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私釈三国志 94 出陣前夜

F「……ぐしゅんっ!」
Y「夏風邪か?」
A「鬼の霍乱というか、董卓の霍乱というか」
F「むぐ……誰が魔王か」
A「だって、大柄で短足で情容赦なくて、弓も馬も人並み以上にこなすし」
Y「コイツが調子悪いと容赦ないな、お前」
F「あとで泣かす……むぐ。えーっと、つーワケでぐしゅぐしゅゆーてますが、その辺は字面では伝わらんだろう。ともあれ『私釈』するよー。天地人と云うけど、劉備は俗に人の和を担当するとか」
Y「曹操は天の時を得、孫権は地の利を得た、だったな」
F「逆という気もしなくはないが、劉備にはその程度のモンしか残っていなかったワケだ。そして、その和とやらはここで崩れる」
A「えーっと、日本では和を乱す奴は迫害されるンだよ?」
F「そんなモン30年迫害され続けて身にしみてるよ。まず、劉備が皇帝になるのに反対した奴が、いた。意外にも、その男の名は費詩という」
A「意外な男だな!?」

 ――曹操が献帝を脅かすから、陛下は衆を糾合しこれに対抗されておられるのに、それを討ちもしないで自分が帝位に就かれては人心に疑惑が起こりましょう。かつて高祖(劉邦)は、秦を討ちながらも項羽に関中を譲られました。だのに陛下がみずから即位なされるのは、陛下のために賛成できません。

F「こんなこと云ったモンだから、費詩は左遷された」
A「無用に和を乱すから、そんなことになるンだよ」
F「そんな皇帝サマは、呉との連携を捨てて戦火を交えるという果敢な決断をなされた。これにもやっぱり反対意見が寄せられている。たとえば趙雲の上伸」

 ――敵はあくまで魏であり呉ではありません。魏を滅ぼせば呉はおのずから屈しましょう。曹操亡きとはいえ曹丕が後を継いで漢の帝位を簒奪したのですから、これを憤る人心に応えて討伐に向かえば、心ある者はこぞって陛下を迎えるでしょう。しかし、魏を捨て置いて呉を攻めるなどとんでもない。我らと呉が一度戦火を交えては収拾がつかなくなり、魏が喜ぶだけではありませんか。

Y「呉と組んだくらいで魏を討てるはずもないが、呉と蜀が噛みあって喜ぶのは、確かに魏だな」
F「さらに『関羽の仇というのは陛下の私情であって、公のものではありません』とまで云い切っている。秦宓という文官が異を唱えて投獄されたばかりでな。表だって反対した者はいなかったのに、趙雲は敢然として直言しているンだ。しかも、正論だ」
Y「逆らう者は次々と投獄したり左遷したりするのが人の和ということか。底が知れたな」
A「やかましいわ! 趙雲だって反対はしても、実際に出兵することになったらちゃんと従っただろうが!」
Y「命が惜しかったのかね」
A「むきーっ!?」
F「あまり怒鳴るな、頭に響く……むぐ。こーいう具合に、決定するまでは反対するのに決定したらそれに従う態度を、趙雲の美徳に挙げる声はあるな。少なくとも正論を唱える理性はあるようだし」
A「むぅ〜っ……」
F「実際、反対意見がないワケではなかった。ただし、賛成意見もあった。先の秦宓だって『天機に反しており、出陣しても負けるでしょう』と、時期を待ってからなら出陣するのには賛成だとも取れる発言をしているンだから」
A「ふむ……。ところで、他の将軍連中はどうなんだ? この出兵に関して」
F「魏延や馬超は北の抑えに回っていたため不在。孟達はすでに魏に走っていたため、残る武官で最大の発言力を持っているのは、云うまでもなく出兵賛成派の張飛だった」
A「義兄弟だモンなぁ」
F「正史でも出兵の準備を整えているし、演義ではさらに積極的だ。群臣にいさめられて出征を躊躇う劉備の前に出るや『オレひとりでも呉に攻め入って関羽兄貴の仇を取る!』と泣き叫び、桃園の誓いを思い出した劉備ももらい泣きして『義弟ふたりだけで死なせてなるものか!』と出陣を決意しているンだから」
Y「つまり、張飛に引きずられて、劉備は出陣を決意したようなモンか」
A「趙雲クン、不幸……」
F「黄忠や馬超がいても張飛の発言力に対抗できなかっただろうことは明らかだけど、張飛が直接に劉備を動かしたのであろうことは想像に難くない。ただし、間接的な原因は、おそらく孔明が"反対しなかった"ことだと見ている」
Y「……微妙な表現だな」
F「何も云わなかった、と云うべきだろうか。出陣を諌めもしなかったが、賛成もしなかった。この頃すでに法正は亡く、龐統も死んで久しい。劉備が皇帝となってからは丞相となっていた孔明が、積極的に反対していたら、頭に血が上っている劉備でも無理には出征できなかったはずだ」
A「さー、ここは興味深いところだぞ。かねてから孔明が劉備の東征を止められなかったないし止めなかったのはなぜか、いろいろと理由づけはされていたが、確たるものはなかったからな。お前はこれをどう「ぐしゅんっ!」……どう考えてるンだ?」
F「失礼……むぐ。実は、賛成だったからじゃないかと思っている」
A「……は?」
F「孔明は、呉と戦火を交えるのを賛成していたのではないかと思っている……むぐ。基本に立ち返るが、孔明のグランドプランたる天下三分の計は、劉備が益州から本軍を率いて北上し、一軍を荊州からも北上させる。これに孫権の軍勢を呼応させる、というものだった」
A「そのために、荊州に関羽を置いといたワケだからな。でも、それなら、孫権と兵火を交えるのはまずいだろ」
F「一時的には孫権と刃を交えてでも荊州を確保しておかないと、天下三分を成しえないンだよ。魏に二面・三面作戦を強いるには、蜀にもそれなりの自力が必要になる」
A「荊州にはそれだけの生産力がある、と?」
F「具体的な数字を挙げよう。後漢書の郡国志によれば、揚・交の二州を合して人口はおおむね550万。これが呉だ。蜀(益州+漢中)は700万くらいになるンだけど、荊州だけで人口が600万いたンだよ。もちろん、戦乱の影響・生産力・労働人口を考慮する必要はあるだろうけど、それを云いだすと呉の国力は荊州(それも、南半分)なしでは成立しえないことになるので考えないものとする」
A「荊州だけで、江東の人口を上回っていたワケか……?」
F「孫策が孫堅の敵を討てなかったのには、純粋な国力の差があるンだよ。産業革命以前では、人口が税収や生産高を直接左右するからね。また、荊州の立地条件……魏・呉・蜀・南越に至る要衝であり、だからこそ三国の係争の地であったことを考慮すると、どうしても手離せない。加えて、軍中の荊州出身者が、兵と云わず将と云わず動揺するのも想像に難くない」
A「なるほど……孔明でなくても、荊州はほしいね」
F「ちなみに、魏の支配地域にあった9州を合計すると2700万。荊州の北半分として300万(実際には襄樊を擁したので、もっと多いはずだが)を加えると3000万で、当時の総人口4900万の実に6割に達した計算になる」
Y「ま、勝てんわな」
A「やかましいわ!」
F「伊達や酔狂のために後漢書読んだワケじゃないンだよ? ネタ集めがメインだったのは否定しないけど、こっち方面が大好きなんだから。……また、関羽の仇を呑んで孫権と手を組むにしても、この時点での同盟は孫権に屈するかたちになる」
Y「一戦交えて負けたばかりだからな。戦略的にはともかく戦術的には勝利してからでないと、対等ないし上の立場での同盟は望むべきもないか」
F「政戦両略を考えるなら攻めるなと云いたいところなんだが、そういうことだ。孫権の鼻先に一撃加えてからでないと、魯粛の頃のような外交関係は望めないだろうからな。軍事的に優位に立ってから外交を修復するなり、そのまま江東まで平定するなりを期待した。それが、孔明の真意じゃなかったのかと思う」
Y「法正に関しては、まだツッコミ入れない方がいいンだよな? わざわざ用意していた1回を後に回したってことは」
F「うん、いま聞かれるとちょと困る」
A「……はいいが、鼻先にジャブで思い出したけど、黄忠は? さっき挙がらなかったけど」
F「おいおい、正史での黄忠さんは、劉備が漢中王になった翌年(220年)に死んでいるだろうが。荊州生まれの荊州育ちだから、たぶん生きていれば出征に積極的に賛成したひとりだけど、誰にとっての不幸かすでに亡い」
A「いや、あっさり殺すなよ……。黄忠さん好きなんだろーが、お前」
F「まぁ、そうなんだけど……ね。生きていれば張飛と並んで主戦力足りえた黄忠さんだけど、すでに死んでいてはやむを得ない。参戦したのは張苞・関興(演義)に馮習・張南・廖淳・傅彤、参謀として馬良・黄権・程畿という面子だ」
A「比較的、若手が目立つか」
F「馮習・張南は、加来氏に云わせると、魏延や孟達と並んで五虎将の次代と目されていた武将。張苞・関興は張飛・関羽の息子たちだ。参謀にはさすがに馬良や黄権といった熟練者を選んだが、布陣としてはそう悪くない。また、趙雲が国境地域に後衛として駐屯した」
Y「仮に全滅した時に備えて、純粋な主力は国内に残したってところかな」
A「関ヶ原前に親子で分かれた大名たちか!?」
F「んーむ……」
2人『何で悩む!?』
F「いや、それなら残すのを逆にすべきじゃなかったかと思って」
Y「アキラの与太話をマトモにとらえるなよ」
F「たとえば九鬼家では、父嘉隆は西軍について戦後自害したし、息子の守隆は東軍について家康に父の助命を嘆願した。真田昌幸は西軍について、息子の信幸(信之)は東軍に属した。見落としがちだけど、親世代は西軍について子世代が東軍についたンだ」
A「……ふむ?」
F「信繁(幸村)も西軍についたことを考えると、秀吉への恩顧が原因だと思う。それに比して考えるなら、この戦いにも劉備に殉じたいと思う世代こそを連れていくべきだったンじゃなかろうか」
Y「あー……確かにこれは興味深いが、『私釈関ヶ原』はまたの機会にしてくれ。『私釈三国志』のついでにやられるには大きすぎるテーマだろ」
F「だよなぁ……ぐしゅんっ! むぐ……ところで、関羽亡きあと武人として最高位にあった張飛が、出陣前に部下に暗殺されている」
A「くしゃみ交じりで"ところで"すんなっ!」
F「確認するまでもないだろうが、かつて程cは関羽・張飛をして万夫不当と賞した。ただし、性格は逆で、関羽は兵を愛するあまり孫権の食糧庫に手を出して身の破滅を招き、張飛は上司にはへいこらしたものの部下や身分の低い者には態度がでかかった」
Y「武将としてはともかく、太守や総督には向かない人材だったワケだな。ふたりとも」
A「劉備がその辺を諌めたンだけどなぁ……」
F「うむ。劉備は『お前は毎日、兵士を鞭で叩いておきながら、側近に仕えさせている。これでは災いを招いているようなモンだぞ』と戒めていたのに、張飛はそれを聞き流し、范彊・張達をこき使いながら身辺に置いていた。要するに、ひとのこころの機微が読めなかったということでな」
A「で、范・張に殺された……と。一世の武将らしからぬ最期だよなぁ」
F「いかにも張飛らしいエピソードがあるがな。張苞がきたと聞いた劉備は、それだけで『嗚呼、何ということだ! バカの義弟が死にやがった!』と天を仰いだという」
Y「張飛の性格が判ってるなら、もう少し強めにいさめるのが筋だろうに……」
F「演義では失敗しながらも成長していくキャラクターとして愛された張飛だが、その実情は権力者にへいこら頭を下げる小物という感がぬぐえない。無論、武勇はあろうが……。ともかく、三国時代を生きた好漢は、酒と戦いと劉備に捧げたその生涯を終えた」
A「惜しいヒトを亡くしました」
F「かくて、関羽は『負けて処刑』され、張飛は『部下の裏切り』に果てた。残された劉備は、やはり『野垂れ死に』を遂げるのか」
A「…………………………26回か!?」
Y「古い伏線回収するのも大変だな、お前……」
F「続きは次回の講釈で」
A「だからフォローしろよっ!」
F「……ぐしゅんっ!」

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