私釈三国志 78 武帝崩御
Y「……おいおい」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
F「いやー、2回前にヤスから『官渡の戦いを思い出す』とか云われたときはどうしようかと思ったヨ〜。冗談抜きでこーいうタイトルにしようとしてたの、見抜かれたのかと思った♪」
A「してやったりという笑顔だな、おい……」
F「んむ。歴史的に云うなら、曹操は関羽の後を追うようにあっさり死んだ。ダイアナ元妃の死後あっさりマザーテレサも亡くなったが、当時のひとたちからすればそんな心境だったンじゃなかろうか」
A「裏の裏をかかれたのは認めよう。だが、曹操はマザー並の人物か? たとえがどうかと思うが」
F「その辺りは横山光輝氏の評価でも判るぞ。横山三国志において関羽と曹操の最後は同じ巻に収録されているが、その42巻、表紙はボロクソの関羽なのにタイトルは『曹操の死』だ。コンビニ版では違うが」
Y「横山の意思が反映されずに、売上重視で押し切られたンだろうな」
F「たぶんね。さて、タイトルはこうしたものの、やはり戦後処理、そして関羽の死の影響から語らねばならないだろう。まず、麦城が降ったことで、長江北岸を除く荊州は孫権の支配下に落ちた。ところが、呂蒙がまもなく病死する」
A「関羽に呪い殺されたンだよな。荊州を奪った宴席で『碧眼の小僧、調子に乗るな!』って孫権を怒鳴りつけて、全身から血を噴出して死んだ」
F「云うまでもないだろうが、それ演義でのオハナシだから。正史では発作を起こして孫権の宮殿に担ぎ込まれ、手厚く看護を受けたもののやむなく死んだとある。どんな病気だったのかはちょっと不明だが、ひょっとしたら陸遜と交代したのは、ホントに病気だったからじゃないかとも思ってるンだが」
A「病気がちなのか? 正史では」
F「いや、周瑜・魯粛と相次いで病死してるから。まぁ、演義での呂蒙の最期は、いつかも云ったが袁術にも引けを取らん無様さだからなぁ。ついでに見ておくと、関羽が曹操からもらったもので返さなかったひとつの赤兎馬は、関羽の死後まぐさを食べなくなってそのまま死亡。また、関羽の亡霊が関平・周倉を引き連れて、玉泉山の普静和尚に『ワシの首級はどこでしょう、和尚?』と化けて出ている」
Y「普静?」
A「ほら、五関六将の四番手の時に、関羽に目配せした」
F「当時の水関には寺があったかどうか判らんのは以前見た通りだ。そんな和尚は関羽に『顔良や文醜がクビを探しておりましょうか?』と諭して、その亡霊を調伏している」
A「調伏云うなーっ!」
F「ともあれ、ちょっとケチがついて不機嫌な孫権のところに張昭が慌てて駆けつけた。関羽を殺せば劉備が黙っていない、アンタどうするつもりですと云われると、碧眼の小僧……あ?」
A「ん? どーした」
F「あ、いや……え? つながった……? おいおい……!?」
A「ヤス、ヤス!? この雪バカ、なんか頭抱えて悩んでる! 逃げていい!?」
Y「いや、俺も逃げたいンだが……幸市、何事だ」
F「あ? あぁ、うん……だいじょうぶ。ちょっと、バカなものが見えただけだ。えーっと……なんだっけ? あぁ、孫権だ。とりあえず、血相変えて地団駄踏み踏み『しくじった、やっちまった!』と泣き叫ぶ」
Y「いや、血相変えてるのはお前だ。リンゴ喰ってこい、すぐに」
F「うむ、一日いちグロスのリンゴは医者要らずだからなっ!」
2人『喰いすぎだ!』(1グロス=12ダース=144個)
F「落ちつけ、オレ! 関羽を殺された劉備が怒りから曹操と手を組んで攻めてきたらどうしよう、と恐れ嘆く孫権に張昭は悪巧みを持ちかけた。関羽の首級を曹操に送りつけて、関羽を殺したのは曹操の望みであったように見せかけよう、と。そうなれば曹操・劉備のあってはならない同盟は結成されることはない」
A「まぁ、張飛じゃなくて関羽なら、弔い口実の同盟に乗りかねないからねぇ……曹操」
Y「演義って……」
F「そんなわけで曹操のもとに首級は届いたものの、仲達が『これは、関羽の死をこっちの責任にしようという謀略です』と看破してのける。曹操自身もそれくらい判らないワケがなく、仲達と謀らって、関羽を王侯の礼をもって弔った」
A「これまた演義には、関羽の首級に生前と変わらない黒々としたヒゲが生えていたモンだから、曹操が『将軍、お変わりないな』と声をかけると、クビがにやりと笑って曹操は気絶したってエピソードがあるな」
F「胴から離れた首にどれだけ意識があるか試す実験で、ギロチンにかかる死刑囚に意識のある間まばたきを繰り返せとやらせたところ、3度まばたきしたって逸話があるが、それとはレベルが違う問題だからなぁ」
Y「そりゃそうだ」
F「人体のオハナシをするなら、腕を斬り落とされてもそれと気づかなければ、本人は痛みさえ感じずにしばらく戦闘続行可能だったが……まぁ、首じゃ無理だろ、クビじゃ」
A「ぐにぬぬぬぬぬっ!」
F「実際、病気がちだったのは曹操の方でな。持病の頭痛がこの頃すでに悪化していて、もう長くはないと自分でも自覚があったのかもしれない」
A「だから、急いで簒奪の準備を整えたンだよな?」
F「その件に関して、積極的に何かしたという史料はないぞ? 演義では、頭痛を何とかしようとスーパードクター華佗センセを呼びつけたものの猜疑心から殺しているけど、正史でのセンセは208年(実に、赤壁の戦いの年)に死んでいるから、それも創作だし」
A「殺したの曹操だけどなっ!」
F「そんなわけで病は治まらず、曹操は伏せがちになった。腹心たる夏侯惇は、曹操の寝所に入るのを許されていたから、心配して見舞っていたところ自分も病気になったとか。群臣に自分の死後のことを指示した曹操は、いかにも彼らしい遺言を述べられている」
――まだ戦争は終わっておらん。ワシの葬儀が終わったら、すぐに喪を解き持ち場に戻れ。出征している者たちは戻ってこんでいい。死体には副葬品などいらん、ただ平服で棺に納めろ。
Y「常在戦場……かね」
F「かくて、曹操は死んだ。享年六六。その死によって、彼個人との盟約しか持たなかった青州兵は、堂々と陣鼓を鳴らしながら立ち去ったという」
A「惜しい漢を亡くした。そのことだけは、さすがに認めざるをえんところか」
F「僕の曹操評は、2回先の『曹操孟徳』でやるので、ここでは触れないでおくことにして」
Y「……どこまで袁紹が好きなんだ、お前は? どうしても曹操と同列に扱いたいらしいな」
F「さて、劉備。馬良・伊籍に次いで廖化から事の次第を聞いた劉備は、自ら出陣すると息巻いたものの、関羽が死んだとの正式な報告を受け、三日に渡って慟哭したという。ようやっと復帰(この頃にはすでに曹操が死去)して最初に命じたのは、劉封・孟達を処刑することだった。これには、外地で軍勢を擁していることから性急にことを進めては余計な乱を起こしかねないと、孔明の策でとりあえず両者を離すことから始める」
A「ところが、孟達にそのオハナシが届いたモンだから、追い詰められた孟達は魏に寝返る。孔明さんはここぞとばかりに、劉封に兵を与えて孟達を討伐させようとしたけど、返り討ちに」
F「いつかも云ったけど、孟達は強いぞ。孔明を含む劉備軍団首脳陣の動きを察する諜報能力と、そのまま劉封を打ち破る戦術指揮能力を有していたワケだから。ために、曹丕(後を継いだ。詳細は次回)はこの男を重用したとか」
A「とても信じられんわ」
F「不幸だったのはむしろ劉封だ。成都に逃げ帰った劉封は、関羽を見捨て孟達に負け上庸を失ったことを激しく責められた。孔明に云わせれば、劉封の武勇はいずれ害になる。ために、そのまま処刑されている」
A「孟達にたぶらかされたンじゃなかったっけ?」
F「それは演義での創作だな。演義では『阿斗サマが生まれているのにどうして養子を迎えるのです』と関羽に発言させることで、そのことを孟達に云われた劉封が、関羽を見捨てる心理になっている。でも、実は、正史で劉封が劉備の養子になるのは、阿斗サマが生まれる前なんだ」
A「ぅわっ……相変わらず凄まじいな、演義の時間・武将調整は」
F「羅貫中の巧妙さは劉封関連のエピソードでも遺憾なく発揮されていたワケだな。ちなみに、正史では『武勇に長ける』だの『孔明は、その武勇を危険視した』だのと、やけに高い評価をされている。阿斗サマが生まれちまったモンだからいち武将みたいな扱いは受けていたけど、なまじ武将として優秀だったから悲劇を招いたような状態だな」
Y「まぁ、長生きしていたとしても、関羽の代わりは勤まるまいがな」
F「呂布亡き後の三国志世界最強の武将たる関羽が死に、その後を追うように曹操も死んだ。乱世の姦雄と称されながらも決して漢王朝を害そうとはしなかった能臣の死によって、ひとつの時代は終わる。その辺の推移については、次回に回すことにして」
A「あ、いつものお時間か」
F「続きは次回の講釈で」
Y「……肝心の曹操はあまり語ってないがな、やっぱり」