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私釈三国志 75 荊北動乱

F「最初に云っちゃいますが、今回から3回に渡って、三国入り乱れての荊州争奪、そして関羽の死についてのオハナシになります」
A「……ついに、か」
F「確認しておくと、関羽という御仁はのちに三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君という諡号を送られた、漢民族にとってのある種の神。ために人気は抜群で、三国志演義を読んでいた子供が、関羽の死に泣き崩れてがっこうにも行けなくなった……というエピソードがあるくらいで」
A「そんな神号が素で出るのは素直に凄いと思うが……ナニしてンだ、お前は」
F「若気の至りですな。ともあれ、鄭泰や禰衡は外せても関羽抜きでは三国志を語ることはできないのは自明。ために、その死についてはしっかり語ろうかと思う次第です」
A「その変態2匹は、二度と挙げるなと願ってやまない」
F「やかましい。さて、孔明の本性が判る発言は71回で見た通り」
Y「演義では大軍師と思われている孔明だが、実際は欲ボケた野郎だったというオハナシだな」
F「その演義での台詞だからなぁ」
A「よってたかって孔明をあげつらわなくてもえーやん!」
Y「あげつらってるンじゃない、歴然たる事実だ」
A「ちくしょーっ!」
F「はいはい、仲良くしなさいなアンタたち。というわけで、劉備は漢中王に即位した。この地……漢中は、かつて劉邦が漢中王という名目で左遷されながらも、天下を盗るに至った拠点で、国号の『漢』もこの地から来ている」
Y「その割には、前漢・後漢を通じてないがしろにされてたよな」
F「何と云っても交通の便が悪すぎるからねぇ……もとは罪人の流刑地だったのも、以前『漢楚演義』で触れた通りだが。その割には、光武帝(後漢初代皇帝)も益州から天下を盗ったンだが」
A「天下盗りのコースとしては、順当だったワケか?」
F「益州は漢土の最果てと云っていい。というか、その領域の半ばは南蛮や西戎に面する蛮夷の地でな。ために、誰かの謀略によるものでもなければ、少なくとも西と南からは大規模な侵攻を受けることはないンだ」
Y「後顧の憂いがないということか?」
F「ないとまでは云わんが、少なくとも薄い。かつて公孫度が考えたのはその辺りの事情なんだが……まぁ、それはいずれ触れることにして。山脈を抜ける細い桟道を封鎖してしまえば、北や東からも侵攻を受けなくなる。天険の要害だな。ために、侵攻する側の拠点にはもってこいで」
Y「じゃぁ何で劉備は失敗した?」
A「やかましい!」
F「それは『劉備玄徳』でやろうと思っていたンだが……はっきり云ってしまえば、相手と状況が悪かったンだ。そもそも劉備が漢中王に即位したのは、経済的にはともかく政治的には、この2年前に曹操が魏王に即位したことへの対抗措置にすぎない。『天下三分して魏その七を得る』とまで云われた曹操への、な」
Y「実力としてはともかく名目としては同格になることで、対抗したいという意思を示したワケか」
F「これも『漢楚演義』で見ているが、漢王朝には『劉姓にあらぬ王が出たら、天下を挙げてこれを討て』という大原則がある。約四百年ぶりにこれに背いて生まれたのが曹操という魏王だが、実際保守派の反発は激しかったらしい。ところが、出自は怪しいモンだがいちおうは劉姓だったから、劉備の漢中王即位はあっさり進んでいる」
Y「傍から見てる分には、地方軍閥のヘッドが辺境で何かしだしたけど、そんなモン気にもならないってところじゃないのか……どーした、アキラ」
A「劉備および蜀への悪口なんて、アキラ聞きたくありません……」
F「……判った、判った。劉備が漢中王に即位したのは、好意的に受け止められた。これでいいか? ンで、漢中王に即位した劉備は、群臣を封じて報いた。……名実ともに、とは云えない状態なのがこの頃の劉備の限界だが」
A「西の果てだからなぁ……。国力で劣っていたのは認めざるをえないぜ」
F「ともあれ、諸将もある程度は昇進した。特に関羽は前将軍に任じられ、事実上の大将軍として荊州の全権を委ねられていたというのも、71回で見た通り」
A「関羽を恐れて曹操も孫権も、手出しできなかったワケだからなっ♪」
F「孫権は出したけどな。66回で触れた武力衝突だけど、その時は、魯粛の仲裁で何とか事なきを得た」
Y「だが、その魯粛はもういない」
F「ここで瑾兄ちゃんが後任になれていたらよかったんだろうけど、大都督に任じられたのは呂蒙だった。対西強硬派にして魯粛が認めた切れ者だけど、もともとは武官で、孫策時代から孫家に仕えていた武将」
Y「俗に云う『呉下の阿蒙』だな」
F「『〜に非ず』の方だ。三国志でも有名なエピソードのひとつだな。呂蒙と蒋欽は戦場では数多の功績を挙げた勇将だったものの、学はいささか乏しかった。それを見かねた孫権(というか、たぶん魯粛辺りが孫権に諫言したと思われる)が『お前ら、もーちょっと勉強しろよ』と注意され『いやぁ、軍務で忙しくて本なんか読んでられないっスよぉ』と聞き流すンだけど、その時、孫権が応えた台詞が際立っている」

『お前らは、君主のオレより忙しいとでも云いたいのか?』

Y「しごくまっとうな意見だな」
F「……続けて孫権は『なにも学者になれとは云わんよ。賢明なお前らなら、少し書に触れればモノにできるだろうからな。曹操のボケジジイだって学への追及は続けてるんだ、史書でも読んでみろ』と説教する。云われた呂蒙はしぶしぶ書物を読み始めるが、読んでみるとコレが面白い。たちまち儒者をも上回る知識を誇るようになった、と」
A「で、魯粛をやりこめるんだっけ」
F「呂蒙を訪ねたところ、荊州の情勢について的確な進言をしたモンだから、その背中を叩いて魯粛は感嘆する」

『コイツは驚きだ! てっきりただの武辺者と思っていたが、これじゃもう、呉の蒙ちゃんなんぞと呼べないな』
『漢ってのは三日も会わなけりゃ、見違えるほどに進歩するモンさ』

F「俗に『呉下の阿蒙に非ず』(呉の蒙ちゃんなんて呼べないなぁ)という故事だな」
A「敵に回すのは避けたいタイプだよな……。こんな野郎が孫呉の軍権を握ったら、えらいことになるぞ」
F「そう思ったのはアキラだけじゃないんだが、その辺はのちに触れる。というわけで、魯粛の後を継ぎ荊州の抑えに入った呂蒙は、関羽に強硬な姿勢を見せていた。関羽の側でも呂蒙の軍略――例の武力衝突では、呂蒙はほとんど戦わずに荊州南部を平定している、に警戒して防御を固めている」
Y「確か、呂蒙の勇名に震え上がって、郡を上げて降伏したのがふたつだったな」
F「ところが、そんなピリピリムードの荊州に、成都からのほほんと使者がやってきた。劉備サマが漢中王に即位しましたよー、おめでたいですよー、みたいな使者(名は費詩)で、演義では関羽に五虚将の首座たるべしとも伝え……」
A「いや、見逃すところだったが五"虎"将! それ、虚名の"虚"だから!」
F「おおっと、うっかりミス! ワシも年じゃのぅ……。ところが、他のトラさんが張飛・趙雲・馬超・黄忠と聞いた関羽は怒り狂った。張飛は義弟、趙雲も弟みたいなもの、馬超は馬援以来の名家だから仕方ないとして、黄忠のような老いぼれと同列に扱われるのは気にいらん! と云うのね」
Y「正史では『新参者の馬超が、態度がでかいそうじゃねェか。ちょっとヤキ入れてやりたいンだがね?』と脅迫状を送りつけたが、孔明におだてられて機嫌を治したってエピソードもあるがな」
F「ともあれ費詩は『陛下と将軍は兄弟であらせられるのですから、位がどうのと気にする間柄ではないでしょう』とやんわり説得。関羽は自分の態度を恥じて、五虎将の首座を受け入れた、と」
Y「この頃だったか? 諸葛瑾が持ってきた、関羽の娘と孫権の息子の縁談を『虎の子を犬にやれるか!』って突っぱねたの。相当高慢ちきな野郎だな」
A「いや、その縁談、計略だから。孫権は、関羽と誼を結んで北上させて、荊州北部に駐留していた曹操軍(主将は曹仁)を攻めさせようとしたワケだから」
F「懲りないよな、孫権は。劉備相手に同じコトやって、失敗してるのに」
A「ぅわ……云われてみれば、まったく同じこと!? 妹嫁がせて荊州を間接支配し、曹操にあてようとした」
F「関羽の知らないオハナシなんだけど、この縁組には裏事情がある。劉備が漢中王になったのが、当然曹操には気に入らない。そこで、孫権を動かして劉備を攻めようとした。孫権が荊州に兵を入れれば、劉備が益州から援軍を出す。そこを狙って兵を進めれば、益州を攻め取るのはワケもない……という仲達の策だね」
A「でも、瑾兄ちゃんとしては劉備との関係がこじれるのは好ましくない。むしろ関羽と縁組して、北荊州を共同で攻めよう……みたいな進言をしたんだよな」
F「外交ってモノができない関羽は、それを拒んだけどね。かくして関羽は、曹仁の守る北荊州を攻め取るべく、孤軍なれど兵を挙げた。糜芳・士仁に後方を任せて、廖化を先鋒に北上する。ちなみに、中国には『廖化当先鋒』という諺があって、意味は『人材不足』」
Y「先が見えたな」
A「やかましい!」
F「続きは次回の講釈で」
A「フォローしてくれ、頼むからっ!」

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