私釈三国志 80 曹操孟徳
6 魏王就任
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F「さて、今の今までスルーしてきたが、曹操本人は、はたして皇位についてどう発言しているか。コレを見ないワケにはいかないだろう」
A「犯人の自供を聞くワケか?」
F「腹心中の腹心たる夏侯惇その人との会話だ」
惇「漢が終わり次の時代が始まるのは、天下の揺らがぬ事実ですぞ。古の時代より、民衆のため害を除いてきた者が彼らの王となって来たではありませんか。殿はこの30年戦い続け、天下の民心を得ておられる。天意に応えるのに、なにを躊躇われますか」
曹操「直接手を下すだけが政治ではあるまい。己の生き様を示すこともまた政治なのだ。仮に天がワシを選んでおったとしても、ワシは周の文王になろう」
F「まず、歴史の確認から。先に挙げた殷の紂王は、これも挙げた夏の傑王と並んで、中国史上の暗君と名高い……つーか名低い。妲己に溺れて国を傾け、そのくせ頭は切れるし腕は立つ。姫昌はそれでも紂王に臣下として仕え続けたが、姫昌が死んだら周は兵を挙げ、諸侯を糾合して殷を討った。王となったのが姫昌の息子で、これが武王。父・姫昌を文王と諡している」
Y「ぶっちゃけ『封神演義』は、この辺りのエピソードを特撮ちっくにしたものだな」
F「そゆこと。で、文王を支えた両輪と称すべきが、中国史上屈指の賢人と名高い、武王の弟(文王の子)たる周公旦と、前漢の張良と並び称される"謀聖"太公望だ」
A「……殷が勝てるわけないって組みあわせだな」
F「えーっと、ここで挙げたとおり、曹操は帝位に就くことを直接否定している。また、曹操は周公旦(周公)を深く尊敬していて『山は土をもって高くなり、海は水をいれて深くなるように、周公は天下の才人を受け入れて人身を得た。これこそ私の理想である』と述べている」
A「周公が聞いて呆れるンですけど」
F「まぁ、聞け。殷を滅ぼして2年後、天下はまだ定まっていないのに武王が病に倒れた。そこで周公は、自分を生贄に捧げ、兄の病の吉兆を占わせたところ、なぜか"吉"との卦が出る。祭文を箱にしまった周公は、兄の死後、摂政として甥にあたる成王を補佐したが、当然『周公は成王を軽んじている、天下を私物化している』との悪評が広がった」
A「太公望は何をしてたンだ?」
F「見かねた太公望が斉(賜った領国)から出てきたところ、周公は応えている」
「成王はまだお若い。今は周の土台を築く大事な時期だから、私は、誤解を受けるのを承知で摂政を務めているのだ。そうしなければ天下を保てず、父や兄に顔向けできん!」
F「周公自身が受けた封地は魯だが、息子を代理に送っていた。その時、父はこう戒めている」
「わたしは文王の子で武王の弟だ。天下に恥ずかしい家柄ではないのに、君子が訪ねてくれば、髪を洗っていたらそのままで出迎え、食事中だったらすべて吐き出す。それでもなお、天下の才人を失うまいかと心配なのだ。お前も魯では、王だからといって驕るンじゃないぞ」
F「成王が成長して政務を執るようになると、周公は身を引いて臣下の地位に身を置いた。その死後、例の箱を開いた成王は、叔父の真心を眼にして涙したという」
A「……なるほど、屈指の賢人か」
F「曹操でも尊敬するのは無理からぬ男だろう。……そして、曹操の行動理念もまた、周公に比することができる。曹操が政権を手放したら、劉備や孫権が何をしでかすか判ったモンじゃない。天下は定まっていないのにそんなことができるか、というのが周公の、そして曹操の意思だったのは明白だな。以前(57回で)見た『自らの本志を明らかにする令』にはこんな一文もあった」
――オレが負けたら、漢は累卵の危機に瀕する。空虚な聖人君子の名声に憧れて現実の災厄を招くなど、オレには到底できん!
F「功成り名遂げて身を退く、は中国における君子の理想像だが、そんなものに憧れて国を滅ぼすなどできんのだ、との主張だ」
Y「国号が入っていなかったら、曹操だか周公旦だか判らん意見だな」
A「でも、文王になりたいってコトは息子の代で漢を討てって意味だろーが! 姫昌は妲己に長男を殺されて、その肉を喰わされてるンだぞ! だったら殷を怨んでいなかったはずがない!」
Y「……ホントにお前、『封神演義』読んでないンだな」
F「殷を滅ぼした武王が、どうやって王になったのか知らんのだからねぇ……」
A「どうやったンだ?」
F「王城に入ってきた武王を、諸侯は整列して迎えた。そして、一斉に『王さまばんざーい!』と叫び出したンだ。誰の手引きだったのかはここでは触れんが、周りからの推挙で王になった、というワケだが」
A「本人の意志ではなかった、とでも? 王になりたくなかったとは思えんぞ」
F「そうだな、ある程度の期待はしていただろう。だがな、このエピソードは王権というものを考える際、避けては通れないものだ。天下諸侯から万歳を受けるということは、徳のある王と認められたに等しい。と同時に、臣下がその気になれば君主を王とすることもできるのだから」
A「……えーっと」
Y「曹操本人は、家臣からの推挙を拒んで漢の輔弼たることを選んだ。だが、息子の代にはそれを拒むことはできないだろうと踏んでいた、と?」
F「おそらくな。現に曹丕は臣下の推挙(ただし、いないってコトはないだろうが、董昭の名は見えない)で漢から帝位を禅譲されている」
A「ほとんど簒奪だったじゃねーかっ!」
F「ここで重要なのが、犯罪が成立する条件の第三点」
A「は?」
Y「……いや、確かにお前『みっつの条件がある』とは云ってたな。ただの云い間違いだろうと思って流してたが」
A「え? ……え!? ぅわ、またこーいうトラップを!?」
F「よく引っかかるよな、同じトラップに……。ともあれ、犯罪が成立するには、動機と手段に加えて、被害者が必要だ。李を喰われました、瓜を盗まれましたと訴えるお百姓さんが、な。反論は?」
A「……ない」
Y「ない。というか、それがなかったらそもそも犯罪が成立せんぞ? 動機や手段がいくら整っていても、被害者が訴えなかったら犯罪そのものが起きなかったことになる」
A「……つまり、この場合は献帝がどう思っていたか、ってコト?」
F「察しがいいな。では、確認しよう。余人ならぬ献帝陛下が、曹操をいかように思し召されていたのか」
「董卓によって、高祖より続いた漢の命運が尽きようとしていたのを救ってくれたのが君だった。黄巾の残党を滅ぼし東国を平定したのが君だった。楊奉を討って許昌に都を造ったのが君だった。官職を整備し祭祀を復興し、古き制度や文物を失わせなかったのも君だった。帝位を僭称した袁術を討ったのも君だった。呂布や張楊、張繍を平らげたのも君だった。袁紹を官渡で破り、我が国を絶対の危機から救ったのも君だった! 北方四州を平らげ烏桓を討ったのも君だった。劉表を討ち百の城を服従させたのも君だった。黄河を超え馬超を討ち、辺境の蛮族を従えたのも君だった。
天下を平定した功績を挙げながら、優れた徳義を備え四海を秩序で満たし、あらゆる恩恵と教化で旧来の功徳を施した君よ。君の徳は周公にさえ勝る。前代の聖王たちは、優れた徳を持つ者を位につけ領土を与えた。朕もそれに倣い、君に九錫を与え、魏公に任ずる」(魏公に任ずる辞令)
「大功のある者を賞し子孫まで恩恵を施すのはどの王朝でも同じであり、それが異姓であろうが親族であろうが差別はすまい。高祖(劉邦)が興し光武帝(劉秀)が継いだ我が国の聖徳をどう守るか。それだけが朕の悩みであったが、君が神のごとき武威を振るい朕を艱難から守ってくれる。
先般君に魏を与えたが、西方を平らげた功績は我が国を安寧に導いた。朕は君のおかげで政治を行えるのに、充分な恩賞を与えないようで、どうやって天地の聖霊に応えればいいのだ? 魏王になれ」(魏王に任ずる辞令)
「聖人は功績を高く評価し忠誠に報いる。だからこそその名を百代にわたって理想とされるのだ。朕は君が立派だと思う。寝ても覚めても君を王位につけたくて仕方ない。朕の命令に従わんのは歴史に申し訳が立たんぞ。ガタガタ云わずに受けろ」(三度辞退された後の辞令)
「君の父は、天が我が国にくだされた藩屏である。朕はその陰で遊んでおればよかったのに、こんなに早く世を去ろうとは。朕の哀悼の念は切なるものがある。君に先代の事業を継承させよう」(曹丕を魏王に任ずる詔勅)
「天命は不変のものではなく、徳ある者に帰する。朕の時代は悪人どもが大乱を起こしておったが、亡き曹操が神のごとき武を振るい、中華の地を清めてくれた。先代の事業を受け継ぎ文武両道の大業を極め、亡父の大功を明らかにした君に、天下を送る。受けろ」(曹丕への禅譲の詔勅)
A「……どれだけ曹操が好きなの、この皇帝サマ?」
F「まとめると、犯罪には動機と手段、そして被害者が必要だ。曹操はこのうち手段――漢王朝を滅ぼす力量は確かに備えていた。だが、彼は生涯漢王朝に忠誠を誓い続け、漢王朝はその忠誠に応えた」
Y「被害者はいなかった、ってコトだな」
A「でも、漢を滅ぼす力量を持っていたから……とは云えないー!?」
F「道具を持っていたからって、それだけで罪に問えるワケじゃないのは先に見た通りだよ」
A「あうぅ〜……」
F「曹操は、曹丕が自分のように漢王朝を支えるとは思っていなかった。それは、この息子が日頃から何かと問題ばかり起こしていたからだ。周りからけしかけられれば、その気になる息子だと判っていた。だから、夏侯惇はもちろん、孫権や陳羣らの言葉を拒み続けたのさ。……悪逆非道な群雄が跋扈したこの時代に、自分ひとりくらいは、漢に忠実であってもいいじゃないか。そんな想いがあったのかね」