私釈三国志 96 夷陵冷戦
F「突然ですが、ここで問題です」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
A「へんなこと云い出すな」
F「建安は何年まであったでしょう」
Y「24年だろ?」
A「26年だ。蜀では曹丕の即位を認めなかったから、劉備が即位するまでは建安を使っていたンだよ」
Y「つまり、24年までだな」
A「正解は!?」
F「キミの心の中にある」
2人『へんなこと云い出すな!』
F「建安という元号は後漢王朝で最後のものだ。これが何年まで続いたのかは、後漢王朝の後継者は蜀魏いずれなのかという問題に直結する。どちらを正統と考え、建安は何年まで続いたのかという問題の答えは、読者各人の心に判断を委ねたい」
A「……なんか、もの凄く似あわないくらい真面目なオハナシなんですけど」
F「まぁ、建安ひとつを例に挙げても、何年まで続いたのか議論のネタになるンで、ここから先三国に分かれて元号をみっつ立て始めたら、なおさら判りにくくなる。ために『私釈』では、話題として必要だと判断した場合でもなければ、当時の元号は使用しません。以上をもって、苦情への回答とさせていただきます」
Y「メールでも来たのか?」
F「来た。さて、前回のラストでちょろっと瑾兄ちゃんが出たが、正史では孫権の命で劉備のところに行ったのに、演義では自分から願い出て使者に立っている」
A「宮廷にいたモンな。荊州じゃなくて」
F「うん。で、孔明と兄弟だというのは知られているから、張昭(正史では誰か記述はない)が『野郎はきっと帰ってきませんぜ。寝返りますよ』と讒言している」
A「神交だっけ?」
F「瑾兄ちゃんは孫権に絶対の忠節を誓っていてな。この男にしては珍しいことに、孫権の側でも瑾兄ちゃんを信用していて『諸葛瑾は俺を裏切らん、俺が諸葛瑾を裏切らんようにな』とまで云っている。演義では『神交』と自画自賛しているものだな」
A「……どこまで孫権をボロクソに云うかな、この雪男は」
F「正史でも演義でも採用されている小ネタがある」
ある日、孔明が孫権のところに使者として送り込まれてきたので、孫権は諸葛瑾に訊ねた。
「弟が兄に従うのは道理だろう。孔明を呉に引き留めるよう説得しろ。なに、劉備へは俺から話しておく。反対はできんだろうさ」
「劉備殿に仕え君臣の誓いを立てたからには、弟が二心を抱くことはないでしょう。弟は呉に仕えんでしょう。私も劉備殿に仕えようとは思いませんので」
「……天地を貫く道理だな、それは」
F「自分はアイツを裏切らないから、アイツも自分を裏切らない、というのが孫権と瑾兄ちゃんの間にある奇妙な共通認識でな。つまり、相手が自分を裏切るなら、自分も相手を裏切っていいと云っているワケだが」
A「裏返すな!」
F「とりあえず和睦に失敗した瑾兄ちゃんは、今回の戦役から身を引いている。正史・演義ともに姿が見えなくなるンだが、それだけに孫権は迎撃の準備を整えることになった。そこで、魏と手を組むことに」
A「降伏したンだよな? で、助けてくれって曹丕に持ちかけた」
F「とりあえず膝を屈して、漢中方面に兵を出させれば劉備も手を引くだろうと知恵を搾ったワケだが、曹丕は曹丕で孫権を助けるつもりはなく、呉王に任じて位だけ与え、救援の兵を出そうとはしなかった。ちなみに、正史では劉備の出兵前に呉王になっている」
A「曹操の魏王即位はずいぶん取り上げたくせに、孫権は軽視してないか?」
F「ん? 魏の帝位を否定しているくせに、その魏から与えられた王位について詳しく語れと?」
A「……えーっと」
F「歴史的には面白みのあるイベントじゃないンだよ。当然だが魏は劉備の帝位を認めない。ために、孫権率いる呉は魏の藩国であると表明することで、劉備が呉に侵攻する大義名分を保障したとさえ見える。アレが魏に降ったなら、それを討つことに何の問題があろう、ってな」
Y「先に魏を討てという正論を退ける口実を、魏が自ら与えたワケか。それも、自分の手は汚さずに」
F「結果として劉備が勢いづいたのは確かなんだが、そんな王位は断ってしまえと進言する者もいないではなかった。ところが孫権は『かつて劉邦は、項羽から王に封じられたではないか』と取りあわない。魏からの使者を場外まで出て迎える始末だ」
A「たとえが非道いな!?」
F「ご機嫌な使者に向かって、張昭が『礼には礼をもって応えるべきだな。呉にも剣のひと振りくらいはあるぞ』と凄むと、慌てて使者は車から降りて孫権に返礼したとか。また、徐盛が『ご主君が魏から王位を送られるなんて、我らは何のために戦ってきたンだ!』と泣き叫ぶのを見て、使者は『コイツら、絶対服従する意思はねェな……』と嘆息したとか。孫権の面従腹背ぶりは、万事こんな調子であった」
Y「正史ちっくに云わんでいい」
F「さて、王位は受けたものの魏の救援は得られない。その上、馬良が暗躍して武陵蛮という少数民族を動かし、族長のシャモーコが数万からの兵を率いて蜀軍に合流したとの報告が入る」
A「……あぁ、沙摩柯な」
F「演義では、とりあえず名乗り出た孫桓に、李異・朱然をつけて5万の兵を与えて出陣させるンだけど、張苞・関興と戦って孫桓率いる陸軍は敗れ、李異は戦死。朱然の水軍も馮習たちに追い立てられた。水軍は長江で立ち往生し、孫桓は小城に立てこもって本国に救援を求める」
A「……情けねェ」
F「そこで孫権は、張昭に勧められるまま韓当・周泰・潘璋・淩統・甘寧に出陣を命じるンだけど、甘寧はこの時赤痢にかかっていて、病身を押しての出陣だった」
Y「韓当?」
F「……あれ? 今まで出さなかったかな。黄蓋や程普と並んで、孫堅に仕えていた武将だ。すでに同僚のふたりは亡いが、周瑜や呂蒙の下で戦い続けた歴戦の勇者だな。黄蓋を便所から拾いだした張本人でもある」
A「地味にボケてきてないか、お前?」
F「やかましい。さて、戦勝に気を良くした劉備が、宴席で『俺に従ってきた武将は年を取って役に立たなくなったが、若い連中が育ってきたのは嬉しいねェ』とか云ってしまうと、聞いた黄忠が韓当たちが攻めてきたのを聞きつけ出て行ってしまう」
Y「姥桜、咲くに遅れて散り急ぎ、果てゆく先は幹も残らず」
A「……誰の歌だ? ちょっと記憶にないが」
F「戦場に出た黄忠は、なるほど若いモンに見劣りしない働きを見せた。関羽の仇たる潘璋を名指しして呉軍に斬り込み、副将を斬り捨て軍勢を蹴散らす。翌日にも潘璋を追いかけたが、今度は深入りしすぎて、呉軍の真ン中に孤立する」
A「関興たちが助けに来たンだっけ」
F「その前に、関羽に縄をかけた馬忠(潘璋の部下)が矢を射かけて手傷を負わせていてな。関興・張苞が何とか助けたものの、本陣に連れ込んだ頃には、黄忠はすでに虫の息だった。この傷は俺のせいだ! と泣き叫ぶ劉備に看取られ、黄忠は息を引き取る。正史に記述はないが、演義では七五とある」
A「五虎将の3人までが斃れましたね……」
F「立派な棺で成都に葬った……とのこと。とりあえず黄権に水軍を任せ、劉備自ら兵を進める。劉備が自分で出てきたと聞いた韓当は、どうしたものかと考えて、迎撃の陣を構える」
韓当「蜀の天子ともあろう者が戦に出られ、万一のことがあったらどうされるつもりですか」
劉備「お前らが云うな、お前らが! ブっ殺すぞ!」
F「韓当の部下が出たものの、張苞に一蹴される。周泰の弟がカバーに入ったがこちらは関興に始末され、全面戦闘に発展した。バタバタと呉軍の兵が倒れていき、伏せっていた甘寧もやっとこ起き上がって戦場に出た……が、出くわしたのはシャモーコ率いる蛮軍」
A「……いま思った。ヤス、沙摩柯の武力平均値って?」
Y「ん? えーっと……9作合計761だから、平均だと85.3か。最大92で最小77か(Zだと70)」
F「それなりだな。ちょっと驚き。この蛮軍、どいつもこいつもザンバラ頭で裸足。弓だの鎗だの斧だの刀だので武装し、生血をかぶったような顔で碧い目玉。特にシャモーコは釘バットのような凶器を手にし、ふた張りの弓を腰にさし、今にもヒトを喰い殺しそうな風貌だった。いやな予感がした甘寧は、馬を返して逃げ出す」
Y「夜道で会ったら裸足で逃げるぞ」
A「明るかったらなおさら怖いわ!」
F「ごもっとも。シャモーコの矢を受けた甘寧は、そのまま逃げるものの助からず、大木の根元に座り込んでそのまま死んだ。木の上にはその死を悼むようにカラスが群がり、鳴き喚いたという」
A「惜しいヒトを亡くしました」
F「実は、民間伝承にはちょっといいエピソードもある。甘寧の首級を狙い追ってきた蛮兵は、全てカラスに追い散らされた。淩統が兵を率いて駆けつけると蛮兵は退きあげ、カラスもお山に飛んでいったとか」
A「何で、カラスが甘寧を守るンだ?」
F「飛び去った後には、なぜか白い羽が残っていたそうだ」
Y「?」
A「……昔、張遼と対陣していた頃に、甘寧は百騎の精鋭を率いて夜襲をかけるのに成功しているンだけど、その時に兵士たちには、目印として白い羽をつけさせたとか」
Y「白いカラスなんておらんと思うがな」
F「ガチョウの羽だったらしいからねェ。さて、甘寧や副将クラスの連中がバタバタ倒れ、呉軍は総崩れになった。ところが、劉備が陣容を整えてみると、関興の姿がない。慌てて張苞に兵を与えて探しに行かせた」
Y「死んだのか?」
F「いや、逃げた潘璋を追いかけて道に迷ったンだ。夜も更けたところで一軒家を見つけたので尋ねてみると、そこに住まう老人は関羽の神像を祀っていた。生前から関羽を慕っていた土地柄で、その死後も関羽を神と祀っていたモンだから、その息子が来たと聞いて老人はただただ恐縮するばかり。ところが、そこへ潘璋まで迷い込んできた」
Y「間の悪い奴……」
F「父の仇と剣を抜いた関興に、潘璋は慌てて外に逃げ出す。するとどーしたことか、関羽が化けて出たモンだから、前後不覚に陥ってひっくり返った。その隙に関興が斬り殺すと、すでに亡霊はいなくなっていた」
A「亡霊とか化けて出たとかゆーなっ!」
F「ともあれ、形見の青龍偃月刀を取り戻し、首級を挙げて本陣に戻ることに(死体は老人が焼き捨てた)した関興だったが、今度は馬忠率いる部隊に出くわす。潘璋を探していたのに、その首級をブラ下げている敵将に出くわしては黙ってもいられない。関興に襲いかかるが、そこへ張苞が駆けつけ、双方痛み分けの形で退いた」
A「本陣に関興・張苞は帰りついて、事の次第を劉備に説明していると、今度は糜芳・士仁が馬忠の首級を持ってくる。潘璋の後任になった馬忠の下にふたりは配属されたンだけど、その首級を挙げれば蜀への帰参も叶うと考えたワケだ」
F「浅知恵だけどね。劉備は『だったらもっと早く来ればよかろうが! 自分の身が可愛いと呉に寝返り、呉が危うくなっては戻ってくるような奴は、あの世で関羽に説教されるがいい!』と、ふたりまとめて関興に斬らせた」
Y「着実に仇討ちは進行してるワケか」
F「そこで孫権も浅知恵を搾った。呂蒙が死に、藩璋が死に、馬忠が死に、また糜芳・士仁も死んだなら、残るは范彊・張達のみ。張飛の首級を持って呉に来ていたこのふたりを、首級もろとも劉備のもとに送り届けて和睦を乞うた。劉備は張飛の首級を見て声を上げて泣き、張苞が范・張を斬り捨てる。……が、和睦はどうしてもならんと突っぱねた」
Y「どーして劉備はそこまで意地を張るかね」
F「孫権が降伏しなかったからだよ」
Y「……ふむ?」
F「孫権は和睦を求めるのではなく、呉王の印璽でも何でも差し出して、劉備に膝を屈するべきだった。降伏するとまで云いだせば、さすがに劉備でも兵を止めたはずだ。あとは外交交渉で自分の命さえ全うできればどうにでもできる。曹丕にやったことが、どうして劉備にできなかったのか」
A「身の危険を感じたんだろうな、きっと」
F「まぁ、演義での話だしな。……ところで」
A「今回もやるのかよ!?」
F「演義では殺される糜芳だが、正史では生き延びている。というか、賀斉の下にいたらしいから、夷陵の戦いには従軍しなかったようでな(士仁の動向は不明)」
A「……孫権は、あんな裏切り者を配下にしたのか?」
F「肩身は狭かったみたいだけどね。偏屈で有名な虞翻は糜芳を忌み嫌って『忠も信もないくせにどうやって主君に仕える』だの『城をふたつも失っておいて将軍が名乗れるか』だのと罵り、外出中に門を閉められたら『閉めるべき時に城門を開いて降伏しながら、開けるべき時に門を閉める。お前はものの道理が判っているのか!』と怒鳴りつけている。……記述はないが、長生きはできなかっただろうな」
A「……なぁ、虞翻って士仁を降伏させた張本人じゃないか?」
F「だからうるさく云えたンだろうね」
A「因果はめぐるな……」
F「続きは次回の講釈で」