私釈三国志 80 曹操孟徳
5 董昭公仁
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
F「犯罪が成立するには、みっつの条件がある。他にもあるが、だいたい」
A「その心は?」
F「手段と動機。美味しそうな李が木になっていたり畑で瓜が実っていても、満腹なら食指は動かんだろう? 動機というのはそんなもので、犯人の側にその罪を犯す理由がなければ、犯罪そのものが起こらないンだ。また、その木が異様に高かったり、畑にひとがいたら、そう簡単には手を出せない。手段というのはそんなもの。つまり、犯罪を実行できる環境にあるか、だな。こちらには、それをなす能力も含まれる」
A「……曹操には、簒奪という犯罪を起こす動機と手段があったか、か?」
Y「能力は間違いなくあったな。それを否定する余地はない」
A「むぅ〜……」
F「日本人の面白いところだな。日本人は、悪人や敵は無能で醜い卑怯者だと事前に決めている。ゆえに、有能な敵をどうすればいいのか民族的に想像もできないのさ」
Y「お前がまだ日本人なのは喜ぶべきなのかね?」
F「勝手にしてくれ、僕の知ったことじゃない。ともあれ、曹操が魏公に就任する際に荀ケが反対し、両者の仲がこじれ、結局荀ケは死を賜った、という俗説がある。曹操が簒奪を目論んでいたなら、この件は避けて通れないオハナシだ」
A「まぁな。えーっと……213年か? 魏公に就任して、三人の娘を献帝に嫁がせたのは」
Y「5月だな。翌年3月には『魏公は他の諸侯より偉い!』というおふれを出した。ンでその翌年には、曹操の娘が皇后とされる。216年には魏王に就任。217年、天子の旗・冠・馬車(6頭立て)の使用を許可……などなど」
A「曹操が自分で『この位がほしい』とか『こんな特権をよこせ』とか迫っただろうことは明白だな」
F「そうか?」
A「あ、もとい。曹操じゃなくて、その周りの連中が『曹操サマにこの位を!』とか『特権を!』と迫ったのは、だ」
F「その表現なら認めるのはやぶさかではないな。……それが曹操の真意だったと思われているのが問題なんだが」
A「曹操に野心がないなら、公やら王やらにならずに辞退して隠遁すればいいことだろうが。引き受けたその事実が野心の証明だぞ」
F「感情的になるのはいいが、バーサークして勝てるのは当人未満の力量までだ。戦場では勇猛な奴ほど早く死ぬ。魏公推挙問題については、実はひとり、重要な人物を今の今までスルーしていたンだが」
Y「……董昭か?」
F「うむ。袁紹配下を経て曹操の幕下に加わった謀略家だが、この男が曹操を公にしようと画策した張本人でな」
A「荀ケは反対したンだよな? そのせいで、曹操との仲がこじれた」
F「荀ケが反対したのは事実だが、曹操がこのとき――魏公に就任したときどう思ったのか、本人の発言を見てみよう。ちなみに、陳寿は荀ケ伝に、反対されたことについて『内心面白くなかった』と書いているが」
――先帝には厚恩を、陛下には恩愛を賜ったわたくしですが、董卓や二袁(袁紹・袁術)の乱ゆえに身を興すことができたのです。命を賭け軍を率い、進軍しては戦いましたが、首級をたもてるとは思いもしませんでした。今の位でさえわたくしには期待もしていなかったほどのもの。
陛下は愚かなわたくしに、国を開け錫を備えよと好意あふれる思し召しを賜りました。功績亡きわたくしがお受けすべきものではないと再三上聞奉りましたが、かえって厳しい詔を頂戴する始末。わたくしの心をこんなにかき乱されては、愚かな家臣は追い詰められてしまいます。
伏して考えますに、大臣たる我が身は我が物にあらぬ以上、どうしてワガママを貫きましょうか。御意に背き免職となって平民に戻ることもありましょう。お言葉に甘えますは、子孫に列侯の位を残さんとするものではなく、いくばくもなき余命を捧げ奉り厚恩にお応えするためにございます。
謹んで、公たれとの詔をお受けいたします。
F「魏公に、との献帝の詔勅を曹操は三度にわたって固辞しているが『御意に背いて平民に戻る』よりは、とこれを受け入れた。……どこをどうすれば『内心面白くなかった』なんて発言が出るのやら」
A「いや、でも、口では何とでも云えるだろ!?」
F「アキラ。『私釈』の57回を読み返してみろ」
A(←確認中)「……ぅわ」
F「曹操がいなかったらどうなっていたのか。それを考えると官位は返還できないが、と前置きして、当時賜った領土の三分の二を返還してるンだ。魏公に就任した時も、本来なら冀州の十郡を受けるところを、魏郡以外はすべて返上している。……実際のところ、董昭のゴリ押しで曹操は魏公になったようなものだが、それに反対した荀ケが間もなく死んだせいで、曹操が殺したような疑いを向けられているンだ」
A「確かに野心がなかったようには見えるけど、曹操のパフォーマンスとは考えられんか? 天下を盗ってしまえば、冀州の九郡くらいカスみたいなモンで……」
F「……ふむ。では、荀ケの死は曹操に責任がない。その論拠があったら、アキラはどうする?」
A「……あるとは思えんけど、ある程度は譲歩する」
F「云ったな? 実はこの董昭、見返すと相当な奸物でな」
Y「ん?」
F「さっきも云ったが、袁紹配下だった。その頃、鉅鹿や魏郡で発生した叛乱をほぼひとり、口先三寸で平定している。袁紹に命を狙われて朝廷に逃げると、楊奉を曹操につかせることで朝廷に『曹操を頼ろう!』との風潮を蔓延させる。献帝を許昌に移すことでその楊奉を無力化し、自滅に追い込んだのもこの男だ」
Y「……謀略家、と称したな。そういえば」
F「続けるぞ。袁術を討つと云って出征した劉備を『油断なりません』とコメントし、実際に叛旗を翻した劉備を討った曹操は、徐州を董昭に任せている。顔良戦・鄴攻略戦にも従軍していた。烏桓に向かった曹操軍の補給も完遂している。魏公にせよ魏王にせよ、曹操はこれを受けたが、最初に云いだしたのは董昭だった……と、正史には書かれているな」
Y「曹操軍団の謀略、ほとんどを担当していたのか!?」
F「正直、どうしてこれほどの漢を今まで『私釈』に出さなかったのか、自分の不明を恥じるしかない。媒体化する場合この80回は何回かに分けるけど、この回が『董昭公仁』になることは確定だぞ」
A「てコトは……」
F「董昭と荀ケの魏公に関しての発言を、以下に書き下して引用する」
「かつて周公旦と太公望は、文王・武王の二王を支え、幼少の成王を補佐したがため、藩国を賜ったのだ。曹公は天下国家のために30年に渡って奔走された。漢の王室を永らえさせ、劉氏を補佐した功績は、建国の功臣とさえ比べられまい。それなのに、ただの将軍位にあるのは天下の期待することであろうか」
「曹公が義兵を挙げたのは、朝廷を救うです! これまで天子への忠誠を守り劉氏に礼をとられていたのは、すべては国家のためではありませんか! 曹公に信愛を示すなら徳をもってすべきで、爵位などお勧めするのは許されませんぞ!」
F「荀ケには荀ケで、曹操の後継者というデリケートな問題を抱えていた。コレが本心か、という疑問はなくもないが、ほぼ曹操と同じ想いだったことは見てとれるな」
アホ「えーっと……?」
F「……アキラ、お前『封神演義』読んでないのか? 云っとくが、藤竜版は数に入れるなよ」
A「アレを数に入れないなら、読んでないと云わざるを得ない……かな?」
F「このガキはまったく……。えーっと、正史の記述では、董昭は上に見た通り、手柄を立てては昇進する代わりに、誰かを殺している。鉅鹿の叛逆者、徐州や鄴の民衆、楊奉、顔良、烏桓族。これらの事実を考慮すると……」
Y「荀ケを罠にはめられる謀略家が、賈詡や司馬懿の他にいたというのか?」
F「ありえない話ではないと思うよ。袁紹のところから逃げる途中で世話になった張楊という群雄も、呂布に前後して部下に殺されてるンだけど、董昭の説得で残党は曹操に降伏してるし」
A「……この男、怖すぎ」
F「つーワケだ。荀ケの本心はともかく、少なくとも曹操のせいで死んだのではないと見ていい。……なお、董昭は魏志の十四巻『程郭董劉蒋劉伝』に収録されている。別に伝を立てられている荀ケ・荀攸と賈詡を除く、魏の謀臣列伝だな」
A「それも、郭嘉の次にかよ……?」