らんのだが」
A「董卓の部下にいた、同姓同名の武将と同一人物、という説もあるよね」
F「あるが、否定したいというのが本音だな。そーなると董卓も霊帝の母親(董承のおば)と縁遠いが親族になってしまい、涼州ラインがどこまで伸びるか判らなくなる。……ともあれ、王允が実行役に呂布を選んだように、董承もまた曹操が寵愛している人物に眼をつけた。劉備がここで登場してくるワケだ」
Y(挙手)「いずれ説明があるだろうと思って黙っていたが、お前、この件に関する劉備の関与を否定してるよな」
F「正史の記述を鵜呑みにしてみようか? 劉備は『董承から話は聞いたが、行動に起こすのを躊躇っていたところ、袁術討伐に出されて、その間に董承たちが処刑された』ことになり、劉備おいてけボリで事態が進行していたという、ちょっと情けない結論が出るンだよ」
A「……確かに、それはいただけませんね」
Y(挙手)「劉備を高く評価するにせよ低く評価するにせよ、それはちょっと……なぁ」
F「ただ、ね? 事態ではなく劉備の性質から察するに、意外とそれが事実に近いのではないかとも思う」
2人『なんでか』
F「この頃の劉備に、曹操に、それも宮中で牙を向ける実力や権威や自信があったとは思えん。向けたとしてもすぐに鎮圧されたはずだ。そうなったら董承は、全てを劉備ひとりに押しつけて素知らぬ顔を決め込んだだろう」
A「……まぁ、そうなるわな」
F「劉備と董承のどちらかを選ぶなら、曹操は少し悩んで董承を取る。それくらい、劉備を高く評価していた形跡はうかがえる。それだけに、劉備が積極的に曹操暗殺計画にかかわっていたとはとうてい思えないし、そもそも正史の記述に従うなら、劉備の関連性なんか上で見た通り、話を聞いただけだぞ」
A「それだけでも処罰の対象にはなる……の、かな?」
F「劉備が討伐されたのは、あくまで袁紹と結んだからだ。暗殺計画にかかわっていたか、曹操は言及していない。ただし、先に董承を処刑したが」
Y(挙手)「なるほど、董承を取ったな」
F「正史において董承に関する記述は、意外に思えるほど少ない。個別の伝さえ立てられていないくらいだ。この一件を陳寿がまったく重視していなかったのが判るが、羅貫中が曹操の非道ぶりを強調するために演義で大々的に取り上げたせいで、董承は悲運の功臣みたいな扱いをされている。実像は権力欲に取り憑かれたジジイに近いのに、だ」
Y(挙手)「演義はこれだからなぁ」
A「やかましいわ!」
F「というか、本音を口にするなら、この件に劉備が関わっていたと考える奴は、事態を甘く見ている」
A「は?」
F「斉の壇道済(何者かは『三十六策』参照)は主君に処刑される直前『自らの手で万里の長城を崩すのか!?』と叫んだが、曹操を殺すのはそれに近いシチュエーションだぞ。漢王朝のためを思うなら、西暦200年前後に曹操を殺すことはできない。それくらい、当時の曹操は宮廷に必要な人物だった」
Y(挙手)「否定する余地はないな。曹操がいなかったら、献帝は廃されるか死んでいたはずだ。誰が保護するかで結末は異なるが、ということは董承も失脚する。アレはあくまで献帝の舅であって漢の皇族ではない」
F「その辺の自覚がなかったのか、曹操さえ除けば軍も財も自分のものになると思い込んでいた形跡がある。とりあえず、董承は愚かだった。そして、劉備はその愚かさが判っていたようで、積極的に協力したとは考えにくい記述をされている。董承をだますため演技をしていたとも考えられるが、正史の記述は、たぶん、正しい」
A「うーん……」
F「納得していないようだから云っておくが、曹操が死んだら漢王朝は藩屏を失い、そのまま滅んでいた可能性が高いぞ。この頃に曹操が死んで喜ぶのは、曹操のではなく漢王朝の敵だ」
Y(挙手)「その通りだな。袁紹が喜ぶとは思えん。だいたい、本当に献帝が曹操を暗殺しろと密詔なんぞ下したのか、そこから疑う余地はあるし」
A「ぐむぬぬぬぬっ……」
F「ともあれ劉備は許昌を脱し、徐州に拠って袁紹についた。コーソン・陶謙には資料による証拠はないし、呂布に関しては釈明の余地があるが、これは完全に、曹操への裏切りだ。あるいはこの裏切りを正当化するために、董承の計画に乗ったと、陳寿がフォローしたという見方さえできるな」
A「……劉備のためを思うなら、この件を触れないのがいちばんなのかな」
F「少なくとも僕はそう思う」

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