私釈三国志 65 馬超見参
F「結論から云えば、張任を失った雒城はあっさり陥ちた。呉懿や厳顔に降伏するよう呼びかけられた劉カイ(字が出ない)は、それでも戦うと豪語したんだけど、後ろから張翼に突き落とされて死亡。劉璋の息子は逃げ、兵は張翼がまとめて降った」
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Y「徳子?」
F「おいおい……懐かしいモノを挙げてきたよ、この兄は。今の読者がンな色物知ってると思ってるのかね」
A「何の話なんだ?」
F「あぁ、知らんでいいぞ。はっきり云えば『劉備って誰?』の名言で知られるアホ娘だ」
A「がるるーっ!」
F「ともあれ、雒城陥落・張任戦死・諸将降伏を知った劉璋に、あるひとが『劉備の軍勢は糧食を略奪していて、民衆は心服していません。そこで、民衆を食糧全てを持たせて西に疎開させ、田畑を焼き、食糧を得られぬようにして守りを固めれば、連中は食が尽きて引き上げるはずです』と進言したんだけど……」
A「それをする奴を君主とは云わん!」
Y「董卓はやったけどな」
F「もちろん、劉璋も『敵を退けて民を安んじるというのは聞いたことがあるが、民を叩き出して敵に備えるなんて初耳だ!』と怒鳴りつけた。そこへ、法正からの降伏勧告の書状が届いたモンだから、劉璋は怒り狂う。綿竹関に防衛ラインを設定して李厳を配し、漢中の張魯に黄権を送った。劉備を退けてくれたら、益州の二十州を割譲する、と」
Y「本末転倒もいいところだな。何のために劉備を呼んだのか忘れたのか?」
F「まったくだ。ところが、張魯は兵を出した。欲に眼がくらんだ……というわけではなさそうで」
A「ん? その心は?」
F「この援軍を率いていたのが、人もあろうか錦馬超だったんだよ」
A「だな」
F「先んじて馬超は、夏侯淵と戦って妻子を失っている。漢中に逃れてきた馬超一行を受け入れた張魯は、馬超が妻を亡くしたのを聞いて自分の娘を与えようとしたんだけど、張魯に仕える楊白(演義では楊柏)・楊松兄弟に『そんなことしちゃダメですよー』と進言されてやめているのね。馬超はそれを聞いて、この兄弟を恨むようになった」
Y「なんだ、厄介払いか。もともと仕えていた家臣と新参者の仲違いをいさめるために、新参者を外地に追いやった」
F「察しが早いな。まぁ、楊白ならまだしも、馬超なら実際に劉備に勝てるかもしれないと判断した、というのもあると思う。監軍として楊白も派遣されて、軍勢は、孟達が留守居を勤める関城に近づいた。その頃、すでに劉備軍は綿竹関を陥とし李厳を降伏させていたんだけど、馬超襲来の報に劉備は震え上がった」
Y「一度は曹操をも追いつめた勇将だからな」
A「で、対策を孔明は講じた、と。馬超の相手が務まるのは張飛か趙雲くらい。ところがこの時、趙雲は出陣中で、手元にいたのは張飛だけ。そこで孔明、張飛を呼び出し、荊州から関羽を呼ぶことになったと告げる」
Y「何で関羽?」
A「一度は曹操を追いつめた馬超に太刀打ちできるのは、我が軍では関羽だけだ、いや関羽でも勝てるかどうか、と。これには張飛怒り狂って『かつて曹操軍を退けた、この俺様がいるだろうが! 馬超の一匹や二匹ねじ伏せてやらぁ!』と云い切って、意気揚々と出陣した。ま、発破をかけたんだな」
F「というわけで、劉備軍は趙雲・黄忠らを綿竹関に残し、張飛・魏延を率いて北上する。漢中軍の先陣・馬岱は魏延を負傷させたものの、張飛の敵ではなく『馬超を呼べ、馬超を!』と退けられる。呼ばれて来た馬超と、張飛はついに相見えた。いずれも自分の部隊から一騎で進み出て、獲物をかまえにらみあう」
A「張飛が『てめぇ、燕人張飛を知らんか!』と叫べば、馬超は『馬援以来の名門たる俺が、お前のような下郎を知るか!』と応じる。鎗を交わすも百合交えて、一向に勝負がつかない!」
F「ちなみに、コーエーの三國志シリーズ11作で、武力の評価において関羽より高かったことがあるのは、常にトップの呂布に万年2位の張飛、そして、たった1度だけだが、馬超だ。関羽とタメというのは趙雲・許褚がいるけど、純粋に関羽を超えたことがあるのは3名だけ」
Y「古武将は除くー」
A「劉備の指示で一度は退いた張飛だけど、いったん休むと兜もかぶらず、馬に跨り馬超に向かう。またしても百合打ちあっても勝負はつかず、すでに日は暮れかかっていた。だが収まりがつかないのは馬超も同じで、たいまつを百も千も燃やしてナイターを演出! ついには劉備が割って入り、勇者はおのおのの陣へと退きあげた」
F「ご苦労。さて、張飛の苦戦に、孔明も関城にやってきた」
Y「何しに?」
F「実は、孔明は以前、馬超に『曹操を討つべく西涼の兵を挙げてくれたなら、荊州も曹操に攻め込むぞ』と書状を出しているんだね。実際には兵を出さなかったから、馬超は曹操に負けたと云ってもいいんだけど、というわけで馬超と孔明の間には、いくらかのつながりがあった」
Y「……また、姑息な策か?」
A「姑息ゆーな」
F「まぁ、説得工作だね。弁士を派遣して馬超を説得させ、ついには楊白は斬られ、馬超・馬岱たちは劉備に降伏。劉備は『これで益州が手に入った!』と大喜びしたとか」
Y「おいおい……それほどのものかよ」
F「正史での動きを思い出してみろ。孔明率いる荊州軍は、張飛を南下させ、趙雲を西進させた。雒城・綿竹関には劉備本隊が留まっている」
A「えーっと……成都の北・東・南に、劉備・趙雲・張飛がいる状態かな?」
F「そゆこと。正史において黄忠・魏延は(この時点では)いささか小粒の感が拭えない状態だった。だから、劉備は苦戦していた……という見方もできるけど、万夫不当の猛者が北の部隊にも加わったワケだ。西はヒマラヤ山脈に通じる不毛の地で、だからこそ『民衆を西に疎開させよう』という策を講じる者も出た」
Y「要するに、ネームバリューか? いつも通り、劉備に足りないもののひとつ」
F「うむ。馬超が来たと聞いた成都城内は意気消沈したという。ただし、正史劉璋伝には『官民問わず戦うことを望んだ』との記述もある。しかし、すっかり弱気になった劉璋は『父から二代二十年に渡って益州を統治してきたが、民には何もしてやらなかった。劉備との3年に及ぶ戦闘で、益州を疲弊させたのも私の罪。降伏して、民を安心させたい』と、包囲されて十日も経たずに、劉備に降伏している」
A「……『官民問わず戦うことを望んだ』のに?」
F「うむ。それも『成都には3万の兵があり、食糧だって1年分はある』のに、だ」
Y「どこまでアホだ、こいつは?」
F「61回で云った通り、どこまでもアホなんだよ、こいつは。正史における陳寿の劉璋評をまとめると『乱世で人の上に立つ者には、英雄の資質がなければならんのに、このアホはそれを持ちあわせていなかった。劉備に負けたのは当然だ』と云い切っている。成都では軍官民いずれも徹底抗戦する決意があったのに、降伏したモンだから」
A「手厳しいなぁ……」
F「かくして、益州に二十年に渡って君臨した劉焉・劉璋の血筋はここで途絶える。劉璋は殺されこそしなかったものの、荊州に送られ、数年後病死した。ここに、孔明が進言した『天下三分』の基礎は固まったことになる」
A「締めか」
F「ところで……」
Y「あ、続いた」
F「三国志演義では、この時(第六十五回)、興味深いイベントが発生している。天文をよくする譙周が、劉璋に、成都城内で流行っている戯歌を聞かせ、降伏を勧めるシーンだけど、こんな内容だった」
――若要吃新飯、須待先主來(新しいごはんが食べたいなら、先主が来るのを待つべきだ)
F「続きは次回の講釈で」