私釈三国志 87 麻婆豆腐
A「何だ、このタイトルは!?」
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F「ん? いつぞや云っておいたろ、当時の食文化についてはいずれ一回を設ける、と。四文字の中華料理ってことでとりあえずこんなタイトルにした。『青椒肉絲』でも『五目春巻』でもよかったンだけど」
Y「春巻好きだね、お前……」
F「納得してもらったところで、ちょっと違うお話から。入門者は、よく『三国"志"』を『三国"史"』と書いてしまう、典型的なボケをかます。歴史書としてなら後者であるべきなんだが、この場合の"志"は雑誌の誌とほぼ同義で、要するに記録書という意味だ」
A「ずれてはいないンだよな?」
F「いや、"志"と"史"は厳密に違うものだ。というか、"志"にある程度のそれ以外が加わると"史"になる。たとえば漢書には地理志・天文志といった人物に類さない文書も収録されている。……この辺りの歴史書は、基本的に紀伝体で記されている、というのはいいよな?」
A「紀伝体って何だ、というレベルのひとはさすがにお前についていけンと思う」
F「いいことにするが、正史三国志にはそれらがない。当時の人口がどれほどだったかは、三国単位での大雑把な数字しか出ていないンだ。それを書いておくべき地理志がないからだな」
A「陳寿は、そっち方面には関心がなかったのかな」
F「というか、当時は天下が三分し、互いに兵火を交えるという時代だぞ? まっとうな人口調査なんてできるワケないだろう。郡県単位での人口なんて、蜀では263年まで調査しなかったらしい」
A「孔明もとっくに死んでるなぁ」
Y「……ん?」
F「本場中国では『三国史プロジェクト』という、古史料を収集・研究・分析し、当時の制度・地理・文化に関する"志"を作成することで『三国"志"を三国"史"にしよう』というプロジェクトがあるンだが、あんまり結果には結びついていないのが実情だな。何しろ千八百年前だし」
A「間抜けなのか、気が長いのか……」
F「まぁ、当時の生活や文化について知っておくのも三国志研究の一環だぞ、ということだ。前書きが長くなったが、倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。生活の基本たる食文化についてが今回」
A「……というか、歴史書に記されてないのにそんなモン判るのか?」
F「ある程度は判るンだよ。食事ってのは官史においてもっとも軽視される反面、野史がもっとも盛んな分野だ。何しろ、おふくろの味は家庭で受け継がれるものだからな」
A「……あー、なるほど(だからコイツ、今回最初からスイッチ入ってるのか)」
Y(帰りてェ)
F「さて、中華料理というものは、大きく四種類に分けられる。まず、山東料理を基礎に発展した、濃いめの味付けをする北京料理。長江流域を中心に発展した、多彩なメニューを誇る上海料理。辛さやしびれるような味付けをする四川料理。そして、あっさりした味付けながら新鮮な海産物をふんだんに使った広東料理だ」
A「と、云われてもなぁ」
F「えーっと、代表的なものを挙げると、北京料理は麺類・包子・餃子、もちろん北京ダック。上海料理は川魚・エビ・カニ、ワンタンとか小龍包だな。四川だと……炒め物にあえ物、具体的には麻婆豆腐に回鍋肉。広東料理はフカヒレ、ツバメの巣、ブタの丸焼き。それに、飲茶はもともと広東の習慣だから、点心もこの地から広まったとされているな」
Y「詳しいな?」
F「留学してましたから。ただし、その辺りの料理が千八百年前に存在していたかと云えば、まずなかったと見ていい。加来耕三氏は著書で『麻婆豆腐の原型はあっただろうが、現在のようなものができたのは19世紀だ』と述べている」
A「じゃぁ、当時はどんなモンを喰っていたンだ?」
F「華北から中原にかけては麦作がベースだったけど、江南ではすでに稲作が始まっていた。丸粒米は中国の東北部が原産地なんだが、稲は麦より寒さに弱くて、大量の水を必要とする。ために、華北では大量生産が難しく、むしろ長江流域で盛んに栽培されたンだね」
A「黄河の黄色い水じゃ、稲は育てられんか」
F「ただし、米は炊くのではなく、お粥か、煮込んでから水を捨てて食べられていた。どっかで書いたが丸粒米は、調理すると柔らかくなる。箸でつまめる硬さでは食べなかったらしい」
A「麦は?」
F「製粉して、麺類や餅(ビン。酵母の少ない、膨らまないパンのような焼き物)にして食べていたらしい。大麦は炒ってごま油で練り込み茶湯(チャタン)という食材にしていたな。五穀で云うなら残る粟・黍・豆も、主に煮込んで食されていた。……コレについてはちょっと笑えない話もあるが、それはのちほど」
Y「ぶっちゃけていいか? 今回、笑えない話どころか、今いつつくらい盛り上がりに欠ける」
A「食事の話ほど、聞いているだけでは面白くないものはないからなぁ。というかやってて楽しいか?」
F「……むぅ、そこまで云われるとは心外だな」
Y(コイツのスイッチが入ってるの忘れてたのか?)
A(ごめんちゃ〜い……)
F「主食はともあれ、副菜に移る。当時、野菜はあくまで添え物程度にしか食べられておらず、おおむね肉類が食されていた。最上位は羊肉で、鹿やイノシシ、牛はそれに劣るとされ、貧しい民衆は犬を食べていた。この時代ではどうだったか判らんが、殷代の遺跡からは喰われたらしいパンダの骨も出土したとか」
A(あれ、意外とマトモだ……な?)「喰えるのか? パンダって」
F「足のあるものは親と椅子以外何でも喰うのが中国人だぞ。動きが遅いから格好の獲物だったらしい。もちろん、江南以南では魚介が食べられていたし、河北ではブタも食べていた。ただし、鶏肉はあまり食べられず、乳製品はほとんど皆無。それ以外に最高の食材もあるが、もう少し地味な話をしておこう」
A「続けるのかよ」
F「食事について語っておいて補給について語らないのは、筋が通らないように思えるのでな。戦争を行う際は、最低でも40パーセントは後方任務(補給・運搬・土木・諜報など)に兵力を裂かなければ、マトモな部隊運用は滞るとされている。欲を云えば、半数が後方部隊であるべきだ」
Y「……おいおい」
F「で、少しでも効率的に物資を生産・消費する手段として考案されたのが屯田なのね。民屯と軍屯の違いは以前触れたけど、繰り返すと、民屯は戦火で流れてきた民衆に国家から道具と土地を与えて農地を開拓させたもので、軍屯は戦地にいる兵士に自分たちの食糧を作らせたもの。諸葛菜とも呼ばれるハナダイコンを、蜀の兵士が栽培していたのも軍屯の一環だな」
A「初期の曹操領ではあまりうまくいっていなかったのは以前見た通り、かね」
F「実は劉馥がこの分野では多大な成功を収めている。揚州に灌漑施設を建設・改修し、この地での屯田や生産に貢献したンだ。特に寿春(都市名)の南に建設した灌漑用の貯水池は、歴代の王朝による改修を受けながら現在でも使用されている」
Y「ローマの水道か?」
F「この辺りの施設が、土木水利の天才テクノクラート・ケ艾に受け継がれ、年間600万リットルの穀物を備蓄できるようになった……というのは、後々のオハナシ」
A「備蓄!? えーっと、消費する分を除いての収穫高が600万か!?」
F「先走って褒めるなら、ケ艾はこの分野の天才だ。出るのが孔明の死んだあとだから、あまり知られていないが」
Y「凄いモンだな」
A「……金持ちは反応が鈍いな」
F「さて、中国最高の珍味と云えば、もちろん人肉給食だが」
Y「○肉○食のマルの中に変な字をあてはめるな」
A「そんな悠長なこと云ってる場合じゃないでしょ!」
F「二本足の羊、という隠語で知られる人肉を、中国人が元代までおおっぴらに喰っていたというのは周知の事実。この『私釈』でも何度か触れたが……アキラ、カニの蒸し方を知ってるか?」
A「カニっ!? えーっと……動かないように脚を固定して、蒸し器に入れるンだろ?」
F「フィジー諸島ではヒトを喰う時、暴れないように手足を縛ってから蒸し焼きにするそうだ」
A「みぎゃーっ!?」
F「子供の肉は柔らかいから蒸して食べるのに最適。若い女性は煮物に向く。反面、男や老人の肉は硬いからあまり好まれなかったとか。ちなみにフィジーのひとに云わせると『白人の肉は匂いが強く、味も劣る』とのことだが、体臭は食物に影響されるから、肉を主食とする白人の肉の、匂いがきつくなるのはやむを得ないことでな」
A「聞きたくねー! 聞きたくねー!」
F「部位に関してだが(フィジーでは基本的に丸ごと蒸し焼き)、皮膚には苦味があるのではがしてから調理するのが一般的。手脚はよく動かすので肉が引き締まり、掌の肉(親指の付け根辺り)がいちばん美味しいとか。また、内臓や脳は珍味として重宝され、肝臓は勇気がつくとして特に珍重された」
Y「いや、人肉を料理するのが一般的じゃないから、すでに」
F「世界的に云うなら、食人の習慣は別に珍しいモンじゃない。中国だってモンゴルに制圧されるまではおおっぴらに、制圧されてからはこっそりと続けていた(らしい)ンだから」
A「ぐぎゃぁ〜……」
F「儒教の開祖たる孔子が、塩漬の人肉を好んで喰っていたのは論語にも書かれている。これだから儒者は嫌なんだ……と、食人を口に出しては否定しておく。儒教を叩き潰すためなら異教徒とでも手を組むぞ、オレは」
Y「残る手は引きとめてみよう。本当に、儒教とカニバリズムには関連があるのか?」
F「引かれる手は残ってないぞ。さっきも云ったが、中国人は『足のあるものは親と椅子以外何でも喰う』ンだ。判るか? パンダまで喰う人種だというのに、親だけは喰わんのだ。史書でも『飢饉で子供を殺して喰った』という記述はあるが、親を殺して喰ったという記述は寡聞にして見つけられなかった」
Y「あー、幸市、幸市? アキラがいつものがくぶるを始めたから、それくらいにしてやれ? な?」
A「がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
F「吸血鬼の出るゲームにかかわっておいて、食人はよくないってどういう理屈なんだ? 想像もつかんが、ひとつ云っておこう。喰ったことがある奴に云わせると、羊みたいな味はしなかった。血の気の多い赤身魚みたいな味だったな」
Y「……スイッチ入ってるコイツを刺激するのは、よした方がよさそうだな」
A「他人事みたいに云うなぁ……身体が、震えが止まんねェ……」
F「さて、劉備が人肉を喰ったり程cが人肉を喰わせたりしたのは以前触れたが、毎度おなじみ曹丕の悪事がある」
Y「曹丕のことは確実に嫌いだろ、お前」
F「王忠という武将が、動乱のせいで食糧がなくなり人肉を喰って飢えを逃れたことがある。それを聞いた曹丕は、王忠を供に遠乗りに出た折、シャレコウベを持ってこさせると、王忠の馬の鞍に結びつけて大笑いしたとか」
Y「……三国志を読んでいて思うのは、どうしてこんな奴が君主なんだろうと思うようなエピソードが多いことだな。特にどこぞの御曹司なんかは、どうして暗殺も簒奪もされなかったのかと不思議でたまらん」
A「ふぅーっ……どっちのこと云ってる?」
F「両方だろ? さて、アキラが戻ったところで話を戻すが」
A「逃げていい!?」
F「実は、今回のタイトルは、当初予定では『人肉給食』だったンだ。アキラが嘆き悲しむと思ったから、こーいう、ある意味加来氏の著作に異を唱えることになるタイトルになったンだが、まさかそれをも文句を云うとは思わなかった」
Y「どうかとは思うが、どうしてこのタイトルで加来耕三に異を唱えることになる? いや、確かにどうかとは思うが」
F「2回云わんでいい。さっきも云った笑えない話だ。実は、三国時代にはまだ豆腐がなかったンだよ」
A「……麻婆豆腐の原型すらないじゃないか、それなら。豆腐がないならただの辛味噌だぞ」
F「だよねぇ。ちなみに、本場の麻婆豆腐は『あまりに辛くて、味はむしろ痛みを伴うほど』で、日本で喰えるものは甘く味付けされている。インドから伝わったカレーみたいなものらしい」
A「蜀までは行かなかったモンな、俺たち」
F「そんな麻婆豆腐が考案されたのは19世紀の末。成都に住んでいた、一名をしてあばたババァこと陳婆さんが、苦力相手に食堂みたいなことをしていて、作った豆腐料理が原案らしい」
Y「あばたババァって非道い綽名だな」
F「漢語で云うと麻婆なんだ。加来氏曰く『嘘のような本当の話』とのこと。事実は小説より奇なり、だな」
A「実話なのかよ!?」
F「続きは次回の講釈で」
A「笑えねェ……」