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私釈三国志 77 関帝崩御

A「……いや、『関羽戦死』じゃなかっただけいいが、崩御って皇帝レベルにしか使わない単語では?」
F「実はタイトルにも内部規約があるンだ。人名は一度しか使えなくて」
Y「関羽はかなり早い段階で使ってたな。しかし、それなら呂布を使ってないのはどういうことだ?」
F「いや、何となく。さて、関羽の快進撃に、さしもの曹操でも震えあがって遷都を考えた……というのが前回。それを制止したのが余人ならぬ仲達そのひとで、実は関羽北上の裏にはこの男の暗躍があった」
A「ん……? 関羽の裏に、か?」
F「時系列で見ていくと判りやすい。まず、劉備が漢中王に即位したのを怒り狂った曹操は、自ら兵を挙げると云い出した。仲達はそれを制して『孫権をけしかけて荊州に攻め入らせましょう。劉備が関羽の救援に向かったところで漢中に兵を出せば、今度こそ劉備を倒せましょう』と進言する」
A「孫権は、これに乗ったわけじゃないよな?」
F「孫家にひとナシと思うてか? 参謀のひとりが『曹操に、先に兵を出させましょう。曹仁が動けば関羽も北上し襄樊に向かうはず。その背後を突けば、荊州は我が物となりましょう』と云い出した」
A「……!? そのままの、事態になるのか……!?」
F「無論、孔明のところにも、曹操が孫権に使者を送ったのは届いている。そこで孔明は、劉備に『先制攻撃をしかけましょう。関羽に樊城を攻略させれば、曹操も震え上がるはずです』と進言する」
Y「おいおい、何云ってンだあのアホは」
F「この、呉の参謀が誰だったのかはいずれ触れるが、この時点での三国の参謀でもっとも目端が利いていたのは、その男だったと云っていい。ともあれ、関羽はうっかり北上してしまった」
Y「そこで、孫権も動く?」
F「うむ。仲達の進言を容れて、曹操は、徐晃を派遣して樊城の守りを強化する一方で、孫権に『長江の南を与える』として兵を出すようけしかける。荊州が手薄になったのを確認した呂蒙は、ついに兵を動かして荊州を盗ると豪語した矢先、病に倒れた。こんな大事なときに何事だーっと、孫権軍は動揺する」
Y「誰かの謀略か? 陳登はすでに死んでいたはずだが」
F「孫権の謀略だ。代わって、西方前線の指揮を任されたのが、若手の陸遜。文弱の若造と聞いた関羽は、安心(というか、油断)して、残していた荊州の守備兵をも北に向ける」
A「荊州を手薄にさせるための謀略なんだよ」
Y「なるほど」
F「……呂蒙に云わせれば、陸遜にないのは名声だけ。呂蒙なら警戒もするけど、聞いたこともない男が守りについたと聞いて、いよいよ関羽は油断したのね」
A「もちろん、病気ってのも仮病で、出陣の準備を整えていた……と」
F「かくして、呂蒙は動いた。早船に兵を引き連れて、手薄になった荊州へと攻め入り、瞬く間に諸郡を平定。この時呂蒙は配下の兵に『民衆には手出しするな!』と厳命し、自分と同郷の兵が『国家の鎧を濡らすわけにはいきませんで……』と民家の笠を拝借すると、これを処刑して軍規をただしている」
Y「孫家の軍勢とは思えんな」
F「虞翻の説得に士仁が降伏、士仁に説得されて糜芳も降った。帰るところがなくなったわけだけど、前線にいる関羽にはそんなコトが判らない。曹仁が樊城を堅く守っていて、援軍の徐晃が来るまで持ちこたえていたンだね」
A「確か『蒼天航路』では、関羽の城攻めはコレがはじめてって書いてあったけど」
F「関羽の人生では、おおむね野戦がメインだったのは事実だな。演義では長沙を攻め落としてる(正確には長沙の自滅)けど、『蒼天航路』にはそのエピソードがなかったし」
Y「すぐに出るお前の頭は、素直に凄いと認める」
F「いいとこなかった曹操軍では、徐晃が見せ場を作った。関羽とまみえた徐晃は、戦場とは思えない親密な会話を交わすんだけど、それが終わると大斧を振り回して『あの長ひげを討ち果たせ!』と兵に命じる。驚いた関羽は『おいおい、それは冷たいンじゃねェか?』と声を上げるものの、徐晃は『コレは国家の大事だからなっ!』と突っぱねた」
Y「いつぞやの于禁といい、この時の徐晃といい、曹操軍の武将は公私の分別ができてるな。それに比べて……」
A「なんだよう!?」
Y「劉備の配下連中と来たら、戦場で敵将と仲良く語りあうわ、後方では味方とタイマン張りたがるわ、新参者(馬超)は君主を字で呼ぶわ……。軍規というものがまるでなっちゃいねェな」
A「ぐむぬぬぬぬっ……!」
F「馬超がそんなコトしたら関・張より先に法正がまず怒る、とどっかに書いてあったと思ったけどな……どっちにせよ『ありえねェ』って書いてあったし。ともあれ、公私の別がついていたのは曹操軍、判っちゃいねェのは劉備軍、そして、私の感情を公の場に持ち込むことで関羽を追いつめたのが呂蒙なんだが」
A「んっ……」
F「話を戻すと、激戦に次ぐ激戦で糧食が乏しくなっていた関羽は、徐晃の猛攻を抑えきれず、救援の使者として馬良と伊籍を益州に送り、自身は荊州へと退きあげた。そこで、荊州の陥落や糜芳・士仁の降伏を知る」
Y「やっとかい」
F「民衆に紛れて情報操作することで戦意を高揚させる、というのを『龍狼伝』で陸遜がやってる(赤壁の前だったが)けど、呂蒙はこの時、民衆の支持を得ることで、後方で何が起こっているのか関羽に伝わらせないように情報を操作した。呂蒙の諜報能力には、極めて高い評価をつけていいよ」
A「前にも云ったけど……この野郎はホントに、敵に回したくないタイプだぞ」
Y「そうか?」
A「社会の裏と表に通じ、それをどう利用すれば目的達成に結びつくか、的確に判断できる。敵を貶めるためなら、自分の評価や立場を落としても意に介さない潔さ。晩学とはいえ高く評価される智略と、先代の頃から戦い続けていた戦闘力。周りからの評価は低いかもしれんけど、少なくとも上司と部下からは認められる、その能力」
Y「……あ?」
A「世界でいちばん厄介な野郎にそっくりなんだよ……。正直、健康面に付け込む以外、勝てる気がしない」
Y「……んーむ」
F「えーっと……何のオハナシ?」
A「呂蒙の。荊州の民意を得ていたんだよな?」
F「あ、うん。留守を襲われたことについて詰問に来た、関羽からの使者を手厚く扱いながらも、民衆……関羽の兵士の家族に、いかによく扱われているかを話させる。いざ戦場に出てみれば、その家族が帰ってこいと叫ぶものだから士気はまるで上がらず、夜毎に兵たちの脱走が相次いだ」
Y「ずばり聞こう、幸市。お前ならどうした?」
F「走為上! 尻尾を巻いて逃げるしかないね……。致命的な状況に陥る前に、なけなしの兵で囲みを破って、劉備のもとに逃げ帰るよ。僕が呂蒙なら、それをいちばん警戒するけど」
A「……だそうだ」
Y「打つ手なしか……」
F「何なのさ……? で、関羽の――致命的な状況に陥った――軍勢は、やむなく麦城にこもる。廖化を上庸に送り援軍を求めるけど、孟達や劉封は『出ても死ぬだけだよなぁ……』とそれを拒み、廖化は泣きながら成都に向かった」
Y「戦略的には……正しい判断か?」
F「僕が孟達の立場なら、兵を出したンだけどなぁ。荊州を取り戻すことはできなかっただろうけど、関羽を救うことは、孟達ならできたはずだ。先のオハナシになるけど、兵を出さなかったことで孟達・劉封は自滅する。それはともかく、関羽の元に瑾兄ちゃんがやってきた」
A「降伏勧告だな」
F「降れば家族は安泰で、おまけに荊州もやろうと孫権は云っている、と瑾兄ちゃんは伝えるんだけど、関羽は劉備に仕えて死ぬと突っぱねた。夜半にわずかな兵とともに麦城を出て、益州を目指したものの、孫権の軍勢に捕らえられる」
A「捕らえた関羽を、孫権でもすぐには殺す気になれず、配下に加えたいと望んだものの『彼を生かしておいたがために、曹操がどうなったのかお忘れですか』とけしかけられて、ついには処刑した……だな」
Y「あっさりしたモンだな、一世の英傑の最期を」
F「……関羽とは何者であったのか、という問題は、その死を語る際に避けては通れない問題だと思う」
Y「ぅわ……何か、真顔で云い始めた」
F「程cは関羽・張飛をして『兵一万にも匹敵する』とまで絶賛している。ところが、武勇はともかくその人格には、ずいぶんな問題があってねぇ」
A「関羽は下々には優しいけど人格は傲慢で、張飛は目上の者にはへいこらするけど部下には厳しい、だったっけ」
F「うむ。呂蒙……というか孫権が、関羽との対決を決意した原因のひとつが、関羽が孫軍の食糧庫を略奪したことがあげられる。なぜ関羽がそんな真似をしでかしたのか、判るか?」
A「樊城を攻めあぐねて、食糧不足に陥ったのか?」
F「その前に于禁が降伏しただろ。自軍への補給は部下の趙累が手配していたンだけど、さすがに于禁の軍勢まではまかなえない。そこで、捕虜の食糧をどうにかしようと拝借した……というのが真相みたいで」
Y「……おいおい」
F「捕虜を生かすために、他方面の敵に侵攻する口実を与え、ついには自分も死に至ったワケだ」
Y「バカなのか、そうでないのか……」
F「そもそも、孔明さんが出陣前に『孫権とは仲良くしなさい』と云い遺していったのに、それを忘れて孫権と対立したくらいだからなぁ。それも、縁談を断るのに非道い台詞を口にして」
A「虎の子を犬にやれるか、だっけ。まぁ、関羽から見れば孫権の子なんてそれくらいの……」
F「孫パパが董卓からの縁組をどう云って断ったのか、確認してみろ。出典は忘れたが第7回だ」
A「……ぅわっ!?」
Y「こりゃ、息子は怒るわな……。懐かしいエピソードだが」
F「また、北上するにあたって、後方を安定させるために趙累を送って諸将を監視させましょうと進言されても『糜芳や士仁は長年ワシとともに戦ってきたのだ、心配いらん』と、趙累を手元にとどめて糜芳や士仁を野放しにすることで、呂蒙に付け入る隙を与えている」
Y「五虎将就任の時のエピソードといい、演義での関羽はつきあい重視か」
F「仕方ないと思うぞ。長年の部下と新参の部下、どちらに大役を委ねるかと聞かれて、新参者に任せる奴はそういないだろう。一歩間違えば全軍が崩壊するような局面では、能力より関係を重視したくなるモンだ」
Y「で、一歩間違えたと。……前回のラストで曹操サマの発言を乗せたのは、関羽との対比か?」
F「云わなくても気づいたのは偉いな。……もっとも、もっと云いたいことには、アキラが気づいているようだが」
Y「ん?」
A「ふぅ……。前回、この雪男はこんなことを云ったろ?」

 ――孫子の兵法には『名将は人員に頼らず勢いで勝つモンです(原文 故善戦者 求之於勢 不責於人)』ともあるし。

 ――(劉備は)関羽を動かした。関羽なら、洛陽を抜き、曹操勢力の分断に持ち込めると期待して。

A「荊州での戦闘を、勢いではなくひとに求めたと云ってたンだよ。負けるべくして負けた、とでも云いたいのか」
Y「……こうしてみると演義の関羽は、かなりアレな性格だな。劉備と桃園で『死ぬときは一緒』と誓ってきながら曹操に降り、その曹操に大恩を受けておきながら五関六将を斬って遁走。荊州を任されたのに曹操・孫権をまとめて敵に回し、挙げ句の果てにひとりで死ぬんだから」
A「刺すぞ!?」
F「孫権の前に引き出された関羽と関平・趙累は、それでも降ることを潔しとせず、処刑された。麦城に残った兵たちも降り、孫権の征西は成功を収めたことになる」
A「腹の虫は、収まりがつきませんがね!」
F「では聞こう。ここで命乞いをする関羽が見たいか? 先に見た、于禁のような情けない姿を」
A「……いや、それは見たくない。でも、壮絶な最期を遂げたのは確かだけど、あの死に方には納得がいかんのだ」
F「オレから云えるのはひとつだ。あそこで降ったら、それは関羽じゃない」
Y「……関羽のことは、好きなのか?」
F「若気の至りだ」
Y「あぁ、75回のオープニングか」
A「お前だったンかい!?」
F「まとめるが、正史三国志における関羽の記述は、原稿用紙にすればわずかにして二枚半。それに数倍する裴松之の注が、関羽という武人を男の中の男へと祭り上げた。その傾向は、漢民族の王朝が代を重ねるごとに強くなっていく」
A「関羽という武将を称揚することで、武将たちに『ああなりなさい』と説教するための象徴として……だな」
F「その通り。高慢ちきで戦略というものが判っちゃいない武将だった関羽は、いつしか智勇兼備にして文武両道の名称へと変質し、ついには漢民族の守護神として世界各地の関帝廟に祀られるようになった。三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君――関帝。その最期を、前回同様余人ならぬ曹操孟徳の言葉をもって締めくくる」

 ――おお関羽……関羽! あのままワシに仕えておれば、こんなことにはならなかったのに……!

A「って、最期の締めくくりにふさわしい台詞か、コレが!?」
Y「ぶははははははははっ! いい、やっぱりお前最高!」
A「笑うな、ヤスも!」
F「続きは次回の講釈で」
A「聞けーっ!」

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