私釈三国志 80 曹操孟徳
1 織田信長
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F「僕の尊敬する加来耕三氏が、興味深い分析をしている。曹操・劉備・孫権を信長・秀吉・家康に比較して、その相似点を検証するというものだ。曹操と信長の共通点、漢の王室や足利将軍家といった旧来の権力を利用しての天下盗りや、冷酷にも見える部下への対応などだ。個人的には、曹操は家康にこそ近いと思ってるが」
A「ネタとしては面白いかもな。あまり信長は好かんが」
F「……そうか?」
A「いや、喰いついてこられても困る。信長って残酷だから、どうにも好きになれないンだよ」
F「信長を嫌いだというヒトには、井沢元彦氏の『逆説の日本史』を読めと勧めることにしている。信長が残酷とか冷酷とかいう先入観があると、ついつい反発したくなるエピソードが満載だ」
A「じゃぁ、信長を好きだったら?」
F「明石散人氏の『二人の天魔王』だな。アレは、信長好きなら一度は読んでおくべき資料だ」
Y「いつも云ってるが、持ってるなら出しとけ。つーか、脱線するなよ」
F「いや、外れているつもりはない。歴史上の人物を好きか嫌いかという主観には、読んだ資料が大きく影響する、というオハナシだから」
Y「むっ……」
F「信長でも400年、曹操に至っては1800年前に死んでいる。当然、直接の面識はない。参考にした資料の著者が、信長を好きか嫌いか、信長の功績をどう判断しているか……は、読者の抱く信長像に大きく影響する。はっきり云うが、僕以前に『何進を謀殺したのは袁紹ではあるまいか?』と考え、その考えを公表したひとがいなかったのは、三国志演義によって植えつけられた『無能な袁紹像』が原因だ」
A「つまり、原因の3割は正史か」(三国志演義:史実三分に虚構が七分)
F「原因の7割が演義だ。信長像に関しても同様で、信長を冷酷な人物だと考えているひとは、ほぼ間違いなく『逆説の日本史』を読んでいない。……もっとも、アレが異端だという意見には、僕でも反論はできんが」
Y「信長はともかく、曹操に対する評価は資料なり史料なりを公正に判別してからにしろ、ということだな?」
F「話が早いな。現実問題、名作『蒼天航路』以前には『曹操は悪役!』みたいな評価が主流だった。三国志演義でも横山三国志でも、曹操が『乱世の姦雄』として描かれていたのが主な原因だが」
A「正史では、そうではないと?」
F「正史をベースにして書かれたのが演義だ、とは云えないからな。確かに羅貫中は、歴史書としての正史三国志をつぶさに研究した。だが、できあがった作品は、さっきも云ったが『史実三分に虚構が七分』だ。すでに民間に広まっていた『曹操が負けると聴衆は喝采する』という風潮に迎合したのか、それとも曹操が嫌いだったのか、は微妙なところだが、少なくとも客観的な視点には立っていない」
Y「一応云っておくと、正史も客観的ではないぞ。アレは、実質曹操が興したに等しい魏を正統とみなしている。どうしても魏にひいきな発言が目立つ」
F「うむ。ゆえに公正な三国志研究は、正史(曹操びいき)と演義(アンチ曹操)の両者を総合して鑑みるか、それとも両方使わないか、で考えることになる」
A「2番は、三国志研究じゃない!」
F「オレもそう思う。だが、ここで重要になるのは資料の正当性だ。著者がその人物に好意的か否定的かは、著作に大きく影響する。――はたして、三国志演義は曹操を正しく評価しているのか」
A「……否定的なのは事実だが、ある程度の実態はとらえてるンじゃないか?」
Y「いや、かなり恣意的に書いてるぞ」
F「意見が割れたところで、そこから検証していこうと思う。今まであえて流しておいた、曹操という人物を物語る際に欠かせないと思われている、ふたつのエピソードでな」