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私釈三国志 70 漢中争奪

F「かくして、曹操率いる軍勢(演義に曰く四十万)が、漢中を守るべく出陣した」
A「劉備と曹操の直接対決って、赤壁以来か? えーっと……11年ぶりかな」
F「そうなるな。前衛を夏侯惇・後衛を曹休に指揮させ、自らは本軍を率いての出師だった。途中、亡き蔡邕の屋敷でその娘に面会して、曹洪と合流した」
Y「厳密には、夏侯淵戦死は合流後なんだがな」
F「それを云うな……。さて、曹操到着を聞きつけた劉備軍も、対策を協議する。軍勢が多勢なだけに、補給路を衝くのは常道。そこで、米倉山(地名)を黄忠・趙雲が攻めることになった」
Y「まだこの老いぼれをこき使うのか?」
F「んー……」
2人『とりあえず、お前は悩むな!』
F「いや、この間正史三国志をさらっと読み返したンだが、どこを探しても黄忠の年齢に関する記述はなくてね」
A「……中国では、高齢でも元気なヒトを『黄忠』と呼ぶぞ?」
F「ベテランという言葉はそもそも熟練兵を意味するんだけど、関羽が黄忠を老兵呼ばわりしたことから、羅貫中が高齢との設定を作った……という見方はできるな。まぁ、関羽よりは年上だったんだろうけど」
Y「まぁ、今更黄忠の年齢をあれこれ云ってもしゃーないな。お話進めて」
F「あ、はいはい。えーっと、黄忠が先発して米倉山を攻撃するんだけど、張郃・徐晃に囲まれてしまう。副将を趙雲のところに行かせようとするけど、その前には文聘と曹操本隊が立ちはだかった」
A「絶体絶命のピンチになったら、みんなで助けを呼びましょう。せーのっ」
Y「誰が呼ぶか」
F「呼ばれもせんのに来たのが趙雲だ。文聘隊にぶつかると当たるを幸いに斬り倒し、黄忠を救うべくまっすぐ前進。この時の趙雲の活躍ぶりは、演義71回に克明に記述されている」

 趙雲は大喝するや魏軍のただなかへと鎗を手に斬り込んだ。豪鎗を振るい、突き、引き、上げ、下げ、薙ぎ、貫く。鎗の刃先は血煙の中、梨の花が風に舞うように、粉雪が乱れ飛ぶように閃いていた。張郃・徐晃は恐々と震え上がり、それを阻むことはできず、黄忠はついに救い出された。
 戦い戦い走り出す。その行く手、あえて阻まんとする者なし。

F「高所で見ていた曹操は『長坂の英雄は健在であったか!』と嘆息し、相手になるなと伝令したほどだ。行きがけの駄賃に副将も回収して、趙雲は退きあげた」
Y「……相変わらず、この野郎は凄ぇな」
F「放ってもおけず張郃・徐晃が追いかけると、趙雲の陣には凄まじい光景が展開されていた。空堀の上に渡した橋の上に、趙雲が鎗を手にただ一騎で悠然と立ち、それ以外は何も見えない。旗も鎗もなく、陣鼓の音さえ聞こえてこない。門も開けっ放しなモンだから、どうしたものかと迷っていると、やっと来た曹操が攻撃命令を下した。全軍が前進してくるのに趙雲身じろぎもしないから、むしろ曹操軍が後ずさりを始める」
Y「おいおい……」
F「そこで趙雲、ついに攻撃命令を下した。空堀に潜んでいた兵が矢を射掛けると、曹操の軍勢は算を乱して逃げまどう。趙雲・黄忠の追撃に兵たちは次々と討たれ、しかも、孟達・劉封別働隊が米倉山を攻略していたモンだから、曹操はそのまま南鄭まで引き揚げてしまった。これを聞いた劉備は『子竜は一身これ肝だな!』と絶賛したという」
A「にゃっはっは〜。いやぁ、爽快爽快♪」
Y「演義はこれだから……」
F「まぁ、漢中争奪は、珍しく劉備が曹操に勝った戦闘だからねぇ。劉備びいきの三国志演義が、劉備軍をよく書くのも仕方ないことだろうな。……この『私釈』では、赤壁も劉備の勝ちだと見ているけど」
A「反論はしかねるけど、一般的には、赤壁では劉備、何もしてないって評判だからねぇ」
F「面白くないな……。さて、今度は徐晃が定軍山に攻め入るけど、趙雲・黄忠に返り討ちにあい、副将の王平が劉備軍に寝返る始末だ。怒った曹操は自ら出陣して、それを聞いた劉備も出陣し、ついに両者はご対面」
A「曹操が『この恩知らずの叛逆者め!』と云えば、劉備は『お前だって皇帝気取りの逆賊じゃねーか! 皇后は殺す魏王にはなる、札付きたぁお前のことだ!』と云いあいに」
Y「以前、お前らが云ってたことそのままだな。どっちが悪いと云えば、どっちも悪い」
F「まったく持ってその通りなんだよ……ね。曹操は徐晃を出し、劉備は劉封を出すけど、怒りに燃える徐晃の相手ではなかった。劉備軍が崩れかけ、曹操軍は追撃しようとするけど、別働隊として後方に回った張飛・魏延が南鄭を奪っていた。これには曹操困り果てて、やむなく陽平関まで引き揚げる」
A「順調に、北に北にと追いやられてるな」
F「しかも、食糧や物資がおぼつかない。許褚を出して物資を届けさせようとしたけど、その許褚が久しぶりの酒食に酔っ払って、しかもそのまま出立し、張飛に出くわしてボロに負けるという体たらくで」
A「素直に夏侯惇か、でなきゃ龐徳出せばよかったのに……」
F「もはや一刻の猶予もないと判断した曹操は、劉備に決戦を挑んだ。まず徐晃を出すと、もちろん劉封が迎え撃ち、負けて逃げ出す。孟達がフォローに入ったものの、劉備軍はそのまま自陣まで逃げ帰り、そこで逆襲に転じた。矢弾の雨に曹操は退却を命じるものの、劉備軍の勢いは穏やかならず、ついには陽平関をも奪われた。斜谷まで撤退した曹操軍だったが、ここで、并州から駆けつけた曹操の息子・曹彰が合流する」
A「次男だっけ?」
F「厳密には四男だが、上ふたりが正室の子じゃないから、そう扱われているな(そもそも、上ふたりはすでに死亡)。武に長ける息子で、兵を率いて打って出たところ、劉封・孟達が万からの兵を率いて迎え撃った。曹彰の勢いは凄まじく、新手に参じた馬超勢が加わってようやく撤退したものの、その勢いで呉蘭が死んだほどだった」
A「強いな……不肖の倅にしては」
F「まぁ、その勢いがアダになったな。張飛・魏延・趙雲・黄忠・馬超・孟達が、こぞって曹彰を追い回すモンだから、さすがに曹操軍も疲弊した。演義では、この時楊修を斬って軍の規律を引き締めると、そのまま斜谷から出陣するんだけど、魏延・馬超の奮戦で、陣は焼かれる前歯は失う、龐徳に助けられてようやく退却できたくらいだった」
A「かくして、漢中は劉備の手に落ちましたとさ。めでたし、めでたし♪」
F「まぁ、漢中の行方はおいといて」
A「めでたくないとでも!?」
F「さっきさらっと触れたが、演義では、楊修はここで殺されている。この一件について、少し詳細に」
A「ん……? 曹植のブレーンだったこいつを、曹操は眼の仇にしていて、何か問題を起こしたら殺そうとしてたンだろ? で、軍の規律を乱した罪で処刑した」
F「現実問題、楊修という男は、機略では曹操をも上回っていた。だからというべきか、217年に曹丕が後継指名を受けたあとは、曹植もろとも何かと肩身の狭い思いをしていたわけだが」
A「そんなに切れ者ってイメージはないんだけどなぁ……演義には、いろいろエピソードがあるけど」
F「まずは鶏肋だな。今回の戦闘で苦戦していた曹操は、夕食に出された鶏のあばら骨を見て、夏侯惇に『鶏肋』とこぼす。それを聞いた楊修が『鶏のあばら骨は、食べるには肉はなく、捨てるには味がある。漢中という土地はそういう地形なので、丞相は明日にも退却をお命じでしょう』と、曹操のハラの内を読んでのけた……だな。他にも、庭のつくりやチーズ、近侍や門番、挙げ句曹操相手の問題・解答集なんぞを曹植に作っていたことがあったモンだから、曹操は日頃から危険視していた……というコトになっているけど」
A「そんだけ見ても、まぁ頭はいいかなってくらいにしか見えないなぁ」
Y「比べる相手が悪かろう。相手が曹操ではな。実際に曹操と知恵比べをして勝ったなら、確かに危険という気も」
F「それが勝ってるンだよ、楊修」
2人『は?』
F「今回の冒頭で、蔡邕の屋敷で娘に面会した、と云ったろ? その時、蔡邕が遺した碑文を見たのね。娘には意味が判らず、曹操も左右にどうだ、と聞いてみても誰も返事をしない。ただひとり楊修だけが『判りましたー!』と手を挙げるものの、曹操は『いや、まだ云うな。オレも考えてみっから』と云って、とりあえず出発する……というのが事の顛末。61回で云った通り、曹操がコレの意味に気づいたのは三里歩いてからだった。その時のやり取り」

曹操「……よし、楊修。どう読んだのか云ってみろ」
楊修「アレはですねー(中略)ということではないかと」
曹操「やぁ、こいつはびっくりだ! オレもそう思ったのさ!」

A「解けてねーじゃん、曹操!」
Y「……処刑やむなしだな。日頃から眼をつけていた野郎に、ここまでされたワケだから」
F「かくして、漢中争奪戦において、曹操は多くのものを失った。その腹いせまがいに楊修は処刑されたが、彼をしてみんなの奇人・禰衡はこう述べている。――曹操軍中において人材と云えるのは、ただ孔融と楊修のみ、と」
A「だから、あの変態ふたりのことは口にするな!」
F「続きは次回の講釈で」

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