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私釈三国志 69 妙才敗死

A「……敗死て」
F「ん? 何なら『子敬無念』でもよかったんだがな。魯粛の死亡だけで1回」
A「そこまで魯粛が重要キャラだと思い込んでるの、日本ではお前だけだよ!」
F「『江南行』読むか? 収録されてるのが掲載された雑誌も押さえてあるけど」
Y「ありていに云えば、日本でいちばん魯粛を好きな男の描いた『呉・三国志コミック』だ」
A「何でそんなモン出てるのー!?」
F「というか、昔コーエーの雑誌で凄まじいまでの魯粛評が書いてあったぞ。曰く『好きな三国志の武将を3人挙げよという投票をしたら、たぶん魯粛が1位になる』って」
A「ならないならない!」
Y「いや、参加人数次第では上位に食い込んでくるのは間違いないぞ」
F「ついでにもうひとつ。これこそが、魯粛という男を完璧に云い表しているように思えるコメントがあった」

 ――歴史は動かせないけど、社会には必要な存在。

F「さて、曹操の漢中制圧に危機感を覚えた劉備が、孫権と講和して兵を北上させたのは先に述べた」
Y「曹洪が、迎撃の指揮を執ったんだったな」
F「だ。これより少し前に許昌で叛乱(以前触れた、張繍の息子が殺されたもの)が起こって、曹操本人と夏侯惇は動けなかったんだな。そこで曹洪を派遣して、長安の夏侯淵を救援させた」
A「盲夏侯じゃない方の夏侯、だな」
F「……その覚え方は、本気でどうかと思うんだが。確かに、演義では張飛の役回りに近いから猪武者の感は拭えないんだけど、正史での夏侯淵はずいぶんな名将だぞ。意外に思うかもしれんが、『恋姫』の夏侯淵は正史のイメージに近い」
A「意外すぎるわ!」
F「夏侯淵の功績としては、涼州平定により曹操領の西北部を安定させたことにある。もともと曹操配下で機動力に長けていた夏侯淵は『典軍校尉の夏侯淵、三日で五百里六日で一千里』と称されたほどで」
Y「張遼は孫権の押さえを張っているから、異民族の押さえには夏侯淵が回されたわけか」
F「早い段階で揚州攻略がなされていたら、そっちに張遼回したんだろうけどなぁ。曹操はこの人選に微妙に不安を感じていたようで、書簡を送って夏侯淵をたしなめている」

 ――将たる者は剛と柔を併せ持たねばならん。(将は確かに勇を備えておらねばならんが、いざ戦場に出ては智こそが重要なのだ)いたずらに勇を頼むは匹夫の所業だぞ。
 お前の"妙才"を見せてもらおう。その二文字を辱めるなよ。
注 カッコ内は正史での、改行後は演義での追加文章。

F「妙才、いうのは夏侯淵の字だな。コレも後付けには見えるが、曹操はそれにひっかけて『しっかりやれよ』と発破をかけているんだけど、注目すべきはこの書簡の、正史と演義での重複している部分」
A「武将は強引さと柔軟さを併せ持っていなければならん、匹夫の勇に頼るな……って辺り?」
F「わざわざ書簡まで送って注意するということは、夏侯淵にはそういう傾向が見られたということだ。正史には『曹操はしばしば、そう云って夏侯淵を戒めた』という記述さえあるくらいだからな」
A「……なるほど、張飛の役回りだな」
F「えーっと、演義では、まず北上した馬超が曹洪に敗れ、進軍を停止している。曹洪は馬超の相手をすることになったので、張郃は別働隊として、張飛隊に向かった。張飛はこの戦闘で、雷銅・魏延を率いて、智略で張郃を破るという、張飛らしからぬ真似をしでかしている……ただし、雷銅は戦死した」
A「張郃隊は総崩れだったから、逃げ帰ってきた張郃を、曹洪は『張飛を侮るなって云ったでしょ! どーしておめおめ生きて帰るの!』と怒鳴りつけるんだったな」
F「参謀格の郭淮が執り成して死罪は免れたけど、張郃は主戦場から外されて後方送りになった。ところが、送られた先が孟達の守る関城。打って出た孟達を名誉挽回と叩きのめす。コレに慌てた孟達は、劉備に援軍を求めた」
A「やってきたのが黄忠おじいちゃん、副将に厳顔おじいちゃん」
F「孟達は『あんなジジイどもじゃ守れません!』と、劉備に使者を送ったほどだ。現に、緒戦では敗れて関城に逃げ帰ってくる始末。孔明は心配無用と云ったものの、劉備は劉封を援軍に送った。ところが到着したその夜に、黄忠は逆撃をしかけて張郃の砦を続けざまに3つ攻め落とし、さらには『虎穴にいらずんば虎児を得ずじゃー!』と、食糧が山積みされていた天蕩山を、厳顔別働隊と示しあわせて攻略してのけた」
A「緒戦で負けたのは、張郃を油断させるためだったわけだな♪」
F「コレに気をよくした劉備は、自ら兵を挙げて黄忠や張飛たちと合流。夏侯淵が守る物資集積所・定軍山へと繰り出した。劉備は黄忠を篤く賞して『ついでに定軍山も攻め落とせー!』とそそのかすんだけど、横から孔明が『今度はダメです! 関羽呼びなさい!』と叱りつける」
Y「子供か?」
F「孔明に云わせると、黄忠は『こうやって鼻先にジャブでもくわえてやらんと、本領を発揮しない』男らしい。かくして『いや、どーしてもワシが行きますのじゃ行きますのじゃ!』と、黄忠は法正を引き連れて定軍山に向かう。押さえで孟達・劉封が後ろからコソコソついて行き、厳顔は留守番で益州に戻された」
Y「で、今度は夏侯淵が張郃の悪夢にさらされるんだな?」
F「うむ。張郃と合流した夏侯淵は、定軍山で黄忠隊と対陣する。序盤は陳式が捕らえられたり夏侯尚が重傷を負ったりと一進一退を繰り広げたものの、孟達の伏兵作業が功を奏し、夏侯淵は定軍山の自陣にこもってしまう」
A「ここで法正の策が閃くわけだな。定軍山の西にある小高い山は、道は険しいけど夏侯淵の陣の内部が手に取るように見える。そこを攻略してしまえ、と」
F「頭上を押さえられた夏侯淵は、面白かろうはずがない。張郃が止めるのも聞かずにその山を包囲して、降りてこい戦えと兵をけしかける。ところが黄忠、堅く守って動かない。昼過ぎになって夏侯淵隊に疲れが見えてきたその時、法正が紅の旗を振り回すや、黄忠を先頭に山頂から駆け下りてくる!」
A「不意を突かれた夏侯淵はなす術もなく、そのまま斬って落とされた……と。いやぁ、爽快爽快♪」
Y「何と云うか……正史ともあまり違わん最期だな?」
F「正史には定軍山との記述はないが、夏侯淵は、出陣してきた劉備と相対していたところ、張郃の援軍に自軍の半数をを回して、手薄になったところを黄忠に攻められ、死んだとある」
A「……郭図の云ってたコトって、正しかったんじゃねーの?」(←官渡の敗戦は張郃のせい、との主張)
F「まぁ、長安に……というか、張魯降伏後の西域統治に、しかるべき人材を配置しておかなかったのがそもそもの間違いだろうな。長安の南にあったモンだから、異民族討伐で功を上げた夏侯淵が、そのまま南下したような状態」
A「もーちょっとマシな奴……目端というか戦略の判る奴を置いておけばよかったワケか?」
F「つーか、僕なら例のタイミングで、仲達に『よし、判った。益州を攻める。ただし、お前が指揮を執れ』って全てを任せて引き上げるけどなぁ。仲達なら、劉備にも負けるわけがないし」
A「……勝っても負けても、そのまま蜀で自立しかねませんが?」
Y「ナゼ敬語か」
F「実は、それ相応の人材を西域に派遣して、安定に努めるべしと進言したひともいたんだけど、あろうことか"引き抜きメモリアル"と呼ばれた魏王サマの人材収集癖が出て『オレからアイツを取り上げるつもりか!? 魏が滅ぶぞ!』とまで抵抗し、沙汰止みになっていてねぇ」
A「誰? 賈詡か?」
F「それが、驚くべきか韓浩なんだ」
A「……判った。夏侯淵の死因は、魏の人材不足だ」
F「いや、正史での韓浩はかなりの切れ者で……演義では、この一連のどさくさで死んでるんだけど。ともあれ、夏侯淵の五男・栄ちゃんはこの時13歳だったんだけど、側近(たぶん杜襲)に抱きかかえられたものの『お父ちゃんが危ないのにボクだけ逃げるなんてイヤだい!』とわめき散らして、結局斬り死にしている」
A「ぅわ、何そのショタ武将……」
F「そんなこんなで曹操は、股肱の臣下の死に泣き崩れ、崩れつつも四十万の兵を漢中へと差し向けたのだった」
Y「仇討ちだな」
F「続きは次回の講釈で」

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