私釈三国志 62 謀士鳳雛
F「前回見た通り、張松は曹操ではなく、劉備に益州を売り渡そうと考えた」
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Y「いくらの値をつけるつもりだったのやら」
F「少し戻るけど、張松は劉備に歓待されて益州に帰ると、親友の法正・孟達と謀りあって、劉備に益州を治めさせようと画策するに到った。演義で張松は、劉備に『益州は豊かな土地ですが、劉璋は無能で賢者をよく用いることができず、充分に治めているとは云えません』と云っているのが、この連中の本心だね」
A「つまり『劉璋が自分たちを使いこなせないから、アンタちょっと来てくれや』ってコトか?」
F「そういうコト。しっかり見てしまうと、法正という男は確かに才能はあるが、いかんせんケツの穴がちーさい野郎で、劉備が益州を盗って自分が高官に任じられると、かつての恨みを晴らすべく、劉璋時代に自分に辛く当たっていた連中を、次々と処罰しまくった。私怨で他人を殺す者が、そんな地位にいるのはいかがなものか……とは、孔明でさえ口にできなかったらしい」
Y「情けねェな、孔明も」
A「うるさいやい!」
F「正直、法正や孟達は、劉璋では使いこなせるレベルじゃなかったンだね。だから、張松の誘いに乗った。劉備を益州に導き入れようと、劉璋に進言した。黄権や王累から反対されたものの、暗愚な劉璋はすっかりその気になった。法正・孟達に五千の兵で、劉備を迎えにやった」
Y「盗人に追い銭?」
F「出陣前に劉備は、法正・龐統と語らっている。今まで自分は曹操の逆をやってきた。アレが性急ならこちらは寛容、アレが暴威ならこちらは仁義、アレが謀略ならこちらは誠心……と。それなのに、今兵を挙げて同族の劉璋を討つのはいかがなものか。そう思い悩む劉備に、龐統は『今は乱世です、仁義を守って何になります。天下を盗ってから劉璋を、大国に封じてやればそれでいいでしょう』と軽く応じた。劉備も出陣を決意する」
A「龐のセンセの弁舌には、頭が下がるねぇ」
F「かくして西川入りした劉備を、劉璋が自ら出迎えると云い出す。反対する黄権の顔面にケリ入れ(前歯2本が折れた)、やめてくれないと死にますよと城門で逆さ吊りになっている王累を見捨て(マジで墜落死)、張任らの諸将と3万の兵を引き連れて劉備を出迎えた」
Y「カモがネギ背負ってやってきたぞ〜」
F「うむ。龐統は『この機に乗じて劉璋を討つべし』と劉備に進言したものの、益州入りしたばかりということで、劉備さすがに二の足を踏む。それではと法正と相談して、魏延に歓迎の剣舞をやらせ、隙を見て劉璋を刺せと命じる。踊りだした魏延のただならぬ様子に、張任進み出て『剣舞には相手が要るでしょう』と、劉備を狙うそぶりを見せる。龐統は劉封に目配せして、劉封も剣を抜いて剣舞の輪に加わると、劉カイ(字が出ない)その他が群がった。さすがに劉備が立ち上がって『ええかげんにせえよ、お前ら!』と怒鳴りつける始末だ」
Y「何しに来たんだよ、劉備は……」
F「張魯を防ぎに。おりしも張魯が南下の兆しを見せたから、劉備は漢中への道を北上した」
A「さすがは仁徳の人・劉備だな♪」
F「劉備が益州でそんなことをしていると聞いた孫権は、兵を挙げようと画策したんだけど『そんな真似、ワタシが許さなくってよ!』と呉国太に怒鳴られる。困った孫権は、孫尚香を荊州から呼び戻そうと画策した。それこそ呉国太がぶっ倒れて、孫尚香の名を呼んでいる、と。ついでに一粒種の阿斗も連れてくれば、劉備への人質になる」
Y「正史では、劉備・孫権の同盟がしっくり来なくなって、自ら呉に帰ったみたいな状態なんだがな」
F「演義では、阿斗を連れて長江を下ろうとして、趙雲に追いつかれて阿斗を取り返され、そのまま呉に戻った……という次第だね。妹が戻って、劉備との決戦に何の憂いもなくなった孫権だけど、そこへ曹操が、赤壁の遺恨晴らすべしと40万の兵を動かそうとしているとの報が入った」
A「荊州どころじゃなくなったな」
F「あまつさえ、張昭と並ぶ"二張"の張紘が死んだ。正史では享年は定かではないけど、212年のことらしい。遺言で秣陵に遷都すべしと孫権に進言し、孫権はこれに応じて秣陵を建業と改名して、ここを本拠に定めた」
A「後の南京です♪」
F「かくして、呂蒙の指揮で曹操軍迎撃の準備を整える孫権だけど、それはひとまずおいといて。孫尚香の帰国・曹操の出陣を聞いた劉備は、荊州の様子が気になった。龐統は『あちらには孔明がおりますので、心配いりませんよ』と応じるものの、一方で策を弄した。孫権を救援しなければならないので、兵と食糧をお借りしたいと、劉璋に書状を送ったんだね。劉璋は送る気満々だったんだけど、黄権や劉巴を筆頭に群臣は反対。やむなく、老兵とわずかな食糧だけを送りつけて、お茶を濁すことにした」
A「さしもの劉備もコレにはキレて『何のつもりだ、劉璋!』と使者を怒鳴りつける。ついに、手切れ宣言だな」
F「ここで、龐統は策をみっつ提示した。上策としては、このまま益州州都・成都に攻め込む。中策としては手近な関城を落としてそこに入る。下策は荊州に引き上げ、主力と合流して改めて進軍する。どれになさいますか、と」
Y「お前ならどうした?」
F「……下策だな。劉璋が張魯と手を組む可能性を考慮すると、中策では敵中に孤立しかねない。かといって短兵急に成都に攻め入っては、張任や劉カイ(字が出ない)らの頑強な抵抗が待っている。準備が整う前なら上策でもよかったが、劉備が西川入りしてずいぶん経っているからな。防御態勢は整っていたと見ていいだろう」
A「らしくなく慎重だな」
F「劉備は中策を選び、ひとまず劉璋に『曹操が荊州に攻めてきたので、帰ります』と書状を出した。実際に帰り支度をして見せて、関城の城将をおびき出し、これを殺して関城を奪った」
Y「なかなか如才ないな」
F「ところが、この帰還報告に驚いたのは、成都に留まっていた張松だ。劉備に帰られてはいち大事と、自分が成都の中で呼応するから考え直すように書状をしたためていたところ、兄が訪ねてきた。いやいや応対した張松だけど、酔い潰れてしまい、問題の書状が兄の手に渡る。兄はそれを劉璋に届け、さすがのバカも状況が理解できた。張松を殺し、劉備討つべしと息を巻く」
A「謀略家のあっけない最期だな」
F「ところで、この兄、名は張粛という」
A「だったな」
Y「……ん? その名には……覚えがあるな。何回か前に出てないか?」
F「あぁ、覚えてたか。銅雀台での武芸大会で賞品になった、蜀錦を持ってきた張本人だ。その折に、やはりと云うべきか曹操に気に入られて、官職に任じられている」
A「へ? 何で、その兄ちゃん、そんなことしてたの?」
F「目的は同じだ。曹操と誼を結ぼうとした、劉璋の使者として訪問した。前回から引っ張っていた張松についてのオハナシを今こそやろう。実は、張松が派遣されたのは、正史では、曹操が荊州に入った直後、赤壁の戦闘の直前だ」
2人『……は?』
A「正史と演義では、張松の曹操訪問のタイミングが違う……?」
Y「……だったら張松が、正史でも曹操にないがしろにされたのは、むしろ当然だな。張粛は益州と誼をつないでおくため、懐柔しておく必要があった。だが、劉備を追い散らし荊州を抑えたあとに来た張松にはその必要はない」
F「そういうコトだ。儒教では、国王たる父が正義に反する行いをしたら、父を背負って何もかも捨て逃げろ、と教えているけど、張粛が迷わずに弟を見捨てたことから察するに、この兄弟、仲は悪かったと見ていい。原因は、間違いなく兄だけ官職を得たから。要するに、兄と曹操への逆恨みだ」
Y「……で、赤壁で曹操軍は退却した。被害の具合はさておいても、客観的には負け戦だな」
A「張松は益州に帰って『曹操なんかダメですよ、これからは劉備の時代です!』と進言した……?」
F「そういうコトだ。その進言からも、赤壁で戦って勝ったのは誰だったのか判りそうなモンだが、それはともかく。かくして開き直った劉璋は、張任・劉カイ(字が出ない)らに命じて、劉備を迎撃する準備を整えさせる。劉備もまた、張松の死を聞いて、改めて益州攻略を決意した」
A「いよいよだなっ♪」
F「ひとを裏切ることに関しては呂布にも引けを取らぬ、野獣のごとき野心が、ついにその本性を現したのだった!」
A「って、何だよその云い草は!?」
Y「ぶははははははっ!」
A「笑うなーっ!」
Y「くっくっく! いや、しかしその意見に反論する奴は、正直、劉備を知らんとしか云いようがないぞ」
A「ぬぐぐぐぐっ……!」
F「続きは次回の講釈で」