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私釈三国志 72 三国演義

F「ご無沙汰しておりました、皆さま。そして、お待たせいたしました、皆さま! 本日、ここに『私釈三国志』の再開を、宣言いたします!」
A「わーわー!」
Y「3ヶ月の『漢楚演義』を経て、ようやっと再開だからなぁ。長かったぞ、実際」
F「謝りはしないがな。えーっと、復活第一回なので、そんなに大それたことはしないでおく。というわけで、今回はいつぞややると云っていた、三国志演義成立当時のご時世について」
A「1回で済ませる、と云ってたアレな。実は、けっこー楽しみにしてたンだけど」
Y「これだから、演義至上主義者は……」
F「いちおう列挙しておくと、三国志には正史と演義(と、それ以外)がある。えーっと……まとめるか」

正史:著者は陳寿。晋代の成立。魏を正統とする、黄巾の乱から晋の成立までに関わった人物の紀伝体形式の歴史書。
演義:著者は羅貫中。元末明初の成立。正史をベースに蜀を正統とした、歴史小説。黄巾の乱から始まるが、孔明が死んだくらいで終わるモノもある。
それ以外:演義以外の古書・民間伝承(いわゆる柴堆もの)など。

F「厳密に分けるなら正史とそれ以外、だな。正史とは、国家公認の歴史書であって、正しい歴史書というわけではない。そのため、それ以外の方が歴史的には正しいことを書いていたりする場合もある。……まぁ、どっちが正しいのかってのは判断するヒトの主観になってくるかもしれんが」
Y「時々思うンだが、そもそも"正史"って呼び方がどうなんだ? 官史とかそう呼んだらいかがなものか」
F「意見としては面白いな、それ。そもそものニュアンスがそうだし。ともあれ、正史は紀伝体と呼ばれる形式で書かれている。これは、著者の主観で選ばれた人物群を伝記にまとめたもので、読みやすいという大きな利点がある」
A「いや、読みやすいか? 昔さわりだけ読んだけど、正史ってどうにも読みにくいぞ」
F「紀伝体に対する記述方式を編年体と呼ぶけど、これは平たく云うと、ある特定の事件に誰がどう関わったのかを掘り下げて書いていく形式だ。いちばん判りやすい実例を挙げると、社会科の教科書だな」
Y「偉人の伝記と教科書とでは、どちらが読みやすいかは判りきった話だな」
F「僕らの世代ならまだしも、最近は伝記って読まれなくなってるらしいけどねぇ。で、対して演義は黄巾の乱から晋の成立までを描いた歴史小説だ。ために、著者・羅貫中の趣味や主観でずいぶん正史と様変わりしている。日本では、一般的に『三国志』と云うと演義を指す風潮があって、そのせいで、孔明は天才軍師、曹操は悪役……というステレオタイプな思い込みがなされているンだな」
Y「最近は、曹操が悪役って思い込みは覆りつつあるけどな」
A「残念ながら、曹操が再評価されているのは確かだな」
F「はいはい、仲良くしなさいなアンタたち。んー……『日本では』をもう少し追求しておくと、日本には、正史・演義に次ぐ第3の三国志として、吉川英治氏の三国志が存在している。新聞に連載され、戦後の三国志ブームを牽引した作品だけど、現実問題日本で『三国志』と云うと演義を指すのは、この作品の影響なんだよ」
A「横山三国志の原作だっけ?」
F「そゆこと。第4の三国志が、横山光輝氏が描いた全60巻の大作だ。現代では、吉川三国志を読んでいるひとはけっこう高齢者になるけど、横山三国志はときどき再販(コンビニ用のコンパクト版など)されていることもあって、若い層にも受け入れられている。三国志もののコミックは数多く出ているが、横山三国志の前ではどうしても小粒に見えてしまうのは悲しい事実だな」
A「面白いものも、それなりに出てると思うが?」
F「その辺も主観になるから僕としては何とも。それ以外に、コンピュータゲームでの三国志も挙げていいな。特にコーエー社のものは、本場中国に逆輸入されるくらい上質とされている。ツッコミどころがいくらでもあるンだが」
Y「おおむね5種類か」
F「日本では、な。今回触れるのは正史と演義、そして柴堆ものについて。まず正史だけど、これは、晋の時代になってから編纂されたものなので、曹操及び魏を正統として、劉備や孫権は地方軍閥のヘッド程度の扱いしかしていない。歴史的には正しい評価という気もしなくはないが、そのせいか劉備びいきの連中、つまり、演義好きな読者からは『陳寿は孔明を恨んでいたから、正史で恣意的に悪く書いた(だから、読んでやる価値もない)』というバカなことを云われる場合がある。あからさまによろしくない態度だな」
Y「聞いてるか、アキラ」
A「うるせーよっ!」
F「一方の演義は、正史成立から千年近く経ってから書かれたものなので、内容が『史実三分に虚構が七分』と云われるものに仕上がっている。つまり、正史やすでに成立していた(という表現もおかしいンだけど)柴堆ものや民間伝承から、面白いものを採用してあれこれとくっつけたモンだから、話としての整合性が取れていなかったり、いささかご都合に走りすぎている面もある。まぁ、だからといってオハナシそのものの価値には影響しないけどね。残念ながら僕は、人類史上コレより面白い読み物にはついぞ出会ったことがない」
A「ヤス、聞いてる?」
Y「やかましい」
F「さて、正史の成立については今回詳しくは触れないことにしておく。タイトルがタイトルだからな。演義の成立について語る場合、どうしても羅貫中、そしてその時代について語らないわけにはいかないンだが」
Y「どんな時代だ?」
A「長江三国志の時代だな」
Y「……何だそりゃ?」
F「元が衰えて、政権がモンゴル高原に追いやられつつあった時代に、長江流域で軍閥が衝突を繰り返していたンだ。蘇州一帯(長江下流)を誠王こと張士誠が抑え、湖北・湖南から江西にかけてを紅巾軍を経て大漢の陳友諒が支配していた。その間に、南京を拠点に紅巾のいち武将だった朱元璋が……と、みっつの軍閥が割拠していたワケだ」
A「三国志演義が、この軍閥同士の戦闘を参考に書かれたというのは有名な話だよな」
F「誠王は穀倉地帯をおさえ、貿易で経済的優位に立っていたから、その支配地域では文人・文化人がそれなりの活動を行っていたンだね。ために、羅貫中が現地に流れてきていたらしい」
Y「まぁ、ある程度のモデルがなければアレだけのものは書けんだろうが……」
F「その三軍閥で、もっとも地勢的・経済的に劣っていたのが、他二者の間に位置した朱元璋だ。本来ならいずれかの勢力に飲み込まれるはずだったのに、朱元璋の幕下にあったひとりの天才が状況をひっくり返してしまった。陳友諒との一大決戦を火責めで勝利し、それから4年後には誠王をも討って江南を統一している」
Y「……決戦を、火責めで?」
F「天才、名を劉基。演義における諸葛孔明のモデルとされる、朱元璋に天下を盗らせた張本人だ」
A「孔明が天才軍師とされているのは、羅貫中が劉基の働きを目の当たりにして感動したかららしいね」
Y「……そうかい」
F「まぁ、この時代も語り始めると1回や10回じゃ済まんから、軽く流すけど。羅貫中が三国志演義を書き上げたのには、まさにその時代が戦乱であったから、という軍事的なものがある」
Y「じゃぁ、政治的なものもあるのか?」
F「元の時代、中国三大奇習のひとつにして三大害悪の筆頭たる科挙が、積極的には行われていなかった。ために、文人の地位は『物乞いの上、娼婦の下』というレベルまで落ちていたンだね。ひとは喰わねば死ぬ。ために、民衆受けするものということで、この時代に三国志演義や水滸伝が成立した……という見方もある」
A「残りのふたつずつは?」
F「纏足と去勢、宦官と外戚。さて、正史・演義・その他もろもろと云うよりは、正史とそれ以外に分けるべき……とは先に述べた。それなら、なぜ演義は『それ以外』の中で堂々と君臨しているのか」
A「……ネームバリュー?」
F「はっきり云うとその通りだ。演義成立以前にも、民間伝承や柴堆ものは数多く存在していた。そして、それらは講談や芝居のかたちで民間にも流布していたけど、羅貫中の書き上げた三国志演義はそれらを追い抜いて、ほとんど正史と同列の地位にあると云っていい」
Y「じゃぁ、どうして演義はそこまで民衆に受け入れられた?」
F「最大の理由は、民間伝承や柴堆ものは武将や孔明の活躍の一部分を抜き出したものに過ぎないのに、演義は黄巾の乱から晋の成立までをしっかり通じて書いていたから、だ。演義成立以前にも三国志平話というものはあるにはあったが羅貫中はそれをも巻き込んで発展させることで、演義を『それ以外』の最高のものに押し上げたンだ」
A「……何事も、やり遂げた奴が賞賛されるってコト?」
F「そゆこと。また、それくらい、正史三国志を読みやすくまとめたものが求められていたことにもなるな。さて……そろそろ毎度のお時間か。それでは、これからも『私釈三国志』をごひいきに」
Y「どうぞ」
F「続きは次回の講釈で」
A「またよろしく〜」

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