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私釈三国志 76 龐徳戦死

F「えーっと、そんなわけで関羽が北上した辺りからオハナシを再開……」
A「前振りナシでツッコむけど、何でこのタイミングで北上するンだ? 縁談の申し出は断っておいて、孫権の狙いには乗るなんて」
Y「下手にコイツを喋らせても、劉備をよくは云わんと判っているようだな」
A「判りもするわ」
F「いや、前に云ったと思うけど、劉備が嫌いなわけじゃないぞ? ただ、評価はしたくないだけで」
A「その心は?」
F「劉備を評価するということは、ある意味においてヒトラーを評価することになるンだ。歴史という棺桶に片足突っ込んでる身としては、それを避けたくて」
A「劉備とヒトラーがどこからどーつながるのか、想像もつかねーよっ!」
F「詳しくは『劉備玄徳』を待て」
Y「……云い切ったな」
A「がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
F「それはさておいて。実は、戦略的に見るなら、関羽が北上したこのタイミングはそれほど間違いではない」
Y「その心は?」
F「前回見た通り、曹操が魏王に就任したことに、保守派はいくらか反発していた。表面上のオハナシになるが、荀ケや荀攸が死んだのは、曹操の専横に反発したからとなっているくらいだ。つまり、この頃の曹操は、いささか足許が揺らいでいた状態でな」
A「……ふぅーっ。加えて、腹心たる夏侯淵の戦死や、漢中の失陥だな」
F「うむ。その2点は、曹操軍中に動揺を生じさせると同時に劉備軍には勢いを与えた。戦勝の勢いを殺すことなく、その勢いで連戦しようともくろんだワケだな。孫子の兵法には『名将は人員に頼らず勢いで勝つモンです(原文:故善戦者 求之於勢 不責於人)』ともあるし。ただし、戦略的にはともかく、政略的には極めてまずかったが」
A「始まったぜ……」
Y「まぁ、聞こうじゃないか。何がまずかった?」
F「そもそも劉備軍団のマスタープランたる『天下三分の計』には、荊州・益州を抑え、益州から劉備率いる本軍が長安方面に、荊州からは別動隊が洛陽方面に兵を進めるという青写真があった。ところが、益州はまだ劉備に心服しているとは云い難く、漢中にしても攻め取ったばかり。また、劉備の益州侵攻・攻略戦、さらに漢中攻略と、長年の戦闘が経済的にも負担だった。つまり、本軍が大軍勢を動かせる状態にはなかったのね」
A「むぅ……」
Y「かつて袁紹が、息子の病気を理由に兵を出さなかったことがあったが、その時とはまた違うのか」
F「アレは袁紹が兵を出したくなかったンだけど、この時の劉備は出したくても出せなかったンだよ。曹操の政権が揺らいでいるように見えた、今こそが攻め時と思っても、自分たちの足許もしっかりとはしていない。そこで、関羽を動かした。関羽なら、洛陽を抜き、曹操勢力の分断に持ち込めると期待して」
Y「孤軍では、上手く行けるはずもないとは思うが」
A「それ以前で、ついさっき聞き捨てならない発言があったような……」
F「ともあれ、実際の戦闘の推移を見ていくけど、さすがは呂布亡き後の三国志世界最強の武将だけあって、この北上は意外と上手く行く」
A「意外ゆーな」
F「かつて劉表が拠点としていた襄陽を、荊州の曹操軍も拠点にしていた。フビライの時代には襄樊と呼ばれていた城市で、厳密には、長江の北が樊城、南が襄陽だ。曹操軍の守将は曹仁で、樊城に駐留していた」
A「……ん? 何で、北岸に張ってるンだ? 関羽はどうあがいても南から来るだろ?」
F「実は、関羽北上の前のことなんだが、樊城の北にある宛城の守将が、関羽に寝返る変事があってな」
Y「おいおい……」
A「揺らいでる、揺らいでる」
F「鎮圧には曹仁自ら乗り出したくらいだから、連鎖を恐れたンだろうね。そして、たぶんその頃から、関羽は北上の準備を整えていたと見ていいだろう。軍勢は曹仁と激突したものの、あっさり城内へと追い詰め、樊城を包囲した」
A「手をこまねいている曹操じゃないよな?」
F「さすがに自ら出陣するのは控えたものの、宿将の于禁に龐徳をつけて、曹仁の救援に向かわせている。……まぁ、演義でのオハナシなんだけど」
A「へ? でも、龐徳、この戦闘で死んでるだろ? 『蒼天航路』でもその死に様は……」
F「あー、それは事実。でも、正史だとちょっと違って、宛城での叛乱平定の頃から、龐徳は樊城に来ていたンだ。正史で救援に来たのは于禁だけ」
A「微妙に違うのか? 何でまた」
F「関羽に包囲された樊城では、笑えない噂が流行した。――龐徳が、旧主の馬超や兄(いとこ? 記述が一定していない)の元に帰参したいと考えている、と。演義では、この噂を出陣前の于禁に聞かせることで、于禁が龐徳を疑いの眼で見るように仕向けたンだね。実際に(演義の)于禁は『アイツは信用できません!』と曹操に訴え出て、曹操もいったんは命じた先鋒から龐徳を外そうとしたくらいだ」
Y「曹操でさえそんな扱いをしたってことは、かなり信憑性があったンじゃないか?」
F「悲しいねぇ……。龐徳は曹操に直談判して先鋒に復帰し、『関羽を入れるか自分が入る!』と棺桶を用意させた。そして、妻に子供をしっかり育てるよう云い残し、戦場へと向かっていった」
A「完全な死亡フラグだな」
F「いざ戦場に来た龐徳は、鬼神もかくやという戦いぶりを見せる。関羽の養子(正史では子とのみ記述)の関平を一蹴すると『親父を出せ!』と豪語し、実際に来てしまった関羽をも相手に互角のタイマンを見せる」
Y「……どこまでバケモノだ、こいつは?」
F「ところが、于禁との間にあいた溝は、埋まることがなかった。龐徳が戦功を立ててはならんと、そのタイマンの最中に引き上げの銅鑼を鳴らす。やむなく引き揚げた龐徳だけど、この時の奮闘ぶりは正史・演義を問わずきちんと描かれているくらいだ。特に弓勢は抜群で、演義では関羽の肘を射抜き、正史では額を射抜いている」
A「……死なない?」
F「死ぬと思うンだが……ね。さて、そんな激戦のさなか、関羽軍がどうしたわけか高台に陣を構えた。何事だろうと曹仁も于禁も手を出しかねていると、時ならぬ大雨が降りだす。たちまち戦場は水浸しになり、低地に陣取っていた于禁の軍勢は、身動きが取れなくなってしまった」
A「そこへ関羽が舟を出す」
F「こうなってはどうしようもない、と于禁は関羽に平伏して降伏し『命だけは助けてください!』と命乞い。対して龐徳は、小舟を奪っては包囲を切り抜けようと奮闘する。演義では周倉に捕えられるンだけど、正史には周倉がいない。関羽と戦って、ついには斬り死にを遂げた」
Y「立派な最期と云っていいだろうな」
F「先に見た、救援軍の編成を羅貫中が変更したのは、この辺りに目的があったンだろうな。正史・演義問わず関羽に降伏する于禁を、さらに人格的に疑い深く嫉妬深い武将に仕立て上げることで、龐徳を誠実で高潔な武将に仕上げ、その最期をさらに際立たせた。歴史的に見るなら龐徳は、馬超を見捨て張魯を裏切り、曹操についた武将だ。あるいは……という気もしなくはない」
A「裏切りの噂は、真実だったと?」
F「その割には、関羽相手に無駄に奮闘したンだよなぁ、この男……? ともあれ、この対比を締めくくる発言を、余人ならぬ曹操が御自ら述べられている」

 ――ワシに30年仕えてきた于禁が、新参の龐徳に及ばぬとはなぁ。

F「かくして、于禁は降服、龐徳は戦死、樊城は包囲と水責めの危機に陥る。この苦境に、許都の南の住民が関羽に呼応し、反曹操勢力が膨れ上がった始末だ。さしもの曹操でさえ、鄴への遷都を考えたほどだった」
Y「――だが」
F「うむ。のちに孔明のライバルと称される仲達そのひとが進み出て、この状況を打破する策を進言した。荊州をめぐる抗争は、ついに最終局面を迎える」
Y「官渡の戦いを思い出すな」
F「ぎくっ」
A「はへ?」
Y「この連載の官渡編、はじまりは『顔良戦死』『文醜戦死』からだっただろ」
A「つーことは、次回のタイトルは……」
F「続きは次回の講釈で」
2人『平気な顔してごまかすな』

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