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私釈三国志 98 法正孝直

F「先日、黄忠さんに関する質問にブログで応えたンだけど、これにはちょっと事情がある」
A「ん?」
F「書いた通り黄忠さんはすでに死んでいるし、黄叙も黄越も出す予定はない。ために、この先の『私釈』本文に組み込むのは難しい内容だったのね。というわけで、あーいう形でのお返事となりました」
A「『私釈』に入れられる話と入れられない話があるってコト?」
Y「……?」
F「そゆこと。三国志平話での関羽・黄忠戦は演義より凄まじい……というか、呂布も真っ青なくらい強いンだが、その辺はすでに『私釈』の本筋には入れられなくなっている。書きたいのはやまやまだが、いちおう時系列と云う建前があるからできなかったンだね」
Y「関羽・張飛・魏延をまとめて相手にしても一歩も引かず、孔明に『あのジジイを何としてもブっ殺せ!』とまで云わせてるからなぁ」
A「どンだけの化け物だ!? 3人めが劉備じゃなかったら呂布でも死んでたンだぞ!?」
Y(正史を確認していた)「それはともかく、黄越って誰だ? そんな奴、正史には出てこないぞ?」
A「あ、正史に出るヒトじゃなかったの? 聞き覚えがないからてっきりそっちのだと思ってたのに」
F「馬忠の相方」
Y「どっちの」
F「馬超の息子の。まぁ、蒲元や周平だって正史にはいないから、そこは気にしないでいいよ。じゃぁそーいうことにして『私釈』するよー。とりあえずここで法正だけど、前述しておいた通り、彼はすでに故人となっている」
A「劉備が漢中王になった翌年に、惜しまれつつ亡くなりましたね」
F「惜しまれたかどうかはちょっと疑問だが。泰永、コーエーの三國志11作における、法正の知力と魅力を列挙してくれ。面白い傾向がみられるから」
Y「おう?」

コーエーの三國志シリーズにおける、法正の知力と魅力の推移
タイトル知力魅力備考
T8771正確には、タイトルは無印、魅力ではなくカリスマ
U8678
V8780魅力の最大値
W8480知力の最低値、魅力の最大値
X9467
Y9364
Z9461
[9460
\95知力の最大値、\では能力値としての魅力が存在しない
]9551知力の最大値、魅力の最低値
119455
平均91.266.7\がないので、魅力は10作での平均値
5以降での平均94.159.7\がないので、魅力は6作での平均値

A「4までは両方高水準だったのに、5以降は智力は抜群で、魅力は十人並みに下がっている……ってこと?」
F「ゲームでは60あればある程度の働きは見込めるが、魅力で歴代最低の値がつけられた時に知力で歴代最大の値がつけられている辺りに、この男の真価が見えるように思える。確か天翔記事典だったと思うが、大久保長安もそんな感じの能力値だったから『謀略家と呼んだ方がしっくりくる』という記述があった」
A「法正も、根本的には謀略家だ、と?」
F「正史では法正をして『程c・郭嘉のともがら』と称している。品行不正で知られた郭嘉や、真の謀略家たる程cのな。この男、どーにも行いがよろしくなくて、劉備が益州を得て、功績から高官に任じられると、以前加えられたちょっとした恨みにも必ず報復して、自分を非難した者を勝手に処刑している。どーにかできませんかと云われた孔明さんも『アレは陛下に信頼されているから……』と、暗に自分の云うことでも聞かないと認めているくらいだ」
Y「よく生かしておいたな、そんな野郎」
F「美点もある。見落としがちだが、正史でもちゃんと『与えられたわずかな恩にも報い』たとされている。また、曹操と戦っていた頃、いつも通り負けて逃げることになったのに、劉備が腹を立てて逃げなかったところ、法正は劉備の前に立って矢の雨に立ち向かった」

劉備「何やっとるか! 矢に向かうンじゃない!」
法正「主君自ら矢玉の中におられるのに、家臣が逃げてどうしますか!」
劉備「……判った、俺と一緒に逃げよう」

A「ていうか、逃げるってンじゃなくて、退却とか撤退とかって表現は使えない?」
F「劉備の人生には退却とか撤退とか後退とか転進とかいう文字は存在しなかった! 逃げることを逃げると云えない者に王たる資格があると思うな!」
Y(劉備に王たる資格があると思うな、とかツッコミ入れたら俺まで怒鳴られそうだな)
A「……がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
F「ったく……。逃げることを逃亡と呼ばない奴はその時点で負けとするルールでもあればな。そうでもしなけりゃ言を左右してごまかそうとする卑怯者が多すぎる。ともあれ、こういった褒めるべき面もあったが、法正は根本的に謀略家だった。陳寿は正史で『並外れた謀略の才はあっても、人格は褒められたモンじゃなかった』と云っている」
Y「最初にツッコむべきだったかもしれんが、どうしてコイツが今出るンだ? 死んでから2年経ってるだろ」
F「劉備が夷陵で負けて逃げたと聞いた孔明は、嘆息して述べている」

 法正が健在であったなら、主上を抑えて東征させなかっただろう。たとえ東征しても危険は回避できたはず。
 (法孝直若在 則能主上制 令不東行 就復東行 必不傾危矣)

F「この台詞は演義でも使われていて、81回で『法正が生きていれば主上を止められただろう(法孝直若在 必能制主上東行也)』と云わせている」
Y「それくらい劉備に信頼されていたって話か」
F「……アキラが潰れてるとやりにくいな。実は、演義の"81回"というのが曲者で、劉備が兵を出す前、つまり負ける前なんだ。ために、孔明の台詞の後半部分はなくなっている」
Y「……発言の時期がずれてるのか? それこそ戦う前から、負けるのが判っていたとでも」
F「演義の孔明は、ある種の予言者だからな。先にこの台詞を云わせることで、(孔明や他の誰にもできなかった)劉備をいさめることのできる軍師がいないから負ける……ことをも予想していた、と思わせるワケだ。味方の敗戦をも予想していたとは、やっぱり孔明は凄い奴だ、と」
Y「しかし……孔明でできなかったのに、どうして法正は止められるンだ?」
F「ここで、法正の来歴を振り返ってみる。まず彼は、益州を治めていた無能君主・劉璋に仕えていた。ところが、その劉璋が自分たちを重用しなかったのに不満を抱き、同僚の張松・孟達と組んで、劉備に益州を盗らせている。益州攻略戦のさなかに張松は死んでいるものの、劉璋が降伏してからは孔明よりも重んじられ、漢中を攻略できたのもひとえにこの男の謀略あればこそだった」
Y「才徳で云うなら才はあっても徳はない、といったところか」
F「法正がかなり傲慢な男だったと思われているのを証明するエピソードがある。毎度おなじみ『三國志X事典』で、法正の祖父の字が玄徳だったことに触れて『もし、馬超が劉備を「玄徳」呼ばわりしたら、関羽が怒る前に、法正が怒鳴りつけたはずだ』とある。目上の者のの字を口にするのは儒教社会のタブーで、孟達は子敬という字だったが、同じ字だった劉備の叔父に配慮して子度と改めている」
Y「正史では『こんなの無茶苦茶だ』と否定されているエピソードだな。馬超が厚遇されているのをいいことに、劉備を玄徳呼ばわりしていたら、なぜかその辺にいた関羽が『奴を殺したい』と腹を立てて、張飛とふたりでヤキ入れた……とあるが、関羽は結局馬超とは対面しなかったはずだ」
F「実際には起こりようもないエピソードなんだけど、ここで注目したいのは、法正は馬超を怒鳴りつけることも辞さないキャラだと思われていることの方だ。関羽でも直接は文句を云わなかった馬超を、だぞ。それを平気でやってのけると思われているくらい、法正は直言を辞さず、益州では幅を利かせていたのが判る」
Y「だから、劉備の東征に際しても、真っ向から反発しえたと?」
F「渡辺精一氏が面白い分析をしている。劉備を益州に招いた功績者3名のうち、張松はすでに亡く、孟達は諸事情あって魏に走っていた。つまり『劉備入蜀の恩人』のうち、法正だけが劉備の身近にいたことになる」

「私がいなければ、あなたは蜀を取ることも、蜀の地でこうして皇帝になることもできなかったはずですよ」

F「劉備に向かって"強気に"主張できる唯一の人物、とまで云っている。法正は、生きていたならいさめるのではなく怒鳴りつけてでも制しただろう、そーいうキャラだと考えられているワケだ。立場としては張世平に近いかもな。劉備の立場が大きくなるほど、恩義も大きいだけにそいつの発言力も大きくなる」
Y「……主君が間違っていたなら、それをいさめるのは臣下として当然だが、コイツのはちょっと違うと思う」
F「一方で加来氏は、法正が劉璋を見限って劉備を呼び寄せたことに触れ、益州をよくしたいから劉備を呼んだのに、その劉備が益州出身の将兵を危難に向かわせるなら、命がけで諌めたと述べている。荊州を失い益州に拠る劉備では、その反対を押し切ることはできなかっただろう、と」
Y「どちらにせよ、法正の功績・発言力を極めて高く評価しているワケか」
F「そゆこと。ちなみに渡辺氏は、孔明の功績『では、たぶんもう話が古すぎるのだ』と云っているが、ちょっと云い過ぎじゃないかと僕は思う。以前云ったけど、龐統・法正・その他諸々が亡き当時の状況で、孔明が制止していたら、いくら劉備でも動きえなかったはずだ」
Y「その他諸々……具体的には?」
F「見て行こうか」

放浪時代からの配下:(簡雍・糜竺・孫乾)
荊州人:孔明(龐統・伊籍・馬良)
益州人:李厳(張松・法正・劉巴)<黄権>
 カッコ内は故人。黄権は生きているが魏に降った。

F「71回で『何回か先で触れる』『何回か先でやる』と云っておいた、蜀の文官について。ずいぶんかかっちゃいましたが、いいとこ死んでるンだな、これが」
Y「いつのまに?」
F「まず糜竺。再三云っている通り、弟の糜芳は関羽の敗死にかなりの責任を負う立場にある。ために、兄として坐してはおれず、自ら後ろ手に縛って罪を乞うたのだが、劉備は処罰しなかった」

 ――ひとが殺されるのは、自分の罪によらねばならない。(申命記24:16)

Y(……処罰されていたら、コイツは劉備を暗君としか評価しなかったように思える)
F「ただし、許されたとはいえ恥じて発病し、一年余りで亡くなっている。徐州時代から劉備に仕え、家族(妹は亡妃)も財産も人生も劉備に捧げた男の、憐れな最期だった」
Y「相方の、簡雍や孫乾もか?」
F「孫乾は益州平定後しばらくして死んだとあるが、簡雍がいつ死んだのかは記述されていないな。ただ、劉備を皇帝にと上奏した面子にこのふたりの名がないことから察するに、糜竺に先立って死んだようだ(糜竺の名はある)」
Y「いつの間にか、こっちでも古い世代がバタバタ死んでいたのか」
F「さて、演義の53回で、孔明が『ひとに仕えて禄を食みながら、主に忠を向けない者は斬ってしまえ』と云っている。魏延に関してだが、これは、彼の後ろ頭に反骨という骨があったモンだから、いつか叛逆するのは間違いないって断言するシーンでな」
Y「どんな骨だ? ひとに逆らうのを宿命づけられた骨なんて」
F(←自分の後ろ頭を叩く)「こんなのじゃないかって思ってるンだけどねぇ。僕、赤ん坊のころから虐待受けてたから、頭蓋骨が変形してて、後ろ頭がでっぱってるンだよ」
Y(←触る)「なるほど……こんなのか」
F「それはともかく、孔明のこの台詞にどーにも該当しているのが伊籍でな」
Y「……劉表に仕えておきながら、劉備に鞍替えして高禄を得たな」
F「たびたび引きあいに出すが、三國志X事典では劉gについて『劉備にとって都合の良い時に病死した。一服盛られたのだろうか?』とまで書かれている。犯人は違うとみているけど、一服盛られたってのには賛成。とりあえず伊籍ではないだろうけど、このヒトが劉表や劉gにはいささか不忠者だったのは否定できない事実でな」
Y「その割には、劉備や孔明には重宝されたよな。『蜀科』(蜀の法律)制定スタッフのひとりだし」
F「編集に携わったのは、孔明・法正・劉巴・李厳と伊籍。実は、この男の本性が現れている発言が正史にある。あるとき孫権のところに、使者として送られたンだけど」

孫権「無道の君主に仕えて苦労していそうだな」
伊籍「なに、一度拝礼して一度立つだけ。苦労などということはありませんな」

F「どうして伊籍が死んだのか判るやりとりだな。生きては帰ってきたようだけど、その最期は正史には記述がない」
Y「……法正や簡雍、劉巴にしてもそうだが、劉備はズケズケもの云う家臣がお好みのようだな」
F「その劉巴は、劉備即位セレモニーの口上文を書き上げ、222年に逝去。馬良は前回のラストで触れた通り夷陵で戦死。黄権は魏に降った。というわけで、蜀の家臣団は荊州失陥くらいから相次いで死んでいるンだ。上で挙げた面子で云うなら、劉備のもとに残っているのはふたりだけ」
Y「ほとんど全滅だな……」
F「もちろん、蒋琬をはじめ挙げていない文官も数多くいるが、そういった連中はまだ小粒だったと云わざるを得ない。糜竺は『他に類を見ないほどの恩賞を受け』『孔明より上位の席次にあった』し、簡雍・孫乾は『糜竺に次ぐ礼遇を受けた』とある。伊籍は劉表配下でありながら劉備に接近し、荊州統治に貢献した。劉巴は成都占領後の資金調達・儀式実行に尽力した。孔明も荊・益両州で後方支援を担当し、大きな功績は挙げていた。法正に至っては、蜀に劉備を招いた元勲だ。この時点では孔明の腰巾着にすぎなかった蒋琬程度では、とうてい太刀打ちできないレベルじゃない」
Y「伊籍については異論の余地があるが、それでも、功績が大きかった面子だとは認めざるを得ないな」
F「夷陵の戦いでは次代の蜀軍を担うべき将軍たちが多く死んでいるが、その前の段階で文官も主だった面子が亡くなっていて、蜀の屋台骨はきしんでいたのがうかがえる。それなら、孔明が、出兵には賛成だったのに自分では出なかった理由が判ろう。劉備が成都を留守にするのに、孔明までいなくなったら、行政が滞る恐れがあるからだ」
Y「……改めてまとめると、孔明が蜀を一身に背負った理由は、情けないことに消去法か。陳羣が劉備を見捨て、徐庶が去り、龐統を皮切りに他の文官連中が次々と死んでいって、最後に残ったのが孔明と李厳だけ」
A「まだ最後じゃねーもん……」
Y「あ、復活した」
F「かくして、劉備に仕えた功臣たちはバタバタと世を去っていた。法正亡きあとの蜀軍正軍師の座を賭けた実戦訓練は、荊州閥代表馬良が戦死し、益州閥代表黄権が魏に降るという、両者共倒れの結果に陥る。これによって正軍師の座は、劉備の死後のことではあるが、孔明が得るに到った」
Y「人材不足が著しいな」
A「やかましいわ」
F「そういう問題じゃないと思うが、ともあれ。劉備敗戦の報を受けた孔明は、法正がすでに故人であることを嘆いたものの、嘆いてばかりもおれず、成都に劉禅を留め、慌てて白帝城まで駆けつけた。事態はすでに孔明の手に負えるレベルではなくなっていたが、その辺りは次回かな」
A(←逃げる準備)「そうしてください……」
F「続きは次回の講釈で」
2人『……え!?』
F「何だお前ら、その反応は」
A「いや、だって……いつもの『ところで』は?」
F「リクエストがあるとは思わなかったな」
Y「帰ります」
A「寝ます……」
F「何で敬語だ、お前ら」

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