私釈三国志 80 曹操孟徳
4 禰衡処刑
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F「伏皇后についても、いささか無視できないエピソードが正史にはある」
A「順番、どーなってンの」
F「いちおう計算ずくで書いてる。伏皇后は父に『献帝は、以前董承が処刑されたのことで曹操を怨んでいる』との書簡を送っている。それが発覚したために処刑されたンだが」
2人『フォローする余地がないな』
F「どっちを」
A「曹操!」
Y「皇后」
F「ふむ。……この董承に関して、正直に云うが先日まで見落としていたエピソードがあってな」
A「何だ?」
F「献帝を受け入れようと、曹操は曹洪に兵を与えて迎えに行かせた。ところが董承は袁術と組んで抵抗したンだ」
A「袁術!?」
F「長安脱出に尽力した楊奉が、袁術の下に走っただろう。加えて、董承による曹操暗殺に関与したとされる劉備が許昌を出たのは、袁術討伐が名目だった。その後劉備がどう動いたのかはご記憶の通りだ。……どうにも、この国舅の後ろには袁術の影が見え隠れするンだ」
A「えーっと、えーっと!? でも、袁術ってその当時、すでに皇帝を自称してただろ!?」
F「あぁ。だから、袁術と董承が組んでいた、とは僕も思わない。おそらく董承は、利用できるもの全てを利用しようとして、利用したンだろう」
Y「なぜ、そこまで?」
F「年若い君主の下で老臣と新参の家臣が主導権争いをするのは珍しいことじゃなかろう」
A「いや……そんな単純なことでいいのか?」
F「いいかどうかは僕じゃなくて董承に問うべきじゃないかな。董承が曹操暗殺を決意したのって、正史であれ演義であれ『曹操の専横を心苦しく思って』だったろ? つまり、自分が献帝の後ろ盾として国政を預かるのはよくても、新参の曹操が国政に参画するのは許せない、というオハナシだ」
Y「確かに、献帝を庇護するために来た軍勢と一戦交えてるのは、曹操を国政に参加させまいとしたように見えるな」
F「獅子身中の虫、という奴だったと見るべきだろうな。となれば、伏皇后をフォローする余地はない。董承を討ったのは曹操の立場としてはやむを得なかったのに、それを逆恨み……違うな、逆恐れ? して、自分にも危害が及ぶと思って、曹操のしっぽを踏んだワケだから」
Y「上に立つ者が人を殺したら、それが正しかろうが正しくなかろうが周りからは私怨だと思われる……か」
F「次は自分だと思ったワケだね。さて、アキラは知らんようだけど、当時名士として名高い存在に崔琰がいる。これも曹操に高く評価され重用されたものの、ある日曹操の機嫌を損ね処刑されたクチだ」
A「わざわざ追求する余地を提示するのは何でだ」
F「追求できるのか? この男の兄の娘は曹植の妻で、崔琰が処刑された翌年には実家に帰され死を賜っている。楊修が死んだのはその2年後。曹丕が皇太子に指名された翌年だな。ちなみに、楊彪(袁術の親戚)の息子が楊修だ」
Y「曹植派の勢力を削いでいるようにしか見えんな」
F「曹丕を後継者と定めたからには、いらぬ禍根を残すことはできない。曹植に与する者を徐々に減らしていくことで、曹丕の覇権に棹差すことを未然に防いだ、というワケだな」
Y「しかも、さりげなく袁術とつながりがある連中……か。となると伏皇后も、袁術の息がかかっていなかったか検証する必要があるンじゃないか?」
A「むぐぐぐぐっ……!」
F「馬騰に至っては云うに及ばず。当時では、子が叛逆したら親が殺されるのは当然のことだったからな。華佗、許攸、挙げていなかったが婁圭など、曹操に処刑された者についてはもう一度検証する必要があると思う」
A「よし、しよう!」
F「弟よ、その言葉を待っていたぞ!」
Y「いいのか?」
A「全員検証していけば、どっかにつけいる隙があるかもしれん。紙面が無制限だからこそできる暴挙だ」
F「それでは曹操被害者連について、詳細な検証を開始する! 先陣の名誉に預かるのは、当然ながら、惜しまれつつ死んだみんなの奇人・禰衡!」
2人『紙面のムダだから検証するなっ!』