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私釈三国志 89 李膺元礼

A「……今回も誰だよとは思ったけど、以前に聞いた名前だな」
F「思い出せと思うが、とりあえず所信表明から。この『私釈』に関する分量のアンケートを実施した結果、89回……今回以降は割増で行くことになりました。まずは、投票及び協力いただいた皆さまに、この場を借りて感謝を」
2人『ありがとうございまーす』
F「つーワケで迎えた方針変更の初回だけに、ちょっとは派手めなことでもやればいいンだろうけど、僕の根っこが地味でね。コラムも回数が残り少ないので、まっとうなものをやっておこうと思う。今回は清流派知識人について」
A「前回前々回とまっとうとはかけ離れたモンだったからなぁ……」
Y「まっとうなのは確かだがそれ以上に地味だな」
F「否定はしない。しかし、三国鼎立する前に歴史が凄まじい方向に暴走している『龍狼伝』がネオ三国志なら、党錮の禁だって三国志のイベントに加えていいのではなかろうか。というわけで、ちょっと時代をさかのぼろうと思う」
A「でも、残り少ないのに『横山光輝』とか『蒼天航路』とかやらなくていいのか?」
F「ナニを語れと? というか、漢字4文字がタイトルのお約束だからって、さすがにそれはできンだろ。いちおう91回ではゲームの三国志について触れるが、さすがにその辺はやらんぞ。何で『私釈』で『蒼天航路』の楽進について1回を設けねばならんのだ。――やっていいなら『三国無双』やめて次回にやるけど」
A「すんな!」
Y「まぁ、ゲームの三国志についてもやらんわけにはいかんだろうな、確かに」
A「またコーエーをボロクソに書いてたらまずいぞ。資料としては使うくせにゲームとしては評価してないンだから」
F「……ニヤリ」
2人『なんだ、その笑みは!?』
F「いや、こっちのオハナシ。まぁ、今回のに入ろう。えーっと、清流派というのは……いつだったかちょっとだけ触れた記憶があるンだがなぁ? 泰永、何回だった?」
Y「初出は6回だな」
F「あぁ、そーだった。『私釈』の第1回で触れた通り、後漢王朝十四代の皇帝はいずれも若くして即位し早死にしている。ために、側近として実務を預かる者が最高権力者となれた。その座を巡る争いが起こったワケだが」
A「外戚と宦官、だったな」
F「確認すると、外戚というのは皇帝の母方の親族。父方の親族(つまり、皇帝)は死んでいるワケだから、年若い皇帝にしてみればおじいちゃん・おじちゃんだな。一般的にはそれなりの権力・財力を有する一族から皇后を迎えるから、もともと政治的な野心と影響力は持っている面子だ。時々何進みたいなイレギュラーも混ざるが」
Y「ブタ殺しだもんなぁ」
F「対して宦官は、もともとは後宮の世話係だったけど、皇帝のそばに侍っていたため政治的な野心を持つようになった。皇帝とていつまでも子供ではなく、成長して外戚から権力を取り戻そうとする。その時に、腹心として権力を掌握するのが宦官だね。……云うまでもないと思うが、横に動いた奴より下から上に登った奴の方が、その座への執着心は強い」
A「成り上がり者の方が権力欲が強い、ってコト?」
F「実は、最近僕の態度がでかくなっているとのメールが来てるンだけど、僕の態度は第1回から変わってないはずだぞ。意識はしてないンで自覚がないだけかもしれんけど」
Y「身長が同じならロシア人の腰は日本人より高くなるモンだ。脚の長さが違うンだから」
A「長いのは手であって足ではないと思うンですけど……」
F「なぜ敬語か。ともあれ、権力を奪おうとする宦官と渡したくない外戚の間で、激しい争いが行われていたワケだ。……ところで、当時、科挙はまだなかった」
A「そりゃ、陳羣だって生まれてないだろ?」
F「170年生まれ……微妙なラインだな。ために、役人になる……権力者の端っこにぶら下がるにはふたつの方法があった。まずは学を磨いて己を高め、世評を得て推薦を受けること。もうひとつは有力者のコネに頼ることだ」
A「有力者って、この場合はどっちだ?」
F「両方だ。外戚は云うに及ばず、宦官にも有力なものが現れ出したのがこの時代。何しろ、宦官が養子を迎えて家を残すことが法的に許されたからね」
A「あぁ……」
F「宦官と外戚の抗争は、長期的には外戚が勝つと思われていた。なぜなら、宦官は子孫を残せない。でも、法律というものは、基本的に、権力者に都合がいいようにできている。そして、できる。自分たちが握った一時的な権力を恒久的なものにしようと、宦官は養子を迎えて家を残せる法を作った。……ために、民衆には悲劇が起こったワケだ」
A「宦官に取り入ろうと賄賂を贈り、地方官に取り立てられた小役人が、重税を課して民衆から金を搾り上げもとを採ろうとした……か。それが黄巾の乱の遠因になったのは事実だしなぁ」
F「ところが、ここで第三勢力が伸長してくる。清流派と呼ばれる……つーか、自ら名乗る連中だ」
Y「石川や、水の清きに不魚住、元の田沼の濁り恋しき」
A「いや、間違ってるから! 真砂って名の姉がいる身としては云いにくいけど、その水絶対清くないから!」
F「いつからそんなに姉想いになったのかね、アキラは? まぁ流すが、後漢の中ごろに大尉になった楊震という男がいてな。今でも役人に何かを陳情するときは賄賂がいるし、相手が大臣ともなれば手ぶらで赴いたら逮捕されかねない。当然楊震には漢土全域から賄賂が寄せられていたが、本人は絶対にそれを受け取ろうとせず、一族は困窮した。見かねた長老が蓄財を勧めたところ、本人曰く」

 ――財産を残すより「清廉なる楊震の子孫」との名声を子孫に残してやりたいのです。

F「龐徳公が劉表に仕官しなかった理由として、似たようなことを云っているな。清流派はこの楊震を理想とし、宦官や外戚を濁流と蔑視した。宦官であれ外戚であれ、権力を恣にし欲財をむさぼる連中はみんな濁流だ、と断じたンだね」
A「それが清流派?」
F「うん。何だかんだ云って皇帝に支えられている宦官と外戚に対抗するには、清貧をもってする官僚のひとりやふたりでは適わない。そこで、徒党を組んで結束し清流派という第三勢力となった。中心となったのは、当時の大尉たる陳蕃と、彼に見出された李膺だ」
A「……ひょっとして、清流派って儒者か?」
F「あれ、云ってなかったか? 基本的には儒教を絶対の思想とし、ために、純粋な儒学の徒(政治活動に参画することを避ける)からは支持を得られなかったンだよ。鄭泰ではない儒者が『そんなことしてると、また焚書坑儒が起こるぞ』と注意喚起しているけど、もちろん聞かなかった」
A「もちろんって……」
F「まぁ、そういう良識派はいつの世も少数派だ。宦官の専横に立ち向かう李膺は知識人・名士の支持を集めた。後漢書には『朝廷が日々乱れ綱紀が頽廃していく中、ただひとり李膺が毅然としていたので、おのずから名声が高まった』と記されている」
A「絶賛だな」
F「当然『濁流』も黙ってはおらず、ついにその悲劇は起こる。――党錮の禁だ」
A「ごくっ……」
F「政治の腐敗を批判するあの連中を野放しにしておけん……と、清流派二百名あまりを逮捕し、翌年には釈放したものの『党人』と呼んで官僚には任用しなくなった。錮は禁固刑のことで、『党人を禁錮に処す!』から党錮の禁なのね」
Y「確か166年だったな」
F「うん。で、追い詰められた陳蕃は外戚と組んで宦官の誅滅を画策するンだけど、それが事前に発覚。今度こそ許すまじと、陳蕃・李膺を中心に二百名以上処刑され、それに連なる清流派が実に七百名以上『党人』として禁固された。第二次党錮の禁と呼ばれるこの一件は、えーっと169年か。この二度の弾圧によって、清流派は事実上壊滅した」
A「坑儒が起こったワケだな……」
F「……そういえば、僕、楊震の最期について触れてなかったかな? 宦官にあンまり抵抗したモンだから、結局自殺に追い込まれてるンだけど」
Y「じゃぁ、理想通りの最期を遂げられたンじゃないか?」
A「お前ら、後漢書読むの禁止ー!」
F「だって、凄く楽しいンだよ。たとえば、李膺の門人の父親がいてね。どうしたワケかその息子の名が李膺の門人名簿に載っていなかった。ために党錮の禁では連座せずに済んだンだけど『オレは李膺殿を賢人と恃んだからこそ息子を差し出したのに、名簿に載ってないからって門人ではないと扱われるのは心外である!』と云って、自分から官職を捨てたという」
Y「いっそ清々しいバカだな」
A「お兄ちゃんはともかく、ヤスがそれにコメントするのは禁止ー!」
F「さて、清流派が壊滅した土壌から、どうしたわけか名士と呼ばれる芽が出てきた。今までほとんど同じものと扱っていたけど、実際は別物でね」
A「流すかよ……? つーか、同じものじゃなかったのか?」
F「基本的には儒者なんだけど、政治に口を出すのではなく世論による名声を得ることを選んだ連中だね。互いに人物評価を行うことで、清流派が築いた価値基準を洗練していき、腐敗しきった国家によらない、新しい秩序を求めたの。後漢王朝の世俗的権威ではなく、名士による評価を受けることが社会での名声になる、という社会的権威層が生まれたワケだ」
A「後漢王朝の権威なんて金で買えるからなぁ。曹操の父親が三公の位を一億金で買ったンだったろ?」
F「買ったのが、あろうことか陳震のついていた大尉だったのは皮肉なモンだが、後漢書が曹操をあまり高く評価していないのは以前見た通り。例の許子将に関するイベントも、三国志のものとはちょっと違っている」
A「『治世の能臣、乱世の奸雄』じゃないの?」
F「許子将に人物評価をしてくれと頼んだンだけど、宦官の孫を卑しんだ許子将は評価を与えようとしなかったンだ。業を煮やした曹操は、ある日許子将を脅迫した。そこでやむなく『お前は清平なら姦賊、乱世なら英雄だ』と評価し、曹操は大喜びで帰っていったとか」
A「……喜ぶ評価か、それ?」
F「評価を喜んだワケじゃない。評価された事実それを喜んだンだ。高名な名士から人物評価を受けたということは、すなわち自分も"名士"の仲間入りを果たしたということになる。曹操の社会的権威はこの時点から向上した……というわけだ」
A「そんな単純なモンなのか?」
F「単純だよ。名士から評価されるか否か、が基準なら世人は単純に二分できる。劉繇が太史慈を重く用いなかったのは『アイツを重用したら名士の反発を買う』からだそうだ」
Y「孫策は重用したし、曹操は引き抜こうとしたぞ?」
F「孫家に関する名士層の発言って、あンまり記憶にないンだよなぁ。ともあれ、自分で振っておいてアレだが、太史慈についてはいずれ触れるンで今は流す。えーっと、曹、孫だから劉備だな。あの男は侠者だけに名士層の評価なんて気にしなかったが、気にした親が名高い儒学者の盧植のもとに送り込んでいる。例の親父が、息子を李膺の門人にしたのに通じるものがあるな」
A「出来はずいぶん違うみたいだけど」
F「勉強はしなかったらしいからねぇ。……ところで」
A「きょうは何だ!?」
Y「……この俺が反応速度で負けるのは面白くないが、素直に褒めておこう」
F「お前らね……。僕が何か云ったからってそう露骨な反応するモンじゃないでしょ?」
A「とりあえず聞いてやるから、云え」
F「態度でかいのってお前らじゃないか? 登竜門という言葉があるが、コレの語源になったのが実は李膺だ」
A「……なんだ、マトモなオハナシじゃないか。わざわざ5行も使って反応するほどのモンじゃないだろ」
F「したのお前らだよ! 正確には、鯉が昇ると竜になれるという竜門というのがあるとされている。李膺に面会することができた者は、その竜門に登ったに等しい、と云われたンだね」
Y「なるほど、単純だな」
F「地味なオハナシだっただけに、ちょっとは眼を引くオチがほしかったンだけど、お前らの過度な反応のせいでいろいろ台無しだぞ……」
Y「だそうだぞ、過度かつ鋭敏な反応をしでかしたアホ」
A「いやー、失敗失敗」
F「続きは次回の講釈で」
A「再見〜♪」

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