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私釈三国志 66 魯粛子敬

2人『おいっ!』
F「ぅわ、びっくりした!? どーした、ふたりして」
A「どーした、じゃないっ! 何だ、このタイトルは! わざわざ1回を設けるほどの男か、アレが!?」
Y「さすがにコレは予想できなかったぞ。ナニが悲しくて、このおひとよしに1話を裂く?」
F「……その、魯粛に対する凄まじいまでの低い評価を、覆すのが僕の役目なのかな。えーっと、状況を確認しよう。劉表の死によって、荊州は劉g(長男)派と劉j(次男)派に分かれた。かつて、袁紹の死後、袁譚(長男)派と袁尚(三男)派に分かれて争い、結局いずれも曹操に滅ぼされた、その翌年のことだけど」
A「ヒトは、どーして懲りないのかね……」
F「このふたつのお家騒動は、究極的には父親が、長男を差し置いて次男・三男に後を継がせようとしたことに原因が求められる。ただし、袁紹の時と劉表の時とには決定的な違いがあった。劉表には有力な外戚がいたモンだから、そいつを中心に家臣団が劉j擁立で結束してしまい、劉gの側には劉備しか残らなかったのね。というわけで、この兄弟の間には(直接の)争いは起こらず、劉jは曹操に降伏した」
A「ところが、劉g(劉備)には孔明がいた、と?」
F「そうなるな。すったもんだの末に孔明は、孫権との間に同盟を成立させる。これが、軍事力ではほとんど対等に近い同盟だったというのは、先に見た通りだ。かくして、劉備・孫権連合軍は、曹操軍を赤壁で破った」
Y「ぶーぶー」
F「まぁ、そういうコトでオハナシ進めるよ。かくして、荊州の北部は曹操、東部は孫権、残りは劉備が統治する状態になった。劉gが生きている間は、コレを擁する劉備が荊州にいるのは無理からぬことだったんだけど、肝心の劉gが若くして病没すると、唯我独尊な孫権は『劉備は部下、荊州はオレのもの!』と云い出した」
A「と云われても、劉備には荊州を追い出されると、他にいくところもない」
F「で、劉備(というか、孔明)は手形を切った。益州を手に入れたら荊州を返す、と。……さて、前置きは長くなったけど、状況は把握してもらえたかな」
Y「まぁそーゆうコトはあったものの、劉備は(前回)益州を攻略したな」
F「そんなわけで、やってきたのは瑾兄ちゃん。孔明の邸宅を訪ねて『荊州返してくれないと、兄ちゃんの家族が皆殺しにされるンだよ……!』と弟に泣きついた」
A「さすがの孫権でも、何の非もない諸葛瑾を処罰はできんだろう。策略だよな? でも、だまされる弟じゃない」
F「うむ。劉備と示しあわせた。瑾兄ちゃんから荊州を返せと云われた劉備は、怒ったふりをして『ワシのいぬ間に我が妻を奪っておきながら、今更同盟者ヅラして荊州を返せとはどういう了見だ! 戦争したいならかかって来い!』と豪語する。すかさず孔明が『そんなこと云ったら、兄ちゃんの家族が処刑されるンですよー!』と泣き叫ぶけど、劉備は『だったら諸葛瑾はこっちに留まれ! 孫権を殺して家族を助けてやるぞ!』と納まらない」
A「……さすがに、マジでンな事態に陥ったら、いちばん困るの兄ちゃんだぞ」
F「まぁ、孔明の顔を立てるということで、荊州の南半分を孫権に返すという書状を、ようやっと劉備は用意した。荊州にいる関羽に渡しなさい、ということなんだけど、とーぜん関羽はそれを拒絶する」
A「当然、云うな!」
F「離れていても、劉備との呼吸はぴったりなんだね。書状を『孫権の策略だ』と一顧だにせず瑾兄ちゃんを追い返して、実力行使とばかりに南荊州に派遣された役人を追い返す。泣きながら成都に再訪した瑾兄ちゃんだけど、今度は頼れる弟が不在で、劉備にしか会えない」
Y「いや、責任者は劉備だから」
F「そこで劉備は『あー、関羽はそーいう奴だからねぇ……。じゃぁ、今度は漢中・涼州に兵を向けるから、そこを獲ったら関羽を回すので、荊州はそのあとということでどうだ?』と持ちかけた。なすすべのない瑾兄ちゃんは、その返事を携えて呉に帰還する」
Y「家族は?」
F「いちおう、瑾兄ちゃんも狂言だと知ってたから。無事、瑾兄ちゃんに引き取られている。そこで孫権は、切り札の魯粛に事態の収束を命じた」
A「いや……まぁ、確かにこの時点では、いちおう大都督の地位にあったけどな」
F「例の『単刀赴会』だね。こっちに刀一振りだけを持って来て、会合しようという申し出だけど」
Y「ある意味、見直したな。呂布亡き後の三国志世界最強の武将に向かって、タイマンを挑むとは」
A「違うだろっ!」
F「何のネタだ、それは……? えーっと、会談の席に、関羽は周倉ひとりを伴って会談の席にどーどーと乗り込んでくる。軍を率いてきたら呂蒙・甘寧が迎撃する、率いていなかったら暗殺部隊で斬り伏せる予定だったんだけど、どーどーと乗り込んできた関羽に、魯粛はすでに顔色がない」
A「……やっぱ情けねェ」
F「何とか荊州を返してください、劉備に口ぞえしてくださいと云い募る魯粛だけど、関羽は『ほほぅ、兄者が荊州を治めるには足らぬと?』とにらみつけ、すかさず周倉も『天下は徳のある者が治めるべきだぞ!』と声を上げる。さすがに、随員の口出しはいかがなものかと周倉は追い出されるんだけど、この辺は演技でね。追い出された周倉は帰りの船を用意して、酔っ払ったふりをした関羽は、右手に青竜偃月刀、左手に魯粛を持って『まぁ、その話は、酒の入っていないときにしようじゃないか。……何なら、このまま荊州に来るか?』と笑顔を見せる。魯粛は生きた気がしないし、そんな状態では呂蒙・甘寧も手は出せない」
A「情けなさ過ぎるぞ、呉の連中……」
Y「でもよぉ、この辺りって何もかも演義での話だろ?」
F「うむ。劉備が益州を獲ったからには、荊州を返せと孫権が迫った……辺りは、正史でも同じだけど。荊州に駐留する関羽と、柴桑に駐留する魯粛の間に、境界地域ではたびたび小競りあいが起こっていた。それなのに、劉備が荊州を返さないと云ったモンだから、孫権は呂蒙に兵を与え、南荊州に侵攻させる。対して劉備は自ら出陣して関羽と合流し、全面戦争の様相を呈した」
A「何でそんな事態になるのー!?」
F「それを憂えたのが、余人ならぬ魯粛そのひとだった。関羽に『会談しろ!』と迫り、おのおの刀一振りだけ携えて会談に臨む。関羽は『赤壁で兄者は寝る間も惜しんで曹操と戦ったのに、孫権はそれを評価せず、荊州を取り上げようというのか?』と云うけど、魯粛は『劉備殿が当時あまりに弱く、再起をはかるのを応援するために荊州を貸し与えたのです。再起を果たし益州まで手に入れられたのに、自分の都合ばかり主張なさるのは、仁者としていかがなものか』と応じ、関羽は言葉もなかったという」
A「……天下の関羽を向こうに回して、平然と弁舌を振るうか」
F「ちなみに、コレは正史の注に引かれた『呉書』の記述だけど、注ではない記述はさらに凄い。荊州を返しなさいとの主張に、関羽の随員(周倉との記述はない。そもそも正史に周倉はいない)が『天下は徳のある者が治めるべきだぞ!』と叫ぶと、血相変えてそのひとを怒鳴りつけ、慌てた関羽が『お前は口を出すんじゃない!』と取り繕ったほどだ」
A「……演義で関羽がやったこと、魯粛がやったンかい」
F「少し真面目な分析をしよう。益州攻略をなしてなお龐統が健在であったなら、荊州には龐統が派遣されたであろうことは予想がつく。……この場合、境界地域で小競りあいは起こっただろうか」
Y「……考えにくいな。龐統を劉備に紹介したのが魯粛なんだから、その魯粛には龐統も遠慮するだろうし、相手が龐統では魯粛もそう簡単には手を出せまい」
F「劉備・孫権の同盟が成立していたのは、対西強硬派の周瑜の死後、穏健派の魯粛が外交・軍事の最高責任者に就任したことが最大の根拠だ。そして、劉備の側では、その魯粛に大恩ある(周瑜には怨みがあった節もある)龐統がいた。この両者がいる間は、同盟は確たるものだったが……」
Y「益州攻めで龐統が死んで、荊州に高慢ちきな関羽がいたモンだから、同盟は危機を迎えたワケか」
A「……まぁ、関羽に外交ができないのは事実だけど」
F「魯粛が劉備寄りの外交政策を執り続けたのは、純粋な戦略眼に由来する。この時期、実利的には武人に過ぎない関羽や自分の欲望しか頭にない孫権はもちろん、百戦錬磨の劉備でさえ、本当の敵は曹操だということを忘れていたが、おおよそ魯粛と孔明だけは、それを覚えていた」
Y「誰にとっての敵だ?」
F「天下統一の障害という意味での、敵だ。曹操がいる限り、天下を統一することはできない。そして、曹操に対抗するためには劉備と孫権が争うわけにはいかない。このマスタープランを、孫権はともかく劉備でさえ忘れて自ら荊州に乗り込むンだから、孔明にしてみればたまったモンじゃなかろうな」
A「いや、仕方ないだろ……。劉備存命中は、孔明は後方主任にすぎないんだから」
F「だからこそ、僕はかつて、魯粛を評した。三国志中盤の動静を一手に支配したと云って過言ではない、とな。実行力・発言力という点も考慮して評価するなら、この215年の時点で、魯粛に匹敵する戦略能力の持ち主など、肝心の曹操以外には存在しない。この頃の孔明には、まだ魯粛ほどの発言力はなかった」
A「……信じられないというか、信じたくないンですけど……」
F「結局、この荊州争奪抗争は、思わぬかたちで収束する。曹操が張魯を降し、漢中を支配下に置いたとの報が大陸を駆け巡ったためだった。益州の首を抑えられたに等しい劉備は、荊州南部を割譲して兵を退き、孫権も魯粛の言を容れ同盟を維持した。東方の安定を得た劉備は、兵を北へと向ける準備に入る」
Y「さすがに……魯粛頼みの安定だというのは認めざるを得んな」
F「続きは次回の講釈で」

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