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私釈三国志 61 奇人張松

F「というわけで、漢土十三州のうち、実に9州が曹操の手に落ちたところからー」
A「えーっと、幽・青・冀・并・司隷・兗・豫・徐に、涼州が加わったんだな」
F「そうなる。残る4州のうち、揚州が孫権がしっかり抑え、すったもんだの末に荊州は劉備の手に落ち、南方の交州が徐々に孫権領になりつつある状態」
A「おっ、交州にも動きがあったのか?」
F「んー、実は徐々に動いていたんだけど、今まで触れてこなかったような状態。交州については、ほとんど孫権領という認識にしておいてもらえるかな。で、残るは益州」
Y「公孫康はいいのか?」
F「まだいい。以前触れた通り、益州は、亡き劉焉が謀略で支配するに到った土地なんだけど、その謀略のゴタゴタで漢中……涼州・司隷に面する要害の地に、五斗米道教団という道教系の武装集団が根付いてしまった。三代教主の張魯は切れ者で、益州の支配から逃れ、朝廷に自治権を認めさせている」
A「ふんふん」
F「というか、もうちょっとしたらはっきり判るけど、劉焉はともかく劉璋はバカだったのは揺るぎない事実でね。そのため、涼州が陥落たのを見た張魯は、曹操に対抗する地盤を得ようと、益州に侵攻する計画を立てたんだね」
A「勝てるの?」
F「微妙なラインだ。黄巾崩壊・青州黄巾賊帰順後で見るなら、五斗米道は道教組織としては最大最強のものだったと推察できる。ついでに云うなら、劉璋は家臣によって劉焉の後継者に祭り上げられたことを考えると、見方によっては張魯を官軍をみなせなくもない」
A「それはさすがに無理があるだろ」
F「まぁ、実際に戦火を交えていたらどうなったのか、興味深いものはあるけど……。ともあれ、劉璋にしても、日に日に勢力を増している張魯の脅威を感じられないほど愚かではない。そこで、曹操と手を組んで張魯を牽制しようと目論み、使者を送ったンだね」
A「それが、張松だな」
F「そゆこと。ちなみに、正史と演義とでは、ひとつ決定的な違いがあるんだけど、それは次回述べる。ともあれ張松は、曹操の元に派遣された」
A「でも、この時点で劉璋を見限る決意をしていた、と」
F「うむ。演義では、益州の詳細な地図を用意していき、それを献上しようと目論んでいたことになっている。この400年くらい前に……」
A「いきなり飛ぶな!」
F「聞け。荊軻が、始皇帝暗殺に際して、始皇帝を裏切った武将の首と燕の地図を持参していた。降伏するにあたって割譲する土地の地図を持参するのは、暗黙の了解に近いものだったみたいでね」
A「どうして国を売る気になったのやら」
F「まぁ、理由……ただし、納得はできないもの、があったんだけど、ね。ところが、演義で張松が来たのは、曹操は馬超を破り、涼州を支配下に納めたばかりで、要するにご機嫌さんな状態だった。そんな田舎モノには会おうともしない。やむなく張松は賄賂を送って、何とか謁見にこぎつけたんだけど」
A「会うなりいきなり『益州からは貢物が来なかったがどういうことだ?』と、曹操が云いだすんだよな。さすがにかちんと来た張松は『街道に賊が出るので輸送もままなりません』と応える。曹操が『バカ云え、ワシが天下を治めているのに、どうして賊が出ようか』と云うと『孫権あり、劉備あり、張魯あり……これでどうして天下を治めたなどと云えましょう』と張松が応えるモンだから、曹操怒って退席する、だったな」
Y「……アイツは、何と云ったかな」
A「ん? 誰?」
Y「あぁ、話進めてろ。ちょっと探すから」
F「おーらい? そんなわけで侍っていた華歆に『それが使者の物云いか!』と怒鳴られた張松だけど『西川(益州)にはおべっか遣いなどおらんのだ』と云い返す。つまり、中原にはおべっか遣いがいる、という皮肉なんだけど、それを聞きとがめたのが楊修だった」
A「来たよ、知恵袋……」
F「楊修、字は徳祖。父は太尉を張った楊彪で、亡き蔡邕らと並び称された後漢の名臣だね。当人も稀代の知識人と知られ、曹操ですら三里歩きながら考えてようやく意味が判った碑文を、即座に解読したほどの切れ者だった」
Y「うーん……?」
A「何でそんな奴が、曹操に仕えてるんだ?」
F「演義では、張松からもそう聞かれて『丞相が立派だから、こんな俺でも小役人なんだよ! 田舎者がガタガタ云うンじゃねぇ!』と、抗弁しているな。もちろん、田舎者には曹操の偉大さなんか判らない。そこで楊修が出してきたのが、曹操が著した十三篇の兵法書、すなわち『孟徳新書』だった」
A「孫子のパクリか?」
F「結論から云えば、その通り。これこそが丞相の偉大さの結晶であると豪語した楊修に、張松は『孟徳新書』十三篇を、そっくり暗証してのける。これには楊修度肝を抜かれて、張松を宿舎に戻すと、曹操に直言した。かの者、容貌はともかく才覚は確か。軽んじてはなりません、と。そこまで云うならと曹操は、翌日、5万からの兵を閲兵し、その場に張松を呼びつけた。益州に、これほどの軍勢があるか、と見せつけたんだね」
A「対する張松は笑顔さえ浮かべて『西川では仁義もて人を治めますので、このような軍備は必要ありませんな』を応じる。キレた曹操が『だったらワシが益州に攻め入ったら、我が常勝の軍勢を、その仁義とやらで防ぐつもりか!?』と激昂すると『濮陽では呂布、宛城では張繍、赤壁では周瑜、華容道では関羽、そしてこの度の馬超。丞相御自ら常勝無敵の軍を率いて西川入りなされれば、どのような結果となるのかは判りきっておりましょうな』と高笑い〜!」
F「……曹操が負けると子供が喝采する、だったか」
A「誰が子供か」
Y「……あぁ、思い出した。禰衡だ」
F「ん?」
Y「曹操の本陣に乗り込んできて、本人を眼の前に罵倒するこの態度。どっかで見たと思ったら、あの変人だ」
F「……なるほど、似てるか。末路も似たようなモンだしな。曹操は首を斬れと激怒するんだけど、楊修に加えて荀ケまでフォローしたから、殺すのだけは思いとどまって、百叩きにして許昌から追い出した」
A「詰めが甘いか?」
F「僕が曹操の立場にあったなら、荀ケも禰衡も殺しはしないからなぁ。張松もしかり。中途半端な処罰で済ませたから、劉備に拾われて、劉備一家が西進計画を立てるようになるんだぞ」
A「経緯としては、このままでは帰れない張松が、荊州の劉備に会ってみようと考えて南下したところ、趙雲・関羽に相次いで迎えられ、あまつさえ竜・鳳を左右に従えた劉備本人にまで迎えられて、ころっと参ってしまった、だよな」
F「そうなるね。……もちろん、演義では、だけど」
A「むー」
F「正史において張松がどう動いたのか、及び曹操がどうしてこんな反応をしでかしたのかは、次回で触れる。ともかく、劉備は張松、及びその同志たる法正・孟達に乗せられて、益州入りを決意した。ただし、あくまで張魯攻め・劉璋救済が名目だから、関羽・張飛・趙雲・孔明・馬良といった主力は連れて行かず、黄忠・魏延・関平・劉封に龐統という、要するに二軍メンバーで出陣したんだね」
A「豪華すぎる二軍ですね! さすがに魏は無理かもしれんけど、呉とは互角に戦えますよ! つーか二軍付き軍師かよ、龐統は!?」
F「演義では、どうしても孔明に一歩劣るからねぇ。でも、少し見方を変えてみよう」
A「ん?」
F「劉邦が項羽と天下を賭けて争ったとき、従軍していた(正確には、戦地で合流した)のは軍師たる張良で、関中には宰相たる蕭何を残しているんだ。正史における孔明が、どちらの役柄だったかというと?」
A「……蕭何だな」
F「後方にあって金銭糧食をよくする孔明と、前線にあって指揮を執る龐統。左右の両輪としては、おおよそ理想と云っていいな」
A「うむ、これ以上は望むべきもない布陣だ♪」
F「続きは次回の講釈で」

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